フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-11
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ユン・スー「分断の街で」●MOVIEレビュー

 映像は「分断」を氷解させ得るか

 深刻な題材を描いているはずなのに、全体的にカラフルで明るく逞しい生命力にあふれた映像で満ちている。

 事実としては「分断」を描いているのだが、映像が見事にそれを裏切り、言葉ではない映像ならではの表現で「連帯」とか「つながり」を浮かび上がらせているのだ。ドキュメンタリー映画というものが持つ「真の力」を感じることのできる、文句なしの名作だ。

第18回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて上映。
作品紹介ページ・・・7月19日(日)にも上映あり。

 先日、関西クィア映画祭の東京上映会で観ることができた「0メートルの隔たり」と同じく、イスラエルとパレスチナの境界線に生きるLGBTたちの葛藤を描いた作品。

 なんと、同じ登場人物も出てきた。パレスチナ側に住むレズビアンである彼女は、『0メートルの隔たり』の時とは別の人物と付き合っているようなのだが、なんと、またしてもそのパートナーがイスラエル側のレズビアンなのだ。彼女はそういう状況に自らを追い込むことに、もしかしたら使命のようなものを感じているのかもしれない。

 彼女のことが好きだけど、親密な時間を過ごしている最中に、ふと、相手がイスラエル側の人間だということに気がつく。理性ではわかっていても、身体に染みついてしまっている「怒り」がこみ上げてくる。

 『0メートルの隔たり』で語っていた同じ気持ちを再び同じようにカメラに向かって語る彼女を見ていたら、生粋の活動家に独特の「したたかさ」を感じたのだが・・・それは「うがった見方」すぎるのだろうか?。

 映画にはイスラエルで唯一のゲイ・バーも登場した。ゲイだけではなく様々なセクシュアル・マイノリティが集い、ドラァグ・クイーンによるショーなどのクラブイベントが開催されている。まるで映画『MILK』で描かれた、70年代アメリカのLGBTクラブカルチャー黎明期の光景を見ているかのようだ。

 しかしその光景も、すでに過去形になってしまった。映画では、現地で唯一の貴重なそのゲイバーが、閉鎖される光景も映し出す。どうやら政治的な介入があってのことらしい。現地の状況は一進一退。世界中のセクシュアル・マイノリティに共通の課題である「自己受容のために交流する場所づくり」を希求する意志と行動は、イスラエルとパレスチナ情勢という大きな政治的事情を前にして、ただただ翻弄されるばかりなのだ。

 抗いようのない大きな力を前にしながらも、確実に着実に「つながり」を築き上げようともがいている現地のセクシュアル・マイノリティたち。深刻な状況であればあるほど、人は真に強くなるのだということを、映像が雄弁に語っていた。FC2 同性愛 Blog Ranking

エラ・レムハーゲン「パトリックは1.5歳」●MOVIEレビュー

 人は「孤独」で結ばれ合う

 さまざまな偏見やホモフォビア(同性愛嫌悪)を乗り越えて、やっと養子をとれることになったゲイ・カップル。スウェーデン郊外の住宅地でこれから、幼い息子との新たな家庭を築けるかと思いきや、役所の手違いで15歳の少年パトリックが養子として送り込まれる。

第18回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて上映。
作品紹介ページ・・・7月19日(日)にも上映あり。

 少年のかつての家庭環境は荒み、犯罪歴も多数。過去には同性愛者へのヘイトクライム(憎悪犯罪)もやったことがあるらしい。こんな少年を引き取らざるを得なくなったゲイ・カップルは、パトリックとウマが合う/合わないということで亀裂が生じ、ついには別居生活が始まってしまう。

 このように「ゲイ・カップルの予期しない非行少年との生活」という物珍しい設定から始まるわけだが、次第に少年の抱えてしまった心の傷や孤独が見えてくる。そして、少年と心を通わせはじめたゲイにも、ホモフォビアと戦う日々という「孤独」があり、一緒にいることでその理不尽さを少年が理解しはじめる。

 互いに互いの「孤独」を理解して感じ始めたことが、両者の心の壁を突き崩すきっかけを作る。コメディタッチな展開の中で、鋭く深く心理描写が的確に行われており、ハートウォーミングなエンターテインメントとして、文句なしに楽しめる作品だった。

 日本で一般ロードショー公開しても十分に通じるのではないだろうかと思うほど、広く多くの人に観てほしい映画。FC2 同性愛 Blog Ranking

リチャード・ラクストン「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」●MOVIEレビュー

 イギリスの美輪明宏+東郷健

 予備知識を全く持たずに観たので、この映画のタイトルがスティングの大ヒット曲『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』と同名なのだということに、エンドロールで主題歌として使用されている時点で気付いてしまった(←無知なままで見過ぎだろうが。笑)。

 この大ヒット曲は、この映画の主人公である実在の人物、イギリスの作家であるクェンティン・クリスプのことを歌ったものなのだそうだ。

第18回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて上映。
作品紹介ページ・・・7月17日(金)にも上映あり。
Quentin Crispアーカイブページ

 1908年生まれで、今でいうところの「おネェ系」の走りとして1930年代のイギリスでブイブイ言わせていたクリスプは戦後、テレビ出演してその半生を語り「同性愛カミングアウト」を行ったことから有名人になる。しかし当時のイギリス社会の風当たりは強く、強烈なバッシングに遭う。

 このあたりはもしかして、日本でいうところの美輪明宏さんに置き換えて考えるとわかりやすいのかもしれない。美輪さんも戦後、早い時期から銀座の街頭を「オカマ」と後ろ指を刺されながらも歩き回ったり、バーで歌い踊っている姿がメディアに取材されて注目され、結果として数々のバッシングの嵐に見舞われた過去がある。

 イギリスを追われるようにして飛び出したクリスプは、ニューヨークでメディアやゲイコミュニティの人気者になる。70年代のニューヨークはストーンウォール以後ということもあって、ゲイ・コミュニティの活動も盛ん。なにより、クリスプの歯に衣着せぬユニークな「直言」が、カリスマ的な人気を博するようになる。

 ちょっと「時代遅れ」と思われがちな道徳観念や教訓を、若者に教え諭すように語りかけて人気を博すという点も、現在の美輪明宏さんと似通っているように思う。

 しかしクリスプは80年代のエイズ危機の時期に、お得意の毒舌調で「エイズは流行(はやり)病です」と言ったことから、主に同性愛者のコミュニティから大バッシングを受けることになる。

 当時、大きな社会問題となっていたエイズは社会の中で「ホモの病気」という烙印が付与され、ホモフォビア(同性愛嫌悪)と結びついて多くの同性愛者を苦しめていた。周囲で仲間が次々と死に行くゲイたちにとって、クリスプの言葉は乱暴すぎた。結果として、クリスプ本人の意思の及びつかぬ速度で言葉の暴力性が独り歩きをしてしまい、総スカンになる。周囲から仲間が次々と去って行き、社会的な地位も失う。

 90年代。再びクリスプは再評価される。クリスプに対して「トラウマ」を抱いていた世代がLGBTコミュニティの一線から退いたことで、若者たちが純粋に、「パイオニア」として再評価するようになったのだ。

 こうして晩年に再評価されたところは、日本で置き換えるのならば東郷健さんの最近のサブカルチャー・シーンでの再評価と共通しているのかもしれない。

 先行きの見えない現実の中で、時代の荒波を潜り抜け、時には隠遁しながらも91歳まで生き抜いた。この映画では、そんなクリスプの生涯を年代を追って描き出しながら、「アメリカのLGBTコミュニティ」の光と影をも描き出した。一つ一つのエピソードが淡々と飄々と描かれているように感じたのは、クリスプのキャラクターとも共通しているのだろう。

 「えっ!もう終わったの?」と感じるくらい、怒涛のような人生絵巻と歴史のうねりが、サーッと目の前を通り過ぎて行った75分間だった。FC2 同性愛 Blog Ranking

アンドレ・シェーファー「ヒストリー・オブ・ゲイシネマ」●MOVIEレビュー

「ゲイであることは特色でもなんでもない。要は質の良い映画を作れるか作れないかの問題だ。」

 関西クィア映画祭にて2度目の鑑賞。たぶんこの映画の監督は、あの伝説の同性愛映画史映画『セルロイド・クローゼット』から滲み出ているジメジメ&鬱々とした雰囲気を刷新したかったのだろうと感じた。

 『セルロイド・クローゼット』においては、インタビューに出演している監督や俳優たちの撮影の多くが、暗い室内で照明を横から照らして光と影のコントラストを強調していたのに対し、この映画では照明はほとんど使用せず、野外の自然光を意識的に活用しながら明るめに撮っている場面が多かったからだ。

 もちろん「フィルム」と「デジタル」の撮影機材の違いもあるわけだが、手持ちでラフにインタビューを撮っている場面もあるなど、「アンチ・セルロイド・クローゼット」の気概があちこちで感じられた。こんな風に「アンチ」(あるいは「ポスト」を期した作品)が出るというのはすなわち、それだけ影響力のある映画だったということでもあるわけだが。

 また、『セルロイド・クローゼット』は、「いかにこれまで、ハリウッドで同性愛的・クィア的描写が隠されてきたか」とか、「当事者たちが迫害を恐れながらも、いかに工夫して表現に自らのセンスを忍ばせていたか」を公に露わにするという、一昔前の「活動家チック」な動機が満ち満ちていた映画だったと言える。

 それに対してこの映画は、冒頭からジョン・ウォーターズ監督の「ゲイであることは特色でもなんでもない。要は質の良い映画を作れるか作れないかの問題だ」という発言を使うなど、すでにゲイの存在が表現者の世界では一般化されており、セクシュアリティの特殊性が「表現者としての選民意識」と結びついていた時代が、とっくの昔に終焉している事実を観客に突き付ける。

 そうは言ってもやはり、今日のような表現環境が達成されるまでには先人たちの「戦い」があったことをリスペクトし、主に「セルロイド・クローゼット以降」に活躍した非ハリウッド系出身のゲイ監督たちの仕事を振り返る。ペドロ・アルモドバルやガス・ヴァン・サント、ジョン・ウォーターズ、フランソワ・オゾン、デレク・ジャーマンなどなど。作品のみの引用もあれば、監督インタビューもあり。

 いちばん多く発言が使われていたのはドイツのクィア系映画祭の実行委員の人。クィア系映画の近年の動向について、やたら博識が広いから使いやすかったのだろうが、解説ばかりなので何を言ってたのかはあまり印象に残らなかった。そういうところが「真面目すぎる」映画かなぁとも思う。監督の主観が消され気味なところがNHKっぽい。

 『セルロイド・クローゼット』が作られた時代はある意味では、「なんとか我々の存在を可視化したい」という表現の目的や動機が単純化されやすく、監督の主観もわかりやすい形で作品に載せやすかったのだろう。すなわちベクトルが単純だったから。

 しかしそのベクトルの指示していたビジョンがある程度は達成され、「多様化」が進みつつある世界のクィア映画を「語る」というのは、こんなにも難しく捉えどころがなくなって来ているのかという事実が、如実に表れている映画ではあった。

 そんな中でも具体的に焦点が絞られて印象的だったのが『ブロークバック・マウンテン』にまつわる様々な意見。ゲイ映画としては未曾有の大ヒットを記録したあの映画。本当はガス・ヴァン・サントが監督する予定だったそうだ。本人がインタビューに出演して答えているところによると、ブラッド・ピットなどの大スターを起用した形でないと成功しないと思っていて、思うようなキャスティングが実現しなかったことなどが理由で企画から降りてしまったとのこと。つまり当時、ブラッド・ピットはゲイ役を断ったという事実が暗に語られていた(笑)。

 結果的に、いわゆる「ヘテロ」であるアン・リーが監督をして大ヒットとなったのだが、ガス・ヴァン・サントが言うには「もしも自分が監督していたら、あそこまでヒットはしなかっただろう」とのこと。他のインタビュー出演者たちの多くも「あれは非当事者が制作したから、いわゆるマジョリティ側に受け入れられやすい形になったのだ」と分析していた。

 つまり当事者的視点から見ると、いくつか描写にはリアリティが欠けると感じられるものがあるものの、「保守派をも含めてメイン・ストリームに受け入れられやすい形」で生み出され、結果的に社会現象を巻き起こした点は評価するという意見で、この映画の出演者の多くの人々の意見は一致していた。(こういう風に編集でまとめているということは、監督もそういう意見なのだろう。)

 僕としては、そうとは決めつけずにぜひ今後、ガス・ヴァン・サント監督に『ブロークバック・マウンテン』を作って欲しいなぁと空想した。綺麗に作ることで「メインストリーム受け」を意識することはアン・リーが既にやったので同じことをする必要はもう無いわけで、今度はとことんリアルに泥臭い形で作って欲しい。意外とそういう割り切りで制作されたものがヒットする場合だって無きにしもあらずなわけで。『MILK』での成功を生かしてぜひ!(笑)。

 他にも『L word』の脚本を手掛けているレズビアン監督が「レズビアン映画はまだ量的に少なく、質も高いとは言えない」と苦言を述べたり、『異国の肌』の監督が「必ずしも同性愛映画としての意識では作らなかった。」と述べたりと、百花繚乱のクィア映画界の多様っぷりが示されて映画は終わる。刺激や濃度は高くないけれど、楽しく気軽に、1980年代後半以降のクィア映画を「ざっくりと」振り返るには適した映画ではあった。

 ただ、日本やアジアの動向にまったく触れてなかったのが残念。動きが無いわけではないはずなのだが。たぶん、この映画の根底に流れていて最後のセリフでも使われていた「カミングアウト!」的な前のめりな楽天性からは、はみ出てしまっているだけなのであろう。アジア映画の中のクィア映画の面白さとか、その分析をする映画が、これから出てくるべきだと思った。

 あと、日本版の『セルロイド・クローゼット』も。まずは「いかに隠されてきたのかっ!」っていう、おもいっきり活動家チックな路線でもいいから、作られるべきだと思う。FC2 同性愛 Blog Ranking

アンジェリーナ・マッカロネ「異国の肌」●MOVIEレビュー

 イランではレズビアンとして生きられない。亡命先で男性として振る舞い女性に恋をする。

 3年前にドイツ映画祭で偶然見かけ、「なんでクィア系映画祭で上映されないんだろう」と不思議だった映画。さすがは関西クィア映画祭。滅多に上映される機会はないだろうから、どんな映画か詳細に記しておきたい。 (注:ネタばれです。)

 イランで既婚女性と恋仲になった女性が、本国には居られなくなって亡命するところから物語は始まる。イランでは同性愛関係が発覚すれば、社会的に抹殺されてしまうのだ。途中で同じ亡命者の男性の自殺を発見したことにより、衣服を借りて身分をすり替えることに成功する。そしてドイツで「その男性」に成りすまして、別人格の労働者として過ごす日々が描かれる。

 胸をつぶすためにサラシを巻いたり、がに股で歩いたり無口を装ったり。工場労働で汗だくになるにもかかわらず男性更衣室ではシャワーが浴びれなかったりと、まるでFtMトランスジェンダーの思春期のライフヒストリーのエピソードのように「女性の身体を隠蔽する」日々が続く。

 当然、そんな様子は周囲から不審に思われるのだが、そういう「周囲の視線」とか「他者の視線におびえつつ、悟られまいとする心情」だとかが、ちょっとした仕草や表情を通して丁寧に繊細に描き出され、息が詰まるような緊張感が持続する。

 やがて同じ工場労働者の既婚女性が、主人公に興味を示して近づいて来る。次第に接近する2人の関係性。既婚女性はどうやら最初は、主人公の醸し出す「謎の佇まい」に惹かれていたようだ。しかし次第に性的に惹かれ始めたらしい。混乱しながらも、その衝動は抑えられなくなって行く。

 主人公としても、その女性が気になり始めていく。表向きは「ヘテロ男性」として。内面は「レズビアン」として。女性と過ごせる時間が待ち遠しくなっていく。

 しかも既婚女性は、主人公が女性であることを早いうちから見抜いていた。手を握って観察したときに華奢であったことから察知していたのだ。それでも周囲には他言しない。秘密は心の中だけに留め、ますます接近し、やがて主人公と肉体的に結ばれる。

 その場面が秀逸。男性を装っている主人公の衣服を脱がし、胸の膨らみを隠すためのサラシを見ても動じずに、そっと、ゆっくりと解いていく。まるで心の武装解除をやさしく解いていくかのように。

 既婚女性は口にする。「私、混乱しているの」と。それでも、身体と心が求める衝動の流れは止められず、さまざまな障壁や謎を無化した上での至福の瞬間が、2人の女性に訪れる。

 しかし。

 主人公はそれから程なくして、本国に強制送還されることになる。成りすましていた男性が政治犯だったため、本国の政治情勢が変化したことにより帰国できることになったのだ。すでに自殺しているが、生きていることになっている別人格の男性としてドイツ国内で振舞ってしまった以上、従わなくてはならないのだ。

 その嘘はおそらく本国に帰ればバレることだろう。せっかく全てを分かち合った女性とも別れなければならない。映画はここで終わる。彼女らを翻弄する「大きなもの」を告発するかのように。

 自分を押し隠して生きることの孤独と空虚。解き放たれる瞬間の輝きと儚さ。常に多義的な感情を喚起させられ続け、細いガラス糸の上を歩いているかのような気分になる映画。それでも強く印象に残ったのは、主人公の生命力と逞しさ。そして、それを結局は踏み潰す「大きなもの」の非情・・・。FC2 同性愛 Blog Ranking

Jules Rosskam「トランスペアレント」●MOVIEレビュー

 親になったFtMトランスジェンダーが次から次へと19人。それぞれの人生模様。

 第4回関西クィア映画祭にて日本初上映。「transparent」というタイトルの通り、「親になったFtMトランスジェンダー」が19人、次から次へと出てくるインタビュー・モザイク構成ドキュメンタリー。

性別違和を感じる

そんな自分を受け入れる(あるいは付き合い方を発明する)

妊娠する(もちろん妊娠しない人もいますが。)

出産という経験

子どもとの関係の作り方。

 だいたいこういう順番で、映画全体が「FtMトランスジェンダー」の人生のプロセスを時系列に描いているようにも思えつつ、その時々の過程を一人ひとりが全然違う方法や気持で、葛藤したりすんなり過ごしたり、悩んだり悩まなかったりという「多様さ」を観客に意識させる形で編集が組み立てられている。

 つまり、画面が切り替わって次の人が出てくるたびに、その前に語っていた人の発言が「裏切られていく」構成。その連続を見ていると自然と、「あぁ、一口にFtMトランスジェンダーと言っても千差万別なんだなぁ」と、観客の感覚がぐるぐると掻きまわされる。

 僕が特に惹きこまれたれたのは、やはり「妊娠→出産」のあたり。なにせFtMの妊娠ということは、心の性が「男性」であるのに「女性」としての身体に、否が応でも向き合わされる体験なわけで。どういうことなのか、当事者としての感覚がとても気になる。

 ある人は、トランスとしての意識が中途半端な時期だからこそ乗り越えられたり。ある人は、ずっとビンタを食らわされているかのような感覚に苦しんだり。ある人は、身体の変化を「神秘」だと感じて楽しむことが出来たり・・・。

 性の多様性はあれど「妊娠が可能な身体」と、「不可能な身体」というのはあるわけで。僕は自分が、どう転んでも「妊娠が不可能な身体」なので、こんな風に妊娠というものを仔細にわたっていろんな角度から語られると、ちょっとばかり嫉妬心さえ湧きあがるくらいだった。

 終了後のトークでも語られていたが、この映画は、いわゆる「ヘテロ女性」にも「妊娠」や「出産」そして「子育て」を、新鮮な切り口から面白く考えなおすきっかけになるのではないかと思う。

 セクマイであることって、自分の身体感覚や主観を丁寧に分析して語ってみることによって、こんなにも「面白く」世界のありようを語り直すことが出来るんだなぁという風に、感じさせてくれる映画だった。「表現の持つ力」を感じた。見れたことが嬉しかった。FC2 同性愛 Blog Ranking

シンシア・ウェイド「フリーヘルド / Freeheld 」●MOVIEレビュー

 「記録」への執念
 
 レズビアン・カップルとして長い間、ともに暮らしてきたローレルとステイシー。しかし末期がんに侵されたローレルには、49歳にして最期の時が迫っている。

 若くして一人残されるステイシーは、このままでは遺族年金を受け取ることが出来ない。なぜなら彼女らの住む「郡」では、同性パートナーへの遺族年金の支給が認められていないからだ。長年住み慣れた我が家を、手放さなくてはならない。

 生活上の具体的な危機が迫り、彼女らは郡に申請を出す。切羽詰っているのだ。人は強くなる。

 この映画で最もフォトジェニックなのは、なんといっても「死」を前にしたローレルが、しわがれた声でインタビューに丁寧に答える表情だろう。静かな口調で真っ直ぐに前を見据える瞳からは、内面に滾る炎の激しさが想起された。その迫力が「映像」として捉えられたから、この映画に「命」が吹き込まれたのだ。

 ローレルは残された日々を、郡との闘争のみに費やしたのではない。この映画に映像として「永遠に焼き付ける」行為をも糧にして、残された日々を生き抜いたのだろう。その並々ならぬ決意は、スクリーンをはみ出して溢れんばかりに迫って来た。

 抱き合わさせたり、セックスさせたり。

 映画で「同性愛者」を描写する際に用いられる、どんなありふれた愛情表現よりも。「私の生き様を、ちゃんと記録して!」と、撮影隊に懇願するかのようなローレルの鬼気迫る表情からは、彼女の「生」への執着だけではなく、残されるパートナーへの真剣な「愛」を感じた。

 映画は、言葉や論理を超えた目に見えない何物かを捕まえたときにこそ、大化けする。FC2 同性愛Blog Ranking


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パーヴェズ・シャルマ「愛のジハード」●MOVIEレビュー

 遠回りすることが、最も近道だった。

 シナリオによって、あらかじめ結末が決まっており、予定された「完成形」に向かって制作するのが、いわゆる「一般的なフィクション映画」なのだとしたら、真の意味での「ドキュメンタリー映画」とは、その対極にあるものだと言えるだろう。

 結末などわからない。先行き不透明な現実に向かってカメラを向ける。撮り始める前に描いていたビジョンは、現実の複雑さを前にすれば常に裏切られる。そう、「裏切られる」ことを楽しんだり、そこから発見することを楽しむことが出来ない人には、真の意味でのドキュメンタリー映画など撮れないのだ。

 『愛のジハード』の監督は、楽しむことの達人だ。彼は2001年の「9・11」以降、世界中で加速してしまった「イスラムへの偏見」に危機感を覚え、映画を撮り始めたという。

 おそらく、その時点では映画としての「完成形」など、全く見えていなかったことだろう。しかし、彼は撮り始めた。他宗教の信奉者から「偏見の対象」とされる「イスラム教徒」という立場の内側から、当事者にとっての「フツー」を探り、その日常感覚を撮り続けた。さらには、自身が同性愛者であるということから感じる「ダブル・マイノリティー」として見えてくるものを、撮り続けた。気付けば、撮影期間は6年にもわたっていたという。

 さらにそれから一年以上かけたという編集期間中に、彼が見つけたものはなんだったのか。それを観客として受け取りながら僕が感じたのは、なんとも言えない「やわらかさ」そして「明るさ」だった。

 「無駄」の中にこそある豊穣

 監督はきっと、撮影しながら気付いたのだろう。ただ単に、「ムスリム」そして「同性愛者」としての「生きづらさ」を描き出すだけでは、真に彼らの生き様を描き出すことにはならないと。たしかに、登場人物たちがインタビューで切々と、現実の厳しさを語る場面も多く出てくる。そうした言葉に耳を傾けることは大切なことだ。しかし監督は必ずと言っていいほど頻繁に、その同じ人物が笑顔で過ごしている場面や、なんでもない日常を過ごしている場面を印象的な形で挿入した。おそらく、意識的にそうした場面をたくさん撮ったのだろう。そういう場面こそ、撮るのが楽しかったのだろう。

 その結果、この映画は単なる「同性愛者権利獲得」「ムスリムの偏見粉砕」を目指すためだけの単純で安直なプロパガンダ映画に留まることなく、スクリーンからは、いろんな「豊かなもの」が零れ落ちる映画になっていた。おかげで、観客としては自由に想像力を羽ばたかせることができた。

 遠回りのように見えるそうした「無駄なもの」の中にこそ、実は監督が当初、この映画を「撮りたい」と思った魂の「核」が存在していた。その発見の過程が、生き生きと記録されていた。

 全作品を観た第17回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭において、最も心を打たれた作品を挙げるとしたら、躊躇することなく僕はこの作品だと応える。この映画には最も深く「旅」が映っていた。映画作りという旅。人生という旅の豊かさが。FC2 同性愛Blog Ranking


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マルコ・S・プッチオーニ「あたたかな場所/Shelter(Riparo - Anis tra di noi)」●MOVIEレビュー

 タイトルが皮肉だ。

 人は贅沢で滑稽な生き物だ。安住の地を見つけたと思った途端に、自らその環境をぶっ壊す。エゴを貫くために。

 移民の少年が、ひょんなことからレズビアンカップル(アンナとマーラ)の家に居候することになった。アンナはその状況を積極的に楽しめるのだが、マーラは家に「男」が居るという現実を受け入れられない。光と影のコントラストを意識的に強調した画面作りが、登場人物の棘棘しい繊細な心のざわめきを描き出す。

●YouTubeより~"Riparo" trailer 90"
  

第17回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映
7月12日(Sat) 18:40~ @新宿バルト9
7月20日(Sat) 13:45~ @スパイラルホール
【後援】イタリア文化会館 Endorsed by Italian Cultural Institute

 アンナは少年の就職口を世話してやったりもする。なにしろ不法就労にあたるわけだから、一般企業には勤められない。ちょうどアンナの兄が工場を経営しているので、その仕事を紹介する。

 真面目に働く少年。次第に明るさと元気を取り戻す。少年に対してなかなか心を開かなかったマーラも、次第に少年と心を通わせるようになり、新しい日常に慣れて行く。垣間見える希望。しかし、そのほんのひと時だけだったのかもしれない。この日常を「あたたかな場所」だと感じることが出来たのは。

 少年はレズビアンのマーラに恋をした。

 マーラが「レズビアン」だということが、なかなか理解できない少年は「君には癒やしてくれる男が必要だ。それは僕だ」と積極的に求愛する。押しの強さに辟易しながらも、次第に少年に惹かれて行くマーラ。そして2人は関係を持ってしまう。

 その事実は、アンナにバレてしまう。もう「あたたかな場所」は戻らない。アンナの嫉妬により少年の就職口は奪われ、再び放浪生活に戻らざるを得なくなる。「移民」とは、なんという儚い立場なのだろう。

 アンナとマーラが、その後どんな日常を過ごすことになるのか映画では描かれない。しかし、相も変わらず「退屈」を紛らせながら、2人で生きていくのだろう。

 片や、安住の地など永遠に見つけられないだろう境遇の少年。

 片や、安住しているはずなのに、実感できずに倦怠の沼に引きずり込まれているレズビアンカップル。

 どちらも、浮ついて漂っていることには変わりない。「あたたかな場所」を求めつつも、掴んだならばすぐに捨て去りつつ。

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トーマス・ガスタフソン「シェイクスピアと僕の夢/Were the World Mine 』●MOVIEレビュー

 「恋心」を思い通りに操れたら。

 めくるめくようなミュージカル場面もふんだんに出てくるが、不思議と「ミュージカルっぽい不自然さ/いやらしさ」をまったく感じさせない展開と、物語の奥行きの深さに驚いた。これは名作!

第17回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で19日(Sat) 18:50~上映あり。人気作なので前売り購入はお早めに!→tickets info

 ゲイの高校生が主人公。学園中のアイドルである超イケメンのラグビー選手に恋しているのだが、その憧れの彼は女性と付き合っている。つまり、ノンケなのかもしれない。片思いに悶々とする日々。

 授業でシェイクスピアの『真夏の夜の夢』を演じることになり、「妖精パック」の役を割り当てられた主人公。妖精パックと言えば目覚めた時に最初に見た人を好きになる媚薬を用いて、登場人物たちの「恋心」を混乱させるイタズラ者だ。稽古にいそしむ中、主人公は偶然、その媚薬の製造方法を知ってしまう。そしてもちろん、憧れの彼に使って、彼の恋心を自分に向けさせるのに成功する。

 そればかりではない。主人公は町中の人々を「同性愛者」にしてしまおうと、手当たり次第に媚薬を使う。町中にゲイやレズビアンが溢れ帰り、ついには市長までもがゲイになったものだから、「同性婚」があっという間に解禁になる。有頂天になる主人公。

 憧れの彼も、自分にメロメロになってくれて幸せな時を過ごす。しかし主人公は、やがて空しくなるのだ。「これは媚薬のチカラであって、本当に彼が自分を好きになってくれているわけでは無いのではないか」と。さらに気付くのは、周囲の「異性愛者」の幸せな生活をも、自分の満足のために破壊してしまったのではないかと。

 人は「他力本願」では満たされない。

 元祖・シェイクスピアの『真夏の夜の夢』では、男女の2組のカップルが「妖精パック」の媚薬の魔法でパートナーを入れ替えられ、その混乱ぶりが喜劇として描かれている。

 その魔法を「異性愛者を同性愛者にする」ことに使用するという物語設定自体、監督やプロデューサーがゲイであるからこそ持つ発想だろう。しかし、夢をただの夢物語だけでは終わらせず、他力本願(この場合は媚薬の魔力)で手に入れた幸せでは、人は決して本当の意味では満たされないのだというところまで描き出したところが、単なる「ゲイ・ライツ」のプロパガンダ映画に堕落せずに済み、物語に普遍性を与えている秘密だろう。

 シェイクスピアには「出来なかったこと」を実現した作品!?

 ひょっとしたらシェイクスピアが『真夏の夜の夢』で本当に描きたかったのは、ここまで根底から世の中の秩序をひっくり返してみる物語だったのかもしれない。そんなことまでも深読みさせてくれる映画だった。

 シェイクスピアがあそこまで世界を「外から俯瞰した視点で冷徹に分析し、批評する」ことが出来たのは、やはり彼が同性愛者(あるいは両性愛者)であることから醸成された、世間の常識を根本から疑って見つめなおす「ひねくれた感性」によるものだったんだろうなぁということを、再認識した。

 この映画、劇場ロードショー公開をぜひ実現してもらいたいと切に願う。FC2同性愛 Blog Ranking


●You Tubeより~Were the World Mine - Sneak Peek 2
  

『シェイクスピアと僕の夢 / Were the World Mine 』
2008 / USA / 96min / Language: English
監督:トーマス・ガスタフソン
プロデューサー:コーリー・J・クルークバーグ
第17回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で2回上映
7月11日(Fri) 18:15~ @新宿バルト9
7月19日(Sat) 18:50~ @スパイラルホール

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松本卓也「特異なカップル」●MOVIEレビュー

 こちらの記事で書いた手前、観に行かなくちゃと自らに課すことになった映画『特異なカップル』ですが、なんと上映日の東京は雪が降ってまして(笑)、寒さに弱いのでやめようかとも思いましたけれど根性入れて観に行きました。

 下北沢の小さなギャラリーの入り口で渡されたパンフにはいきなり「全人類、フツー」って書いてあって・・・予告編をYouTubeで見て、ある程度「そういうことが言いたいんだろうなぁ」と予想はしていたのですが、ここまで最初からテーマを一言で言い切られてしまうと逆に引きますね、だって映画観る意味がないじゃん(笑)。うっわぁ~・・・帰ろっかなぁ~と思いながらも結局は見たのですが、けっこう技術的にはしっかりと作られていて、見やすい映画でした。観客は、僕が観た回は積雪のためか客足が鈍く5名ほどであり、僕以外は皆「女子」でした(笑)。

●再びリンクしてしまう(笑)『特異なカップル』映画予告
  

 映画の前半部分は、大学の帰り道に「特異な人々」が集う部屋(アパートの一室)を舞台に繰り広げられるシチュエーションコメディー仕立てなのですが、死んだ恋人を思い続けている特異な人、宇宙と交信している特異な人(宇宙人?)、その宇宙人が好きな特異な人、そして男同士でなぜか皆の目の前で半裸で抱き合って乳繰り合ってるゲイ・カップルがいるのです。会話はテンポ良く間も絶妙で、シュールな場面を強引に成立させる力技に、いつの間にか引き込まれていましたっけ。

 その部屋には、いきなりゲイの妹が訪ねてくるのですが、扉を開けるや否や「兄ちゃん、ホモなの?」と衝撃発言。なんでもそのゲイは父親にケータイ電話から「なんとなくカミングアウト」した直後であり、そのことを聞いた妹が田舎から息せき切って出てきたのです。兄が男の恋人と愛し合っている姿を妹に見せつけるものだから、妹は逆上します。そして告白するのです。「お兄ちゃんが大好き」と。つまりここにも兄に恋した「特異な人」がいたわけです。

 ・・・と、こんな感じで次から次へと、いわゆる世間から「特異」とされがちな人々が登場して「特異な行動」を取る場面が示されるわけですが、そういう人ばかりの空間にいてみると、「特異であるはずのこと」が「フツー」に思えてくる、というドラマツルギーなのですね。

 前半の場面は映画としての緊張感も保たれており、テンポも良くて楽しく見ることが出来るのですが、惜しむらくは後半部分。いきなり冗長になってしまい、ただただ「特異であることはフツーなんだ」「フツーであることは特異なんだ」という、まるでシェイクスピアの『マクベス』の魔女達が言う「綺麗は汚い、汚いは綺麗」のような理屈を説明するがために、かなり強引に仕掛けた作家の策略ばかりが鼻についてしまい、一気に面白くなくなりました。この映画は前半部分のみの短編として編集し直した方がいいのではないでしょうかね。

 でもこの映画の「良いところ」を挙げると、いわゆる「LGBT当事者」が作る「LGBTを描いた映画」がついつい醸し出してしまう「フワフワ感」とか自虐性とか閉塞感とか刹那感といった「暗さ」とか「重さ」とは全く無縁の突き抜けた明るさと勢いが画面からあふれ出していることです。それにゲイを演じる役者が二人とも、いわゆる「ステレオタイプのゲイ」を演じようとする意志が「ない」ように見えること。誇張してオネエ言葉で喋るわけでもなし。小指を立てるわけでもなし。上擦った声を出すわけでもなし。役者本人のキャラクターのまま自然に「ただ男が好きなだけ」というリアリティーを見事に醸しだしているのです。

 ただ一箇所だけ、ゲイを演じる俳優が唾を乳首に塗って欲情している場面があり、「あぁ、やっぱああいうことはやるんだねぇ」と一瞬ムカッと来たけど(笑)。でもすぐに「そんな自分って繊細すぎる。イカンイカン」という打消しの気持ちが働きました。いやんなっちゃうくらい細かいんですよねぇそういうとこ。イカンなぁ・・・。

 それにしても。ここまで能天気にあっけらかんとゲイを扱われると、僕はもう開き直って笑うしかありませんでした。もちろんいい意味でですよ。そしてなにより、兄(ゲイ)と妹の対決場面が演技的にも台詞的にも面白く、迫真力があって惹き込まれる「いい場面」になっているところが良かったです。

 ゲイのことをよく知らないけれど、興味を持っているノンケから「なに悩んでるの?ゲイだってフツーのことじゃん。もっと明るく生きようよ!」と、大雑把ながらも大声でさわやかにメッセージを送られたかのような気持ちを味わった映画でした。「当事者には、あんたらにはわからない悩みがあるんだよっ!」とか反発したくなる気力も失せ、「あ・・・あはは~・・・」と柔らかい気持ちでそれを受け止めようとしながらも、実は複雑でなかなか整理のつかない気持ちを抱えたまま、僕は上映会場を後にしました。

 帰り際、監督さんに「どちらでお知りになられたのですか?」と感想を聞きたそうな顔で話しかけられたのですが、あまりにも言語化不能なぐちゃぐちゃした気持ちを抱えていたため「ネットです。」と冷たく言って去ることしか出来なかった不甲斐ない自分を反省。結論としては、この映画、「前半部分に限っては」とっても良かったですし記憶に鮮明に残ってます。後半は観客として集中力が持続できませんでした。もっと理論や理屈を超えた「映画ならではの表現」を追及して欲しかった。個人的には、監督さんとこの映画の制作動機についてとか、どういう演出意図があったのかなどを詳しく喋ってみたいなァと思わされた映画でした。話がいろいろと擦れ違いそうだけど、それもまた面白いかも。FC2同性愛 Blog Ranking

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