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2023-10
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王の男ブームを追う010●僕がこの映画を2度観た理由

 公開前後の日本キャンペーンにおいて、あまりにも同性愛者を侮辱する失礼な発言が連発していたために、観たくなくなっていた映画『王の男』ですが、前回の記事に対して、みどりさんが書いてくださった以下のコメントに心を動かされ、やっぱり観に行って来ました。

 「日本が植民地統治下に置くまで貴族文化だった韓国で、王朝文化への誇りと一緒に同性愛が取り上げられているという点で、意義深い映画だと思いますよ~」

 ただやはり、あのようなキャンペーンを繰り返した配給会社や監督、出演者に対する感情的なシコリは残っていますから、チケット代を投資することに対しては気が引けていました。かといって、テレビ放映されるまで待つのもなんですし。そこで、ちょうど『市川崑物語』を観に行った時に知った新宿ガーデンシネマの『水曜サービスデー』を利用して1000円で観るという方法を思いつき、なんとか自分を納得させました(←すっげ~小さい反抗ですが。爆)。

 さてさて僕は結局、この映画を観て何を思ったのでしょう。今は、あまりにもたくさん語りたいことがあふれ出していて整理がつかない状態なので、もう少し寝かせてから整理して書こうと思います。ただ一つだけ言えることは・・・僕はこの映画を1回観るだけでは飽き足らず、2回観たということです。なぜなら、1回ではとても把握しきれないほど複雑な世界観が表現されていたし、観るたびに印象が変わるタイプの映画だと感じたからです。韓国で4人に1人が観たという大ヒットの理由がわかった気がしたし、それだけの社会現象を巻き起こすだけの価値のある映画だと思いました。

 この映画については、原作の演劇での同性愛表現や映画化された時点での変更点、公開後の韓国での社会現象や日本でのキャンペーン手法、その後の日本公開での不振ぶりなど、分析して語りたいことが山ほどあります。今後いくつかのトピックに分けて、少しずつ考えて行きたいと思います。結果として、これだけ多くのことに興味を掻き立ててくれる映画を観ることが出来て本当に良かったです。

 作品は作品、キャンペーンはキャンペーン・・・と割り切りたいところですが、映画というのはやはり、宣伝の時点から公開後の社会現象まで含めて一つの「表現」です。看過することは出来ません。時代錯誤なマイナス・キャンペーンのせいで、素晴らしい作品を危うく見逃してしまうところでした。危ない危ない。FC2 同性愛Blog Ranking
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コメント

この記事へのコメント

あけましておめでとうございます
お久しぶりです。

私も「王の男」すごく見たいです。最近 やっと韓国という国に興味を持ってきて(ヨン様ブームには乗らなかったのですが、まんまと「春のワルツ」と言うドラマにハマリ…)
なにより いろんなものがどう言った表現をなされているのか…

私の県ではまだ放映予定はなく(ブロークバックもそうで わざわざ渋谷まで見に行った)、 しかも私自身 受験生……見れないです。
もし受験がうまくいけば 映画館で見れるかな~!?って感じです。悔しいです。DVDになっちゃうのかな~(泣)

「王の男」、見てみたくなりました。韓国で四人に一人が見たという話はどこかでちらっと聞いたか見たかした記憶がありますが――とにかく一度見てみます。

話は変わりますが、映画における同性愛、もしくは同性愛的な表現というと、これはぼくのかってな思い込みですが、ひとつ印象に残っている場面があります。S・ペキンパーの「ワイルドバンチ」の中におけるパイクとダッチ(ウィリアム・ホールデンとアーネスト・ボーグナイン)の関係に友情よりもむしろ愛情に近い関係を感じました。物語のラスト近く、とらわれた仲間を救い出しにいくと決め、死地に赴く前夜、女性を買います。ただ一人、ダッチだけが女性を買わなかった。少なくともはっきりと女性を買う場面が、ダッチだけ描かれていません(ぼくの記憶が確かならば)。それがひどく印象に残っていました。どうして、ペキンパーは彼だけ特別に描いたのか、ずっとそれを考えていて、あるときふとダッチはパイクに対して、友情というよりも愛情に近いものを感じていたのではないか――そいう設定の登場人物ではなかったのかと、勝手に思いました(笑)。
S・ペキンパーの演出意図がほんとうはなんであったのか、ぼくなどにはわかりませんが、ぼくがそのように勝手に想像する余地は与えてくれました。
同性愛、異性愛というけれど、ようするに愛情なわけで、映画が人間を描き、さらには人の生きている社会を描くのであれば、あらゆる形の愛情や生き方が描かれているほうが自然で、表現がより奥深くなるように思います。人は決して一色でくくれない生き物ですから、たとえテーマがなんであれ、ワイルドバンチのようなバイオレンス映画の代表格みたいな映画でも、色々なことを考えさせてもらえます。
監督の人間に対する目って大切ですよね。

ブロークバックもまだ見てないや……今度見よう。

映画の重さ

「王の男」の様に初めからゲイ映画だという先入観を以って望める作品は、考えてみると楽だと思う。
韓国映画やドラマに見る事の出来る<解りやすさ>があって、今思うと喜怒哀楽がはっきりしているし、感情の変化も解りやすいと思う。
解りやすい映画だから、韓国では受けたのだと思います。

オゾン監督の「ふたりの5つのわかれ路」では、表面では夫婦の出会いから離婚までを描いていながら、実はジルという男の、自分では認めたくないホモセクシャルを軸にしているのです。つまらない映画だと思っていたけれど、奥が深かった事が解った時、「ああそうか~」とずしんと重くきました。

「王の男」の映画の重さは、歴史を重ねた重さや王の深層心理にあったのかな?と思います。




コメ取り上げてくださってありがとうございます

コメ取り上げてくださってありがとうございます^^
1910年の時点で『韓国』という国が無かったことに気がついてしまった!と思いましたが、、堂々と間違えてすみません(苦笑)
akaboshiさんのレビュー楽しみにしています。

はじめまして。

いつもakaboshiさんのレビュー楽しく読ませて頂いてます。

ところで
>観るたびに印象が変わるタイプの映画だと感じたからです
とありますが、見る人によっても感想が様々に異なってくる映画だと思いました。日本での不振が残念です。

●Canvasさん。

受験生なんですね。
受験が終わった後の「ご褒美」として、ぜひ取っておいてください。
僕は宣伝手法に文句があるだけで、映画自体は優れたものだと感じましたよ。
ただ、興行的には「コケてる」らしいのでロードショーは早々に終わるでしょうが
二番館とか名画座での上映で、チャンスがあるかもしれませんよ。

●le_gitanさん。

僕、よく思うのですが
人の「愛情」っていうものは「友情」とか「愛情」とか「性愛」という風に、
段階的にわけて語れるような単純なものではないと思うんです。
それって単なる「言葉の問題」に過ぎないというか。

「これは友情だ」
「これは愛情だ」
「これは性愛だ」
という風に、きっちり区別しながら人のことを好きになったり愛してる人って、
本当にいるの?という感じ。

人の感情ってもっと複雑で、常に移り変わっているものだと思うし、
そういう「複雑さ」を表現するのが、そもそも芸術表現とか映画表現の役割であるはず。
それを制作者が自ら「これは○○愛であって・・・」とか語るのって
ものっすご~く傲慢で無神経な態度に思えて腹立たしくなります。
自分の作品を冒涜しているということに気付いて欲しいですね、そういう人には。

だから基本的に、le_gitanさんの言ってることに賛成~(笑)。

●seaさん。

韓国に住んでいる人たちの気質って、日本的な感覚と比べると
感情表現が「オープン」な人が多いんでしょうね。
女性たちも「おしとやかでおとなしい」というよりは、活発で活動的。
「王の男」に出てくる伝統芸能での、女性を表現する仕草を見れば一目瞭然です。

「ふたりの5つのわかれ路」は、ズドーンと来ますよね。
既成の「家族」という形態に対する挑戦状が、映画のあちこちに散りばめられてます。
フランソワ・オゾンらしい尖り方。

●みどりさん。

あ、そうですよね。でもまぁ「今は韓国となっている土地で」と解釈すれば
間違いではないのではないでしょうか。そのままにしときますね。

●Kさん。

「見る人によっても感想が様々に異なってくる映画」って、
本当はそれが映画としての当たり前のあり方なんですけどね。
一色の主張しかなかったり、単純な正解を観客に押し付けるような映画が主流の中で
この映画のように豊かな複雑性を帯びた作品がヒットしたという韓国映画界は
健全だと思いました。

観てよかったと思いますよ。
わたし内心、「え~、観ないとか宣言しちゃってakaboshiさんらしくないよ~」
と、思ってたんですよ。笑
でも気持ちはわかるし、それはそれで正しいことだとも思いました。
これで映画がくだらなかったら、ますます怒り沸騰のakaboshiさんだったと思うけど、
見ごたえのある作品でよかったみたいです。
ただ、キャンペーンが監督とまったく離れたところじゃなくて、監督や主演俳優も巻き込んで
同性愛映画じゃないって宣伝しまくってたのは、何か解せないですよね。
作品が素晴らしかったら、よけいに。そこらへんの事情考えてみるのも面白いかも。

●Kazuccineさん。

でしょでしょ、観てよかったでしょ。
すいません僕、このブログでは結構「おとなしい人」と思われてるらしいんですけど
実は喜怒哀楽が激しくって、そそっかしい奴なんです(←わかってるって?爆)。
たま~に、一時的な感情の垂れ流しもしてしまうので許してくださいませ。
なるべく冷静さを保ちながらの「王の男」レビュー、書かなくては。(←さっさと書けっ!)

 私も「王の男」を二回見ました!akaboshiさんが言うように見るたびにいろんなことを考えさせる映画だと思います。映画を見て、監督や出演者がどのような意図を持って製作したのか、とても興味を持ちました。というのも、CMでは同性愛の雰囲気を醸し出していたにもかかわらず、実際見てみるとそのような印象をもたなかったからです。 
 私もたくさんの資料を読みましたが、ある映画雑誌には、「李氏朝鮮の時代は、男色は日常においてありふれたことで、異性愛と同性愛に垣根はなかった。」とありました。世間の人たちは、この映画は同性愛映画かどうか、という議論をしているけれど、そこに問題があるのだろうかと感じました。それは、akaboshiさんが言うように愛を区別することはできない、そんな単純なものではないと思うからです。現代の認識(異性愛/同性愛と分類する認識)をもって、偏った見方をすると、この映画のすばらしさを見過ごしてしまうのではないでしょうか?見方、感じ方は人それぞれにあると思いますが、私は芸人として、一人の人間として一途に生きようとしたコンギルにとても魅かれました。日本でこの映画があまり評価されないことを残念に思います。
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