FC2ブログ

フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2019-11
« 123456789101112131415161718192021222324252627282930 »

織田作之助「夫婦善哉」●読書レビュー

豊田四郎監督の映画版「夫婦善哉」に感動し原作を読んでみたくなった。
ネットの「青空文庫」で公開されているのを知り、さっそくプリントアウト。いわゆる短編小説なので一時間もあれば読めてしまう手軽さが嬉しい。

「青空文庫版」では、難しい漢字や知らない言葉に読み仮名が記されていて、非常に読みやすかった。
映画では森繁久弥さんと淡島千景さんが演じた
あの愛すべきキャラクター、柳吉と蝶子が
より一層生き生きと感じられる名文だった。


男性作家による、女性へのファンタジー

先に映画を見た分、どうしても比較しながら読んでしまうのだが、小説ではより生活に密着した描写の細やかさが印象に残る。特にお金の記述が具体的で詳しく、生活感に満ちあふれている(笑)。
いくら愛があっても先立つものがなければ続かぬのが実際の生活。特に芸者と旦那との駆け落ち道中なのだから、自分たちで逞しく稼がなくては食ってはいけない。
しかし柳吉は金持ちのボンボン育ちですぐに散財してしまう。そのたびに派遣芸者(ヤトナ)として稼ぎに出なければならない蝶子。かなり散々な目に合わされ苦労の連続。夫のでたらめな行状の尻拭いを結局は蝶子がしなければならないのだ。

でも、蝶子はけっして柳吉を捨てようともしなければ別れようともしない。普通だったらこんなひどい仕打ちを受けていたらとっくに別れるだろう。ところが、貧乏育ちで一介の芸者である自分と柳吉が一緒にいることは特別なことなのだという謙虚な姿勢を一貫して持ち続ける。
とても自制心のある女性だなぁと感心するとともに、自分が決めたことを貫き通す意志の強さを感じる。

蝶子というのはある意味では、男性作家から見た理想の女性像の象徴であり、「こんな女がいたらいいなぁ」というファンタジーなのかもしれない。

甘え上手な男は得をする

柳吉という男性も、女性をそこまで惚れさせるほど、母性本能をくすぐる魅力にあふれた人なのだろう。
蝶子にしてみれば、どんな逆境でもそれが好きな人と一緒に過ごすためならば逆境とは感じないものなのかもしれない。柳吉と一緒にいるという、ただそれだけのことが蝶子を生き生きと輝かせる原動力になっているのだ。

よく聞く話だが、長年連れ添うと夫婦というものはお互いの嫌な面ばかり目に付くようになり、愛情表現もしなくなるらしい。しかしそれでも夫婦関係が続くのは、日本社会の場合たいていは「女性が辛抱するから」なのだろう。経済的に自立していないため、夫の収入がなければ生きて行かれない場合も多いので辛抱を当然と受けとめている人も多いだろう。「女性というものはそういうもの」という社会的な役割分担を疑わずに受け入れているから、辛抱を辛抱とは感じないのかもしれない。
しかし蝶子の場合、経済的には自立している。
芸者としての専門的技能も身につけている彼女は、たとえ一人でもバリバリ稼いで生きて行かれるはず。でも彼女は柳吉と別れない。なぜ、こんなどうしようもない情けない男と別れないのかといえば・・・柳吉が愛すべきキャラクターだからなのだろう。変に威張った所はないし、自分の情けなさを隠さないし、女性への甘え方も心得ている。

女性の大半は、甘えられるのが大好きである。
(↑注:僕の独断と偏見ですっ!)

甘えられるということは、女性のプライドを満たすことにもつながる。
ということは・・・
もしかしたら、女性に愛される術を心得ている柳吉の方が、実はしたたかなのかもしれない。


SとMの駆け引きが夫婦の妙!?

一方の蝶子もなかなかどうしてしたたか。柳吉がフラフラといなくなっても、結局は自分の所に帰って来るしかないことを心の奥では確信しているかのような強さを感じさせる。
感情表現がストレートな蝶子は、柳吉が遊んで散財して帰って来た時には容赦なく折檻する。儀式のように行われる折檻は、まるで夫婦の絆を確かめ合っているかのよう(笑)。
折檻というものは、相手に愛情があるからするものだ。
される側も、信頼しているから折檻されることを受け入れる。
軽いSMのようだが、そうした関係に実はお互いが快楽を感じているから、繰り返されるのではなかろうか。
S同士、M同士の夫婦というのは上手く行きそうもない。
SとMが駆け引きし合うバランス関係こそ、夫婦を成り立たせる絶対条件であり、快楽なのかもしれない。

・・・こうしてこの二人のことを思い描くと、なんだかんだ言って「自分が帰るべき人」を見つけた者の持つ強さを感じる。

まだそうした経験のない僕には想像の中の出来事。
そして、いつか誰かとこうした確信に満ちた関係が気付けたら・・・と思う自分を発見する。
なんでそう思うのか。
やっぱり人は、基本的にさびしがりやなんだと思う。

FC2 同性愛Blog Ranking
スポンサーサイト



コメント

この記事へのコメント

はじめまして!
akaboshi07さんの文章が心地よくてよくロムってます;
「自分が帰るべき人」・・・自分もいつか誰かとそんな関わり方をしたいです。そしたら、もう無理に好きでもない人に媚売って凹んだりしなくていいのになぁと思います。
↓の詩、好きです。画像もww

青空文庫、行かれたんですね!!
それにしても、小説の方がさすが短編とは言え、人情の機微というのが良く出ている気がします。
特に柳吉は映画だとすっごく大店の放蕩息子って感じだけど、小説ではそれ程大したお店じゃないって感じでね。それに蝶子も映画ではやはり淡島千景のキャラクターで見てしまうけど、小説ではもっと強かな女性って感じがしてるわ。蝶子の両親の持ち味もやっぱり面白く、それぞれがそれぞれにすっぽり嵌って生きてるって感じがするの。
でやっぱり、あのお話は大人のおとぎ話って感じがするわ。

φ(◎。◎‐)フムフムフム ・・・
人はどんな人でもやっぱり誰かに支えられ・・
誰かの存在が力になり・・  そうやって生きて行くんだなぁ・・って。
甘え上手な男性はやっぱり魅力あるのかもしれませんねぇ。
いつもドンと構えてても・・2人の時は・・・ってあるでしょ。
どんなカタチでもそれがお互い心地よければいいですね。
話は変わりますけど
色んな事考えててそれで最初ココにに来たんですけど(懐かしぃ
考えてた事を記事にして見ましたぁぁ(笑
   気の効いた事書いてませんけどぉ~~~~♪       空。

●yukitoさん、はじめまして。
無理に好きでもない人に媚売って・・・そういう感覚、わかります。
妙に寂しいとつい(笑)。
でも、僕が好きな工藤静香さんが言っていたのですが、
本当に出逢ってしまうと、無理しなくても自然と事態が進んでしまうそうです。
「自然な流れ」というものに身を委ねるという経験をしたそうです。
すごいなぁ。体験してみたいなぁ・・・(笑)。

●akumanoaijinさん。
映画というのは視覚化しなければならないから、
どうしても具体的にイメージが限定されてしまいますよね。
特にオーソドックスなフィクション映画というものは
役者のイメージや演出、美術等に大きく左右されますし。
小説というものは、読んだ人が自分の中で、その人にしか描けないイメージを
膨らませることが出来る。
本来、まったく質の違う表現手段なのだと思います。
「夫婦善哉」は、大人にしか理解できないおとぎ話なのかもしれません。
僕は・・・まだまだですね(笑)。
もう少しいろんな経験をした上で読み返してみると
全然違った読み方ができそうだなぁと思っています。

●空さん
甘え上手な男って、やっぱりかなりしたたか者だと思います。
甘えさせ上手な女性も(笑)。
でも、なんで男ってやたらメンツを気にして堂々巡りしちゃうんでしょうかねぇ。
もっと弱さを素直に出して生きた方が楽なのに。
格好つけることを美徳とされる「男性」という生き方って
たま~に、ものすごく滑稽に思えてしまいます。
弱いから格好つけたがるんだろうな~って。
・・・自分もしょっちゅう、馬鹿馬鹿しいメンツを保つために
ストレスを抱え込みがちなので、気づくと自分で自分が笑えます。

こんばんは。
甘え上手で甘えさせ上手でもあるspok23です。(笑)
青空文庫読みましたよ!織田の味のある文体を堪能しました。
あの作品から脚色した八住利雄の力量も
すごい!と思いました。
蝶子は自殺にまで追い込まれながら
どうしても柳吉と別れられない・・というところで
男女のなんともいえない業のようなものを感じます。
小説では最後の部分(その後の蝶子と柳吉)がなんとも好きです。
先日からは成瀬監督の「浮雲」にはまって
中毒状態に陥り、タイヘンな目にあっていたのですが、
ようやく抜けました。(笑)
こちらも濃厚な大人の愛の世界でした。

●邦画ブラボー さん、「青空文庫」読んだんですね。
原作を読むと、蝶子さんの並外れた情熱・バイタリティーに圧倒されますよね。
かなり強い人だと思います。
最後の、今後をさりげなくにじませた終わり方、いいですよね。
でもやっぱり、夫の趣味を受け入れているのは蝶子さん。
やっぱり大人です。男の立て方を心得てます。
たくましいです。
「浮雲」、二十歳の頃に一度だけ見たことありますが、
当時の僕にはピンと来なかったんです(笑)。
今見るとだいぶ違うのかも。
はまるかも知れません。文芸坐あたりでやるときに見てみようと思います。
コメントを投稿する
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL

⇒ http://akaboshi07.blog44.fc2.com/tb.php/69-ade5baf5

この記事へのトラックバック

世紀末の詩:無頼派として生きる

いくら稼いでも金はどこかに消えちまう。不思議だなぁ。酒も飲まない、ギャンブルもしない、女も買わない。それなのに金が消えていく。金の消し方ではMrマリックをしのぐな。と言うことはだな。誰かに援助してもらわなければ飯も食えないのだ。結論無頼派として生きていき

HOME |

無料ホームページ ブログ(blog)