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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2023-04
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この親不孝者めがっ!

地震があった日。
母を見舞った病院の帰りだった。母は今、足の手術で入院している。

東京に帰る電車に乗る前の喫茶店。ゴーっという地鳴りとともに来た衝撃。お店の電灯は激しく揺れた。とっさに僕が思ったこと。
「東京に帰れるかな?」

電車が止まるのではないかという心配。帰れなくて翌日の仕事に穴を空けるのではないかという心配。・・・自分のことだけだった。
「これから東京に帰るんです。」
同じ揺れを共有したお店の他のお客さんにそう言うと、
「危険だからもう少し待ってからにしたら?」と心配してくれた。
でも・・・帰らないと。僕には過ごすべき日常が待っている。


上り電車は徐行しながらなんとか新宿には辿りつく。そこから先はすべてストップ。バスは大混雑で、タクシーは長蛇の列。映画でも見て時間を潰そうと思ってもどこも「立ち見」。エレベーターもあちこちで止まっている。
こういう時の東京はもろい。普段、便利な分だけ「不便」という状況には慣れていないのだ。

街路には人が溢れ、駅の構内や駅前広場も立ち往生した人々でいっぱい。
ここでまた大きな揺れでも起きたら大パニックになるのではないかと不安がよぎる。
たまたまレストランに空席があったので、読書しながら電車の再開を待つ。やがて地下鉄が動いたのでいつもよりかなり遠回りして、家に着いた。

「母が心配しているかもしれない。」
そう思い、帰宅したことをメールで知らせる。
返事は来なかった。

翌日、返事が来た。メールが大量に使われたため、不具合が生じたためなのだろうか。母の元には翌日の朝に届いたらしい。
「すごく揺れてどうなることかと思った。こんな揺れは初めて。8階だからよけいだろうと思うけど。身動きできない身には恐怖だね。これ以上揺れたら駄目かな。いよいよかななんて枕を抱えてじっとしてたよ。」
そこには、今、身動きができない状態でいる母が感じた恐怖が綴られていた。

なんて親不孝者だろう。
このメールを見るまでは、その瞬間に母がどう感じたのか、僕はまったく心配すらせず、思いやりもしなかった。ただ自分のことばかり考えていた。母はそのことを直接書いてはいないが、僕の素っ気無いメールに寂しさを感じたかもしれない。

親が子どもの事を「わかっているようでわかていない」のと同じくらい、
子どもも親の事をわかっていない。
親だってあたりまえに恐怖を感じる人間だし、決して強いわけではない。子どもの前では「親」でいなければならないわけだから「親」としての虚勢も張るだろう。
そうした姿を見慣れて安心し、親の感じる孤独や恐怖を思いやってこなかった自分の身勝手さに腹が立った。
母の返信メールの行間から滲み出る、いろんなことについて考えた。

僕は今まで、母のことを見ているようで見ていなかった。
父のこともそうだろう。
なのに、自分のことばかり見て欲しくて、知って欲しくて求めてばかりいた。

甘えてきたのは自分でもある。
もう甘えるのは、やめよう。

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コメント

この記事へのコメント

何が本当の親孝行かは親じゃないからわからないよね。
親は子供に対しては無償の愛だろうし。
親より長生きしなきゃいけないというのは、あるかな。
いずれにしても親が生きている間にしか親孝行は出来ないのも事実。今からでも遅くないと思うけど、何が親孝行かというのは、意外と簡単じゃない。

●RYUくん。
「親孝行」とか「親不孝」とかいうのも、言葉の呪縛なのかも。
「親孝行はしなきゃいけない」とか義務のように捉えていることを
見直すべきなのかもしれないなぁ。
人間って放っておくとなかなかそれをしなくなってしまうから
「標語」というものが掲げられて強制されるんだよね。
「親孝行しなきゃならない」という「標語(常識だとされているもの)」も、
じゃあ子どもが本当にやりたくてやっているかというと別問題。
やりたくもないのに、「標語」で言われるから義務でやるんだったら
それは「親孝行」ではなく単なる惰性。
親孝行という言葉なんかなくても、
自然とそういう関係が親子で醸成されるのが本来あるべき姿。
そういう関係を築くには、親は尊敬され信頼される存在でなければならないだろうし
子どもも甘えていないで、親を人間として見る努力をするべき。
そう思うと、上の記事はそうした努力を怠ってきた者が
よく考えずに惰性で書いたものようにも思えてきて・・・
ちょっと気恥ずかしくなってきた(笑)。

人として当たり前に感じる不安や恐怖の部分を、子供に悟られたくないって妙なプライドを持ってる親(うちの父親)もいるので、見ないフリしてやるのも親孝行の場合も。
でもお母さんのメールでは、そんなこと気にしてないみたい(笑)かわいいというか、素直な方なんですね。仕切りやっていうのも、納得できました。

【 親だってあたりまえに恐怖を感じる人間だし、決して強いわけではない。
子どもの前では「親」でいなければならないわけだから「親」としての虚勢も
張るだろう。 】…自分も子供ができて親になって、やっとわかったことがありました。

自分も思い知らされる文章だなぁとつくづくおもいます。自分の事を分かってもらえず、悩んだ時期が多々あって、ぶつけてそれで後で知った親の孤独や寂しさ苦悩・・・もう距離を置いた方がいいなと思う事も多々あります。その方が勘違いの心配も勘違いの寂しさも感じさせなくていいし、本当に自分がつらい時や、心配してほしい時に何もしてくれなかった親にぶつける事もないし・・・なんてずっと思っていました。
何をどーすればなんてそんなのお互い人間だから我慢も譲り合いも必要なんだなぁと・・・
ただ地震の時また大きいのが来ると噂がたった時は、猫と犬を抱いて公園に逃げようとしたけど・・・人間はどーにか逃げて生きていけ!!なんて思って、犬はつながれてるから逃げれないからもう泣きそうでしたよ。
もっと強くなりたいですよ。

確かに「親の為に」とか「親の気持ち」とかって言う気持ちはわかりません。
実際に自分が人の親にならないと「何となく」という感覚だけでしかわかりません。だから実際はわかってないんですよね?
でもイケナイ事とかも思いません。今の自分が出来る最大限の事をしていれば何も自分を責める必要はないと思います。
親が凄く自分に期待しているなら違いますが…。
私の場合は今の自分に親に対して出来る事をしてます。
他人がどう思ったっていいんです。親にはきっと通じていると思ってます。

●umepochiskyさん。
親の弱さとか醜さとかに対して
気付かないフリをすることは、かつての父親との関係でかなり得意になりました。
そしてそのうち、本当に気付かない子どもになってしまったんですね・・・(笑)。
でも、父親とのそんな歪んだ関係も、進展の兆しが見えてきたので
これからは歪まないように、自分も思いやりのある人間になろうと思っています。
父が歳をとって、だんだん弱ってきているためか、かつての傍若無人パワーが
弱まってきているというのも、結果的には良い方向につながってゆく理由に
なっているのかもしれません。
母親、本当に素直です、父親とは対照的に(笑)。
あとさき考えずになんでも口にしがちで、けっこうハラハラしてしまいます。
そんなところは、今の僕にそっくりで(笑)やっぱり親子だなぁと感じます。
そして、父親の大雑把で楽天的な部分も引き継いで・・・
あぁ、自分ってやっぱり両親の合成版。素直に吸収してしまったんだなぁと思いました。

●xenical2000さん。
そうですか。やっぱりそういうものなんですね(笑)。
親にとっても「親になる」という経験は初体験。
だから「はじめて」のことの連続で、本当は不安で仕方がないはずなのに
どうして虚勢を張ってしまうんでしょうね。
心の醜さとか不安とかって、誰しも必ず持っている「必要悪」だから
普段から少しずつでも表現していた方が楽ですよね。
表現してくれた方が子どもとしても楽でいられるし、
子どもの方でも醜さとか不安を親に表現できるようになる。
世の中で問題になる少年事件の大半は、
「虚勢」をはって格好つけがちな、厳格で真面目な両親のもとで育った子どもの
行き場の無くなった心の中の「必要悪」が噴出した結果なのではないかと
よく思います。
(そうではないケースももちろんあるでしょうが。)
親だからと言って聖人ぶらず、
身の丈にあった素顔の、あたりまえの人間として子どもに接していれば
子どもは本当に伸び伸びできるのに・・・と、よく考えます。

●桃さん。
そうですね。もし頑固で「親である体面」に凝り固まって
ますます付き合いにくくなるような親だったら
距離を保つというのも一つの手段だと思います。
僕も、父親とはそういうつき合いしか出来ないだろうなぁ~と以前は思っていたので
ここ数年は距離を置いていました。
その分、母親にはずいぶん寂しい思いをさせてしまったのかもしれません。
父親も弱ってきたことだし、母親とは実は仲がいいので
これからは友だちみたいに付き合えたらいいなぁと夢想しています。
最近亡くなった工藤勘七さんと工藤静香さんの父娘関係って、
まさに親友同士のようだったんだなぁと思います。
静香さんの、男っぽく竹を割ったようなサバサバした性格やひょうきんな面は
勘七さん譲りなんだと思います。本人もよく嬉しそうに発言してました。
僕と母親との関係にちょっと似ています。

●(続き)
時間はいっぱいあるように思えて、親と過ごせる時というものは
もうそんなにないのかもしれません。
だったら、少なくとも僕にとっても親友のように気が合う母親とは
楽しい時間を少しでも多く作って、育ててくれたことに感謝しようと思います。
カミングアウトするかしないかは、僕が勝手にスッキリしたいという僕の問題でもあるので
あまり重く捉えずに、自然に「出来るようだったら」というレベルで
考えて行こうと思います。

●jyubonさん。
子どもの方でも、「親孝行」を義務のように捉えるのではなく
「自分にとって必要だから」という
自然な感情から湧きあがる欲求に素直に振る舞えばいいのかなぁと思います。
だって、本当に素直な自分の心を探ってみると
やっぱり、20年近く育ててくれてお世話になった親に感謝したいという気持ちは
自然な感情としてありますもん。
今回、ひさしぶりに帰省し、このブログで書いてみたことで
そんな自分の素直な気持ちに、ちゃんと素直になろうと思えるようになりました。
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