フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-08
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岸恵子リスペクト007●「名優」とは、子どものように無防備な自分を、さらけ出せる人を言う

 こういうドラマとか映画って、物語の細かい筋なんて、はっきり言ってどうでもいいんですよね(笑)。たしかに見ている最中は論理的な展開にドキドキしても、終わってしまえばすぐに忘れてしまうもの。本当に長く記憶に残るのは、演じていた役者さんの「生き様」が役の人物とシンクロして浮き上がり、しっかりと表現されていた場面のザラザラした感覚。それに尽きるのではないかと僕は思います。

 9日(火)に日本テレビ「火曜ドラマゴールド」で放送された『大女優殺人事件』。数々出演していた役者さんたちの中で圧倒的に存在感があり、「生き様」を堂々と曝してカメラの前に立っていたのは岸恵子さんと浅丘ルリ子さん、この二人だと思いました。彼女らのどちらかが画面に映っているだけで画面に緊張感が生まれ、なんとも言えない「華」があるために目が離せなくなり、期待せずに見た僕の思いは良い意味で裏切られ最後まで楽しみながら見ることができました。いったい、彼女達の持っている吸引力は、なんなのでしょうか。

 それはきっと彼女らが、「安定しきっていない存在のあり方」を楽しんでいるからなんだと思います。小賢しい「演技の技術」を身につけた凡庸な役者たちが繰り出す優等生的な演技ほど、見ていて退屈で眠くなるものはありません。器用な台詞回しと器用な表情を作り、「映像演技のお手本」のようなマニュアルどおりの立ち回りを見せられても、スリルがないんです。

 よく、「子どもと動物には敵わない」という喩えがありますが、それは本当だと思います。子どもと動物は「次に何をするのか」予測がつかないから見ていて面白いし目が離せない。児童劇団で大人に飼いならされて死んだ目をしている子役たちを別にして、子どもというのは基本的に「打算」とか「計算」を身に付ける必要がない存在ですから、自分の内面に忠実に、天真爛漫に振る舞うことが出来ますよね。

 岸恵子さんと浅丘ルリ子さんの「演技者としての存在のあり方」も、まるで子どものような無防備さとスリルを感じさせてくれるものでした。演技技術というマニュアルに則った「安定」に寄りかからず、不器用さも醜さも含めた内面の多様性を隠さずに表現し、他者に開いてぶつかっている潔さ。ベテラン女優であるはずなのに、他の誰よりも演技が「素人っぽい」んです。だから目が離せない。「次の行動」や「次の表情」が読めないし、どんどん裏切ってくれるから退屈せずに見ていることができるし、常に驚かされ続けるんです。

 「単純なもの=一面的なもの」って、ちょっと見ればすぐに理解できてしまいますよね。しかし彼女たちの演技は単純さとは対極にある「複雑性」を常に帯び、周囲の単純な演技者たちに埋没しない「強さ」があるから、面白くて見続けることが出来るんです。

 「無防備な自分」をさらけだすこと。それは自分に自信がなければ出来ることではありません。そういった意味で、岸惠子さんと浅丘ルリ子さんは本当に、自分をさらけ出すことを厭わない自信に満ち溢れていますし、「自分の人生」に対して強固な自信を持っているのだと思います。

 「自信」を間違った方向に積み重ねて自己が肥大化し、他人におせっかいな説教をしたりして、年を重ねるほどに「傲慢」になって行く人は世の中にゴロゴロと転がっていますが、本当に自信のある人はわざわざ他人を配下に置こうとしなくても、自然と尊敬される存在になるものです。

 岸恵子さんと浅丘ルリ子さんが今回のドラマで曝してくれた「演技者として、人間としての生き様」を、僕は心から尊敬します。彼女達のように、年を重ねるということを「素敵なことだ」と感じさせてくれる素敵な大人がたくさんいれば、若者はけっして自殺になど走らず、未来に希望を抱いて生きて行けることでしょう。FC2 同性愛Blog Ranking
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