フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-09
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槇原敬之さんの映像「公開可能バージョン」公開中~「同性愛」言及部分やはり削除

 今日の18時過ぎ。帰宅して「そろそろかな~」と思って第2日本テレビを覗いてみたところ、公開されてましたよ「公開可能バージョン」がっ!(笑)。
 思ったとおり、19日(金)に僕が見た「事務所のスタッフが同性愛に言及した部分」がスッポリと削除された再編集版が、現在配信されています。あの場面、すごく面白かったのに残念だなぁ~・・・。

●視聴の仕方
第2日本テレビに会員登録する(無料)
→トップページ下の「ファミリー&カルチャー&ミュージック&ビジネス」のカテゴリーから
「極上の月夜」を選択する
→「美輪明宏特集!『ヨイトマケの唄』完全公開」を選択する
→「槇原敬之インタビュー(後編)+槇原敬之『ヨイトマケの唄』ライブ」を選択する
→開始から5分後位に削除部分あり。



●「再編集版」で削除された部分をピンク色で表してみました。

  「この歌が時代を超えて訴えるもの・・・」

槇原敬之:「時代背景って、やっぱりその・・・洋服と一緒なんですよ。でも詩の内容が、それを着る人みたいなもので。確実に、その体温と言うか・・・それを感じる。でもなんか、こんなベタ褒めしちゃって。でもホントそう言うしかないんですけど、それが『いい曲』なんだと思うんです。」

★前回のバージョンでは、ここで事務所スタッフが横から発言します。しかし今回のバージョンでは画面が切り替えられサイズ変更(アップから引きになる)。そして、前回のバージョンではもっと後のほうに使われていた以下の発言が、ここに付け足されました。

「なんか話す度にファンになって行く。みんながファンになるんだったらいっくらでも話すよってくらい」

★そして、以下のピンク色の部分がカットされました。

事務所のスタッフ(声のみ):「だから、槇原の口から言わせるとあれなんで・・・。事件が起こった後、槇原のことを話すと、『辛かったでしょ、どんなことが辛かったですか、同性愛と言われることが辛かったですか、そうでしょ?』という風に言って来るんですけど、『同性愛だと言われることが辛かった』というのは、前の槇原だと思うんですよ。同性愛と言われて、同性愛ですよ。確かに同性愛なんですけど・・・」

槇原敬之:「はははは・・・(笑)」

スタッフ:「あの~。ホモだオカマだ同性愛だなんていうふうに言われて、『別にいいじゃない』と教えられたのは美輪さんだと思うんですね。」

槇原敬之:「そうだねぇ~」

スタッフ:「あの~。そういう大きさを持っていることだという風なことを、常に二人で話してた」

槇原敬之:「話してたねぇ~。 だからなんか、『愛の賛歌』を音楽会で歌ってた時に、なんか・・・涙ポロポロ出てきちゃった。『そうだよな』って。
ぜひ皆さん、結婚式で歌われる歌だと思ってたら大間違いで、あの歌も、負けず劣らず凄いんですよ。」(以下続く)



槇原さんサイドの意向により「同性愛」言及部分がカットされた「公開可能バージョン」を見ての考察


 僕、思うんです。きっと槇原さんは、こんな形でカミングアウトしたくはなかったのではないかと。なぜならカットされた部分を読んでいただければわかるとおり、「同性愛」関連の発言は全て事務所スタッフの口から発せられているものであり、槇原さんは笑って相槌を打っていただけ。つまり、彼自身の口から語っているわけではないからです。

 槇原敬之さんが同性愛者であることは、例の事件の際に表面化し、マスコミが書き立てることにより世間に認知されています。ただ本人からその後、そのことについて自発的に語る機会や場面がなかっただけ。「いつか語るのではないか」。そんな期待を、当事者である僕としては持っていました。だからこそ前回公開されていたバージョンを見たときの衝撃は大きかったわけですが、あのように「受動的な形での」結果的なカミングアウトというのは、やはり「やり方として」中途半端な気もします。

 槇原敬之さんは歌手であり、表現者です。もし同性愛者であることを自らの口から語ること(=「カミングアウト」)を、いつかしようと本人が思っているとしても、作品を通してとか、もっと「彼なりの表現として」行いたいのではないかと、僕は勝手に推測します。いや、本人は既に作品作りにおいて行っていると思っているのかもしれません。だから、あえて語って表面化するものでもない・・・そう判断して削除を要請したのかもしれません。

 もちろん、いろいろなステークホルダー(利害関係者)との関係もあるのでしょうし、削除を要請したのは槇原さん本人ではなく、別の所だったのかもしれません。

 日本社会の現状が、まだまだ多くの同性愛者に対して抑圧感・孤立感を与え続けていることは、当事者である僕は身を持って感じながら日々を生きています。だからそのような判断が下されたということにも、一定の理解はできます。そして、それを打破する役割を槇原さんに要求するというのも、当事者の一人である僕としては「他力本願」のような気がして「どうかなぁ」と思う面もあります。

 最近いろんなLGBT当事者の方々と「日本社会の現状について」話をする機会があるのですが、その時によく出てくる話題として「誰か超メジャーな芸能人やスポーツ選手がカミングアウトしてくれれば、コロッと世間の見方が変化して可視化が一気に進むのに」というのがあるのですが・・・そういう発想にしがみつくというのも、どうかと思うのです。有名人といえども傷つきやすい一人の個人。なのに・・・僕らは、彼らに過剰に期待しすぎてはいないでしょうか。今回の槇原さんの件を連日のようにこのブログに書いてきた僕ではありますが、ここ数日の自分の記事を冷静に振り返ってみて、そんな風に思ったりもしてしまうのです。(←毎度のことながら、過去の自分を否定するのが好きな性分なもので。笑)

 たしかに最近では、前田健さんのように自然な形で「ゲイです」と語るタレントが出てきたり、假屋崎省吾さんのようにテレビ番組で自然な形で、同性パートナーとの素敵な暮らしぶりを語る方も出てきています。(今年の正月に放送された美輪明宏さんの番組『オーラの泉』で話されていました。)それらは大きなインパクトは持ち得ていませんが、着実に「そうなんだぁ~」という感慨をもたらし、同性愛者というものへの偏見を減らしていることは確かです。

 だからもう僕としては、「いつか来るべき大きなインパクト」への期待は抱かないようにしようと思います。

 僕らは僕らの出来るところから着実に進めばいい。僕ら一人一人にも様々な事情があり、段階がある。それと同じように槇原敬之さんにだって事情がある。今の槇原敬之さんは「同性愛」を自然に語っている姿をメディアに流すのは「まだ早い」と判断する立場にある。今回の一件では、そのことが浮かび上がったわけですから。彼も僕と同じように「開ききれない葛藤」を抱えていることが、改めて感じられたのですから・・・かえって親近感を抱きました。

 いつか槇原さんが、歌番組等のメディア出演時に「言葉を選ばずに自然体で自分のことを語れる日」が来ますように。実際に本人は、インタビューの場では笑って受け答えの出来る精神状態になっているようなのですが、それが躊躇なく自然に流すことの出来る世の中になりますように。

 ただ、そういう社会は「期待して待っていても」到来することはありませんからね。他者に期待するのではなく「自分になにができるのか」を考え、今後も僕は行動して行きたいです。
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コメント

この記事へのコメント

同感

僕もそう思います。芸能人やスポーツ選手だって一人の個人それぞれの考え方があるだろうから、過剰に期待することはしたくない。それよりも尾辻かな子さんがよく言っている、「社会を変えるためには、まず自分が変わることが必要」の言葉どおり少しずつでも、できることから行動していくことが大切だと僕は思います。あくまで自分のペースで無理せずに。

自分が暮らしやすい社会にするために、自分が行動しているのだという認識は大切だと思います。お書きになっているように、それぞれの人の事情、段階があるのであり、可視化を望んでいる人ばかりではない可能性もあります。一般論としてアクティビストは、夢中になって周囲が見えなくなると、「オレたちがこんなにみんなのためにやってやってるのに、何でわかってついてきてくれないんだ」という態度になりがちで、そうするとだいたい先鋭化、瓦解の道を辿ります。世の中を変えるって言うのも、利益集団、ロビイストと同じくらいに一歩引いて見つめることが、長続きには必要なんだと思います。太く短く線香花火であれば、猪突猛進だけでいいと思いますが、笑

たしかになあ・・・

なるほどって思いました。わたしも有名人に期待ばかりするところがあるので。
なおかつ、いわゆる「きれいどころ」にカムアウトして欲しいっていう気持ちがある。
たしかにインパクトとか、ゲイに対するよいイメージは与えてくれると思うんだけど、
でも有名人とか芸能人である以上、人々にとっては身近な存在ともなりにくいかなって思うんです。
それに、よく考えたら芸能人って虚構の存在でもあるわけで、売り出し方として同性愛というのを
公表できないというのも、ある意味理にかなっているのかなあとも思うんですよ。
存在自体が商品なんだしね。プライバシーを曝け出すのがいいとも限らない。
うーん、ちょっと文章が乱れてきましたが、まあそうだよなあ、と思った次第です。

カミングアウト部分の削除はいろいろ事情があるんでしょうね…
akaboshiさんのおっしゃるように、マッキーの望む形ではなかったのかもしれないし、マッキーの望む形であるのが一ファンとしても嬉しいかなぁ、と思いました。
あと、僕も有名人のカミングアウトに期待する思いはありましたが、それって逆に危ないのかもしれないとも思いました。
有名な極少数のゲイが、ゲイ全体のイメージを決めてしまう恐れがあって…
きっと、一歩ずつ地道な行動が大切なんですね。

はじめまして。

今回の問題を見ていた1ファンです。個人的にはオフレコだったのだろうというのは同意できますね。
結局、言わせたい人には言わせておけばいいという事が極端に走ってしまったのでしょうし。
ただ、まっきーが自分の口からこの手の事を語るようになるかな、と考えると、いささか否定的な見方になってしまいますね。
復帰後のラジオで当人の口からノーコメントに撤するような発言がありましたから。
それに、ちょっと厳しい言葉かもしれませんけど、本当は有名人だからって「カミングアウト」なんて騒がれない、騒がない社会でなきゃならないんじゃないかなって思います。

TABAOさんに同感

興味本位の一般マスコミならともかく、結局、「○○さんがカミングアウトした」ということを大きく騒ぎ立てるから誰もカミングアウトできなくなるんじゃないですか。ゲイ(ブログ)として、カミングアウトした人、カミングアウトしなかった人をどのようにとりあげるか、やはり問題だと思います。
TABAOさんの書き込み、私もほぼ同感です。

さりげない報道

私の知人が年末に本を出し、その本のことで、明日毎○新聞からの取材が予定されています。毎○新聞の記者はその本を読んでいるはずですから、知人がゲイであるということは百も承知で取材にくるのですが、おそらく明日の取材ではゲイのことは話題にならないだろうし、知人もそのことは語らないと思います。
でも、その毎○新聞の記事を読んでその本を買った人は、著者がゲイであるということにすぐに気づくでしょう。
さりげないゲイ報道というのは、そういう報道のことをいうのだと私は思います。
昨晩の書き込み、言葉足らずの気がしましたから、補足しておきます。

●enqvistさん。

無理して燃え尽きてしまった人は、今までたくさんいらっしゃるようなので
それだけは気をつけたいですよね。
また、燃え尽きてしまう人が出ないような「安定した組織基盤作り」も必要なのではないかと
思ったりもします。

●Rさん。

そうですね。「したたかさ」が大切だと思います。

●Kazuccineさん。

メジャーであればあるほど「各方面」とのバランス感覚が求められるので
槇原さん本人は別にして、「槇原敬之ブランド」を構築する側からすると
「NG」だったということなのでしょう、今回の一件は。

●Kazuさん。

「有名な極少数のゲイが、ゲイ全体のイメージを決めてしまう」というのは
今の日本の「表向きの」現状そのものなのかもしれませんが、
実はけっこう、個人レベルではカミングアウトが「じわじわと」進行していて
それが「見えていない」だけなのかもしれない。
された人は「アウトしちゃいけない」というプレッシャーがあるから、他の人には語らないし。

「カミングアウトされた人」を統計で調査すると、けっこうな率に上がるのかも。

●lunatiqueさん。

あなたが同意しているのは「TABAOさん」ではなくて「くろむさん」の意見ですか?
もし「TABAOさん」なんだとしたら、よく読んだ上で書き込まれているとは
到底、思えないのですが。

「ゲイであること」は特別なことではないし、おかしいことでもなんでもないし、
双方がそのことを知っているのならば、
軽い気持ちで日常会話として語っていけないことではないはずです。
それなのにどうして、事前にあなたは「話題にならないでしょう」と決め付けているのか。

そこの所を、まず御自身の内面に尋ねてみてくださいね。

akaboshiさん、はじめまして。
akaboshiさん、くろむさんへのレス一度書いて消したでしょ?
槙原氏サイドもそれと同じだよね、書いて消したくなったから消した。
それをわざわざピンク字でまた貼ったんだよね。
aKaboshiさんが顔晒して信念語るならなんにも言わないよ。
でも違うよね。ただ自分は安全な対岸に逃げて、そこから火炎瓶放り投げてるだけだよね。少なからず僕にはそういう風にしか見えないよ。

良い意味での配慮だと思う

Lunatiqueさんの書かれている「話題にならないでしょう。」と言う意味は 良い意味での配慮だと思います。
例えば、ゲイの画家の作品を見てすぐにゲイの作品だと解るように、ましてや本ならば気が付きます。読者はそれを読んで思慮がある方ならば、ゲイという事実を前置詞として頭に置くでしょう。そういう風にして付き合っていくのですから、話題にはしません。

ゲイという事に話が及ぶ事こそ、違和感があると思うのです。

私が槙原さんなら

私がマッキーなら同じゲイの仲間?に、笑いとあいづちだけであってもこうやってのせられたら嫌ですけど。akaboshiさんは気にならなくなったのですか?
もちろん芸能人と比べるのは少し違う気しますけれど。
読解力に問題があるのでしょうか。この件を取り上げて考察する意味と意図が伝わってきません。
それより、最初に考えなしにのせた(関係者?の)方の神経がまず理解できないというとこもありますが。

●鏡さん、モッブスさん、んさん。

槇原敬之さんの配信動画は、日本テレビで『極上の月夜』が放送された直後から
数日間にわたって公開されていたようですし
大々的に「ニュースリリース」が他のメディアに流されて告知され、
第2日本テレビの登録会員にもメールで「ロングインタビュー掲載」の宣伝が流され、
多くの人々の注目を集める形で公開されていたものです。

これは、あくまでも映像を見たうえで僕が感じたことですが、
槇原さんとスタッフさんのお二方は、すでに
「同性愛と言われようが言われまいが関係ない」という心情に
あるのではないかと思います。
もし槇原さんとスタッフさんが以前のように「同性愛」と言われることに関して
「厳重なガード」を張っているのだとしたら、カメラが廻っている前で
スタッフさんが「わざわざ」インタビューを中断してまで発言するはずがありません。
また、収録後に「あの発言部分は非公開にするように」と番組の取材スタッフに伝え、
本当に公開されないのかどうか細心の注意を払って監視したことでしょう。

しかし実際には、数日間にわたって発言部分がネット上に公開されていました。
この事実から、なにを感じます?

また、
僕はメールアドレスを公開した形でこのブログを書かせていただいているのですが
今日の時点でまだ、槇原さんサイドからの連絡はありません。



インターネット上で言論を展開している人々すべてが「顔を晒して」書いていますか?
これ以上、僕個人のカミングアウトにおける「段階」を無視して
「顔を晒せ」という意味合いでのコメントが続くようでしたら、
僕はここを「仕事」で書いているわけではありませんので、躊躇なく閉鎖させていただきます。

情報発信では

テレビやネットで情報を流す事にはそれなりの責任が伴う事だし、一般に公開されている以上、その内容に関する議論がなされるのは、当然許される事だと思います。

「カミングアウト部分のカット」で問題が起きているようですが、カットする前の映像をネットで普通に配信している時点で、それに関してディスカッションする事は間違っていないと思います。
それは、たとえ今現在「カミングアウト部分カット」の動画しか配信されなくなっていようともです。
そこにプライバシー保護のため…というような注釈があり、カット前の動画に関して注意を促しているのならば、話は変わるのかもしれませんが。
公共に情報を発信するという事はそういう事ではないでしょうか?
マッキーサイドも承知していると思いますが。向こうはプロフェッショナルなんだし…
情報を発信する者の責任。
ボクもよく注意して責任の持てる発信を行いたいです。

akaboshiさんはメール、コメントを受け付け、多くの人と意見を交えようとしているのですから「顔晒せ」という意味は分かりません。
僕としてはakaboshiさんのblogから自分の考えなどを深めることもでき感謝しています。
閉鎖は思いとどまって欲しいです。

完全な商品化

マッキー本人の気持ちが大切です。

ある一定期間配信されていたのも事実なら削除されたのも事実。
私は後者の事実に目をむけるべきかと思いました。
もし、これが単なる何かの話題づくり、PRなら、気持ちを考えたコチラが馬鹿。
でも本当にそうでしょうか?それを阻止もしくは拒否できなかったマッキーを想像してしまいます。流してあげるのが、ベターだと思う。


はじめまして

初めまして、異性愛者のマッキーファンです。検索していてたどり着きました。私は社会科学の研究者なのですがマイノリティとその社会が専門で、同性愛者とそれに関する差別、社会構造の未熟さ等に苛立ちを持ちながら研究しています。何かと難しいことのほうが多い中でこのような素晴らしいブログを立ち上げていらっしゃる筆者の方へ、がんばってくださいと伝えたくてメッセージを残します。誰かを愛するキモチはその対象が異性であれ、同性であれ尊く美しいものだと思う私は、槇原さんがカミングアウトすることで今後彼が生み出していくだろう素晴らしい音楽に下らない偏見を付加し、外野の雑音で槇原さんの心が乱れる結果になるよりは、ぼかしたままで…と考える人々がいるのではないかと想像しています。本当はもっと社会が成熟して<カミングアウト>なんて言葉すらなくなる社会になるべきですよね。私は私のフィールドでそんな社会の実現に向けて努力していきたいと思います。立場は違っても共にがんばりましょう♪

●豆さん。

そうですね、おっしゃるとおり槇原さんの場合、現状では「カミングアウト」というはっきりとした形を取る方が本人の精神的負担も増えるでしょうし。無理のない自然な形で浸透していくという形を取っている方が賢明だと思います。

でも最近ではテレビ番組での発言や言動が、ずいぶんとリラックスした姿も見せるようになって来てますし、3月に放送された明石家さんまさんとのテレビ番組では、一緒に出演していたオネェ系タレントの影響もあってか、「そのへんのこと」を滲ませているような態度が見受けられました。

そもそも同性愛者に「カミングアウト」なんていう精神的負担の大きい行為を強いる社会構造がおかしいわけですから、僕も豆さんが書かれているように「もっと社会が成熟して<カミングアウト>なんて言葉すらなくなる社会になるべき」だと思っています。

マッキーの曲はおそらくゲイを意識してじゃない

マッキーはおそらくゲイを意識して曲を作ったことはないと思います。
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マッキー騒動から考えるカミングアウト回避のインセンティブ

 akaboshiさんがブログで紹介して波紋が広がったマッキーのカミングアウト騒動ですが、ここからカミングアウトを回避するメカニズムの1つについて考えてみましょう。実際に槇原さんが当てはまるのかどうかは分かりませんが、ぼくの観察ではよく見られる現象だと思います。

[ブログ]トップダウンに期待する日本ゲイ

 最近いろんなLGBT当事者の方々と「日本社会の現状について」話をする機会があるのですが、その時によく出てくる話題として「誰か超メジャーな芸能人やスポーツ選手がカミングアウトしてくれれば、コロッと世間の見方が変化して可視化が一気に進むのに」というのがあるの

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