ブロークバック・マウンテンで見る世界012●ハリウッドに刺激をもたらしたのは、アウトサイダーの視点だった。
前回は岡田敏一記者による分析記事を紹介しましたが、その翌日には、毎日新聞の夕刊に國枝すみれ記者による充実した分析記事が掲載され、注目すべき観点を与えられました。 今回の授賞式で飛びぬけて注目を集めた2作品、「ブロークバック・マウンテン」と「クラッシュ」には、大きな共通点が2つあります。
両作品とも(結果的に)アメリカ社会における「差別構造」と「偏見」を浮き彫りにしたということ。そして、両作品の監督ともに「米国人ではない」ということです。
記事では、多くの記者にとって「予想外」だった作品賞発表直後の「どよめき」に触れた後、両作品の内容を掘り下げて紹介しています。(記事中の「〜」は中略を意味します。)
●毎日新聞・3/8(水)夕刊
第78回アカデミー賞授賞式
米国の差別と偏見 えぐった外国人監督
「ブロークバック・マウンテン」も、なかなか資金繰りが立たず、構想段階でいったん作品の制作は頓挫。撮影が開始されるまでに8年の歳月を要したそうですが、「クラッシュ」もやはり同じように大きな壁をクリアーして実現した企画だったようです。第78回アカデミー賞が焦点をあてたのは、米国社会に巣くう差別と偏見だった。〜
「クラッシュ」は、ヒスパニック系の修理工や使用人を信用しない白人の主婦、白人上司の差別発言には敏感に反応するのにヒスパニックに対するステレオタイプに鈍感な黒人警官などが登場する群像劇。脚本は数年前に出来上がっていたが、テーマが人種差別だけに資金のめどが立たずに難航した経緯がある。
「見終わって議論したくなるような映画が好きだ。恋人と意見が違って別れる羽目になるような映画が作りたかった」という監督の狙い通り、登場人物は偏見を捨てられず、傷つけ合う。
ハギス監督はカナダ人。アウトサイダーだから、米国人が当然のこととして見過ごす偏見やステレオタイプに気付くのだろう。「ちょっと待て。今、ここで何が起きた?」
と、周囲の米国人からしつこく聞き出し、アイデアを書き留めてきたことがあとで映画づくりに役立ったという。
「映画はわれわれの心の中に巣くう疑問をぶつけただけ」というが、会見場では「米国人は性急に物事や人間を判断しすぎる。他人を非難したり、他国を指さして悪だと決め付ける前に、5秒間立ち止まってほしい」 と厳しい批判も口にした。
(ロサンゼルス・國枝すみれ記者)
実際、物語の中心人物として、人種差別主義者で悪印象な「白人の警官」が出てきます。恐らくこの役を引き受ける白人の俳優を見つけるだけでも、相当に苦労したのではないかと思われます。
完成した映画では、若手俳優のマット・ディロンが引き受けて見事に演じきっているのですが、彼にとってもこのような役を演じるのは、はじめての事だったようで、パンフレットのインタビューで次のように発言しています。
スター俳優というのはイメージを大切にするでしょうから、やはり相当な覚悟が必要だっただろうと思われます。しかし彼も言っている通り、この映画には「完全なる悪人」は出てきません。この白人警官の人間描写としても、「悪いことをする面もあれば、素敵なことをする面もある」ことを掬い取っています。そして、そのことを象徴する場面は、この映画の中でも特に印象深い名場面となっています。リスクを承知で出演を決めただろうマット・ディロンの覚悟も、報われたのではないでしょうか。「これほど極端な人物を演じるのはとても難しかったし、不安もあった。非常に口汚く、怒りに満ちたシーンを演じるのは、自分の心をかき乱すものでもあった。僕は、彼が経験する人間的感情の多くには共感できたが、彼の行動には共感できなかった。でも、僕がこの役に引きつけられた部分は、彼が献身的な男で、父親を愛しているという思いがけない事実だった。
僕は彼を悪い人間だとは思わない。彼は非常に熱心で、優秀な警察官でもあるんだ。自分の仕事にとても自信を持っているが、それを悪用するところもある。自分の感情とうまく折り合いをつけることができない人間なんだ。」
「これから同性愛をテーマにした映画の計画はない」という現実
國枝すみれ記者の記事では、さらに「ブロークバック・マウンテン」についても言及していたのですが、ちょっと気がかりな記述もありました。
國枝記者の分析によると、今年、同性愛を描いて高い評価を受けた作品が重なったのは偶然であって、必ずしもアメリカ映画界の風潮が変化したわけでは無いというのが現実であるようです。一方の「ブロークバック・マウンテン」も、同性愛への偏見に苦しむカウボーイが主人公だ。
監督賞を受賞した台湾出身のアン・リー監督は、同性愛者たちが直面している偏見や拒絶などをていねいにすくいとり、差別の本質を普遍化することに成功した。
市民組織「同性愛者を差別から守る団体」のニール・ジュリアーノ代表は、今年のアカデミー賞は総じて同性愛者のために役立ったと語った。
性転換する男性が主人公の「トランスアメリカ」で主役を演じた女優が主演女優賞にノミネートされ、ゲイといわれる作家、トルーマン・カポーティを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンが主演男優賞を受賞していることを評価する。
「映画のおかげで、社会は同性愛についてもっと深く理解してくれたと思う」
少なくとも、映画会社にとって同性愛はまだタブーらしい。
ロサンゼルス・タイムズ紙の映画記者、ロバート・ウェルコス氏は5日、「ゴールデングローブ賞で『ブロークバック・マウンテン』が作品賞を受賞したあと、映画会社を取材して回ったが、これから同性愛をテーマにした映画を作るという計画を持っているところはなかった」と話している。 (ロサンゼルス・國枝すみれ記者)
たしかに、上記で指摘されている3作品のうち「カポーティ」はどうやら、作家が同性愛者であったことに焦点を当てている映画というわけではなさそうですし、昨年から今年にかけて、たまたま「ブロークバック・マウンテン」と「トランスアメリカ」の上映時期が重なっただけなのかもしれません。
しかし上記の映画記者の証言は、あくまでもゴールデングローブ賞の時の話。その後「アカデミー賞報道の効果」でこの作品の知名度は更に上がりましたし、このまま勢いに乗って興行成績が伸びれば事情は変わってくるのかもしれません。
同性愛を題材にした映画というと決まって付きまとう「マイナー」で「マニア向け」だという従来のイメージを払拭するのはなかなか難しいようですが、もっと大資本が制作するメジャーな作品の中にも「奇をてらわない」「フツーに生きているゲイたち」が、日常感覚のままで存在するようになるべきなのです。近年の黒人たちと同じように。
興行成績はハリウッドへの意思表示
アメリカ映画界にとって、日本は注目すべき重要なマーケットの一つ。「ブロークバック・マウンテン」は、すでに東南アジア地域では香港、台湾、韓国等で封切られていますが日本では公開が出遅れました。やっとこれから、満を持して全国公開が開始されます。世界の映画市場を席捲しているハリウッド的な市場システムは、単純で薄っぺらい一過性の娯楽大作を量産しています。その体制を揺り動かすことが出来るのは、やはり現実問題としての「興行成績」の結果なのではないでしょうか。
「アカデミー賞効果」で異例の拡大公開が実現したこの作品の日本での興行成績は、「もっと良質な作品こそ幅広く公開されるべきだ」と願う我々の意思表示にもなるのです。
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ブロークバック・マウンテンで見る世界011●祭りのあと
たかがアカデミー賞。されどアカデミー賞。 やはり「オスカー受賞」という冠が付くと、世界中に報道されることで映画の知名度がグンと上がり、確実に観客動員が増えるし映画史に刻まれるわけですから、その意味は長い目で見ても非常に重要です。だからこそ「最優秀作品賞」を獲得するために、配給会社は様々な政治的な駆け引きを行い、PR合戦を仕掛けるのです。
「クラッシュ」がオスカーを取るためにアカデミー会員にDVDを大量配布したこともその一つ。そして「ブロークバック・マウンテン」も「クラッシュ」も共に、早いうちから世界中のありとあらゆる映画祭に出品し、受賞を重ねて来たこともオスカー狙いのPRの一環だったと言えるでしょう。そもそも映画祭というのは、ほとんどにおいて、配給会社が自ら出品しなければ審査されることもないわけですから。
発表から一週間が経ち、僕の中でメラメラと燃えていた「ブロークバック落選」の悔しさも落ち着いて来ました(笑)。そろそろ冷静になって、今回のアカデミー賞にまつわる出来事から見えてきた多くのことを、見つめ返してみたいと思います。
岡田敏一という個性派記者の存在
フジサンケイビジネスアイという新聞があります。数年前までは日本工業新聞という名前でしたが、今は産経新聞系列のビジネス情報新聞として発行されています。一般紙とは違って発行部数はそれほど多くはないのですが、岡田敏一記者の書くアメリカのエンターテインメント系の記事が面白いので、僕はチェックすることにしています。
主に日曜日に、アメリカの最新のエンタメレポートが掲載されています。岡田記者はアメリカの様々なサブカルチャーに精通しているようで、かなりの博識家であるようです。その知識を元にして「いいものはいい。悪いものは悪い」と批判も辞さない姿勢で記事を書いているので好感が持てます。僕が映画「トランスアメリカ」の情報を早いうちから知ることが出来たのも彼の記事からだったし、けっこうLGBT絡みの事柄も積極的に報じてくれるので、ありがたい存在です。保守的だというイメージを持たれがちな産経新聞系列としては、異例の存在だとも言えるでしょう。
そんな岡田記者は、アカデミー賞の取材でもロサンゼルスの最前線にいたようです。授賞式直前の日曜日には「大胆予測」の記事を掲載し、結果を「ほぼ的中」させた彼ですが、授賞式の翌日からさっそく、充実した検証記事をいち早く掲載していました。
今回のアカデミー賞の結果を彼なりに分析すると「黒人文化の台頭」を象徴しているということになるようです。ちょっと長いですが紹介します。(引用記事中の「〜」は中略を意味します。)
●3/7(火)フジサンケイビジネスアイ・「検証i」
アカデミー賞 「黒人文化」が大きく台頭
ゲイ作品不発 保守性は不変
スターたちが集まった華やかな式典のクライマックス。
「オスカー・ゴーズ・トゥ・・・クラッシュ!」
〜作品賞プレゼンターの男優ジャック・ニコルソンが叫ぶと、会場となったコダック劇場の近くのホテルに掲げられた世界中の記者約300人が詰める取材室で結果を見守っていた黒人の記者たちから大歓声が上がった。
■リアルな米描く
〜今回はクラッシュに限らずアカデミー賞全体を通じて、黒人社会が題材の作品が多くの賞を獲得した。音楽の世界に続き、映画の世界でも黒人文化が力を発揮しつつあるいまの米の娯楽産業の兆候を示しているようだ。
「アカデミー会員には、ゴールデン・グローブ賞で作品賞を取った作品をわざと外す傾向がある」(業界筋)うえ、「高齢でひねくれ者で保守的なアカデミー会員がゲイの作品を推すとは考えにくい。マスコミの事前の大絶賛を疎ましく思い、あえて別の作品に投票するのでは」(関係者)との予想は本当だったようだ。
というより、アカデミー会員は「カウボーイがゲイだった」という絵空事に近い物語より、リアルな米を描いた作品を選んだと言った方がいいだろう。
「クラッシュ」は「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」でハリウッドがお祭り騒ぎだった昨春に公開された。だが、聞くに堪えない差別用語のせりふの応酬に、当初は映画ファンや関係者から「米ではこんなひどい差別はない。この映画はフィクションだ」と反発の声が聞かれた。
しかしこうした声にロス在住のハギス氏は「この映画はすべて私が実際にロスで見聞きした差別事例を元に作っている。私は昔、ビデオレンタル屋でカージャックに逢ったこともあるんだ」と猛然と反論した。そのリアルな米社会をアカデミー会員は高く評価したのだ。
■ 独自のPRも奏功
しかし今回のアカデミー賞の結果は、取材陣の間でも予想外と受け止める人が少なくなかったようだ。
イタリアのテレビ局の女性記者ジャダ・アルバニーズさん(30)も「作品賞が『クラッシュ』と聞いたとき、本当に驚いた。やはり『ブロークバック・マウンテン』は同性愛を扱い、さまざまな論争を呼んだことが嫌気されたのでしょう」と話す。
〜「クラッシュ」が土壇場で大逆転し、オスカーに輝いた大きな理由として「事前のDVDの大量無料配布キャンペーンが当たった」(事情通)との見方も多い。
作品の製作元で独立系の映画会社ライオンズゲート・フィルムは、オスカーを前にした今年初旬、ハリウッドの業界関係者に計約13万本ものDVDを無料配布し、大きな話題を集めた。
普通、この手のPR作戦で配るDVDの数は多くても約2万枚。ライオンズゲートのトム・オーテンバーグ社長は「昨夏公開の作品が忘れられないよう、大規模なPR作戦を展開した」と話し「経費の面でも、テレビや新聞で派手に広告を打つよりずっと安上がり」と打ち明けさらに注目を浴びた。
こうしたほかの映画会社との差別化戦略も結実の一因となったようだ。
今回のアカデミー賞全体を眺めてみると、クラッシュでは有名テレビプロデューサーとして富と権力を得た黒人夫婦が白人警官に言いがかりをつけられ、執拗な取り調べと耐え難い屈辱を味わう場面がある。
またポン引き(ピンプ)の貧乏な黒人が苦労の末、ラップ歌手として成功を収める物語「ハッスル&フロウ」(クレイグ・ブリュワー監督)の主題歌で過激なヒップ・ポップ曲「イッツ・ハード・アウト・ヒア・フォア・ア・ピンプ」が歌曲賞を受賞。アカデミー賞の歴史始まって以来、ヒップホップの楽曲がオスカーに輝いた。
外国語映画賞も、南アフリカの作品で、貧困地域の黒人青年によるカージャックを題材にした「ツォツィ」(ゲビン・フード監督)が獲得した。
音楽の世界では、ニューヨークの黒人が生み出したラップ音楽に代表されるヒップ・ポップがロック音楽を追い越して米の大衆音楽の主流を走っている。
米スミソニアン博物館がヒップ・ホップ文化の展示を決めるなど、大きな力を誇示している。古くから音楽と映画は密接につながっている。今回の結果は、これから黒人文化が映画にも大きな影響を及ぼす兆候といって間違いない。
(ロサンゼルス=岡田敏一)
マイナー紙だからこそ掲載できた検証記事(しかも翌日に!)
「黒人記者たちから大歓声が上がった」というディテールを見逃さないところが、さすがは岡田記者。そしてこんな風に、取材現場のリアルな状景を捉えた記者の主観を伝えられるのは「フジサンケイビジネスアイ」というマイナー新聞だからこそ。だって、はじめから他紙の何倍もの潤沢な掲載スペースを与えられているわけですから。
先日紹介したとおり日本の大手新聞社はせいぜい、記者の主観を排して大勢を窺いながら「公正中立」を気取った事実の伝達が精いっぱい。大してスペースも貰えず、記者たちにとっても腕の振るいようがなかったのではないでしょうか。
差別問題に新たな視点
このレポートからも察せられるのは、僕らLGBTにとって「ブロークバック・マウンテン」のオスカーが悲願だったのと同じように、多くの黒人記者たちにとっては「クラッシュ」の受賞が悲願だったらしいということです。
人種差別問題を「マイノリティーの解放運動」と直結させる旧来の単純なステレオタイプから解放し、新たな視点から多面的に複雑に抉り出したこの映画は、やはり2006年の今、オスカーに値する「見るべき映画」だと僕は思います。(でもやっぱり「ブロークバック・マウンテン」と同じ年に重なってしまったことは悔しいけど・・・笑)。
物語が暗示するのは、これからの世界
僕が「クラッシュ」を観て特に印象に残ったのは、「白人がメジャーであり、有色人種がマイノリティーである」という従来のアメリカ社会のヒエラルキー観に大きな変化が生じていることに注視していること。
特にこの映画では、黒人の台頭を前にして立場が逆転し、焦燥感に駆られはじめた「白人たち」が醜い姿を晒しはじめた様子を、批判も込めながら冷徹な視線で描き出しています。
(しかも監督は、カナダ生まれのバリバリの「白人」です。)
そしてコンプレックスを抱えた白人たちは、黒人以外のアジア系や南米系、アラブ系に対して鬱憤を歪んだ形で晴らすもんだから、そこから更に、「やられたら、別の弱い奴らにやりかえせ」という風に様々な人種による様々な差別構造の連鎖が始まってしまうのです。
すでに差別の構造に「上」も「下」もなくなっているようです。誰もが「状況」や「組み合わせ」によって差別者にもなれば被差別者にもなるということの怖さ。善人は悪人でもあり、悪人は善人でもある。そんな連鎖の繰り返される状況を告発するとともに、どうしたら人間同士として共生出来るのかを物語そのものの展開によって「探り続ける」映画です。明確な答えは出さないまでも、観客に鋭く問題提起することに成功していると思います。 ただ、登場人物が多く出来事も多いため全体的にテンポが速く、センセーショナルな印象を観客に与えてしまうという映画的な欠点はあります。ロサンゼルスの市民からも「現実の暗部を誇張しすぎだ」という声が少なからず上がっているようで、チュチュ姫さんのブログ「姫のお楽しみ袋」に掲載された「クラッシュ」のレビューを読むと、アメリカに住む市民の日常感覚と、映画とのズレを感じた感想に触れることが出来ます。この映画を語る上で、大事な指摘だと思います。
どこの国でも言えること
わが国でも最近、様々な国の人々が移住してくるにつれて「メジャー」であったはずの「日本人という幻想に囚われている方々」が醜さを曝け出しはじめています。国技である相撲で活躍する「外国人力士」たちに不要なコンプレックスを抱いたり、「嫌韓流」という本がベストセラーになったり。自己完結のモノローグに終始する「日本病」は、インターネットの一部の世界でも相変わらず蔓延し続けています。この映画で描かれた出来事は、ロサンゼルスの一都市の出来事には留まらず、わが国はもちろん世界のあらゆる所で起きている複雑な出来事に通じていると思いますし、今後の混迷を予言しているのかもしれないとも思います。
たしかにDVDの大量配布など、「クラッシュ」制作会社によるキャンペーンには露骨な派手さがあったようですが、公開が昨年の5月だったことを考えると当然なのではないかとも思います。オスカーを狙う映画は、アカデミー会員が投票する時期に合わせて年末に公開するのが通例だそうですから、なにもしなければ、半年も前に地味に公開されて大してヒットもせずに終った作品のことなど、多くの人にとっては記憶の彼方の出来事でしょうから。
真の評価はこれから「ブロークバック・マウンテン」が同性愛を描いていることに嫌悪感を持って劇場に観に行かなかったり、保守的な感覚で忌避してしまったアカデミー会員もいたことでしょう。その票が「クラッシュ」や他の作品に流れ、結果的に票が分散された可能性は否定できません。偏見によって映画作品が然るべき評価をされなかったとしたら、そのことは問題にされるべきです。
しかし、そのことと「クラッシュ」の作品評価とは別物なのではないでしょうか。
そもそもどちらの作品の配給会社もオスカーを目指して政治的に立ち回ったことには変わりないのですから「同じ穴のムジナ」です。
その結果、これだけの話題を提供し、作品としての知名度が上がり、多くの人々が劇場に足を運ぶきっかけ作りになったのですから、見込んでいたPR効果は両作品ともに、充分に達成されたことでしょう。
「アカデミー賞」というお祭り騒ぎが終わり、やっとこれから純粋に「作品としての力」が問われることになります。どうか映画を観る時だけでも、いろんな予備知識から解放されて純粋に映画と向き合ってください。どちらの作品も、それだけの力を持った「強い映画」だと僕は思いました。そして、多くの人に観られるべき資格を持った作品だと思います。
10年後、そして100年後まで「名画」として語り継がれるかどうかは観客が決めること。
作品の真価が問われるのは、アカデミー賞効果で多くの人の目に触れる、これからのことなのです。
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ブロークバック・マウンテンで見る世界010●アカデミー賞翌朝の新聞報道

日本時間では3/6(月)午後1時台に発表された第78回アカデミー賞。 翌日7日付の新聞各紙は、「クラッシュ」が最優秀作品賞、「ブロークバック・マウンテン」が監督賞という結果を、どのような表現で報道したのでしょうか。両映画に関わる部分を記事から抜粋し、メディア分析的な観点から見てみることにします。
☆記事中の「〜」は、中略を意味します。
●朝日新聞・文化欄
アカデミー賞 社会派の力作競い合う 娯楽・メジャー作品は苦戦
〜作品賞を含め脚本・編集賞をとった「クラッシュ」(ポール・ハギス監督)は、様々な人種・階層の人たちが織りなす36時間の群像劇。最初はバラバラだった登場人物たちが一つの交通事故で次第に結びつく構成が見事だった。製作費7億6千万円、撮影期間35日は、ハリウッド水準では小規模だ。
若いカウボーイの同性愛を正面から取り上げた「ブロークバック・マウンテン」は前哨戦のゴールデン・グローブ賞を制するなど前評判は高かったが、監督賞、脚色、オリジナル音楽の3部門。同性愛をメインテーマにした映画が作品賞を受賞したことはなく、アジア系の映画人が監督賞をとったこともない。二つの壁に挑んだリー監督だったが、結果は一つを超えるにとどまった。
リー監督は「2人の登場人物は社会が否定するゲイの人たちのことだけでなく愛そのものの偉大さを訴えた」と語った後、「台湾、香港、中国の方々、ありがとうございます」と受賞のあいさつを締めくくった。
アカデミー賞に詳しい評論家の川本三郎さんは「今年は社会性の強い力作がそろったうえ、大半がメジャー作品でなかったのが面白かった。個人的には『ブロークバック・マウンテン』と思っていたが、やはり同性愛が保守派の会員に敬遠されたのだろう。それでも監督賞はアン・リーに与えて、バランスをとった。アジア出身監督の快挙に拍手を送りたい」と話す。〜(斉藤勝寿記者)
☆記事中でコメントが紹介されている川本三郎さんは、僕の大好きな映画評論家です。文章に評論家っぽい「気取り」とか「偉そ〜なエリート臭」がなく、すごく面白いんです。 中央公論新社から 「アカデミー賞〜オスカーをめぐるエピソード〜」
●毎日新聞・社会面
アカデミー作品賞に「クラッシュ」
☆この記事の特色は「同性愛」という言葉を使わず「カウボーイ同士の恋愛」と表現しているところ。記者の意図はわかりませんが、同性愛が自然なものだという認識が浸透したならば、かえってこの方が自然な表現であるように思います。〜ロサンゼルスを舞台に人種差別に焦点をあてた「クラッシュ」(ポール・ハギス監督)が、最優秀作品賞、脚本賞、編集賞の3部門を制した。監督賞は、カウボーイ同士の恋愛をテーマにした「ブロークバック・マウンテン」のアン・リー監督。リー監督は台湾出身。アジア系での監督賞受賞は初めてだ。同作品は脚色賞、作曲賞も獲得している。〜(國枝すみれ記者)
●毎日新聞・コラム「ひと」
アジア人で初めてのアカデミー賞監督賞 アン・リーさん
心が動くものを撮る 自分の文化を大切に
☆監督の写真入り記事。映画化までに8年かかったのに諦めなかったアン・リー監督の執念を紹介しています。ハリウッド映画界で出世し、大作映画を手掛けることでいろんな「しがらみ」に疲れはじめた監督が「本当に作りたくて作った映画」なのだということを伝えるインタビュー記事です。〜米国で同性愛をテーマにした映画を作ることは冒険だった。俳優を見つけるのにも苦労し結局、映画化までに8年以上かかった。04年11月、全米11州で同性結婚を禁じる州法が成立。反同性愛キャンペーンは今も保守派を中心に続いている。
「思いを映画にする必要を感じたのはしばらく前だが、最近になって社会が追いついてきた。我々の心の叫びを受け止めてくれたことがうれしい。観客は愛、理解、尊重、といった複雑で成熟したものを求めている。」
台湾から渡米して約30年。米国社会の描き方も熟知している。「グリーン・デスティニー」と「ハルク」を監督して疲れ果て、引退も考えたが、「ブロークバック・マウンテン」では原点に戻って楽しめたという。
〜「心が動くものを撮る。正直に、勇気を持って、自分の文化を大切にしながら、ベストを尽くす。私はそうやって道を開いた」(國枝すみれ記者)
特に「観客は愛、理解、尊重、といった複雑で成熟したものを求めている。」という言葉からは、アン・リー監督の「観客を信頼した姿勢」を感じます。
●読売新聞・社会面
アカデミー賞 クラッシュ3冠 作品・脚本・編集
☆たしかに授賞式の中継を見ていても、「クラッシュ」関係者の青天の霹靂に遭ったかのように驚いた表情が印象的でした。その「サプライズぶり」を捉えた記事です。〜ロサンゼルスを舞台に様々な人種や階層の衝突を描いた群像劇「クラッシュ」(ポール・ハギス監督)が作品、脚本、編集の3部門で受賞した。
本命視されていた「ブロークバック・マウンテン」をはじめ、作品賞は強敵ぞろいだったため、プロデューサーのキャシー・シュルマンさんは授賞式で「私たちは他の作品と比べて劣っていたもので・・・」と思わずスピーチ。
また、受賞後のインタビューでハギス監督らは「受賞した瞬間は信じられなかった。(結果は)衝撃だよ。今も受賞したことを理解しようと努力している」と話した。
一方、台湾出身のアン・リー監督による「ブロークバック・マウンテン」も監督、脚色、作曲の3部門で受賞。アジアの監督として初めて監督賞のオスカー像を手にした。記者会見では、「アジアの映画人にアドバイスを」という質問に、「ルーツである文化を誇りにして、正直に勇気を持って進んでほしい。それ以上の道はない」と答えた。〜(原田康久記者)
●日本経済新聞・社会面
米アカデミー賞作品賞に「クラッシュ」 監督賞にアジア初のリー氏
●産経新聞・社会面〜作品賞に米国の複雑化する人種問題を取り上げた「クラッシュ」が選ばれた。「クラッシュ」は主要賞の一つ、脚本賞も受賞した。
作品賞を含む最多の8部門でノミネートされた「ブロークバック・マウンテン」は、台湾出身のアン・リー監督がアジア系で初めて監督賞を受賞した。カウボーイ同士の同性愛を描いた同作品は作品賞の本命とされたが、米世論を二分するテーマだったため投票権を持つ映画芸術科学アカデミーの会員から十分な支持を得られなかったとみられる。〜(猪瀬聖記者)
作品賞に「クラッシュ」 アカデミー賞「ハウル」は無念
☆この岡田敏一記者は、先日この記事で紹介したFuji Sankei Business iにも鋭い分析記事を寄稿している人です。早速、3/7の同紙にもなかなか鋭い批評記事が掲載されていたのですが大事なトピックであるため、日を改めて紹介しようと思います。〜メーンの作品賞にはロサンゼルスを舞台に人種差別問題に切り込んだ「クラッシュ」(ポール・ハギス監督)が選ばれた。当初、最多8部門で候補にあがり、ゲイのカウボーイの悲恋を描いた「ブロークバック・マウンテン」は作品賞を逃したが、アン・リー監督(51)が初の監督賞を獲得した。〜(岡田敏一記者)
●東京新聞・芸能面
“本命”苦戦 賞が分散 アカデミー賞総評
作品賞「クラッシュ」・米社会の矛盾問う
監督賞リー監督・愛のありよう、光る演出
☆カラーの写真入りで、かなり大きなスペースを使っての特集記事。「愛のありようを嫌味なく描いた」という表現は秀逸です。今年は作品賞候補5本とも娯楽大作というより社会派ぞろいだった。作品賞の「クラッシュ」は、ロサンゼルスを舞台にした群像劇。暴力の連鎖や人間関係の複雑さをリアルに描いたのが地味だが評価された。一方「ブロークバック・マウンテン」は、根強く残る同性愛への偏見が、保守的といわれるアカデミー会員に避けられたといえようか。
ただ、監督賞のアン・リー監督は台湾出身だが、ハリウッドで実績もあり、あの大自然をバックに、愛のありようを嫌みなく描いた演出が良かった。「社会が否定するゲイというより、愛がいかに素晴らしいかを訴えた」という監督のメッセージが印象的だった。〜(大谷弘路記者)
●サンケイスポーツ・芸能面
アカデミー賞授賞式 34億円女優オスカー獲った
☆めずらしく主演女優賞のリース・ウィザースプーンさんを大々的に報道。スポーツ紙は総じて「自社に関係の深い配給会社」の映画を大きく取り上げる傾向にあるみたいで、本来ならばメインであるべき作品賞と監督賞についての記述が異様に小さかったです。◆映画評論家・水野晴郎氏「〜作品賞に関しては、『ブロークバック・マウンテン』が有力だと思っていましたけど、現代的な問題を描いた『クラッシュ』に比べて、ローカル色が強かったのかもしれないね。男性の同性愛を描いた物語に、拒否感があったのかもしれない。全体的には社会的な問題を扱った作品が表立っていて、例年に比べてちょっと作品的な派手さに欠けたかな」
それにしてもこのコメント。映画「シベリア超特急」シリーズで独自の美学を追求中の水野さんにしては、当たり障りがなくてつまんないなぁ〜(笑)。
●夕刊フジ・芸能面
予想外の結果だったアカデミー賞
本命「ブロークバック〜」アジア監督初栄誉でバランス
☆出た〜禁断の愛!(←いまどき真面目にこんな表現するんですね〜。笑)5日(現地時間)発表された米アカデミー賞は、主要部門で賞が見事に割れる予想外の結果に終わった。本命視された「ブロークバック・マウンテン」がアン・リーの監督賞の他、脚色賞、作曲賞の3部門に留まったのが驚き。カウボーイ同士の禁断の愛が敬遠されたと映るが、アジア人監督に初の栄誉を与えることで一種バランスを取ったともいえる。
事故をめぐる群像劇で、人種差別問題を絡めた濃厚な人間ドラマ「クラッシュ」は作品賞、脚本賞、編集賞の3冠で質の高さを証明。既に公開中だが、このハッピー・サプライズで、客足がどこまで伸びるか。〜(折田千鶴子記者)
総じて・・・翌日の新聞報道というのは「速報性」と「事実の伝達」が最優先されるため、あまり突っ込んだ内容にはなりません。その中で毎日新聞がコラム「ひと」でアン・リー氏のインタビュー掲載を事前に予定していたことからもわかるとおり、おそらく各紙とも「ブローク・バック〜」の作品賞受賞に合わせた記事が予定されていたことが窺えます。そして作品賞を逃した理由としてとりあえずは「同性愛への根強い偏見」を理由に挙げる記事が大勢を占めていました。
賞の結果について検証する記事はその後、続々と出てきています。当ブログの目的は速報性ではなく、その「報道の検証」にあるため、少しずつ取り上げて行こうと思います。
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●アン・リー「ブロークバック・マウンテン」●MOVIEレビュー
●「ブロークバック・マウンテンで見る世界」最新記事はこちら。
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ブロークバック・マウンテンで見る世界009●ロイター誤報で感じた「危険」
「早とちり」には深層意識が表れる 先日の記事の「追記」部分でも触れましたが、アン・リー監督がアカデミー監督賞を受賞した時のスピーチを報じた中国メディアについて、国際通信社ロイターが「早とちり」な報道をしたことがわかりました。
監督が「台湾、中国、香港のすべての人々に感謝する」と述べた部分と「ゲイのカウボーイ2人に感謝したい」と述べた部分を、 中国の「どのメディアも」報じなかったと明記 されていたのですが、実際には報じていたメディアもあったのです。
ロイターといえば大手マスコミの多くが記事を買いますから、朝日新聞やYAHOO!NEWSなど、日本の多くのニュースサイトがそのままの形で報道。しかし、これを見て間違いに気付いた方がロイターに直接抗議をした結果、 記事が修正され再送信される という事態になりました。
当ブログでも朝日新聞の記事を引用していましたが、ロイターに抗議をした方が間違いを知らせてくださったお陰で、この事に気付くことができました。その方にリンクを許可していただきましたので、紹介します。
「ぐり日記」というブログを書いている「ぐりさん」という方で、3/7付 「今日も物申します」 という記事でロイターの誤りを指摘。その後、ロイターによる返答が3/9付 「踊る阿呆にみる阿呆」で紹介されています。(注:ロイターへの抗議は、ぐりさん以外にも多くの人々から寄せられた可能性があります。)
中国国内のメディア状況は、我々が中国の人々の生活を知る上で大切な要素です。今回の誤報は、例えば日本のことをよく知らない海外の人達から「日本人はNHKからしか情報を得ていない」と思い込まれたようなものであり、大きな誤解が生じてしまいます。
通信社やマスメディアが配信する記事といえども、もとは個人が記したもの。その後、複数人のチェックを通過して配信されるのでしょうが、この「早とちり」がそのまま報道されてしまった背景には、記事を書いた人やロイター通信関係者による中国社会への「無知」と「思い込み」を感じます。相手のことをよく知らないまま「思い込み」で判断するところから差別や偏見が生まれるということを、影響力のあるメディアの関係者にはもっと自覚して欲しいと思いました。
そして、それは我々個人レベルでも言える事。メディアを通して断片的にしか知りえない他国の情報。そのわずかな情報を過度に信頼し、過大解釈して「知った気になってしまう」ことの危うさ。そのことに気付かせてくれる出来事でした。
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ブロークバック・マウンテンで見る世界008●上映中止映画が監督賞・・・ 中国「国営」メディアの複雑な立場
以前、こちらの記事でも取り上げましたが中国では「ブロークバック・マウンテン」の公開は禁止されています。しかし、さすがに「アジア出身者初のアカデミー監督賞受賞」という一大トピックを無視するわけには行かなかったようで・・・。 ご存知の通り、中国の大手マスメディアは中国政府の厳しい言論統制を受けています。政府の意向に沿わない報道をすると、厳しく処分され発刊停止命令も出されかねません。そうした怖れの下で、ジャーナリストたちは自己規制をしながら日々の出来事を報道しているのです。
しかもアン・リー監督は台湾出身。台湾と中国の関係は依然として緊張状態にあります。「同性愛」と「台湾」をどう扱うのか。中国メディア関係者は複雑な思いで今回のアカデミー賞を報道しているようです。
朝日新聞が 「中国各紙、アン・リー監督を絶賛も『ゲイ』の部分などカット」という見出しで伝えたロイターの報道によると、とりあえずは「絶賛」しつつも肝心な所を無視した報道が目立つようです。
注! ☆この引用部分については、その後訂正記事が配信され内容が改訂されましたので、リンク先の記述とは異なった内容になっています。したがって下記の引用部分は事実とは異なる情報になっておりますので、ご注意ください。詳しくは下記の「追記」をご覧ください。
・・・デリケートな問題には基本的に「触れない」でおくのが、現在の中国メディアにおける自己防衛策のようです。どのメディアもリー監督の受賞スピーチの中の「台湾、中国、香港のすべての人々に感謝する」という部分をカットしている。また、映画の主人公であるゲイのカウボーイ2人に感謝したいと述べた部分も報道されなかった。
中国では2001年頃まで同性愛は精神障害と考えられており、現在でも非常にデリケートなテーマ。「ブロークバック・マウンテン」についても、中国政府は国内での公開を認めていない。[北京 7日 ロイター]
しかし今やネット時代。かつてのように大手マスメディアの情報でしか世間の動向を知りえなかった時代とは違います。市民の間では「大手メディアが報じない部分にこそ真実がある」ことは、もはや常識になっていることでしょう。隠せば隠すほど逆に「目立たせてしまう」という矛盾に、最近の中国政府は対応しきれなくなっています。今後中国の国内で「ブロークバック・マウンテン」がどのように扱われるようになるのか。中国にもたくさんいるLGBTたちの今後の動向とも併せて要注目です。
中国で公開されないということは、全世界の4分の1の人々が、この映画をスクリーンで見る「選択肢」を失っているということですから看過できません。同じく上映禁止を表明したUAEも含め、そうした国々で大勢のLGBTたちが悔しい思いを抱えていることを忘れてはならないでしょう。もし「アカデミー作品賞」を受賞出来ていたならば、より強いインパクトを持って報じられ、この映画が彼らの目に触れる機会も、より早まったのかもしれません。つくづく、今回の結果が惜しまれます。
☆このシリーズではしばらくの間、今回のアカデミー賞の結果が各メディアによって「どのように報じられたのか」。そして、その報道の中で「同性愛」「ゲイ」などの言葉が「どのように使われたのか」に注目して、分析しようと思います。新聞やネットを中心に情報を収集していますが、もし面白い記事がありましたら、海外メディアも含めてお知らせいただけると助かります。
●追記(必ずお読みください)
今朝、4時12分に上記の記事を掲載した後、リンク先の朝日新聞の記事が改変されました。見出しも「再送:中国各紙がアン・リー監督絶賛、一部は「ゲイ」の部分などカット」と7時57分に変更されたようです。
変更された箇所は以下のとおりです。
↑配信元のロイターが報道した「どのメディアも〜カットしている」の部分が事実とは違うため、あるブログを運営している日本の方が直接抗議をし、ロイターが訂正記事を配信したため朝日新聞も内容を書き換えたようです。ただ、国営メディアでは、中国政府の意向に沿わない部分などについては、スピーチの内容を一部削除する措置も見られた。
北京青年報は「アン・リー監督は受賞スピーチの中で中国語で感謝の気持ちを表明」と大きく報道。チャイナデーリー(中国日報)も「アン・リー監督は世界中の中国人の誇り」と絶賛した。
ただ、国営メディアでは、リー監督の受賞スピーチの中の「台湾、中国、香港のすべての人々に感謝する」が一部カットされている。また、国営テレビでは、映画の主人公であるゲイのカウボーイ2人に感謝したいと述べた部分も報道されなかった。
●ロイターの訂正記事はこちらです。
●ちなみに訂正前の記事はこちらです。
中国メディアのうち、実際に南方都市報では「台湾、中国、香港〜」と「同性愛〜」の発言部分が報道され、深圳商報では「同性愛〜」の部分、人民網では「台湾、中国、香港〜」の発言部分を含んだコメントが報じられていました。
このことは、誤りを指摘し、改訂をロイターに要望して記事を訂正させた日本の方から「非公開コメント」で連絡をしていただきました。どうもありがとうございました。
当ブログでは「メディア批評」的な立場から「ブロークバック・マウンテン報道」について分析して行きたいため、誤報によって書かれた僕の文章は、そのまま残させていただきます。「だってこんな風に天下のロイター様と朝日新聞サマに報道されたら、一般ピープルとしてはこういう記事書きたくなっちゃうでしょ〜」という抗議の意味も含めて。
注!☆ 従って、僕の書いた文章の「中国メディア」の部分は、ロイターの訂正と同じく「中国の国営メディア」と置き換えたものが、正しい情報となります。
☆さすがに記事のタイトルは「国営」と追加し、訂正させていただきました。
がんばれ中国の「非国営」メディアとフツーの人々
ロイターの誤報も問題ですが、中国政府が「ブロークバック・マウンテン」の公開を許可せず、国営メディアがアン・リー監督のスピーチの該当箇所を報じなかった事実はやはり重要なことです。しかし、イメージとして過剰に「中国は閉鎖的だ」とロイターの記者が思い込んでいるほど中国の人々は閉鎖的な環境で日々抑圧されて窮屈に生きているわけではなさそうです。実際には政府以外の言論機関は頑張っているし、政府の情報統制に負けず、人々は知恵を絞って本音の情報をやりとりしているのです。
ただ問題は、中国政府が相変わらず人々を「情報統制」出来ると思い込み続けて強硬な姿勢をとり、実際に政府の政策を批判するメディアを発刊停止にしてジャーナリストに心理的なプレッシャーを与えて自己規制を促したり、ネットに検索禁止語を設けているという事実。「ブロークバック・マウンテン」の上映禁止もそうした過剰な統制の一つであることは間違いありません。中国国籍の人が作って世界中で評価された長編ドキュメンタリー「鉄西区」でさえ、中国国内では公式に上映できないのです。こうした政府の強硬な姿勢は、むしろ民衆感情を逆撫でしているのではないかと思ってしまいます。
中国のフツーの人々の多くは、国営メディアの言うことは「タテマエ」であるということは百も承知なのでしょう。きっと様々なメディアから情報を得て、政府を嘲笑っているに違いありません。「ブロークバック・マウンテン」が上映される日も、そう遠い未来ではないのかもしれませんね。
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ブロークバック・マウンテンで見る世界007●「アカデミー作品賞」ならず
アカデミー賞の「保守性」を露呈 ・・・昨日、3/6は「ブロークバック・マウンテン」のオスカー獲得が最有力視されたアカデミー賞の発表日(日本時間)でした。
やはり朝から、かなり「そわそわ」してしまいました。この情報を知り得ていた世界中のLGBTたちの多くが、表立って現さないまでも、心の中では同じように落ち着きのない時間を過ごしたのではないでしょうか。
同性愛を、はじめて「普通のこと」として描いた画期的なこの映画が、もし本当にアカデミー作品賞を受賞するとなると「LGBT史」における一つのエポック(新段階)を迎えることは間違いなかったからです。その歴史的な意義を思うと胸が騒ぎ、居ても立ってもいられませんでした。
なんだかんだ言っても「アカデミー作品賞」を受賞するという出来事は、強烈なインパクトを持って世界中に情報が伝わります。映画というのは本来、賞を巡って争うものではないし、競争目的で作られるものでもありません。従って僕は、今までアカデミー賞というものにそれほど興味を持ったことはありませんが、今回は特別でした。しかも作品の素晴らしさを実際に見て知り得ていたため、心から「受賞して欲しい」と願いました。
一般的な関心、さほど盛り上がらず LGBTにとっては「同性愛を普通に描いた映画が作品賞の大本命らしい」というだけで一大関心事なのですが、一般的な関心度はそれほど高くはなかったようです。無理もありません。日本では「大本命」と言われている作品ですら公開から3日目。作品賞・監督賞候補5作品のうち2作品は公開すらされていないのですから、完全に「蚊帳の外」といった感覚なのです。
ど〜でもいい娯楽大作ばかりがさっさと大規模公開され、小規模だけれど志のある作品が軽んじられているというお寒い現状。図らずも今回のアカデミー賞は、日本の文化後進国ぶりまでもを浮き彫りにしてしまったようです。
僕が中継を見たビックカメラの電器売り場にあるプラズマディスプレーの前では、立ち止まって興味深く賞の行方をみつめる人は、せいぜい10人程度といった有様でした。(←WOWOWに加入していない者の哀しさ・・・。あ、ちゃんと仕事は昼までに終わらせてから行きましたよ。笑)
きっと実際にこの作品を観れば、なぜそれほどまでに世界各国で愛され、評価されたのかがわかるし、応援したくなると思います。人生の切なさや機微を繊細に捉えた映画表現の、「進化」と「深化」には感動を覚えました。おそらく同性愛者が身近にいない人々に与える衝撃力も大きいことでしょうし、既成の価値観を根底から揺さぶり、人間の多様性を感じることの出来る「本物の芸術」としての映画です。
「ブロークバック・マウンテンにアカデミー賞を!」と願い、心待ちにしていた多くの人々は、あの映画のおかげで見えはじめた「新しい地平」の明るさを信じる気もちで一つになっていたのだと思います。
しかし、アカデミー会員約4500名の投票による多数決の結果は、「クラッシュ」でした。結局「ブロークバック・マウンテン」は、ノミネートされた8部門のうち監督賞・脚色賞・音楽賞の3部門の受賞にとどまりました。
ショックを隠せないアン・リー監督
この結果にはアメリカのマスコミにも衝撃が走ったようです。MTV Newsではこのように報道しています。
アン・リー監督もショックを隠しきれなかったようです。授賞式終了後に語った本音も紹介されています。最有力候補とされていた『ブロークバック・マウンテン』が作品賞を逃し、保守的なアカデミー賞での同性愛をテーマにした作品の初受賞は叶わなかった。
この夜、多くが期待していた『ブロークバック・マウンテン』ではなく『クラッシュ』に作品賞が贈られたことが発表されると、プレス・ルーム中が大騒ぎとなった。
ロサンゼルスを舞台に、人種や階層の異なる人々が交通事故をきっかけに交錯していく様子を描いたヒューマン・ドラマ『クラッシュ』の受賞は、まったくの予想外。出演者の多い同作のキャストにアカデミー選考委員が多いことが勝利を導いたのではないかと冗談を言う人もいた。
「こう聞いた方が早いかもしれないな」と授賞式の司会を務めたコメディアンのジョン・スチュワートは、サンドラ・ブロックやリュダクリス、テレンス・ハワードを見てジョークを飛ばした。「『クラッシュ』に出ていない人は手を挙げて」。
監督自身、この映画を作りこれほどの大反響を巻き起こしたことで、奇しくも自らに大きな歴史的役割が課せられたことを自覚していたと思います。創作動機は純粋なものであったとしても、生み出された作品はものすごく大きく成長する生命力を持っていたのですから。「興行収入ではノミネートされた5作品の中でも我々が最高だったし、ほかの賞も勝ちまくってきたからね。理解できないよ」
予想を的中させた新聞記事
実は、雲行きが怪しくなってきていることは直前にも報道されていました。 3/5付の「Fuji Sankei Business i」に掲載された「まもなく決定 アカデミー賞の行方は」という記事。
ロサンゼルスの岡田敏一記者が、授賞式直前の情勢を取材して投票〆切後の状況を把握。彼なりに結果を「大胆に予想」し、ほぼすべて的中させていたので驚きです。「作品賞」についての予想部分を紹介します。
この分析によると「ブロークバック・マウンテン」は、あまりにも多くの映画祭で評価され、映画を観た人々によって愛され「本命視」されすぎたことが、オスカー受賞の面では「災い」してしまったということになります。[作品賞]
世界中が注目する名誉の候補は、最多8部門にノミネートされたゲイのカウボーイの悲恋を描く「ブロークバック・マウンテン」(アン・リー監督)。
ただし、これまでと同様、「アカデミー会員には、ゴールデン・グローブ賞の作品賞を取った作品をわざと外す傾向がある」(業界筋)うえ、「高齢でひねくれ者で保守的なアカデミー会員がゲイの作品を推すとは考えにくい。マスコミの事前の大絶賛を疎ましく思い、あえて別の作品に投票するのでは」(映画会社の関係者)との声が出始めている。
そう考えて消去法で選ぶと「グッドナイト&グッドラック」(ジョージ・クルーニー監督)は一時間半できれいにまとめ過ぎる。
地味すぎる「カポーティー」(ベネット・ミラー監督)や、ユダヤ人の立場で描いた「ミュンヘン」(スティーブン・スピルバーグ監督)も難しい。
そこで、脚本の完成度が卓越しており、ロサンゼルスを舞台に人種問題に切り込んだ通好みの「クラッシュ」(ポール・ハギス監督)が受賞するのでは、ということになる。
どうにも納得の行かない結果となりました。
「クラッシュ」を観に行きました。 そもそも「ブロークバック・マウンテン」を抑えて作品賞を受賞した「クラッシュ」という映画は、なにが評価されたのか。ショックを受けた気持ちを何とかしたかったので、すぐさま日比谷のシャンテ・シネで上映されている「クラッシュ」を観に行きました。
発表の直後だったため、まだ影響は出ていなかったようです。客入りはまばらで70人ほど。まだ感情的に生々しかった僕としては、予告編で上映された「ブロークバック・マウンテン」の映像に胸が締めつけられてしまいましたが(笑)。
映画はまさに、「多民族がひしめき合うアメリカ」の現代を象徴するものでした。明確な主人公を置かない群像劇のスタイルで、肌の色や文化的背景が異なる者同士の偏見が生み出す差別意識のぶつかり合う様を、スピーディーにテンポのよい演出で描いていて引き込まれました。映画として印象に残る「強度を持った名場面」も存在し、名画と呼ばれる条件を十分に兼ね備えています。観客を常に「現実の暗部・闇」に直面させ続け、そこからなんとか一条の光を見つけ出そうと、もがき続けているかのような映画。アメリカの一都市であるロスアンジェルスの出来事を描いてはいますが、今後の世界の混沌ぶりをも予見させ、鋭い問題提起を果たし得た、とても素晴らしい作品でした。
「比較」してみた僕の結論
「クラッシュ」は、「ブロークバック・マウンテン」と同じ年にぶつからなければ、十分に作品賞に値するレベルの映画でしょう。2006年という時代を象徴してもいます。しかし、観客に愛される映画かどうか、何度も会いたくなる映画かというと、僕の見解では疑問符が付きます。
映画のスタイルとしても革新性があるわけではありません。このように社会問題を直接取り上げて、群像劇のスタイルで複雑に入り組んだ物語をパズルのように組み合わせて描くことは、アメリカのインディペンデント系社会派映画の巨匠(と言われている)ロバート・アルトマン監督が
「M★A★S★H」
映画というものが、もともと「勝負」を目的に作られるものではない以上、比較をすることは野暮なことではあります。しかし「アカデミー作品賞」というものが、その映画が世界中にどれだけの反響を巻き起こし、影響を与えたものなのかを評価して表彰するものなのだとしたら・・・今回の「作品賞」の結果はやはり、納得の出来ないものでした。
アン・リー監督がアジア人として初の監督賞を受賞したことは確かに画期的な出来事ではあります。しかし監督本人としても作品自体が然るべき評価をされた方が、苦楽を共にしたスタッフや俳優たちと、心から祝杯を挙げられただろうと思います。
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ブロークバック・マウンテンで見る世界006●戦わない映画

昨日は興奮のあまり初日レポートに終始してしまいましたが(笑)僕のこの映画への「評価」は昨日書いたとおり。今後はこの連載で、内容面にも踏み込んで行こうと思います。
何から語るべきか。
たくさんありすぎて選びきれないほどなのですが、優れた映画というのは観客にたくさんの言葉を生み出させるものです。アメリカでは昨年の12月に公開されたこの映画ですが、すでにものすごい社会現象を巻き起こし、「ブロークバック」という言葉はハリウッドの流行語大賞に選ばれたとか。
こちらのサイトによると「実際に映画を見た人は1000万人なのに、インターネットで検索すると検索結果が3000万件にも及び、社会現象となった」というほど、たくさんの議論を巻き起こしたそうです。
よっしゃ。そんならこのブログがそれに輪をかけて増やしてみせましょう〜!・・・と言ってもまだ日本では東京で「単館ロードショー」がはじまったばかり(←遅すぎっ!)。映画を観ていない人も当然、多いと思います。したがってネタバレ気味の所は予告しますが、もし防げなかった場合はゴメンナサイ、先に謝っておきます。では、行きまっせ〜。
男という鎧<今回のネタバレ度は、それほどでもありません。>
ところでこの映画、アカデミー賞関連の報道ではやたらと「同性愛」の側面ばかりが取り上げられて目立っていますが、それよりもむしろ「男性論」として見た方が、いろいろなものが見えてくるような気がします。
主人公たちはアメリカ的な「男らしさ」の象徴であるカウボーイです。彼らは、男としてうまれたからには「男らしくある=マッチョである」ことが求められ、幼少からそのように育てられて来ました。「男というものは女を好きになる」ものであり、「将来は愛する女と結婚して幸せな家庭を築く」ことこそが、彼らが当たり前のように思い描く人生のビジョンです。しかし、二人は山奥で羊の群れの中で寝食を共にするうちに、心から打ち解け合うようになります。
奔放な性格のジャック(ジェイク・ギレンホール)の明るさが、内気で寡黙なイニス(ヒース・レジャー)の心を溶かして行くのです。
このあたり、やたらに体面やポーズばかりを気にして自分の内面を表現しようとしない「不器用な男」のナイーブさを、ヒース・レジャーが見事に表現しています。彼はいわば、かつての高倉健的な美学と相通じる、「背中で語るタイプ」の男なのです。
彼はきっと、それまでの人生で人と深く邂逅し合ったことがなかったのでしょう。本当は弱気な自分を守るために「男らしさという鎧」で武装することを、いつの間にか身につけて生きてきてしまったのでしょう。
そんな彼だからこそ、自分を理解してくれる男の前で「自分を開く」ことの悦びは深く大きなものだった。仲良くなった二人は、まるで幼児に戻ったかのように大自然の中でジャレ合います。社会という「しがらみ」から解放されたら、人は子どもに帰るのかもしれないですね。
鎧を脱ぎ捨て、人になる。
子どもに帰った二人にとっては、社会的な通念だとか常識だとかは関係ありません。他者の目がないのですから、そこは「解放区」なのです。心を許して打ち解けあった者同士、武装解除していられるだなんて、なんと幸せなことでしょう。
大人の「男」二人が、社会から強制された「男という鎧」を脱ぎ捨てた時。・・・「その人自身」になって行ったのです。そして、自分を受け入れてくれた相手を好きになった。好きになったら触れたい。もっと一緒にいたいというのが人としての自然な感情。肌を重ねあう事も流れから言って自然なことでしょう。ジャックの誘いに最初はためらったイニスも、やがて自らの欲望に従いジャックを受け入れます。「男としての鎧」がなければ、素直に自らと向き合うことが出来るからです。
戦わない映画
この映画は、こうした過程を「特別なこと」として好奇の視線で描くのではなく、あくまでも普通に自然なトーンで描いています。だからこそ、逆に衝撃的なのです。
今までのゲイ映画にありがちだった、「奇異なものとして誇張されたゲイ描写」とは一切無縁。だからこの映画は既成の「ゲイ映画」というジャンル(枠組)には入りません。
さらに、「彼らは果たしてゲイだと言えるのか?」という意味でも、観客の既成概念を翻弄します。二人は町に帰った後、互いに女性と結婚し、濃厚なベッドシーンまで披露するのですから。
「男とはこうあるべきだ」という美学を持った人々にとっては、自らの論理を否定されるような気持ちになるのかもしれません。しかも彼らにとって厄介なことに、この映画は社会問題を戦闘的に「告発」しているわけではありません。それが目的で作られたプロパガンダ映画ではないからです。だから保守派や守旧派が「戦って反論する」と、自らの品性をおとしめる結果に終わるのです。
そういう意味でも本当に「強い映画」だと感じました。
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ブロークバック・マウンテンで見る世界005●初回を観ました。

初日の渋谷は大行列
3/4(土)から渋谷のシネマライズで先行ロードショーが開始された「ブロークバック・マウンテン」 。どうせ観に行くならと気合を入れて10:50からの初回を観に行ってしまいました(笑)。ちなみに、僕がこんな「映画マニア」のようなことまでして映画を観たのは、はじめてです(←じゅ〜ぶんマニアだっつーの)。
念のため一時間前に渋谷に着き、スペイン坂を登ってみると上の方になにやら行列が。<今回は、映画の内容には触れずに「初日レポート」に徹しました。
ネタばれではありませんので、安心してお読みください。>
「もしや・・・」と思った通り、この映画の初回目当ての人々による行列でした。
「残りわずかとなりま〜す」と係の人が呼びかけていたので急いで並び、なんとか前から5番目の端の席をゲット。僕の後ろにもどんどん人が増えていたので、初回に入るのをあきらめざるを得なかった人が、たくさんいたのではないかと思われます。
開場し劇場内に入ると、客席には思ったよりもゲイのカップルは見当たらず、かといって若い女性層に偏るわけでもなく、若者からお年寄りまで幅広い年代の男女で埋め尽くされていました。 ただ、やはり「PG-12指定」の影響なのでしょうか、子どもが全く見当たらなかったのが残念と言えば残念。
入場が禁止されているわけではなく、保護者同伴ならば入場は可能なのですが、親に勇気がなければ連れては来ないのでしょうね。
nicoさんのこちらの記事によると、シドニーでは子供連れの光景もあったとか。こういう映画を子どもと一緒に観て語り合う親って素敵だと思うし、僕が子どもだったら一生忘れないけどな〜(笑)。
場内では、すすり泣きがあちこちから。
それにしてもこの映画、本当によく出来てます。単純に、観ていて「おもしろい」と感じるし、画面が美しいし、台詞も抑制されていて一言一言が深いし、演技もいいし音楽もセンスがいいし演出も編集もいい。「いい映画」の条件が何拍子も揃っているから観ながら「ダメ出し」する必要もなく(笑)安心して映画の世界に身を委ねることが出来ました。
そして後半になればなるほど物語としての強度は強まり、心を揺さぶられる場面がいくつも出てきます。しかもそれが、ハリウッド大作にありがちな「押し付けられる」種類の感動ではなく、観客自身が自らの知能と感覚を駆使した上で感じる、深い部分での心のざわめきがもたらされるのです。
途中からあちこちで鼻をすする音が聴こえて来たのですが、余計なBGMがない映画だから場内に響く響く(笑)。でもわかります。気を抜くと、僕も泣いてしまいそうになったほどですから。こんな感覚は本当に久々だったし、どうせなら周囲に混ざって泣けば良かったとも思いました。

この映画は世界を変える。
・・・観終わってからまず、そう思いました。
なぜならこの映画は、人間としての「普遍的な部分」を表現するレベルまで、しっかりと到達しているからです。
国境を越え性別を越え、老若男女を越えて観客の心を結びつけてしまえるような、強烈な力をこの映画は持っていると感じました。
それは、数ある芸術表現の中でも「音楽」が持ち得る特権です。この映画はいわば「音楽的な領域」にまで達しているのです。
アカデミー賞絡みの報道では「社会性」(メッセージ性)ばかりが注目され、「同性愛の悲劇」を描いた側面に注目が集まっていますが、それはあくまでも観客の側が勝手に意味付けるもの。この映画はそれよりも、もっと高いレベルに達して、映画それ自体が「生き物」として自立しているように思います。
もちろん、この映画が「結果的に」噛みついている既成の「家族制度」だとか「父権制度」「男女の夫婦という窮屈な関係」などについても、論じることには大きな意義があるでしょう。 そうしたいろんな論議を巻き起こすに充分な「上質な議題」を提供してくれる映画だし、だからこそ、これほどまでに世界的な評価を勝ち得ているのだと思います。しかし、その全てを包み込んでしまうかのような「大きさ」を、この映画は持ち合わせてもいるのです。
間違いなく、10年に一度出るか出ないかの名作。僕は映画をたくさん観るようになってから10年は経つのですが、これほどの感覚を味わったのは久しぶりのことです。
低予算映画ながらもアカデミー賞の最有力候補になっているのは納得だし、世界中の映画業界に良い刺激を与えるためにも、ぜひこの映画がオスカーを受賞して欲しいと思いました。
アカデミー賞は、アメリカの映画製作者たち自身による投票によって決まります。心ある映画人ならば、この映画が達成したものの「大きさ」に気付いているでしょうし、業界の改善のためにも投票しただろうと思います。
映画史に確実に残るこんな素晴らしい名作が「同性愛」を描いてくれたことは、結果として世界のLGBTたちに計り知れない好影響をもたらすことでしょう。
そういう意味でも、歴史的な映画です。

観終わって映画館を出たら、ちょっとしたお祭り騒ぎでした。映像メディアが観客のインタビューを収録したり、雑誌の記者がアンケートを取っていたり。
僕は「ぴあ」の出口調査隊に捕まったので質問に答えました。作品については100点満点、演技や演出・音楽等について5段階で採点するのですが、もちろん満点にしておきましたよ。
嘘じゃなく、心からそう思えたから。
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ブロークバック・マウンテンで見る世界004●やっと本日!日本公開(東京のみ)
いや〜、あちこちの海外在住の方々のブログにレビューが掲載されているものの、なるべく予備知識を入れずに見たいのでグッと我慢してきた「ブロークバック・マウンテン」ですが・・・やっと本日、日本公開の初日を迎えました。と言っても渋谷シネマライズでの先行上映であり、全国公開の3/18までは2週間あるのですが、東京に住んでいる者の特権として、早いうちに観に行ってこようと思っています。どんな映画かを知った上で、アカデミー賞の発表を知りたいですからね〜。(地方の方、すみません。)
そのアカデミー賞。
どのメディアもほぼ全て、最有力はこの作品だと取り上げています。雑誌等の特集記事でも、まずはこの映画の写真が一番目立つ形で掲載されているので、ものすごい宣伝効果だと思います。
ただ、小心者のゲイとしては、会社で大っぴらに「今年のアカデミー賞、どうなるんだろうね〜」という会話をしたくても、話が奥深く発展してしまうことを恐れ、ついつい控えてしまうことがあったことを、ちょっぴり反省。(←臆病だなぁ。)
似たようなことは「メゾン・ド・ヒミコ」の時にも感じました。「最近、なにかいい映画観た?」という何気ない会話だったのに、「メ・・・」と言いかけてやめ、 「TAKESHIS'」 に切り換えたことがあります・・・おかげで内容を説明するのに苦労しました(笑)。
もしアカデミー賞を本当に受賞すると、その辺の心理的圧迫も随分と楽になるでしょうから、そういう意味でも大期待してますっ!(←結局、自分の小心者ぶりは棚上げかいっ。)
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ブロークバック・マウンテンで見る世界003●UAEでも上映禁止
中国だけではなくUAE(アラブ首長国連邦)でも政府が上映を禁止したそうです。
UAE政府は”有害で異常な行為”から国民を守るためのものだと言っている。
「その映画は我々の文化や伝統に基づいて生活している人々を当惑させる。主人公の性的行為を描くことは東洋社会ではそぐわない。特にイスラム教国やアラブ地方の国々では同性愛のような異常な行為は禁止されているのだから。」アブドラ・アル・アミリ博士はそう語った。 上映禁止を決定した文化情報省は「同性愛男性の性描写は基準に反するため、上映禁止にした」と禁止の理由を述べている。
(→GayJapanNews2/17より)
UAEといえば昨年、同性愛者が集団結婚式をしている最中に摘発されたことが世界中に報じられました。(→ 「アラブでゲイは逮捕されるらしい」参照)
その後彼らは精神鑑定を受けホルモン治療を受けさせられたのでしょうか。続報がまったくないためわかりませんが、後日談が気になります。
イスラム教では同性愛は禁じられています。昨年7月にはイランで、同性愛行為の発覚によって捕まったと思われる少年2人が公開処刑され、衝撃的な写真がネット上で公開されました。
北丸雄二さんのWebサイトによると、この件の詳細については情報が錯綜しているようではありますが、記事の中で触れられたイランの法律のあり方には、驚かされます。
北丸さんが文中で触れている「シェイダさんの件」とは、1999年に日本でイラン人のゲイ活動家としてカミングアウトした方のこと。イランでは性交に及んだ者は絞首、石打ち、刀剣による体の分断、高所からの突き落としのいずれかの方法で死刑。血縁関係にない2人の男性が正当な理由なく裸で一つ布団の下にいたら判事の自由裁量による懲罰。肛門性交ではなくいわゆる素股行為をしていても両者はともに鞭打ち百回。片方がイスラム教徒でない場合は死刑も適用。素股での4回の摘発では自動的に死刑。欲望をもっての同性間のキスも違反です。
もともとペルシャ文化を引き継ぐイランでは男性同士のキスや手をつないでの散歩は日常茶飯事だったのですが、ホメイニ以降のこのイスラム原理主義体制によってそうした慣習も消え去っていきました。
イランにゲイ弾圧は厳格に存在します。シェイダさんの件もありました。そういう問題をしっかりと批判するためにも、事実は事実としてきちんと腑分けしなくてはならない。その上で、ゲイであろうとなかろうと、今回処刑された若い2人がホモフォビアに力を借りた権力の犠牲者であることに変わりはないと私には思われるのです。そのことに、深い悼みと怒りとを禁じ得ません。
(→ 「Yuji Kitamaru.com」内「NEW YORK JOURNAL Jul.2005」より引用。)
彼は本来難民であるにも関わらず難民申請を却下され、あやうくイランに強制送還されそうになりました。しかし日本の支援団体の活動が実り、2005年3月に無事、第三国へ出国することが実現できたようです。(→すこたん企画HP内「シェイダさんデータブック」参照)
最近のムハンマド風刺画問題などでも表面化していますが、まだまだ世界ではお互いの「無理解」がもたらす衝突の火種は転がっています。LGBT問題も、その一つではないでしょうか。
特に宗教が絡んでくると一筋縄では行かない面があると思うので、まずは「どうしてイスラム教で同性愛は禁止されているのか」、その歴史的・文化的背景を知りたいと思いました。今の僕はその点に関して無知すぎるため、発言する資格はありません。
それにしても、西欧諸国やアメリカでの公開でさえ、既成の価値観や道徳観に揺さぶりをかけているらしい「ブロークバック・マウンテン」という映画。評価の高まりが国境を越えた広がりを生み、そのことでいろんなことが見えてきました。
保守的だと言われるアカデミー賞での動向や3月の日本公開での反響等々、注目すべきトピックが今後も満載です。
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