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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2019-11
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ブロークバック・マウンテンで見る世界021●LGBTの片思い

    

こんなに思ってきたのになぁ
君は意識もしてくれていなかったなんて
完全なる片思いだったんだなぁ
笑っちゃうね

お願いだから
「人間みんな自分のことだけ考えてる」なんて
勝手なことは言わないで

少なくとも僕は
君のことを考えてきたよ
「同化」するために

「同化」できなきゃ
僕だってことがばれちゃう
だから必死で君のことを分析して
君のようになりたいと思い続けて
自分が君であるかのように演じて
真似して生きてきた
それが今までの僕

僕だってそんな僕は嫌いだ
こんな僕でいなくてもいい場所を求めて
さまよったりもしているよ
僕だけの「ブロークバックマウンテン」を探して

あの山の中でしか僕でいられない
それが僕らの宿命なのだろうか

僕の臆病と卑屈さと
君の鈍感さが解決されたとき
「ブロークバックマウンテン」は
そこら中にあふれ出すのかな

それは滑稽な
僕だけの夢なのかな

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ブロークバック・マウンテンで見る世界020●いちばんの敵

    

僕は最近、
「同性愛」という体験を持ったことがない人がこの映画を観て
「異性愛も同性愛も一緒」と無邪気に語ることに驚いています。
なぜなら僕の生活感覚では、
両者は明らかに「違うもの」だからです。

もちろん「人を愛する気持ち」という点では同じです。

・・・というより、違うわけがないじゃないですか!
「一緒」と無邪気に語られる内容がもし、
そんな根本的で当たり前なことを指しているのだとしたらショックです。
そう語っている人たちは、
この映画を観る事でやっと我々が「人間だ」ということを
発見したとでもいうのでしょうか。

・・・ま、それは「ご愛嬌」として置いといて(笑)
 
僕が言う「異性愛と同性愛の違い」とは、
同性愛者が愛情を形にし、表現し、交し合う際に感じなければならない
大きな葛藤のこと。
特に同性を「はじめて」愛した自分に気がついた時、
そんな自分を受け入れるまでの「自分との戦い」です。

それは罪悪感でもあり、自己嫌悪でもあります。
生まれ落ちてからその時までに蓄積された
「社会通念」という常識との戦い。
自分の中に強烈に巣食う「ホモフォビア」との戦い。
現代に生きる同性愛者の多くは、この戦いを経る必要があるのです。
いちばんの敵は、自分の中にいるのですから。

この映画はイニスというキャラクターを通して、
彼がいかに自分と戦い、
彼自身を受け入れるようになったのかが
ちゃんと描かれています。
そして、結局は戦いを放棄してしまったことも。  

「同じ」であることを意識することも大切ですが、
「違い」を意識することも大切なこと。
両方揃ってはじめて、
異質なもの同士の交流は深まるのではないでしょうか。

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アン・リー「ブロークバック・マウンテン」●MOVIEレビュー
「ブロークバック・マウンテンで見る世界」最新記事はこちら
DVD「ブロークバック・マウンテン」
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ブロークバック・マウンテンで見る世界019●悲しみを描き出したその先に・・・



 今回は、先日「ブロークバック・マウンテンで見る世界014●能ある鷹は爪を隠す」にコメントをいただいたPrismさんへのお返事という形で、記事を書かせていただきます。
 とてもたくさんのことを考えるきっかけを与えてくださったことに感謝します。Prismさんのブログの記事「自分を解放できる愛に縛られた2人●ブロークバック・マウンテン」も併せてお読みください。ではまず、僕のブログにいただいたコメントの全文を紹介させていただきます。

<今回の記事は完全に「ネタバレ」です。映画を観た方には興味深い内容だと思います。>

「ゲイの愛情と、男の友情」

ゲイの愛情と、男の友情の線引きは、非常に曖昧なモノですよね。

ある人は主人公同士の直接的なセックス描写が無いけれど、
『真夜中のカーボーイ』を、「ゲイ映画」と感じ、
ある人は主人公同士のセックスシーンが有る『BBM』を、
「ゲイ映画」じゃないと感じます。

愛する家族を捨てて、友の為に死んでいく「西部劇」は、
男の友情でしょうか?ゲイの愛情でしょうか?

人が人を愛するのに、性別は関係ないですよね。
だから私は、『BBM』を「ゲイ映画」とは思いませんし、
「ストレートに置き換えても成立するラブストーリー」とも思いません。

『BBM』を、ゲイを表現したゲイ映画と言うのは、
ストレートの正当性を主張し、ゲイを拒絶している人と、結局は同じ様な気がします。
私自身はストレートですが、ごく身近な人にゲイや、レズや、バイと告白されたとしても、接し方は変わらないだろうと思っています。

『BBM』は、人を愛するのに性別は関係ない事を気付かせる、
ゲイ(バイ)を扱った映画だと思います。
偏見を取り払う事ができる力を持った『BBM』を、
ゲイの視点から、「ゲイ映画」という偏見で枠組みに入れる事は、
ストレートの視点から、ゲイを拒絶する事と同じくらい意味が無い事だと思います。

わざわざ、この様な書き込みをしたのは、akaboshi さんが書かれた文章に、
敬意を表した為だと、好意的に取って頂けたら幸いです。
大変、興味深く読ませていただきました。

P.S.もし気分を害されたとしたら、削除していただいても結構ですよ(微笑)

      ◇◇◇

 コメントありがとうございました。気分を害して削除どころか嬉しかったので紹介させていたきました。基本的に批判されるのは好きなので大歓迎です。
 そちらの記事も読ませていただきましたが、率直な思いが遠慮なく書かれている点が素晴らしいと思いました。つきましては僕も、そちらの記事と僕のブログへのコメントを読んで感じたことを、率直に書かせていただきます。まず、僕のコメント欄に書いていただいた以下の部分に対して。

「『BBM』は、人を愛するのに性別は関係ない事を気付かせる、
ゲイ(バイ)を扱った映画だと思います。
偏見を取り払う事ができる力を持った『BBM』を、
ゲイの視点から、「ゲイ映画」という偏見で枠組みに入れる事は、
ストレートの視点から、ゲイを拒絶する事と同じくらい意味が無い事だと思います。

 ゲイが自ら「これはゲイ映画だ」と言うことは、偏見には当たらない

 従来のゲイを描写した映画に対して、いわゆる「ストレート」を自認する立場の側から「これはゲイ映画だ」という言い方をされる時には、偏見や侮蔑的なニュアンスが少なからず含まれていただろうし、ゲイの側にも「ちょっと待てよ。こんなものをゲイ映画と言ってしまうのかい!」という思いがあったことでしょう。しかし僕はこの映画に関して「これはゲイ映画だ」と言われることは大歓迎だし、自分から言うこともブログ上で率先して行なっています。(実生活で言うことはできません。僕はカミングアウトしていないからです。)先日アメリカの同性愛者団体GLAADが「同性愛者の社会を公正かつ正確に、また包括的に表現したメディア」だとしてこの映画を表彰したことからも、そう感じているのは僕だけではないことがわかります。

 ゲイが、同性愛について描いている映画を自ら「これはゲイ映画だ」と言うことは、偏見という枠組に入れることには当たらないと思います。なぜならゲイが自らを「ゲイ」だと称することは偏見ではなく自己主張だし、そのことによって「ストレート」を自認する方々を排除するわけでも、攻撃するわけでもないからです。

 「ゲイ」という枠組みに入れることを「偏見」だと単純に考えてしまうことこそ、「ストレート」の視点からの「偏見」なのではないでしょうか。少なくとも僕は「ゲイ」という言葉に誇りを持っていますから。

 それに、この映画を「ゲイ映画だと感じた」のは、ゲイである僕の主観であって「偏見」ではありません。ただ、いくつかのブログを見て廻った時に僕が感じた「ゲイの実態について語っている側面に、もっと注目してほしい」という思いを あの記事で表現したまでのことです。

 僕はなにもこの映画を「ゲイ映画だと呼ぶことしか認めない」と強制しているわけではないですし、観る人によって様々な観点を呼び起こす「多義的で複雑な表情を獲得した、真に攻撃的な本物の芸術表現」だと思っていることを、あの記事の最後にも明記してますし、他にも繰り返し書いてきました。

 僕が言う「ゲイ映画」とは「ゲイの生き方を描いた映画」という程度の意味でしかありません。
僕からすると、Prismさんは「ゲイ」という言葉だからこそ過剰に反応してらっしゃるように感じられます。

 この映画を観る「入口」の違い

 「ブロークバックマウンテン」を見て「人を愛するのに性別は関係ない事を気付かせ」られるのは、「ストレート」を自認する人たちならではの感想です。

 僕らLGBTたち(Lesbian、Gay、Bisexual、Trancegender)は自分の日常で、とっくにそのことに気がついています。(そのことに気がついている人たちのことをLGBTと言います。)
 このように、映画を観る際の大前提(入り口)自体が大きく違うのですから、感想が大きく違うのは当たり前ですね。

 ゲイであることを自覚している僕としては、「ブロークバック・マウンテン」を観て「人を愛するのに性別は関係ない」という自分にとっての常識には目が向かないのです。むしろ「人を愛するのに結局は性別という観念が邪魔をしてしまうことの残酷を、丹念に炙り出している映画だ」という印象を強く持ちました。

 これはハッピーエンドではない。悲しみを描いた映画だ。

 なぜならこの映画における主人公二人の同性同士の愛情は、いわゆる「結ばれる」というハッピーな結果に至るわけでは決してないからです。
 最終的には「報われなかった恋=悲恋」に終わっています。ここが重要だと思います。

 ラストシーンでイニスが、ジャックのクローゼットの中に二人の思い出のシャツを見て感じたのは悦びではなく「真の悦びを追求せずに過ぎてしまった時間の苦さ」だっただろうし、ジャックにしても死因はゲイ・バッシングだったことが暗示されています。

 しかもジャックの死因は、「イニスの脳裏に描かれたこと」として表現されています。イニスは同性愛者が迫害される実態を父の教育で嫌というほど叩き込まれているわけですから、あのような連想を咄嗟にするのです。父から叩き込まれた「ホモフォビア(同性愛嫌悪)思想」が、彼をずっと苦しめ続けたことを示している場面だと思います。

 彼ら二人は結局「ブロークバック・マウンテン」で過ごした輝かしい過去に縛られたまま、その後の人生を過ごしてしまったのです。戻りたいけど戻れないままに。しかもその原因のほとんどは、「同性を愛すること」に躊躇し続けたイニスの「煮え切らなさ」がもたらしています。あの時代における「同性愛」という概念の持っていた汚れたイメージに徹底的に翻弄され続けたイニスの後悔と悲しみが、この映画の終盤を支配している通低奏音だと思います。

 イニスはその後、ジャックと過ごした「ブロークバック・マウンテンでの輝かしき想い出」を胸に秘めたまま、相変わらず孤独で不器用な生涯を全うするのでしょう。なにが幸せなのかは人それぞれですが、若かりし頃の想い出を喰って生きて行く男の後半生を想像すると、僕は切なく感じます。

 「ストレート」と「LGBT」が、根本的に違う点

 「ストレート」だと自分を規定している人々は、好きになる対象が異性である自分自身に対して疑問を感じたり、自己嫌悪に陥ることは、まずないでしょう。それは「当たり前のこと」として誰からも受け入れられる現象だからです。
 「男が女を好きになる」「女が男を好きになる」こと自体を責める人など、誰もいないでしょう。

 しかし「同性を好きになる自分」に気付いた者はまず、自分で自分を責めることでその感情を否定してしまいがちです。なぜなら一般常識から逸脱している自分は変態なのではないか、病気なのではないかと、まず自分で思ってしまうからです。これは同性を恋愛対象として見たことのある者ならば誰もが必ず経験する通過儀礼だし、うまく通過したとしても、日常的に突き刺さり続ける「他者からの心無い言葉」によって生み出される「罪悪感」からは逃れられません。(通過儀礼を通過出来ずに、命を絶つ者もたくさんいます。)

 映画でのイニスは徹底して、そうした「自己嫌悪を抱えたままの人物」として描かれています。最も象徴的なのが、主人公二人がはじめて肉体関係を持つことになる、あの「寒い夜の場面」ではないでしょうか。ここで、Prismさんがご自身のブログで書かれている文章を引用させていただきます。この場面に関するPrismさんと僕の観点が、かなり違うことに注目するためです。

ある厳しい寒さの夜、放牧地で夜を明かすと凍えるから、羊の番は牧羊犬に任せて、2人ともキャンプ地で夜を明かす事にします。

イニスは、男らしさの象徴でもあるカウボーイ同士が、同じテントで夜を過ごす事に抵抗を感じ、ジャックの事を、同性愛者だと思っていないけれど、ジャックの誘いを断り、焚き火の傍で寝る事にします。
しかし夜更けに、厳しい寒さで呻くイニスは、
「意地を張らないで、テントに来いよ」という、
ジャックの言葉に促され、テントに移動します。
 

 イニスがテントに入るのを
 ためらった理由


 イニスがあの寒い夜にジャックの誘いを受けてテントに入らなかったのは、「男らしさの象徴でもあるカウボーイ同士が、同じテントで夜を過ごす事に抵抗を感じ」たことが理由なのでしょうか。
 男同士が並んで寝ることは別に不思議なことではないし、ごく普通に当たり前に行なわれていることです。ただし、お互いのことを過剰に意識していない限りにおいては。

 僕は、あの時点ですでにイニスの内面では「ジャックを好きになっているかもしれない自分」と「そんなことはあってはならないと制御しようとする自分」が葛藤していたからなのだと思います。ジャックのことを過剰に意識していなければイニスは、なんの抵抗もなくテントに入って、男同士として並んで寝ることが出来たでしょうから。

 イニスは本心では、テントに誘われたことが嬉しかったのかもしれない。しかしあそこでジャックの誘いに乗ってテントに入ってしまったら、欲望に負けるかもしれない。そんな自分に彼は気付いていた。だから、寒くても外にいることを選んだ。なぜなら、いわゆる「変態」になりたくないから。父親が幼い自分に見せた「汚い(殺されるべき)同性愛者」になりたくないから。

 その後、やはり寒さに耐えられずテントに入ったイニスとジャックは肉体関係を持つのですが、これは明らかにお互いの感情の昂ぶりが抑えられなくなった上での出来事だと思います。ブログ上での感想の中には「二人の肉体関係の描写が性急すぎる」という声も多いようですが、こうしたイニスの心理的な伏線に気付いていると、印象はだいぶ違うのではないかと思います。

もう一箇所、Prismさんのブログから引用させていただきます。

イニスが、ジャックの想いを受け入れたのは、
何ヶ月も女を断って、ブロークバック・マウンテンに居た男の性欲からなのか、
一緒に、ブロークバック・マウンテンで、羊の放牧をしていた仲間意識の延長からなのか、
イニスに、潜在的に同性愛の要因があって、ジャックが切っ掛けで目覚めただけなのか、
ブロークバック・マウンテンの開放感からなのか、
山には2人以外誰もいない事を含めた、チョットした好奇心の気の迷いなのか、その理由は、観る者に判断を委ねています。

私自身は、イニスがジャックの想いを受け入れた理由を強いて挙げるとすれば、 全ての要因が重なったからだと思いますが、
私が気付いていないような要素があるのかもしれません。

ですが私は、『ブロークバック・マウンテン』という作品においては、
同性愛者の想いを受け入れた理由が重要な事ではなく、
異性愛者が同性愛者の想いを受け入れたという事が、
一番重要な事だという気がします。

異性愛者が、異性を好きになる理由というのは、1つではありませんよね。
容姿だったり、声だったり、性格だったり、匂いだったり、出会いだったり、意外性だったり・・・。

ですから、イニスがジャックの想いを受け入れた理由を、どれか1つに限定して判断してしまう事は、作品のテーマから少し外れてしまう様に、私は感じます。

 まずこの部分では一つ、文句を言わせていただきたい箇所があります。「異性愛者が、異性を好きになる理由というのは、1つではありませんよね。」という部分です。

 同性愛者だって、同性を好きになる理由は1つではありません。この部分をPrismさんがどのような意識で書かれたのかは存じ上げませんが、同性愛者が人を好きになる理由は「性欲のみだ」と断言されているように感じ、正直不快です。確かに男同士の関係というのは「まず性欲ありき」の傾向が強いことは否定できません(笑)。しかし「誰とでも、溜まっていたら寝ることが出来る」というのは違うと思います。我々だって「男だったら誰でもいい」わけではない し、「容姿だったり、声だったり、性格だったり、匂いだったり、出会いだったり、意外性だったり・・・。」と言ったあらゆる要素が絡まり合って「あいつと寝たい」と思いますし、人を好きになります。このように書かれると人間扱いされているように感じません。それに「人を愛するのに性別は関係ない」とおっしゃった上記のコメントと矛盾しています。

 イニスがジャックの思いを受け入れた理由は「ジャックに惹かれていた」からだと僕は思います。したがって「異性愛者が同性愛者の想いを受け入れた」という一方通行の表現は当てはまらないのではないかと思います。

 男同士の「さりげなさすぎる」情愛表現

 イニスは、自分で明確に意識していたかどうかは別にして、やはりジャックに次第に惹かれていたのだと思います。アン・リー監督は映画の前半部で、さりげなくそのことへの伏線を描いています。「男同士」ならではの「本音を表立って剥き出しにしないところで、実は交わされている秘めた情愛表現」を、実にさりげなく描き出しています。ただ、あまりにもその描写が「さりげなさすぎる」ところがこの映画の面白いところであり、特徴でもあります。

 そして、映画の冒頭から同性愛者であることを暗示されているジャックも、イニスに「自分に好意を持っている気配」を感じていたからこそ誘ったのだと思います。同性愛者は手当たり次第、男に手を出す訳ではありません。しかも「ホモフォビア思想」の根強い土地柄で、まかり間違えば大変な罪として断罪される「リスク」を伴うわけですから、かなり慎重に様子を窺っていたことでしょう。

 二人が肉体関係を持つまでに相思相愛の関係になっていなければ、あの夜以降、二人は気まずくなっていたでしょうし、イニスほどのホモフォビア思想の持ち主ですから、もっと罪悪感に苦しめられたことでしょう。ジャックを断罪することも出来たはずです。しかし、そうはならなかった。それどころかあの夜以降のイニスは、人が変わったように明るくなり、ジャックに対して心を開いたのです。

 イニスが受け入れたのは「自分」である

 イニスは、ジャックと肌を合わせた時に感じた快楽によって、自らの思いをはっきりと意識して確信したのです。そして、ジャックを好きになっている「ありえない自分」を,ようやく受け入れたのです。だからこそ、ジャックに対して自分の全てを曝け出すことが出来るようになったのです。

 この場面で大事なことは、自分のことを「異性愛者」だと思っていたイニスが、ジャックとの出会いによって「同性愛者になった自分を受け入れた」ところにあると思います。

 人は「異性愛者」「同性愛者」という別々の「種族」に分かれているわけではありません。異性を好きになったら「異性愛者」だし、同性を好きになったら「同性愛者」なのです。そしてその枠組みは、人との出会いによって変化するかもしれない、実に曖昧なものなのです。これこそが、僕らLGBTが感じている「リアル」です。

 可視化されずに来た「秘めた葛藤」

 イニスの葛藤の場面のような「同性に熱烈に惹かれたことがある者」が抱える内面に秘めた葛藤は、多くのLGBTたちが常に「秘め続けてきた」ことでもあり、社会的にはあまり可視化されていません。

 ですから「ストレート」を自認する人達がこの映画を観て「秘められた葛藤」を読み取りにくいのは、あたりまえのことです。逆にいうと、LGBTたちはその部分を読み取って共感しているのだと思います。そうした違いが見えてきて、非常に面白いことだと思いました。僕にとっては、この映画が教えてくれた大きな「発見」です。

 浮かび上がった問題点

 我々が「同性を好きになる」時に感じること、考えていることが広く知られていないのが、2006年の日本における現実です。この映画の感想を通して、そうした「LGBTたちの問題点」と「ストレート自認者たちの問題点」が浮かび上がりました。そもそもLGBTの多くが、自らのキャラクターを使い分けて「隠れている」ことに問題がある。すなわち「ストレート」自認者の感性に合わせて演じて生きているという現状に、まずは問題があるのです。

 こうした現状は、やはり変わって行くべきだと思うし、現に変わりつつある国もいくつか出てきています。もしその流れが上手く進行すれば、旧来の「ストレート」「ゲイ」「レズビアン」「バイセクシャル」「トランスジェンダー」という枠組みも、無効化する方向に向かうでしょう。そうならなければならないことを、この映画では「イニス」というキャラクターの歩んだ「なにも選び取れなかった人生」を残酷に炙り出すことで示唆しているのです。(彼は結局のところ、「ゲイ」という生き方も「バイセクシャル」という生き方も、「男」という生き方も選び取れなかった人なのですから。)

 「ブロークバックマウンテン」は、60年代~80年代にかけてのアメリカ・ワイオミング州を舞台に、「ゲイ」自認者と「ストレート」自認者の男性が、「ジェンダーの枠組み」の無効化された世界の真の悦びを垣間見たにも関わらず、結局はあんな風に不器用にしか生きられなかったという現実を、非常に繊細に丁寧に描き出した映画です。不器用にしか生きられなかった主人公の悲恋を描いたという点では旧来の「ゲイ映画」の枠組みから少しも外れていないというだけではなく、「ゲイ映画」の集大成、決定版と言ってもいいでしょう。

 しかし、この映画はこれまでの「ゲイ映画」(ゲイの生き方を描いた映画)には見られなかった大きな広がりを持ち、幅広い反響を巻き起こしました。
 その一番の理由は、我々LGBTが日常で当たり前のように感じて夢見ている「ジェンダーという枠組みの無効化された世界」の姿が、「ブロークバックマウンテン」という理想郷を通して可視化され、結果的に「ストレート」を自認する人たちに「人間の生き方の可能性」が実はもっと多様であるということを「発見」させたからだと思います。いや、もしかしたら「発見」ではなく「押し殺してきた自分」というものに気付かせているのかもしれません。

  イニスのような生き方は、もう終わりにしなければならない

 この映画は「ゲイの生き方」のロールモデルを示したわけではなく、「旧来のゲイの生き方」の典型の一つを忠実に描き出したに過ぎません。

 しかしそのことで、こうした生き方は、もう「過去の遺物」として終わりにしなければならないものだと示唆しているのです。直接的にメッセージとしては語っていませんが結果として、そういう思考を観客に促すところが、この映画の真髄なのではないでしょうか。

 Prismさんのコメントと、記事の一部の描写に触れて感じた「違和感」にこだわったことで、いろんなことを考えることができました。
 ありがとうございました。
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ブロークバック・マウンテンで見る世界018●アン・リー監督、GLAADメディア賞おめでとう!

アメリカの同性愛者団体が
「ブロークバック・マウンテン」を表彰


 今まで、本当にたくさんの映画賞を受賞してきた「ブロークバック・マウンテン」ですが、新たな受賞のニュースがロイターによって配信されました。日本のいくつかのメディアでも取り上げられ始めています。
エキサイトニュース3/29
朝日新聞3/29

 今回の賞はアメリカの同性愛者団体GLAADから贈られたもの。「同性愛者の社会を公正かつ正確に、また包括的に表現したメディアに贈られる」というGLAADメディア賞です。
 マンハッタンでの受賞式でアン・リー監督が述べたスピーチが印象的です。

「やっと実際に大きな意味を持つ賞をいただけた」

 この映画を創り出し世に問うということが、同性愛者たちの歴史において、そして人類の歴史においてどのような位置づけになるのかを、監督が自覚していることを示すコメントです。

 GLAADとは「The Gay and Lesbian Alliance Against Defamation」の略称で、日本では「中傷と闘うゲイとレズビアンの同盟」と訳されることの多い団体。実際に中傷表現への抗議活動も活発に行なっているらしく、ネットで日本語のページを検索しただけでもいくつも事例が出てきます。アメリカでは、こうした大きな組織体が活動し、社会の中でも影響力を持ち、成果も挙げているようです。こうした団体が「存在感を持っている」というだけで、アメリカのLGBTにとってはどんなに心強いことかと思います。
→2004年「全米TVネットワークFOX同性愛者中傷番組の放送中止」 (すこたん企画HP)
→2005年「同性愛者団体、スミス監督の新作映画に抗議」 (bjニュース) 
 
 ちなみに昨年の同賞はクリスティーナ・アギレラのビデオ「Beautiful」に対して贈られています。(→bjニュース) 近年、LGBTマーケットの潜在力が注目されてきているアメリカ社会においては「GLAADにお墨付きをもらえた」ということによる広告効果とブランド価値の向上も、かなり期待できるのではないかと思います。LGBTたちによるリピーター観客が映画館に足を運び、さらなる上映の延長につながるかもしれませんね。こうした「トレンド」を積極的に創出して行こうという実際的な運動のあり方というものに、学ぶべきところはたくさんあるように思います。

 台湾出身で、アメリカ社会では「アウトサイダー」であるアン・リー監督は、マイノリティーとしての苦悩や闘いも自身の経験として知っているのでしょう。そして、マイノリティーたちが、無知なもの達にとっては「些細な」ことだと映る「差別意識」や「偏見による歪んだ表現」に非常に敏感であることも知っているはずです。それだけに、この賞の受賞は表現者として、本当に嬉しかったのだと思います。
 僕個人としても、文句はありません。本当におめでとうございます!

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ブロークバック・マウンテンで見る世界017●流行りすぎた誤算

 公開中なのに早くもDVD発売へ

 アメリカでは昨年の12月9日に公開された「ブロークバック・マウンテン」ですが、観客動員は依然好調であり、上映期間を延長する映画館が続出しているそうです。
 関係者は当初4ヶ月ほどで上映が終了することを想定してDVDの発売を4月4日に決定。しかしその後、映画が社会現象化するほど注目を集めたために上映が長引き、「ロードショー公開中にも関わらず」DVDが発売されるという、ハリウッドでも前例のほとんどない「異例の」事態になったようです。
(関連記事・・・FLIX Movie Site3/27)
 また、アメリカでの興行収入は3月26日現在で約8260万ドル(約96億6000万円)に達しているそうです。
(本日付Fuji Sankei Business iに掲載)
 DVDが発売されれば、上映が中止された地域や、保守的な土地柄で上映が少ない田舎の人々でも気軽に見ることが出来ますね。日本でのDVD発売はまだ未定のようですが、ゴールデン・ウィークから上映が開始される地方もあるみたいなので、だいぶ先のことになるのかもしれませんね~。

  トラックがオークションに。 シャツも高値落札。出演料訴訟が勃発。

 映画の予想以上のヒットは、新たな話題を生み出し続けています。カナダの高校生は、大学進学の費用に充てるため(←本当か?笑)、映画の冒頭でジェイク・ギレンホールが運転したピックアップトラック「1950GMC」をネットオークションに出品。現在ほぼ2倍にあたる1万5000ドル(約175万円)の価格がついているそうです。なかなか賢い若者ですね~。(→REUTERS 3/27)

 また、2月には劇中で大事な使われ方をした2枚のシャツが、アメリカ在住のゲイ活動家トム・グレゴリーさんによって10万1100ドル51セント(約1200万円)という高値で落札されるという出来事がありました。あのシャツ、欲しくなる気持ちはわかります。(→eiga.com2/28)
 それにしても、なんでこんなに撮影で使われた小道具・大道具が流出しているんでしょう。
ハリウッドの慣例なのでしょうか?(笑)

 さらにはこんなことも。出演者のランディ・クエイド氏(55)が「こんなに流行る映画だったとは契約時に聞いてない」ということで、製作会社を相手に「ギャラが安すぎる」と訴訟を起こしました。(→朝日新聞3/25)
 彼が演じた役は、二人のカウボーイを雇い入れる牧場主。やがて二人の親密な関係を察知して、再会を「邪魔」する役どころなので、ある意味ではイメージどおり(笑)。スクリーンの外の、このドラマの行方にも注目です。

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ブロークバック・マウンテンで見る世界016●公開62館へ拡大

 4月までに90館で上映されます。

 3/18より全国公開が開始された映画「ブロークバック・マウンテン」ですが、本日からさらに11館で公開が開始。合計62館に拡大されます。群馬、山梨、山形、石川県では初上映ですね。
 僕個人としては、あのアカデミー賞発表の当日、悔しい思いを抱えたまま「クラッシュ」を観た想い出の日比谷シャンテ・シネで、「クラッシュ」を追いやるようにして公開が開始されるのが何よりも嬉しかったりなんかして・・・(↑歪んでる~。笑)
 公式サイトの情報によると、3/25の時点で4月までに公開が決まっている映画館は90館まで増えました。(先週の時点よりも更に7館追加されたことになります。)
 続々と見かけるようになったいろんな方の感想を見ると「○○の場面で笑い声が起きてびっくり」とか、「泣いてる人がいた」とか、他のお客さんの反応を興味深く書いているものがよくあります。
 僕も、結構他のお客さんの反応を気にして面白がるタイプです。特に、自分とは違う反応が見つかったりすると「へえ~、そういう感じ方もあるんだ~」と新たな見方が発見できるので嬉しくなります。
 一つのスクリーンを大勢で観る一体感って、僕は大好きですね~。知らない人同士が、2時間だけ同じものを観て共有する「一回限り」の世界。映画館の雰囲気によっても、その印象はガラッと変わります。
 「アカデミー賞効果」がなければ、ここまで拡大公開されることのなかっただろうこの名作。ぜひこの機会にお近くの映画館でご覧ください。(←完全に宣伝マンと化してます。笑)

3/25~の上映館一覧( =3/25より開始館)
<東京都>
       日比谷シャンテシネお台場シネマ・メディアージュT.ジョイ大泉
       ★MOVIX昭島
渋谷シネマライズ新宿武蔵野館シネ・リーブル池袋
       ●ワーナー・マイカル・シネマズ板橋ユナイテッド・シネマとしまえん
       ●立川シネマシティTOHOシネマズ南大沢TOHOシネマズ府中
<神奈川県>
       横浜シネマリン横須賀HUMAXシネマズ8
       ●川崎チネチッタワーナー・マイカル・シネマズ新百合ヶ丘藤沢オデヲン
       ●109シネマズMM横浜TOHOシネマズ海老名TOHOシネマズ小田原
<千葉県>
       ●シネマックス千葉AMCイクスピアリ16シネプレックス幕張
       ●TOHOシネマズ市川コルトンプラザTOHOシネマズ八千代緑が丘
       ●シネリーブル千葉ニュータウンエクスワイジー・シネマズ蘇我
<埼玉県>
       ●MOVIXさいたまユナイテッド・シネマ入間シネプレックスわかば
<栃木県>
       ●MOVIX宇都宮
<群馬県>
       MOVIX伊勢崎
<山梨県>
       甲府グランパーク東宝8
<北海道>
       ●シアターキノユナイテッドシネマ札幌ディノスシネマズ旭川
       ●函館シネマアイリスディノスシネマズ苫小牧
<山形県>
       山形フォーラム
<宮城県>
       ●チネラビータ仙台コロナワールドMOVIX利府
<愛知県>
       MOVIX三好伏見ミリオン座ゴールド劇場
       ●TOHOシネマズ名古屋ベイシティユナイテッド・シネマ豊橋18
<岐阜県>
       ●ユナイテッド・シネマ真正
<石川県>
       ユナイテッド・シネマ金沢
<大阪府>
       ●シネ・リーブル梅田ワーナー・マイカル・シネマズ茨木
       ●ナビオTOHOプレックスユナイテッドシネマ岸和田TOHOシネマズ泉北
<兵庫県>
       ●シネ・リーブル神戸
<京都府>
       ●京都シネマ
<奈良県>
       ●TOHO シネマズ橿原
<滋賀県>
       ●ユナイテッド・シネマ大津
<福岡県>
       ●シネ・リーブル博多駅
       ●シネテリエ天神
       ●TOHOシネマズトリアス久山
       ●ユナイテッド・シネマなかま16

☆このほか、4月からは28館で新たに公開が開始されます。

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ブロークバック・マウンテンで見る世界015●マシュー・シェパード事件について

 「ブロークバック・マウンテン」が舞台としているアメリカのワイオミング州。
 そこの土地柄を知る上で重要な事件が8年前に起きていたことを、映画に関する言説の中で知りましたので紹介します。

  大学生リンチ殺人事件

 1998年の10月、ワイオミング州のララミーで、大学生のマシュー・シェパードが拳銃で頭を殴られ、リンチされて殺されました。状況から見ていわゆる「ゲイ・バッシング」だったことが判明し、アメリカでかなりショッキングなニュースとして報じられたそうです。
  「アメリカTV/映画ノーツ」 によると2002年にはHBOが「The Laramie Project(ザ・ララミー・プロジェクト~語られた真実~ 」として、NBCが「The Matthew Shepard Story~ザ・マシュー・シェパード・ストーリー~」として競ってドラマを放送したりしているようですから、この事件がその後「物語」として人々の間に語り継がれていることがわかります。このサイトから、事件についての表現部分を引用させていただきます。

 マシュー・シェパードという名のその青年は、既に雪のちらつくほど気温が落ちている中を、頭を殴られて全身が血まみれになるほど怪我をしているのに、牧場の丸木の柵に縛りつけられたまま放置された。18時間後、自転車に乗ってそばを通りかかった若い男がシェパードを発見した。最初は案山子かと思ったが、よく見ると生きている人間ということに気づき、大慌てで助けを呼んだ。しかし手当ての甲斐もむなしく、5日後にシェパードは死んだ。その後二人の男が逮捕された。彼らはバーでゲイを装ってシェパードに近づき、連れ出したことが明らかにされた。物とりが犯行の実質的動機だが、シェパードがゲイだという事実が、必要以上に彼らを凶暴化させたと言われている。

 「ブロークバック・マウンテン」の原作がニューヨーカー誌に掲載されたのは、この事件の一年前の1997年10月。マシュー・シェパードも当時この短編小説を読んで感動したらしく、「母親にも渡して読んでと勧めた」そうです。 「yes vol.2」 の「ブロークバック山の案内図Part2」(P.88)には、当時21歳だったという彼の写真が掲載されているのですが、細身で繊細そうな、ごく普通の若者です。

  映画は動き始めていた

 マシュー・シェパード事件が起こった時すでに映画「ブロークバック・マウンテン」のプロジェクトは動き始めており、脚本家のラリー・マクマートリー氏は脚本を書き終えていました。しかし事件を受け、今後の脚本の行方と、ララミーにいる自分の娘のことを思ってかなり心配したそうです。完成した映画の中には、先日も触れたとおり強烈なイメージでゲイ・バッシングが描写されているのですが、この事件の影響も少なからずあるのではないかと思われます。

 この事件、日本ではどの程度報道されたのでしょう。少なくとも僕は今まで知りませんでした。事件の起こった1998年といえば、僕がまだ自分のことを「ゲイ」だと認知していなかった時。興味を持ってゲイの情報に接していなかったし、あえて避けていた時期なのかもしれません。リアルタイムでは全く知り得ませんでした。

 日本では2000年3月に新木場「夢の島緑道公園」内でゲイ・バッシングによる殺人事件が起きています。この時も、僕はまだ「ゲイ」にはなっていませんでしたが、さすがにかなり大々的に報道されたのでリアルタイムで「うっすらと」知っていたように思います。まだその頃の僕にとっては「ゲイ」とは「汚らわしいもの」だったので、あえて避けて知ろうともしていませんでしたし。自分にその兆候があるのかもしれないと感じていたからこそ、かえって避けてしまう時期というのがあるのです。しかしその後「ゲイ」を自認した当初、むさぼるように知識を吸収した時期もありました(笑)。その時に詳しく知り、「バッシングには気をつけなくちゃ」と思ったものです。

 ゲイとは「なる」ものである

 「ゲイ」とは概念であり、本人が「ゲイである自分」に向き合ってそのことを自覚して行動し始めた時に、はじめて「なる」ものです。本人が自分の本性から逃げて目を背けているうちは「ゲイ」ではないのです。おそらくずっと気付かぬままで生涯を終える人もいることでしょう。僕が映画「ブロークバック・マウンテン」を評価するのは、そのことについてきちんとリアルに描かれていたからです。このことは、僕らにとっては当たり前のことでも、僕らのことを知らない人には、なかなか理解されていないことでもあるようですから。しかもそのことを「特別視」せず、物語として丁寧に描き出しているから非常に画期的だと思ったし、嬉しかったのです。

 マシュー・シェパードが感激したという原作小説。保守的な土地柄で、危険をうっすらと感じながら生きていただろう彼は、きっとこの小説の中に「理解されている」という温かさを感じたのかもしれません。しかし、そんな彼の弱味に付け込んで「ゲイ」を装って近づき、「ゲイだから」という理由で殺すなんて・・・。バーで仲間に会えた喜びが絶望に変わり、生きたまま案山子のように寒空に放置された彼の死に際を思い浮かべると、なんだかやりきれません。

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ブロークバック・マウンテンで見る世界014●能ある鷹は爪を隠す

当事者意識の有無による
「感じかた」の違い


 LGBT雑誌「yes vol.2」に掲載されていた「クローゼットの闇に迷い込まないための、ブロークバック山の案内図」という記事を読み、どうして僕は泣いたのか。( →こちら参照 )

 実はその後も考え続けているのですが、やはり思いが至ったのは「LGBT」と「ストレート」の違いでした。つまり、この映画を観て感じ取るものが、どうやら「LGBTを自覚して生きている人」と、「そうでない人(ストレートと呼ばれる人)」とでは、かなり違うらしいということです。

 これは当たり前のことなのかもしれません。当事者になってみなければわからないことはたくさんあるし、僕だって「ストレート」の男性や女性の気持ちは理解できないことがたくさんあります。だから僕は「良い」「悪い」という文脈で語ろうとしているわけではないので、そこは誤解しないでください。

 ただ、全国公開が開始され、続々といろんなブログで日本での感想が書かれているのを観ると、この映画について「べつに同性愛映画という程のものではなく、男と女に置き換えても成り立つ普遍的な愛の物語だ。」という言説が多いことに驚いています。そういう見方も出来るようではありますが、そこで感想を終わらせてはもったいない。なぜ作者は主人公をわざわざ「カウボーイの男性2人」にし、舞台設定をアメリカのあの時代の田舎にしたのか。そこから紡ぎ出されている物語の本質にもう少しこだわって考えてみると、今までとは違った視点から世の中を見ることが出来るかもしれません。

<いよいよネタばれモードに突入!映画を観ていない方はご注意ください。>

父親からの強烈な洗礼
「ホモフォビア(同性愛嫌悪)教育」


 イニス(ヒース・レジャー)が幼い頃、父親が行った同性愛者殺人を目撃させられて抱えてしまったトラウマが、重要なイメージとして映画では提示されます。「男同士で汚らわしいことをすると、こういう目に合うんだ」という教育のために二人の死体まで見せられ、「同性愛嫌悪(ホモフォビア)が正義」だということを、彼は強烈に父親から植えつけられるのです。しかも殺人を犯した父親は罪に問われることなく、殺された二人は闇に葬り去られて行くのです。発覚すると命を落としても当然とされていた同性愛者差別の実態が強烈なイメージとして、この映画では提示されています。

 しかし「教育」は無効だった。

 しかしジャック(ジェイク・ギレンホール)に出会い、人間的なふれあいを通して親しくなったイニスは、性の衝動を抑えることが出来ずにジャックと身体を合わせます。あれほどまでに父親や社会から「ホモフォビア思想」を植え付けられたにも関わらず、彼は欲望に忠実になるのです。対するジャックの方は、自らがゲイであるという自覚を早いうちから持って生きてきた種類の人なのでしょう。イニスに誘いをかけるのも彼です。しかし映画では、そこに行くまでの性的な感情表現を「ほぼ抑制」し、わかりやすくは描きません。

 「男らしさ」を外す快感

 「男」という仮面を被って生きている人間のほとんどは、他人の前で自らの本心をあからさまに表現することを避ける傾向にあります。特に「好き」という感情を素直に表すことに関しては「女々しいこと」とされがちなため、あえて表現しないようにしがちです。

 もともと「好き」という感情には、理由などありません。「好き」になってしまうものは「好き」になってしまうのです。そして、その感情は自分にとっては本物なのです。しかし、「マッチョ信仰に浸っている男」は基本的にその表現を抑えます。特に「好き」な対象が「あってはならない」とされる「男」であるのだから、なおさら表立って表現できるわけがありません。この映画の前半部分での淡々として抑制された表現と日常描写は、そのことを非常にうまく表現していると思います。

 だからこそ、一度「たが」が外れた時には抑えられていたものが洪水のように溢れ出し、一気に加速して行くのです。これは、僕らゲイが大人になってから自らを「ゲイ」だと認め、ゲイ同士の恋愛関係に自らを投じはじめた時の悦びとか勢いと同じようなことです。それまでは「男」という武装の中に閉じ込めていた本当の自分を解放し、裸になったからこそ得られる心地よさ。自由。それまで強烈に抑えられていた分、開放度も自由度も強烈に感じられるのです。

 そして、「同じ罪を犯している」という共犯感覚も二人の絆をさらに強めたことでしょう。実際、「罪」とされることをしているという「後ろめたさ」は彼らに常につきまとっていたでしょうから。しかし人というのは不思議なもので、「後ろめたさ」というスリルすらも快楽に変え得るものなのです。

 彼らがあの「ブロークバック・マウンテン」で味わった最高の悦びや快楽は、実社会で本来の人間性が抑圧され続けていることの反動です。だからあの日々は輝いて感じられるし、その後の人生において片時も脳裏から消し去ることは出来ず、いつまでも理想郷であり続けたのです。

 バッシング表現への感度の違い

 その理想郷についに帰り着くことが出来ず、死別する二人。
 映画では彼の死因を、ほんの2、3秒ではありますがはっきりと「ホモフォビア」イメージの反復で描いていました。
 映画を観た後に、あの数秒の印象が重く突き刺さり、脳裏に強く残るか残らないか・・・。この点も「LGBT」を自認する観客と「ストレート」を自認する観客とでは、おそらくある程度は違ってくるのかもしれません。実際にゲイ・バッシングによる殺人は頻発しているというLGBTに関する知識や、周囲にLGBTの友人や家族がいるかいないかによっても事情は違って来るのでしょうが。

 この映画は紛れもなく「同性愛について」誠実に描いている映画です。
 アン・リー監督がキャンペーンにおいて「ゲイ映画」であることへの注目を避ける発言をしていたのは、保守層が多いと言われるアカデミー会員に、必要以上に「同性愛差別反対プロパガンダ映画」だという印象を与えたくなかった「アカデミー賞対策」なのかもしれません。「同性愛」と聴くだけで忌避する人たちをなるべく刺激しないようにしながら、まずは映画館に足を運んで「観てもらう」ための彼なりの営業スマイルであり、幅広い観客層を動員するための、周到な作戦だったのかもしれないと僕は感じています。
 映画は、まずは観てもらわなければ何もはじまりませんから。

 もちろん僕は、この映画を一面的な「プロパガンダ映画」だと見做しているわけではありません。それとは全く対極にある、多義的で複雑な表情を獲得した、真に攻撃的な本物の芸術表現だと思っています。

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ブロークバック・マウンテンで見る世界013●本日より全国公開。上映51館に拡大

 4月までに83館まで拡大されます。

 渋谷シネマライズでの独占公開を経て、
いよいよ映画「ブロークバック・マウンテン」の公開が、新たに50館でスタートです。

 公式サイトの情報によると、3/18の時点で4月までに公開が決まっている映画館は、なんと83館。
 僕がアカデミー賞発表前の3月上旬に数えた時には約30館しかなかったので、ここ最近で一気に拡大されていることがわかります。

 当初から公開を決めていた大都市のアート系(ミニ・シアター系)の映画館だけではなく、ワーナーマイカルやTOHOシネマズ、ユナイテッドシネマズといった大手シネコンでの公開が決まり始めているようです。シネコンの上映プログラムは流動的ですから、今後の動向次第では、さらに拡大される可能性もあります。(逆に減る可能性もあるわけですが。笑)
  
 この映画の大きな魅力である「映像美」は、スクリーンで味わってこそのものでしょう。

   雄大な大自然に抱かれながらの人間同士の開放感。
   町に帰った日常生活での現実感。
   繊細な感情表現。
   そして、音楽の情感。

 緻密に、丁寧に作られた映画的な時空間の魅力を、ぜひ映画館で体験してください。 

公開継続中の映画館
<東京都>
       ●渋谷シネマライズ
        10:50/13:40/16:30/19:20~21:50
        ・日曜日の最終回の当日券は1000円均一

3/18より公開開始の映画館(50館)
<東京都>
       ●新宿武蔵野館
        10:25/13:05/15:45/18:25/21:05~23:20(21:05の回は予告なし)
       ●シネ・リーブル池袋
        10:15/12:50/15:25/18:00/20:35(~22:49終映)
        ・20:35の回は1,200円均一(本編より上映)
       ●ワーナー・マイカル・シネマズ板橋ユナイテッド・シネマとしまえん
       ●立川シネマシティTOHOシネマズ南大沢TOHOシネマズ府中
<神奈川県>
       ●川崎チネチッタワーナー・マイカル・シネマズ新百合ヶ丘藤沢オデヲン
       ●109シネマズMM横浜TOHOシネマズ海老名TOHOシネマズ小田原
<千葉県>
       ●シネマックス千葉AMCイクスピアリ16シネプレックス幕張
       ●TOHOシネマズ市川コルトンプラザTOHOシネマズ八千代緑が丘
       ●シネリーブル千葉ニュータウンエクスワイジー・シネマズ蘇我
<埼玉県>
       ●MOVIXさいたまユナイテッド・シネマ入間シネプレックスわかば
<栃木県>
       ●MOVIX宇都宮
<北海道>
       ●シアターキノユナイテッドシネマ札幌ディノスシネマズ旭川
       ●函館シネマアイリスディノスシネマズ苫小牧
<宮城県>
       ●チネラビータ仙台コロナワールドMOVIX利府
<愛知県>
       ●伏見ミリオン座ゴールド劇場TOHOシネマズ名古屋ベイシティ
       ●ユナイテッド・シネマ豊橋18
<岐阜県>
       ●ユナイテッド・シネマ真正
<大阪府>
       ●シネ・リーブル梅田ワーナー・マイカル・シネマズ茨木
       ●ナビオTOHOプレックスユナイテッドシネマ岸和田
       ●TOHOシネマズ泉北
<兵庫県>
       ●シネ・リーブル神戸
<京都府>
       ●京都シネマ
<奈良県>
       ●TOHO シネマズ橿原
<滋賀県>
       ●ユナイテッド・シネマ大津
<福岡県>
       ●シネ・リーブル博多駅
       ●シネテリエ天神
       ●TOHOシネマズトリアス久山
       ●ユナイテッド・シネマなかま16

3/25からの上映拡大情報は
こちら。


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ブロークバック・マウンテンで見る世界012●ハリウッドに刺激をもたらしたのは、アウトサイダーの視点だった。

 前回は岡田敏一記者による分析記事を紹介しましたが、その翌日には、毎日新聞の夕刊に國枝すみれ記者による充実した分析記事が掲載され、注目すべき観点を与えられました。
 今回の授賞式で飛びぬけて注目を集めた2作品、「ブロークバック・マウンテン」と「クラッシュ」には、大きな共通点が2つあります。
 両作品とも(結果的に)アメリカ社会における「差別構造」と「偏見」を浮き彫りにしたということ。そして、両作品の監督ともに「米国人ではない」ということです。
 記事では、多くの記者にとって「予想外」だった作品賞発表直後の「どよめき」に触れた後、両作品の内容を掘り下げて紹介しています。(記事中の「~」は中略を意味します。)

●毎日新聞・3/8(水)夕刊
第78回アカデミー賞授賞式
米国の差別と偏見 えぐった外国人監督
 

 第78回アカデミー賞が焦点をあてたのは、米国社会に巣くう差別と偏見だった。~
 「クラッシュ」は、ヒスパニック系の修理工や使用人を信用しない白人の主婦、白人上司の差別発言には敏感に反応するのにヒスパニックに対するステレオタイプに鈍感な黒人警官などが登場する群像劇。脚本は数年前に出来上がっていたが、テーマが人種差別だけに資金のめどが立たずに難航した経緯がある。
  「見終わって議論したくなるような映画が好きだ。恋人と意見が違って別れる羽目になるような映画が作りたかった」という監督の狙い通り、登場人物は偏見を捨てられず、傷つけ合う。
 ハギス監督はカナダ人。アウトサイダーだから、米国人が当然のこととして見過ごす偏見やステレオタイプに気付くのだろう。「ちょっと待て。今、ここで何が起きた?」
と、周囲の米国人からしつこく聞き出し、アイデアを書き留めてきたことがあとで映画づくりに役立ったという。
  「映画はわれわれの心の中に巣くう疑問をぶつけただけ」というが、会見場では「米国人は性急に物事や人間を判断しすぎる。他人を非難したり、他国を指さして悪だと決め付ける前に、5秒間立ち止まってほしい」 と厳しい批判も口にした。
(ロサンゼルス・國枝すみれ記者)

 「ブロークバック・マウンテン」も、なかなか資金繰りが立たず、構想段階でいったん作品の制作は頓挫。撮影が開始されるまでに8年の歳月を要したそうですが、「クラッシュ」もやはり同じように大きな壁をクリアーして実現した企画だったようです。
 実際、物語の中心人物として、人種差別主義者で悪印象な「白人の警官」が出てきます。恐らくこの役を引き受ける白人の俳優を見つけるだけでも、相当に苦労したのではないかと思われます。
 完成した映画では、若手俳優のマット・ディロンが引き受けて見事に演じきっているのですが、彼にとってもこのような役を演じるのは、はじめての事だったようで、パンフレットのインタビューで次のように発言しています。 

 「これほど極端な人物を演じるのはとても難しかったし、不安もあった。非常に口汚く、怒りに満ちたシーンを演じるのは、自分の心をかき乱すものでもあった。僕は、彼が経験する人間的感情の多くには共感できたが、彼の行動には共感できなかった。でも、僕がこの役に引きつけられた部分は、彼が献身的な男で、父親を愛しているという思いがけない事実だった。
 僕は彼を悪い人間だとは思わない。彼は非常に熱心で、優秀な警察官でもあるんだ。自分の仕事にとても自信を持っているが、それを悪用するところもある。自分の感情とうまく折り合いをつけることができない人間なんだ。」

 スター俳優というのはイメージを大切にするでしょうから、やはり相当な覚悟が必要だっただろうと思われます。しかし彼も言っている通り、この映画には「完全なる悪人」は出てきません。この白人警官の人間描写としても、「悪いことをする面もあれば、素敵なことをする面もある」ことを掬い取っています。そして、そのことを象徴する場面は、この映画の中でも特に印象深い名場面となっています。リスクを承知で出演を決めただろうマット・ディロンの覚悟も、報われたのではないでしょうか。

 「これから同性愛をテーマにした映画の計画はない」という現実

 國枝すみれ記者の記事では、さらに「ブロークバック・マウンテン」についても言及していたのですが、ちょっと気がかりな記述もありました。 

 一方の「ブロークバック・マウンテン」も、同性愛への偏見に苦しむカウボーイが主人公だ。
 監督賞を受賞した台湾出身のアン・リー監督は、同性愛者たちが直面している偏見や拒絶などをていねいにすくいとり、差別の本質を普遍化することに成功した。
 市民組織「同性愛者を差別から守る団体」のニール・ジュリアーノ代表は、今年のアカデミー賞は総じて同性愛者のために役立ったと語った。
 性転換する男性が主人公の「トランスアメリカ」で主役を演じた女優が主演女優賞にノミネートされ、ゲイといわれる作家、トルーマン・カポーティを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンが主演男優賞を受賞していることを評価する。
「映画のおかげで、社会は同性愛についてもっと深く理解してくれたと思う」

 少なくとも、映画会社にとって同性愛はまだタブーらしい。
 ロサンゼルス・タイムズ紙の映画記者、ロバート・ウェルコス氏は5日、「ゴールデングローブ賞で『ブロークバック・マウンテン』が作品賞を受賞したあと、映画会社を取材して回ったが、これから同性愛をテーマにした映画を作るという計画を持っているところはなかった」と話している。 (ロサンゼルス・國枝すみれ記者)

 國枝記者の分析によると、今年、同性愛を描いて高い評価を受けた作品が重なったのは偶然であって、必ずしもアメリカ映画界の風潮が変化したわけでは無いというのが現実であるようです。
 たしかに、上記で指摘されている3作品のうち「カポーティ」はどうやら、作家が同性愛者であったことに焦点を当てている映画というわけではなさそうですし、昨年から今年にかけて、たまたま「ブロークバック・マウンテン」と「トランスアメリカ」の上映時期が重なっただけなのかもしれません。

 しかし上記の映画記者の証言は、あくまでもゴールデングローブ賞の時の話。その後「アカデミー賞報道の効果」でこの作品の知名度は更に上がりましたし、このまま勢いに乗って興行成績が伸びれば事情は変わってくるのかもしれません。
 同性愛を題材にした映画というと決まって付きまとう「マイナー」で「マニア向け」だという従来のイメージを払拭するのはなかなか難しいようですが、もっと大資本が制作するメジャーな作品の中にも「奇をてらわない」「フツーに生きているゲイたち」が、日常感覚のままで存在するようになるべきなのです。近年の黒人たちと同じように。

 興行成績はハリウッドへの意思表示

 アメリカ映画界にとって、日本は注目すべき重要なマーケットの一つ。「ブロークバック・マウンテン」は、すでに東南アジア地域では香港、台湾、韓国等で封切られていますが日本では公開が出遅れました。やっとこれから、満を持して全国公開が開始されます。
 世界の映画市場を席捲しているハリウッド的な市場システムは、単純で薄っぺらい一過性の娯楽大作を量産しています。その体制を揺り動かすことが出来るのは、やはり現実問題としての「興行成績」の結果なのではないでしょうか。
 「アカデミー賞効果」で異例の拡大公開が実現したこの作品の日本での興行成績は、「もっと良質な作品こそ幅広く公開されるべきだ」と願う我々の意思表示にもなるのです。

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ブロークバック・マウンテンで見る世界011●祭りのあと

 たかがアカデミー賞。されどアカデミー賞。

 やはり「オスカー受賞」という冠が付くと、世界中に報道されることで映画の知名度がグンと上がり、確実に観客動員が増えるし映画史に刻まれるわけですから、その意味は長い目で見ても非常に重要です。だからこそ「最優秀作品賞」を獲得するために、配給会社は様々な政治的な駆け引きを行い、PR合戦を仕掛けるのです。


 「クラッシュ」がオスカーを取るためにアカデミー会員にDVDを大量配布したこともその一つ。そして「ブロークバック・マウンテン」も「クラッシュ」も共に、早いうちから世界中のありとあらゆる映画祭に出品し、受賞を重ねて来たこともオスカー狙いのPRの一環だったと言えるでしょう。そもそも映画祭というのは、ほとんどにおいて、配給会社が自ら出品しなければ審査されることもないわけですから。

 発表から一週間が経ち、僕の中でメラメラと燃えていた「ブロークバック落選」の悔しさも落ち着いて来ました(笑)。そろそろ冷静になって、今回のアカデミー賞にまつわる出来事から見えてきた多くのことを、見つめ返してみたいと思います。

 岡田敏一という個性派記者の存在

 フジサンケイビジネスアイという新聞があります。数年前までは日本工業新聞という名前でしたが、今は産経新聞系列のビジネス情報新聞として発行されています。一般紙とは違って発行部数はそれほど多くはないのですが、岡田敏一記者の書くアメリカのエンターテインメント系の記事が面白いので、僕はチェックすることにしています。

 主に日曜日に、アメリカの最新のエンタメレポートが掲載されています。岡田記者はアメリカの様々なサブカルチャーに精通しているようで、かなりの博識家であるようです。その知識を元にして「いいものはいい。悪いものは悪い」と批判も辞さない姿勢で記事を書いているので好感が持てます。僕が映画「トランスアメリカ」の情報を早いうちから知ることが出来たのも彼の記事からだったし、けっこうLGBT絡みの事柄も積極的に報じてくれるので、ありがたい存在です。保守的だというイメージを持たれがちな産経新聞系列としては、異例の存在だとも言えるでしょう。

 そんな岡田記者は、アカデミー賞の取材でもロサンゼルスの最前線にいたようです。授賞式直前の日曜日には「大胆予測」の記事を掲載し、結果を「ほぼ的中」させた彼ですが、授賞式の翌日からさっそく、充実した検証記事をいち早く掲載していました。
今回のアカデミー賞の結果を彼なりに分析すると「黒人文化の台頭」を象徴しているということになるようです。ちょっと長いですが紹介します。(引用記事中の「~」は中略を意味します。)

●3/7(火)フジサンケイビジネスアイ・「検証i」
アカデミー賞 「黒人文化」が大きく台頭
ゲイ作品不発 保守性は不変

 スターたちが集まった華やかな式典のクライマックス。
「オスカー・ゴーズ・トゥ・・・クラッシュ!」
 ~作品賞プレゼンターの男優ジャック・ニコルソンが叫ぶと、会場となったコダック劇場の近くのホテルに掲げられた世界中の記者約300人が詰める取材室で結果を見守っていた黒人の記者たちから大歓声が上がった。

■リアルな米描く
 ~今回はクラッシュに限らずアカデミー賞全体を通じて、黒人社会が題材の作品が多くの賞を獲得した。音楽の世界に続き、映画の世界でも黒人文化が力を発揮しつつあるいまの米の娯楽産業の兆候を示しているようだ。
 「アカデミー会員には、ゴールデン・グローブ賞で作品賞を取った作品をわざと外す傾向がある」(業界筋)うえ、「高齢でひねくれ者で保守的なアカデミー会員がゲイの作品を推すとは考えにくい。マスコミの事前の大絶賛を疎ましく思い、あえて別の作品に投票するのでは」(関係者)との予想は本当だったようだ。
というより、アカデミー会員は「カウボーイがゲイだった」という絵空事に近い物語より、リアルな米を描いた作品を選んだと言った方がいいだろう。

 「クラッシュ」は「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」でハリウッドがお祭り騒ぎだった昨春に公開された。だが、聞くに堪えない差別用語のせりふの応酬に、当初は映画ファンや関係者から「米ではこんなひどい差別はない。この映画はフィクションだ」と反発の声が聞かれた。
 しかしこうした声にロス在住のハギス氏は「この映画はすべて私が実際にロスで見聞きした差別事例を元に作っている。私は昔、ビデオレンタル屋でカージャックに逢ったこともあるんだ」と猛然と反論した。そのリアルな米社会をアカデミー会員は高く評価したのだ。

■ 独自のPRも奏功
 しかし今回のアカデミー賞の結果は、取材陣の間でも予想外と受け止める人が少なくなかったようだ。
 イタリアのテレビ局の女性記者ジャダ・アルバニーズさん(30)も「作品賞が『クラッシュ』と聞いたとき、本当に驚いた。やはり『ブロークバック・マウンテン』は同性愛を扱い、さまざまな論争を呼んだことが嫌気されたのでしょう」と話す。

 ~「クラッシュ」が土壇場で大逆転し、オスカーに輝いた大きな理由として「事前のDVDの大量無料配布キャンペーンが当たった」(事情通)との見方も多い。
 作品の製作元で独立系の映画会社ライオンズゲート・フィルムは、オスカーを前にした今年初旬、ハリウッドの業界関係者に計約13万本ものDVDを無料配布し、大きな話題を集めた。

 普通、この手のPR作戦で配るDVDの数は多くても約2万枚。ライオンズゲートのトム・オーテンバーグ社長は「昨夏公開の作品が忘れられないよう、大規模なPR作戦を展開した」と話し「経費の面でも、テレビや新聞で派手に広告を打つよりずっと安上がり」と打ち明けさらに注目を浴びた。
こうしたほかの映画会社との差別化戦略も結実の一因となったようだ。

 今回のアカデミー賞全体を眺めてみると、クラッシュでは有名テレビプロデューサーとして富と権力を得た黒人夫婦が白人警官に言いがかりをつけられ、執拗な取り調べと耐え難い屈辱を味わう場面がある。

 またポン引き(ピンプ)の貧乏な黒人が苦労の末、ラップ歌手として成功を収める物語「ハッスル&フロウ」(クレイグ・ブリュワー監督)の主題歌で過激なヒップ・ポップ曲「イッツ・ハード・アウト・ヒア・フォア・ア・ピンプ」が歌曲賞を受賞。アカデミー賞の歴史始まって以来、ヒップホップの楽曲がオスカーに輝いた。
外国語映画賞も、南アフリカの作品で、貧困地域の黒人青年によるカージャックを題材にした「ツォツィ」(ゲビン・フード監督)が獲得した。

 音楽の世界では、ニューヨークの黒人が生み出したラップ音楽に代表されるヒップ・ポップがロック音楽を追い越して米の大衆音楽の主流を走っている。
 米スミソニアン博物館がヒップ・ホップ文化の展示を決めるなど、大きな力を誇示している。古くから音楽と映画は密接につながっている。今回の結果は、これから黒人文化が映画にも大きな影響を及ぼす兆候といって間違いない。
(ロサンゼルス=岡田敏一)

 マイナー紙だからこそ掲載できた検証記事
(しかも翌日に!)


 「黒人記者たちから大歓声が上がった」というディテールを見逃さないところが、さすがは岡田記者。そしてこんな風に、取材現場のリアルな状景を捉えた記者の主観を伝えられるのは「フジサンケイビジネスアイ」というマイナー新聞だからこそ。だって、はじめから他紙の何倍もの潤沢な掲載スペースを与えられているわけですから。
 先日紹介したとおり日本の大手新聞社はせいぜい、記者の主観を排して大勢を窺いながら「公正中立」を気取った事実の伝達が精いっぱい。大してスペースも貰えず、記者たちにとっても腕の振るいようがなかったのではないでしょうか。

 差別問題に新たな視点

 このレポートからも察せられるのは、僕らLGBTにとって「ブロークバック・マウンテン」のオスカーが悲願だったのと同じように、多くの黒人記者たちにとっては「クラッシュ」の受賞が悲願だったらしいということです。
 人種差別問題を「マイノリティーの解放運動」と直結させる旧来の単純なステレオタイプから解放し、新たな視点から多面的に複雑に抉り出したこの映画は、やはり2006年の今、オスカーに値する「見るべき映画」だと僕は思います。(でもやっぱり「ブロークバック・マウンテン」と同じ年に重なってしまったことは悔しいけど・・・笑)。

 物語が暗示するのは、これからの世界

 僕が「クラッシュ」を観て特に印象に残ったのは、「白人がメジャーであり、有色人種がマイノリティーである」という従来のアメリカ社会のヒエラルキー観に大きな変化が生じていることに注視していること。

 特にこの映画では、黒人の台頭を前にして立場が逆転し、焦燥感に駆られはじめた「白人たち」が醜い姿を晒しはじめた様子を、批判も込めながら冷徹な視線で描き出しています。
(しかも監督は、カナダ生まれのバリバリの「白人」です。)
 そしてコンプレックスを抱えた白人たちは、黒人以外のアジア系や南米系、アラブ系に対して鬱憤を歪んだ形で晴らすもんだから、そこから更に、「やられたら、別の弱い奴らにやりかえせ」という風に様々な人種による様々な差別構造の連鎖が始まってしまうのです。

 すでに差別の構造に「上」も「下」もなくなっているようです。誰もが「状況」や「組み合わせ」によって差別者にもなれば被差別者にもなるということの怖さ。善人は悪人でもあり、悪人は善人でもある。そんな連鎖の繰り返される状況を告発するとともに、どうしたら人間同士として共生出来るのかを物語そのものの展開によって「探り続ける」映画です。明確な答えは出さないまでも、観客に鋭く問題提起することに成功していると思います。

 ただ、登場人物が多く出来事も多いため全体的にテンポが速く、センセーショナルな印象を観客に与えてしまうという映画的な欠点はあります。ロサンゼルスの市民からも「現実の暗部を誇張しすぎだ」という声が少なからず上がっているようで、チュチュ姫さんのブログ「姫のお楽しみ袋」に掲載された「クラッシュ」のレビューを読むと、アメリカに住む市民の日常感覚と、映画とのズレを感じた感想に触れることが出来ます。この映画を語る上で、大事な指摘だと思います。

どこの国でも言えること

 わが国でも最近、様々な国の人々が移住してくるにつれて「メジャー」であったはずの「日本人という幻想に囚われている方々」が醜さを曝け出しはじめています。国技である相撲で活躍する「外国人力士」たちに不要なコンプレックスを抱いたり、「嫌韓流」という本がベストセラーになったり。自己完結のモノローグに終始する「日本病」は、インターネットの一部の世界でも相変わらず蔓延し続けています。この映画で描かれた出来事は、ロサンゼルスの一都市の出来事には留まらず、わが国はもちろん世界のあらゆる所で起きている複雑な出来事に通じていると思いますし、今後の混迷を予言しているのかもしれないとも思います。

 たしかにDVDの大量配布など、「クラッシュ」制作会社によるキャンペーンには露骨な派手さがあったようですが、公開が昨年の5月だったことを考えると当然なのではないかとも思います。オスカーを狙う映画は、アカデミー会員が投票する時期に合わせて年末に公開するのが通例だそうですから、なにもしなければ、半年も前に地味に公開されて大してヒットもせずに終った作品のことなど、多くの人にとっては記憶の彼方の出来事でしょうから。

 真の評価はこれから

「ブロークバック・マウンテン」が同性愛を描いていることに嫌悪感を持って劇場に観に行かなかったり、保守的な感覚で忌避してしまったアカデミー会員もいたことでしょう。その票が「クラッシュ」や他の作品に流れ、結果的に票が分散された可能性は否定できません。偏見によって映画作品が然るべき評価をされなかったとしたら、そのことは問題にされるべきです。

 しかし、そのことと「クラッシュ」の作品評価とは別物なのではないでしょうか。
 そもそもどちらの作品の配給会社もオスカーを目指して政治的に立ち回ったことには変わりないのですから「同じ穴のムジナ」です。
 その結果、これだけの話題を提供し、作品としての知名度が上がり、多くの人々が劇場に足を運ぶきっかけ作りになったのですから、見込んでいたPR効果は両作品ともに、充分に達成されたことでしょう。

 「アカデミー賞」というお祭り騒ぎが終わり、やっとこれから純粋に「作品としての力」が問われることになります。どうか映画を観る時だけでも、いろんな予備知識から解放されて純粋に映画と向き合ってください。どちらの作品も、それだけの力を持った「強い映画」だと僕は思いました。そして、多くの人に観られるべき資格を持った作品だと思います。

 10年後、そして100年後まで「名画」として語り継がれるかどうかは観客が決めること。
 作品の真価が問われるのは、アカデミー賞効果で多くの人の目に触れる、これからのことなのです。

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