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やわらかくありたいなぁ。

2017-08
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岩井俊二「市川崑物語」●MOVIEレビュー

 人生とは、つかみどころの無いものである。

 すでに90歳を越えながらも現役でバリバリと新作を発表している市川崑監督。数々の作品が映画史上の伝説となっているのにも関わらず、新たな伝説が生み出され続けているというのが驚異的。この映画では、市川監督よりも半世紀分(!)年下の岩井俊二監督が、尊敬の気持ちを何の衒いもなく真っ正直に表現した文字通りの「リスペクト映画」そのものである。昨年末に新宿3丁目に開館した新宿ガーデンシネマのオープニング記念作品として現在上映中。
市川崑物語」公式サイト

 このように現役の人物を描く場合、「本人のインタビュー」を中心に構成するのがドキュメンタリー映画としての定番だろう。しかし岩井監督はそこに独自のこだわりを貫いた。なんと、取材をしておきながらも市川監督の喋る映像を全く使わず、過去の回想場面を字幕テロップと写真と、アーカイブ映像のみで構成したのである。

 もしも定番どおりに市川監督本人が語る映像を使用した場合、観客の印象は「90歳の現役監督」が「今も元気にカメラの前で語っている姿」のインパクトの強さに引っ張られてしまい、語られている内容に関心が向かいにくくなってしまう恐れがある。そこを巧妙に避けたかったのだろう。ナレーターを使わず、言葉はすべて黒味の中に浮かび上がる字幕のみ。インタビュー取材したであろう市川監督の「思い出語り」も全て字幕で語るという、徹底して禁欲的なスタイルを貫いた。

 その結果、市川監督の若いときのエピソードの時には、僕も「当時の若者のような軽やかな気持ちで」タイムスリップしたような感覚で見ることが出来た。もしも「90歳のおじいさん」の顔と声で若い時の話を語っていたとしたら、このような効果をもたらすことは難しかったことだろう。

 このスタイルのもう一つの副産物は、岩井監督自身が心で感じたことも同等に「字幕」として表現できたことだろう。

 「客観性を装ったインタビュー映画」の中に、映画の作り手の「主観」を明示することはなかなか難しいものである。しかしこのスタイルならば、すべての言葉が「文字情報」として等価なものとなるため、市川監督の発言に対して岩井監督が「対等な立場からツッコミを入れる」ことも可能になる。実際に、岩井監督は何度も市川監督に対して「字幕の中で」突っ込んでいる。そこがこの映画独自の文法として異彩を放ち、魅力ともなっているのだ。しかもその言葉は選びぬかれた端的なものであり、観客としては想像力の翼を羽ばたかせることが出来る。映画では言葉が少ない方が、実は観客の介入する余地が広がるのである。

女性に囲まれて育った監督と、理論家のパートナーとの絶妙な関係

 映画の前半では「若き映画監督の市川崑」と「伴侶であり脚本家の和田夏十(なっと)」という、日本映画史上の伝説のパートナーの恋物語や仕事に打ち込む日々の様子が、研ぎ澄まされた繊細な表現で説明されて行く。

 幼い頃から女性に囲まれて育ったという、ちょっと「お坊ちゃま気質」の市川崑監督と、今で言う「バリバリのキャリア・ウーマン」的なキャラクターで理論家だったという和田夏十さん。互いが互いの足りない部分を補い合いながら、この最良のパートナーが生み出した作品群は、50年代~60年代前半の日本映画界を文字通り牽引し、時代の寵児になる。

 しかし60年代になると娯楽メディアの中心は映画からテレビへと移行し、市川監督と言えども従来のように作品を量産できる立場ではなくなってしまった。この時代の映画監督は皆、苦境に立たされたのだ。その流れの中で市川監督が1965年に記録映画『東京オリンピック』を手掛けたことを機に、和田夏十さんとの「映画監督」「脚本家」としてのパートナーシップは終焉を迎えてしまう。

 その後、市川監督にとっては長い「迷走期」がやってくる。テレビで時代劇を手がけたり、高校野球の記録映画を手掛けたり。いわゆる「食うための仕事」に時間を割かれてしまうのだ。やがて、角川春樹事務所とのコラボレーションで金田一春彦シリーズがヒットして映画界の第一線に返り咲くのだが、表現者として苦しい時代があったことは否めない。その同じ時期、脚本家としての第一線を退いた和田夏十さんは、ガンに侵されていた。83年に死去。

 とかく「男っぽい女」であると言われることの多かった和田夏十さんと、「女っぽい感性」を持つと言われることの多い市川崑さんとの関係は、この時代の社会における「ジェンダーのあり方」を見つめ直す視点から語ってみても面白いのかもしれない。

 「ふわふわしたところ」に映画的な豊かさを

 この二人を中心に描いた前半部分では禁欲的に挿入されていただけの「当時の映像」は、後半になると解禁されたかのように怒涛の波状攻撃となって観客に迫り来る。この60年間、市川崑監督が生み出してきた豪華絢爛な映画絵巻の膨大さと幅広さには舌を巻く。

 市川監督はジャンルを越境し、失敗作も含め、ありとあらゆるタイプの作品を生み出してきた。特に、女優を美しく撮ることにかけては定評があり、美しさの裏に滲み出てくる人間本来の哀しみや毒気を、嫌味なく丁寧に映像として定着させられるセンスは独特の凄みがある。真の美しさとは「清濁併せ呑んだ人間」から発せられるものなんだということを、理屈を越えた部分で感じさせてくれるのだ。

 「理詰めで計算し尽くされていて啓蒙的で強圧的な映画」ほど詰まらないものはない。どこかしら隙間があって「ふわふわしたところ」にこそ、映画的な豊かさが宿っていたりするものだ。そんな独特の持ち味は、どうやら市川監督本人のキャラクターとも通じるものであるようだ。岩井監督はそこに最も惹かれたようであり、市川監督の日常的で些細な「ちょっと笑えるエピソード」に絡ませながら、お茶目な人柄を紹介している。

 今回の映画制作で大監督と向き合うことになった岩井俊二監督は、自分が感じた「つかみ所の無さ」を正直に映像として定着させることに集中したようだ。だから、この映画も全体的に「ふわふわ」していて「つかみ所」がない。きっと、「どうつかんだらいいのか」がわからなかったんだと思う。そんな岩井監督の格闘ぶりが伝わってくる映画だった。

 そもそも人の生涯なんて、そう簡単に「つかんで」単純化できるものではない。しかし、あたかも「つかんだ」気持ちにさせる強引で浅はかな表現に終始する「似非映画」の、なんと溢れ返っていることか。「わからない」ものを「わからない」と提示することも、一つの勇気なのである。

市川崑監督のDVD化作品その他一覧
岩井俊二監督のDVD化作品その他一覧


僕が観たことのある「めくるめく市川崑監督作品」を思い出してみた。

「ビルマの竪琴」(1956年)・・・三国連太郎主演の超有名反戦映画。のちに中井貴一主演で監督本人がリメイク。

「炎上」(1958年)・・・原作は三島由紀夫の「金閣寺」。どうしてタイトルが原作とは違うのかが気になる。ドモリの主人公の鬱屈した内面を市川雷蔵が親しみの持てる名演技で表現。

「野火」(1959年)・・・戦場で人肉を食べてしまうほどの飢餓状態の中で見えてくる人間の本質。生き延びた者の感じた境地を象徴的な映像イメージでシンプルに描く。大岡昇平の戦争文学の映画化。

「おとうと」(1960年)・・・岸惠子さんの大ファンである僕として、彼女を語るには絶対に欠かせない名作の一つ。現代に置き換えると中山美穂のようなアイドル的美貌の岸さんと、「弟フェロモン全開」の若き日の川口浩が取っ組み合いの大喧嘩をしたりする場面も。岸さんは市川監督と相性が良いみたいで、たくさんの作品に出演している。

「黒い十人の女」 (1961年)・・・モノクロでスタイリッシュな映像美の中、男をたぶらかす小悪魔キャラの岸惠子さんの魅力あふれる、すごく格好良い映画。クールな「S女」の魅力でいっぱい。

「東京オリンピック」(1965年)・・・冒頭の「破壊」のイメージが痛烈な社会批判とも読み取れる。しかし劇映画畑の市川監督が、なぜこの企画を?という疑問も拭えない。

「犬神家の一族 」(1976年)・・・カット割りがスピーディーで斬新で、呆気に取られた。没入しすぎると呼吸困難に陥るので注意。

「悪魔の手毬唄」 (1977年)・・・悪女役の岸恵子さんが怖くて夢でうなされたトラウマ映画(爆)。

「細雪」(1983年)・・・岸惠子・佐久間良子・吉永小百合・古手川祐子という「この世のものとは思えない美人4姉妹」が胸の裡に秘めた魔性の恐ろしさ。作家・谷崎潤一郎の描く女の世界は本当に怖い。

「ビルマの竪琴」 (1985年)・・・なんといっても川谷拓三の演技が良い。

「どら平太」 (2000年)・・・スピーディーでスタイリッシュな映像の見事さと編集の切れの良さに圧倒されて・・・物語を全く覚えていない。(←それってどうなの?笑)

「観なくちゃ」 と思いつつ先延ばしにしている市川崑監督作品

「こころ」(1955年)・・・夏目漱石の「元祖ふわふわ小説」が原作だから、市川監督の個性にピッタリなのではないかと期待。

「穴」(1957年)・・・京マチ子のメイクと演技がスゴイらしい。

「雪之丞変化」(1963年)・・・仇討ちのために女性に化けていた男の話であり、男役と女役両方での見せ場がふんだんに盛り込まれた大衆演劇の定番。長谷川一夫主演。

「古都」(1980年)・・・山口百恵・三浦友和主演で岸惠子サマも御出演。絶対観なければ。

「鹿鳴館」(1986年)・・・三島由紀夫原作。菅原文太、浅丘ルリ子、石坂浩ニが主演って・・・濃すぎて目眩がしそう。

「天河伝説殺人事件」(1991年)・・・中森明菜が主題歌唄ってたことしか知らなかったけど、岸惠子サマが出演しているらしいんです。これは観なきゃ。

「かあちゃん」(2001年)山本周五郎原作の、言わずと知れた岸恵子サマ主演映画。年とってからも主演が出来るとは恵まれた存在です岸さんは。しかし、これを観ていないのに「岸惠子ファン」を名乗るのは・・・イケませんね(笑)。FC2 同性愛Blog Ranking
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コメント

この記事へのコメント

市川崑というと……

ぼくなどは「木枯らし紋次郎」ではじめてその名前を知りました。いくつの時かは言いませんよ。歳がばれるから(笑)。和田夏十さんの作詞による主題歌「誰かが風の中で」のかっこいいギターのイントロと峠を向こうから登ってくる木枯らし紋次郎の孤影はビジュアル的に最高でした。その後、現代劇で「追跡」というドラマも演出されていた記憶があります。主題歌も和田夏十、小室等、上条恒彦トリオ、出演は中村敦夫さんでした。これも良かった。そして、丹下左膳。この主題歌「かげろうの唄」も和田夏十、小室等コンビでした。名曲です。
ぼくにとっての市川崑体験は、だからテレビが最初でした。その後、映画を見ることになりますが、(ごめんなさい)もの凄く好きな作品と、ちょっとなあ……と思う作品があります。
ぼくにとっての市川映画は、はまれば天にも届くかと思わせる冴を見せるけれど、外せばゴメンナサイといったところでしょうか。
ただ、個人的な意見ですが、岸恵子さんの出られている作品は好きです。「かあちゃん」という作品はいまでもときどき、こっそり(見る必要はないんだけど)見ています(笑)。最初、ミスキャストでまた外すかと思ったんですが、意外や意外、これ良かったなあ。まさかあの(山口百恵のパリのおばさん)岸恵子さんが、江戸の下町の子持ちのおっかさんをあそこまで演じるとは……。
「子供のためなら、身の皮をはいでも食べさせてやりたいと思うのが母親だよ」
 と、言う岸さん。じんときましたね。ああいう演技を引き出すのも監督の力でしょうか。

●le_gitanさん。

「木枯らし紋次郎」まったく見たこと無いんですが、
主題歌の作詞を和田夏十さんが担当していらしたんですね。
監督と脚本家としての共同作業は1965年に終わっても、その後も組んでたんですね。

僕にとっての「市川崑」は、かなり岸恵子さんと連動しています(笑)。
「市川崑だから観る」というよりは、
「岸さんが出てるから」とか「名作だと言われてるから」観るという感じ。
一人の映画監督としての作家性を意識することってあまりなかったのですが、
このドキュメンタリーを観てみると、見逃していた作品の中も含めて考えると
「市川ワールド」が築かれていたんだなぁと気付かされました。
たしかに、当たりはずれが激しいですよね(笑)。
でも、「どら平太」を観たときには、尖った映像表現に驚きました。感性が若いっ!って。

岸さん主演の「かあちゃん」、観なくちゃですね~。

 私、大好きなんですよ。 「犬神家」と「手毬唄」
 これぞ70年代と叫びたくなるような怪しさが、映像から滲み出てくるじゃありませんか。
 格調高い作品なのに、映画館よりお茶の間のテレビで見るほうが似合うのはナゼ・・・・
 監督は違うけど「悪霊島」もよいです。 もし未見なら激しくおススメです

●有没有烏龍茶さん。

あ~。なんかわかります。
市川崑独特の「ベタさ」ってありますよね~。
「2時間ドラマと映画の中間」みたいな感じの。
レンタルDVDじゃなくてレンタル「ビデオ」が似合うような。

「悪霊島」まだ見てないです。
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