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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2023-06
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ふたたび小山田二郎展へ・・・完全に虜と化す。

いいと思ったものは、何度でも見る。自分にとって本当に優れていると感じた物は、そのたびに新しい発見をさせてくれるからだ。
小山田二郎の絵はきっとそのはず。そんな確信を抱いて再び東京ステーションギャラリーへ。

確信は正解だった。二回目だというのに、まるで全く別の展覧会を見に行ったかのように新鮮だった。

なんなんだろう・・・この人の絵は。絵と向き合う時間が嬉しくてしょうがない。
時間が許せばいつまででも見ていられる。出来るものなら自分のものにしてしまいたい。
完全に、彼の絵の虜になってしまった・・・。

遺作は、孤独だけど自由な姿

今回は二回目ということもあり、あえて順路を逆から辿る。遺作「舞踏」から見てみたかったから。
・・・学芸員の人は不審な目で見ていたけど(笑)。
最後の部屋にひっそりかかっていた遺作は、未完のようにも思えてしまう作品。穏やかな光を感じさせる色彩の中、3人の人物が各々の舞踏を踊る姿がスケッチのように描かれる。
彼がこの絵を、死を予期して描いたかどうかはわからない。しかし最後の最後まで、人間の孤独を表現しようとしていたことが確認できる。
三人三様でバラバラな踊り。しかし、ささやかながら自由を享受しているかのような爽快感を漂わせているのが印象的だった。

大作を乗り越えた「殺された」

今回ひときわ僕の目を引いた絵があった。1969年に描かれた「殺された」という作品。
赤いショールをかぶった母親らしき人物が、殺されて青くなった子どもを抱えている。
この構図と主題、どこかで見たことがある。そうだ、展覧会のチラシの表紙に使われている「ピエタ」と、とてもよく似ているのだ。
(チラシは前回の記事参照)

「ピエタ」は1955年、彼が41歳の時のもの。油彩で描かれた大作で、彼の評価を決定付けたであろう作品。
その14年後、55歳の時に描いた「殺された」はささやかな水彩画ではあるのだが、僕にはこちらの方がずっと心に迫ってきた。
「ピエタ」での母親は、嘆き悲しむ表情を露にして天空を仰いでいる。そこからは突き放された空虚感の中で、なおも生きて行かなければならない母親の存在が大きく迫ってくる。
それに対して「殺された」での母親は無表情で殺された子どもを見つめている。
ただ、見つめることしか出来なくなっている。
子どもを抱える母親の手も、力なく青ざめてきている。
まるで、母と子が混ざり合って一つになり行く過程を見ているかのようなのだ。

小山田二郎は「殺された」で「ピエタ」を乗り越えたかったのかもしれないと・・・僕は勝手に想像した。「殺された」での表現の方が、より生々しいし具体的かつ人間的なのだ。「ピエタ」に見られるような絵画としての気取りもない。正直、僕は「ピエタ」を見てもなんの感動もおぼえなかったのだが、その理由がわかったような気がした。
やはりこの人は誠実に、過去の自分までをも脱ぎ捨てて常に生まれ変わるということを意識的に行なっていたのだと思う。
彼ほどの才能のある画家が長く続けていると、いつの間にか周囲の賞賛や画壇の権威と無縁ではいられなくなるものだ。そうしたものとはきっぱり縁を切っていたであろう彼の、絵画への志の高さを尊敬せずにはいられない。

血を求めた作家

彼の絵には、夜を連想させる青黒い色調の他に、赤も多用されている。闇の中で浮かび上がる鮮烈な赤は、時に炎のようでもあり、血のようでもある。
特に水彩画での「染み」のような赤の表現は、血痕のようだ。

油彩画ではあまり赤は使われていないのだが、近づいて見てみると、合板に描かれた作品には無数のひっかき傷が加えられている。一度描いた絵をわざわざ汚すために、かなりの力を込めてひっかいたに違いない。まるで絵の中から血が滲み出てくるのを求めて、執拗に引っかき続けたかのようだ。
どの絵も、血が通っている。そして、血を流しているのだ。
血は、生き物としての本性。
彼は暴力的なまでに血を求めた作家である。

鳥女の恐怖。女性への畏怖

彼は頻繁に「鳥女」というタイトルで、グロテスクな鳥を擬人化して描いた。くちばしは鋭く今にも突っついて来そうな凶暴さ。ふくよかで強欲そうに着飾った鳥女。
怖い。
まるで、僕が普段「女性性」というものに対して本質的に感じてしまう嫌悪や恐怖が表現されているかのようであり・・・背筋が寒くなった。
男性としての身体を持つものが、女性に本質的に感じてしまう異質感、恐れ。自分を産み落とした肉体への畏怖。でもそれは尊敬心の裏返しでもあるのだが。
女性というものをこれほど忠実に表現した絵は、かつて見たことがない。そして、本質が露わな分、どんな美しい(とされる)ヴィーナス像よりも美しい。
彼の画家としての生涯では常に、女性が傍らでサポートし続けた。身近な他者から受ける本能的な感覚が鬱積され、「絵」として表現せずにはいられなかったのだろう。
僕には鳥女の絵は怖い。怖いけど、どうしても逃れられない「母親」というものへの複雑な気持ちを想起させられた。
・・・鋭いくちばしで攻撃され、肉をほじくり出されそうな恐怖心。
息子というものは母親に、こうした感情も抱えている。

作品は、作家の排泄物だ

人は、他者や世界との関わりなしには生きられない。
小山田二郎という人間が日常を生きるにあたって鬱積された、たくさんの毒。
それを絵という形で排泄しないと、彼は生きて行かれなかったのだろう。そうしたことを意識的に忠実に行なうのが、本物の「作家」である。
彼の毒と僕の中の毒は、かなりの割合で共鳴し合った。僕の中にも排泄されずに鬱積する毒がある。また、それは生きている以上誰の心にもあるものだ。

排泄されたがっている毒を、どうやって排泄するのか。
そのことを考えはじめた時に、人は作家になる。
生きていれば誰だって作家になる素質を持っている。
日々鬱積される毒と、正直に向き合えばいいのだ。

表現方法はなんでもいい。
自分に向いたもので、無理せずやればいいのだ。
そして、毒を自分なりの方法で排泄していれば、
本当の意味で健康に生きて行けるのだと思う。


●「異形の幻視力~小山田二郎展」5/28~7/3東京ステーションギャラリー
●前回6/27に見たときの感想はこちらです。
文京アートのホームページに、小山田二郎情報があります。
●奥さんの小山田チカエさんへのインタビュー記事を見つけました。
本を散歩する雑誌スムース
「小山田チカエさんに聞く」

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コメント

この記事へのコメント

もっかい行ったんですね。私の一番印象に残ったのは、遺作の「舞踏」でした。なんか、「やっと終われる」ようなホッとした解放感を感じられました。死を悟っていたように感じました。後は、あんまりうまく語れないので書けないんですが、水彩画がこんなに圧倒的だと思わされたのは初めてでした。作品は、作家の排泄物だ、ってなかなかの名言ですね。技術云々の前に、表現せざるをえないたっぷり蓄えられてしまった毒は、まるで麻薬みたい。

自分もこの絵好きです。迫力あります。小山田チカエさんのインタビュー興味深く読みました。アノ時代のロシア文学を読む人達は同士、っていうのを聞いてちょっとなごみました。二人の政治的思考が伺えます。
akaboshi07さんのblogには珍しい顔入り写真では!?ブレ具合がイイですね。

●うめぽちさん
遺作、やっぱり死を悟っていたのでしょうかね。
たしかに、楽に書いたような印象をもちました。
表現せざるを得ないものがグワ~っと湧き上がってきて結晶するものが
本物の表現だと思います。
義務でやらなきゃいけなかったり、惰性で作ってしまうものには
人の心を撃つ力は、ないと思います。

●flowfreeさん。
二人は同士だと感じたんでしょうね。そういう出会いってうらやましいです。
彼の絵の虜になった奥さんの気持ち、
今回また行ってみたことでとてもよくわかりました(笑)。ハマります、あれは。
でも、奥さんにとっては明らかに自分のことを書いているかのような絵もあって、
しかもかなりグロテスクで・・・どういう気持ちだったんでしょうね。
けっこう、この奥さんだったら楽しんでいたのかもしれませんね(笑)。
自分の存在が芸術に昇華するなんて、シアワセだと思ってたのかもしれない。
(まあ、実際の日常生活はいろいろと大変だったでしょうが・・・
何度も入退院を繰り返して生死の境をさまよったみたいだし。)
小山田さんの絵を見て、
本当の芸術って、生々しい生活の中から出てくるものだと確信しました。
彼はそのことに対してちゃんと自覚があって、
「芸術のための芸術家」には決してならなかったのです。
小山田さんのそうした生き方が、今、とても気になります。
今後もこの人のことをもっと知るべく、残された言葉がないかどうか
図書館などで発掘作業をしようと思っています。

会期終了間際になって、やっと見に行くことができました。
2周目行ってしまう気持ちわかります。
遅まきながら、TBさせていただきます。

●hさん(鍵コメ)
資料の情報ありがとうございました。知りませんでした。さっそく調べます。
これから、かなりマニアになって行くような気がします・・・。
●santanicoさん、行ってきたんですね。TBありがとうございます。
詳しくはそちらに。

トラックバックを有難う御座います。
akaboshiさんの今回の記事、、、
流れ来るこゝろ根に、強く感激してしまいました。
御寫眞も秀逸ですね。
一人の作家のことを語った短編映画を
観ている気分になってしまいました。
「鳥女」の表現には、今でも八重歯が突き刺さった感じですね。
あそこまで強烈に描いた最中は一体どのやふに面持ちであったのかと・・。

●ろゆふさん、ありがとうございます。
「御寫眞」という漢字の使い方、美しいですね。
写真は、撮り始めると時間があっという間に過ぎてしまって
かなり大変なことになることが多いので
なるべく没頭しないように気をつけることにしています(笑)
自分にとって・・・麻薬のようなものです。
「鳥女」は、制作中は苦しいのかもしれませんが
描き終わった後、本人はもしかしたら
ものすごく爽快な気持ちになったのかも、と思います。
小山田さんにとっての絵というものは、
そういうものだったのかもしれないですね。
●Fさん(鍵コメ)
ありがとうございます。
自分のペースで、今後もやっていきますのでよろしくお願いします。

また見に行かれたんですね(^^)
akeboshiさんの心の琴線に触れてしまったんですね~。。
鳥女。。。ワタシも女性ながら、普段から女性の怖さ・残酷さにはかなりびびっているので、あれ見て、自分も女性だってことを言われそうで、ちょっと怖い気がしました(^^;
確かに、臆病なとこも確かにあるし、滅多に出ないけど攻撃的なとこもあるかもしれないな~(-_-;
絵は排泄物。。。、ワタシも、絵などの表現は、世界を咀嚼して生み出すことだ、と思ってました。言い得てると思います。
でもって、
ろゆふさんの仰る通り、写真、独特の世界で素敵です!
デジカメで撮ってはるのでしょうか??

●benimashikoさん。
琴線に触れまくってしまい、2回目を見に行ってからしばらく
頭がボーっとした日々が続いてしまいました。
会社で仲の良いアルバイトの人にも勧めたら、彼も同じ日に見に行っていたらしく
ショックを受けたらしいです。嬉しかった(笑)。
小山田二郎さんの絵は、まったく受け付けないか、ハマッてしまうかはっきりと
分かれるのではないかと思います。
そのアルバイトの彼は普段から哲学的なことを口にするような人で、
僕となにかとウマが合うので「やっぱりハマッたか」という感じです。
鳥女の絵や、女性の表現については、彼の言い方では
「あれは18禁でしょ~」と言ってました(笑)。
ちょっと過激な言い方ではありますが、ある意味当たっていると思います。
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