フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-07
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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇005●やっぱ女装かぁ・・・

未知のドキドキの中で彼女の目が最初に見たのは・・・やはり女装の方でした(笑)。
「やっぱそうきたか。」
その時一瞬、がっかりしたことを憶えています。
これは僕に女装趣味がないことから来る感覚かもしれませんが・・・。
ゲイを描写する時に、一般的にはまず女装のイメージが来てしまいます。周囲の若い女性の反応を気にしながら観ていたためか、「恥ずかしさ」に似た感覚を味わった瞬間でした。

「ねえさん、用かい?」
女装した老人のキクエさんが沙織(柴咲コウ)に話しかけました。沙織はキクエさんの格好に驚いて、帰ろうとします。
・・・無理もありません。
キクエさんは胸元も露わなピンクと紫のノースリーブ姿。頭には不思議な髪飾りを付け、スカートを穿いた格好でソファーに座り、優雅にテレビを観賞中なのです。頬にはうっすらと紅を差し・・・正直、第一印象としてはコワイです。色黒だからなおコワさが倍増しています(笑)。

帰ろうとした沙織は突然鳴った電話の音に驚いて足を止めます。
フロントの奥から春彦(オダギリジョー)が出てきて電話を取ります。なにを話すのかと思いきや、テレビのメロドラマのビデオ録画を頼まれているらしい。
その、あまりにど~でもいい日常レベルな会話のやりとりに、張り詰めていた観客の気持ちは少し和らぎます。

録画を済ませた春彦は、沙織の存在に気付きます。沙織はあわてて
「やっぱ帰る。血迷ったのよ。金に目がくらんだの。」
こう言い放ち、出て行こうとしますが春彦に力づくで抑えられてしまいます。
そして、仕方なく館の最上階にあるらしい、父親・卑弥呼の部屋へ連れて行かれてしまうのでした・・・。

沙織の中にあるゲイへの不安を最上級に高めた状態のまま、父親に会わせる展開へと持って行くあたり、観客の心を鷲掴みにするテクニックを心得た演出です。

それにしても・・・ゲイの視点から見ても、キクエさんの格好はちょっと・・・「そりゃないでしょう」という感じ(笑)。
女装趣味の人を否定するわけでも差別するわけではありません。ただ、物語上ここで「ゲイ」というもののインパクトを強烈に観客に植え付けるための「見せ物」として扱われたような感じがして、いい気持ちではありませんでした。

「この先、もっとすごい人たちが出てくるんだろうなぁ・・・」と不安を喚起させられてしまう出足でした。

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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇004●キツイ言葉を言い合うということ

映画について場面を追って分析するのと並行して、いただいたコメントをきっかけに感じたことを書いて行こうと思います。
今回は、 002●柴咲コウの目① に対して書いてくださったyoseatumejinさんのコメントから。以下引用させていただきます。
●私はゲイの友達とか知り合いは居ないのですけれど、映画の中で柴咲さんがゲイの皆に向けてる言葉の強さがちょっと辛かったかな。苦笑。だって、ある意味人間が人間に対して暴言を吐いているという事でしかないのですし。でも、彼等はそんな柴咲さんの言葉を真っ直ぐに受け止めている瞳をしていて、実際のゲイの方々もこんな風に「きつい言葉」を真摯に受け止めるしかないのかな....って思うと、偏見って嫌だなぁって感じたりしました。

この映画での柴咲コウさんの台詞は、たしかにキツい口調でした。
彼女は目だけではなく、口でも攻撃力を全開にして、未知の人たちにぶつかって行ったと言えるでしょう。
しかし僕はゲイとして見ていても、特に不快感を持ちませんでした。それはなぜなのか考えてみました。

「きつい言葉」には、二種類あると思います。
一つは、よく知らない人に対して偏見から吐いてしまう「暴言」。
もう一つは、理解しあった者同士だからこそ言い合える「本音」。

日常生活で我々は、親しくない人に対しては遠慮して、言葉も選びながら話しています。仕事仲間や、関係の薄い友だちなど。関係をそれ以上深める必要をお互いに感じないから、言葉はよそよそしいままで変化しません。
しかし、関係を深めたかったり、お互いに興味を持った者同士だったら、交わす言葉もどんどんフランクになって行き、本音を語れるようになります。格好つける必要がなくなるので、言葉も必然的にキツくなるでしょうし、自由になります。

映画の中の柴咲さんの台詞は、前半部分のものは暴言であり、後半部分のものは愛情があるからこそ言える「本音」であるように、僕は感じました。その質は関係の変化とともに深まって行きました。だから、全体を通して受け入れられたのだと思います。

僕は、「暴言」というものにも、時には必要な場面があると考えています。「暴言」とは、それを吐いた人の内面に溜まったストレスや鬱積の爆発だからです。ある程度放出する機会がないと、溜め込まれた負のエネルギーは、さらに悲惨な行動を招くでしょう。

ただし、言ってしまった後にどうするかが大事なことだと思います。
多くの場合、「暴言」を言った本人も、言ってから自分の言葉の意味に気付くものです。「暴言」とは衝動から発せられるものだからです。
そして「暴言」を浴びせられた相手も、そのことによって相手の内面に隠されていた本音を知るきっかけとなるし、自分と相手との関係の距離を再認識できます。

その後も関係を続けたいのなら、歩み寄りの努力をすればいい。
そこで壊れてもいいと思う関係なのだと気付いたのなら、そのまま放置すればいい。
そういうものなのではないでしょうか。

「暴言」というものには、それまで停滞していた関係とか空気というものを掻き回し、新たなものを認識させる「刺激」としての意味があります。一概に悪いこととは言えないし、なんだか人間らしい一面だと僕は思います。

お互いに傷つく部分はあるだろうし、しこりとして残る部分もあるかもしれません。
しかし、ぶつかり合わなきゃ進展しない人間関係というものもある。
そして、ぶつかり合うというエネルギーの根底にあるのは、相手を理解したい、わかり合いたいという愛情なのだと思います。

この映画で、あそこまで柴咲さんが暴言を吐いても彼らの関係が続いた理由は、ゲイの父親が家出して母が早死にしたという柴咲さんの苦労を、皆が理解していたからだと思います。彼女は暴言を吐いて当然の立場であり、父親(卑弥呼)は言われて当然なのです。かなり身勝手な行動だったわけですから。

キツイ言葉の裏にあるものを周囲の人が理解できる時、その言葉は許されるものなのでしょう。そして理解できない時に、人は怒りを感じて対決するのです。
対決する意欲も湧いてこなくなる時・・・それが「別れ」というものなのかもしれないと思いました。

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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇003●柴咲コウの目②

柴咲コウの目から、僕は「ツッコミ」を感じます。

その突き刺すような眼光の鋭さは、あの目が見るものに対して「ツッコミ」を入れているかのような印象をもたらします。
彼女は喋らなくても瞳を動かすだけで「ツッコミ」の出来る、稀有な女優ではないでしょうか。そして、その能力はこの映画全体を引っぱって行く原動力として、全篇にわたって活用されていると言えるでしょう。
「ツッコミ」とは「攻撃性」でもあります。ゲイという閉鎖社会に対して、鋭い目を持つ彼女が攻撃的に突っ込んで行く。それがこの映画の基本構造だと言ってしまえることもできます。

「メゾン・ド・ヒミコ」の内部を、おそるおそる覗きこんだ彼女の目。
観客の目とも同化し、内部のインテリアをまさに「ツッコミまくって行く」この訪問シーンは、正直、僕にとっては心臓がバコバコになって飛び出しそうなほど、緊張感に満ちたものでありました・・・。
なぜなら、やっぱりゲイの当事者としては「どういう風にゲイが描写されるのか」は大問題。
それをチェックしたい、確かめたいというのが、僕がこの映画を観ようと思った理由の一つだからです。おそらく、他のゲイの人たちもそういう思いだったのではないでしょうか。

カバちゃんとかレイザーラモン住谷とか、おすぎとピーコとか・・・テレビを「ゲイのキャラ」で賑わしている、ああいう濃いキャラクターが出てきたらどうしよう。またゲイの珍奇な印象が強固されるような映画だったらどうしよう。そのことがいちばん心配でした。
誰もが「ゲイ」という言葉から連想する濃い「ゲイキャラ」の人たちの姿は、僕が見聞している「フツーに生きているゲイの人たち」からは、かなり掛け離れた誇張されすぎたものだと思っているからです。
そういうキャラクターを出しておけばとりあえず、多くの人たちの期待に応えることにはなるでしょう。この映画がそういう安易な方向に逃げた作品でありませんように。
これはかなり切実な願いでした。

ゲイの描かれ方。
そこにナーバスになってしまうのは、ゲイである者の必然でしょう。
カミングアウト出来ない状況で日常を過ごしているゲイの多くは、自分が周囲にどう思われているのかを気にしながら生きる習慣を、無意識のうちにしっかりと身につけています。・・・いまさらその習慣はやめられません(笑)

自意識過剰すぎるのかもしれません。しかしこの時の僕は、映画の一観客であるのと同時に、周囲の女の子たちがどういう反応を示すのか、笑い声が起こりやしないか。嘲笑されるのではないか。そんなことまで気になってしまい、かなりの興奮状態にありました・・・。

柴咲コウが視線をゆっくり動かします。
彼女の主観ショットをとらえたカメラも、ゆっくりと「メゾン・ド・ヒミコ」の壁をパン(横移動)して映し出して行きます。
ネバーっと粘着質にゆっくりと移動する画面・・・(そんなに怖れなくてもい~のに。)
センスの良さを感じさせる内部のインテリア(やっぱゲイってセンス良く思われてるの?)
壁に架けられている写真の配置レイアウトがカンペキ・・・(同上。笑)
全体的に、おとぎ話の中にでもいざなわれるかのようなムード・・・(こそばゆい~。)
←こんな感じで、その微に入り細に入り、どーでもいいようなことにまで、僕としても一緒にツッコミながら見てしまいました。(疲れる~・・・)

未知のものを、はじめて覗き込む時のドキドキ。
出会いというもののもたらす、張り詰めた緊張感。
この場面では、それがかなり上手く表現されていたと思います。

☆この連載では、映画の役名と俳優の芸名のうち、読者がイメージしやすいと思われる呼称を優先的に使用しています。その際に「敬称」は略させていただく場合があります。

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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇002●柴咲コウの目①

柴咲コウの目。
強烈すぎます。大きすぎます。だから印象に残りすぎます(笑)。
僕がこの映画で最も印象に残ったのは、柴咲コウの目でした。

あの目は・・・ブラックホールです。なんでも吸い込んでしまうかのような吸引力。そして、ギラギラした生命力を感じさせます。

この映画で彼女は地味なOL役をやるために「メイクダウン」(スッピンで撮影に臨むこと)をしたそうですが、あの目を変えることはできませんでした(←あたりまえだっ!)
ジメジメと陰鬱な職場で働いている、「くすぶったOL」をどんなに演出してみても、なにかを求めて常に黒光りをしているあの目のエネルギーを衰えさせることは不可能でした。それどころか、目の存在感ばかりがかえって浮き立っているようにも感じられました。

攻撃性を秘めた目

その妙な「浮きかた」は、この映画の主人公には適していたと言えるでしょう。
ゲイを父に持った不幸。
平穏な家庭生活を味わえず、母はすでに死んでしまった。
ねじれた思いをジメジメと鬱積させたまま、ただ過ぎ行く日常。
そこへオダギリジョーが来て、「メゾン・ド・ヒミコ」でのアルバイトに誘われます。
「ヒミコ」の館主は彼女の父。母を捨てて男に走った憎むべき父なのです。
しかもオダギリは父の恋人・・・。こう書いてみると彼女の複雑な心情はいかばかりかと、複雑な思いにふけってしまいます。

でも彼女は「メゾン・ド・ヒミコ」に行くのです。
それは、母親が亡くなるまでの入院費を捻出した際の、借金を返すためという現実的な理由も絡んでいます。
・・・家族を捨てた父。母を苦しめた父への積年のわだかまりから来る攻撃性を胸に秘め、未清算の過去と対決するべく、彼女は非日常へと足を踏み入れるのです。
この映画は、そんな彼女が「フツーに生きてるゲイ」という未知の人間たちと遭遇し、出会って行くことが物語の軸になっています。

彼女の目と観客の目の一致する瞬間

彼女の目が捉えるのは「ゲイの老人ホーム」という、外界からは区別された特殊な環境で身を寄せ合うゲイたち。
館の前に立ったとき、隣家の老女から彼女はいきなり好奇な視線を浴びせられます。それは彼女に対してではなく、「ゲイ」という存在に対して無意識のうちに人々が浴びせている視線を代表しています。
未知のものへの畏怖。未知から来る偏見。
その視線は彼女の中の不穏な気持ちを、少しばかり加速させたかもしれません。そして、観客の視線も。

「メゾン・ド・ヒミコ」を訪れる瞬間。
柴咲コウの目と観客の目はほぼ一致します。
彼女の大きな目がカメラとなって、我々に未知への出会いをもたらします。

この場面はゲイの観客にとっては、「どういう風に描かれるんだろう」という期待と不安を抱かせるでしょう。そしてゲイを知らない観客にとっては、未知のものへの無邪気な好奇心を喚起させるのではないでしょうか。

柴咲コウの目はちょっとオドオドしながらも、しっかりと見開いたままで新しい世界を捉えます。そして出会うのは・・・自分と同じように鬱積されたエネルギーをたくさん溜め込んだ、不器用に生きている人間達でした。

次回は・・・柴咲コウの目②です。

☆この連載では、映画の役名と俳優の芸名のうち、読者がイメージしやすいと思われる呼称を優先的に使用しています。その際に「敬称」は略させていただく場合があります。


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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇001●これって・・・事件!?

先日、ミニシアター系で公開中の「メゾン・ド・ヒミコ」に行きました。なんでもゲイの老人ホームが描かれている映画らしいのですが・・・。
ふ~ん。

おっ、柴咲コウが出てる。
僕は彼女の不敵な目と、さばさばしたキャラクターがわりと好き。
それに・・・ななな、なんと舞踏家の田中泯が出てるではないか。なにぃぃ~っ!

田中泯と言えば舞踏界のカリスマ。映画に出てるとは!

かつて彼の舞台を見たことがありますが、舞台に置かれた巨大な鏡と格闘するように不思議な舞踏を繰り広げ、しまいには全裸になってしまうというショッキングなものでした・・・。終演後の場内は嵐のような拍手喝采。熱狂的なファンがたくさんいることは伝わってきたのですが、その頃の僕にとっては刺激が強すぎて唖然としたことを憶えています。
そんな彼が映画出演!?、しかも台詞喋るの?・・・いろんな意味で期待が高まったので、見に行くことにしました。
(注:田中泯氏はこの映画以前にも「たそがれ清兵衛」に出演し、日本アカデミー賞の助演男優賞を受賞してたりしたんですね・・・ノーマークでした。笑)

観客層は若い女の子か
・・・ゲイのカップル(笑)


主演が今をときめく二人だからか、開場前のロビーは若い女の子で溢れかえっていて、ちょっと浮き足立った雰囲気。

ちょうどオダギリ氏主演の松竹映画「SHINOBI」が封切られたばかりでもあり、宣伝のために彼のメディア露出が増えていることも原因なのかも。
ちなみに「メゾン~」は今後、全国各地のミニシアター系で拡大公開もされるらしい。しかもスポンサーに日本テレビが付いているということは、テレビで来年あたり放映されることも確実。

ふ~ん。それは喜ばしいことなのだけど・・・ちょっと待て。
オダギリ氏目当てでこの映画を見に来た彼女達が、本当にこれを見るんだよね・・・。
「ゲイの老人ホーム」が描かれた映画を。
それって・・・

考えてみたらすごいことかもしれない

僕のようにゲイである者にとっては、この映画でのゲイ描写は割とありふれた身近なこととして笑って見ていられました。もちろん細かく見て行けば反発する所もあるし違和感を覚える部分もあるけれど、全体的には細かく丁寧に描かれていると言えます。

ところが彼女達の多くは、今までの人生においてゲイのことなど「未知の領域」であった人が大多数だろうし、テレビタレント以外には見たことも考えたこともなかったことかもしれません。

なぜなら、社会の中でゲイというのは必ず一定の割合で存在しているにも関わらず、僕も含めて日常生活では周囲に気づかれないように細心の注意を払いながら生活しているからです。
いるんだけど、いないように振る舞っている我々。
だから出会ってはいるけど、本当の意味では出会ってはいないのです。

この映画がきっかけになって、彼女らはそんな未知の存在を知り、強く意識することになってしまう・・・これはちょっと事件かもしれません。

ボクらにとっても未知との遭遇

この映画、かなりリサーチを積んで考え抜かれた上で作られています。だからこそ、観客の心の深い部分にまで入り込む可能性のある映画であり、動員も伸びるでしょうからかなりの影響力を持ち得る映画なのです。ある意味では世間一般でのゲイのイメージを変化させる可能性もあります。

ど~いうことになるんだろう・・・。

この現象はとても一回のレビューでは語り尽くせそうにないので、連載にしていろんな人と語り合いたくなりました。
この映画のゲイ描写を率直にどう思ったのか、なにを感じたのか純粋に語り合いたいのです。
そして、僕がこの映画を見て思ったこともかなりたくさんあるので、「批判も含めて」細かく書いて行こうと思っています。

トラックバックをいつもより多めに、長期にわたって飛ばそうと思います(笑)。
これをきっかけに出会った人、はじめまして。
かる~い気持ちで構わないので、とりとめもなく喋ってみませんか?

次回は・・・「柴咲コウの目」についてです。

☆最新記事はこちらからご覧ください。

☆この連載では、映画の役名と俳優の芸名のうち、読者がイメージしやすいと思われる呼称を優先的に使用させていただきます。その際に「敬称」は略させていただきますので、ご了承ください。


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