フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-10
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王の男ブームを追う009●僕がこの映画を見ない理由

 誤解されると困るので、まずはじめに言っておきますが・・・僕はなにも、この映画を「同性愛映画ですっ!」と宣言してくれと望んでいるわけではありません。ただ、否定するのはおかしいと思っているだけです。

 特に僕がおかしいと思っているのは「同性愛と言われるのは自分にとって負担」とか、 「この作品は同性愛よりも、人間関係におけるもっと大きい愛を描いています。」と、わざわざ監督や出演者が公の場で言ってしまっている態度についてです。

 だったら『王の男』という思わせぶりなタイトルを最初から付けないでもらいたい。これがもし『王の女』というタイトルだったら何を思いますか?・・・王が好きな女について描いた映画なんだろうなぁというイメージを、多くの人が持つのではないでしょうか。つまり、『王の男』というタイトルで、多くの人が「王が好きな男について描かれた映画なんだろうなぁ」とイメージすることを誘導して話題を集めておきながら、そのイメージをわざわざ打ち消そうとする心理の裏には何があるのですかと問いたいわけです。

 もう一つ。「それより奥は、見てはならない」というキャッチコピーが公式サイトやポスター・チラシで使われていますが、いわゆる「同性愛=禁断」の香りを匂わせて関心を引き、観客動員を図ろうとする「同性愛映画にありがちな宣伝手法」だと僕には思えます。『王の男』というタイトルとセットで見ると、そのイメージ戦略は明らかです。こういうあざとい宣伝手法を使っておきながら、一方ではそのイメージを払拭しようとする態度って不思議。

 「男が男に感情的に惹かれること」って、単純に「同性愛」でしょ?。たとえ相手がゲイであるという確証がなかったとしても。相手が同性であり自分が「好きだな」と感じていればそれは「同性愛」。ゲイやレズビアン、バイセクシュアルやトランスジェンダーの同性愛者が日常よく感じている感情です。

 この映画では、王様が旅芸人の男の子を好きになるんでしょ?。たとえ男の子が中性的なキャラクターで、彼に「母親の幻影」を重ねて見ていたのだとしても、男の子だと知った上で好きになり、宮廷に住まわせたりするんだったら立派な「同性愛という感情」じゃないですか。しかも原作ではキスをする場面もあるそうですし。

 だったら「歴史映画」「韓国映画」「恋愛映画」「娯楽映画」「人間愛映画」(笑)と言い表すのと同じレベルで「同性愛映画」と言うことの、何がおかしいというのでしょうか?

 これを「おかしい」と感じたり、そのイメージを払拭しようと躍起になる人は、これまで「同性愛」という言葉に塗り込められてきた様々な汚れた(=汚された)イメージを自分の中に抱えてしまっている人。あるいは同性愛という言葉から、すぐに「セックス」とか「性行為」とか「いやらしさ」というイメージを結び付けて連想してしまう短絡思考の持ち主。すなわち「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」を抱えている人なんではないでしょうか。

 僕は「同性愛に関する表現がある」ということで、この映画に興味を持ったんですけど、違うと言うんなら興味がないので観ませんね。少なくとも僕にとっては「マイナス・キャンペーン」が続いたし、どうでもよくなってきちゃったんだも~ん♪FC2 同性愛Blog Ranking
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コメント

この記事へのコメント

韓国の事情を知ろう!

まあ、役者本人や監督本人の問題としては、韓国におけるキャリア形成において、同性愛を主題にしたことが不利益になる場合もありますので、簡単には断罪できません。ハリウッドで、同性愛を演じたがゆえに干された役者は歴史上何人かいます。そのイメージがパブリックなものになると、そうじゃない映画に出ていても「ホモが出ている」というイメージで見られてしまうのを製作者側が恐れる。
そういうときの常套句が「これは同性愛を描いた映画ではない。普遍的な愛の物語だ」ということになります。

韓国においては、同性愛はやはりまだ抑圧対象です。
数年前にソウルにいったときに、「BADI」の取材をしたんですが、写真は撮られたくないという人が多かった。日本の雑誌だといって、韓国国内では販売されないことが確認されるとでてくれる人が見つかりました。
ゲイ・タウンと呼んでもいいような一角ができていて、そこの開放感は当時としては日本より進んでいるようにもみえたけれども、一方で日本では街角でパンツまでさらす若者が大量出現する状況もできていたころです。
勇気ある人びとによってやっとレズビアン&ゲイ映画祭が開催されるようになってきた。

状況としては、まだ、パブリックに同性愛を語ることは難しいのかもしれません。
そのへんは差し引いて考える必要があります。

先日の「YES」の記事については、現状の日本へのメッセージとしては、確かに弱いかもしれないのですが、韓国における同性愛受容の現状を鑑みて、役者のイクスキューズがどうであれ、同性愛を描いたことは立派なことなのかもしれません。
お隣の国でも、事情はいろいろ違いますので、日本の状況をもとに判断をしてしまうのは、かわいそうな気がします。

映画のパンフレットのキャッチコピ-「それより奥は見てはならない」は恐らく、日本側でつけたのでしょうが、やはり、あまりにあざとい感じがして、不愉快ですね!関西での映画の
宣伝広告もやはり、客集めのいわゆる『・・・禁断の愛』的たぐいの悲しくなるようなもの、
韓国俳優・スタッフが同性愛的なもの打ち消そうとする背景は国情から玉野さんの言われているようなことなんでしょうが、・・・やはりこの映画に関する日本側のアピ-ルの仕方は
ゲイの当事者の私としては、腹立たしいものがありますネ!

akaboshiさんも見ましょうよ~

今晩は。
私は正規中国版DVDを購入して数回見ましたが、
確かに何と否定文句が付与されようと、同性愛を描いた映画ですよね。
社会的圧力も有り、外部に向けては製作サイドからの『同性愛テーマの否定』も生じたかとは思いますが、
ホモフォビア同調のコメントや解釈から離れて映画そのものも体験しないと、『現在の韓国の同性愛への社会反応』への見方が一面的になってしまうと思います。
日本が植民地統治下に置くまで貴族文化だった韓国で、王朝文化への誇りと一緒に同性愛が取り上げられているという点で、意義深い映画だと思いますよ~

ちょっともの申します

知らない仲じゃないから、あえて玉野さんの意見に苦言を呈しますね(悪しからず)。

十数年前、日本のゲイ事情を報告するアメリカのアクティヴィストなんだかジャパノロジストなんだか知らんが、訳知り顔に日本には日本の事情があって、いちがいにカムアウトを奨励できないなどと書いている文章を読んで当時のわたしに思い浮かんだのは、この裏切り者め、という言葉でした。

日本の事情はおれらが考えるから、おまえはおまえの立場でおれらを励ませよ、援護射撃しちよ、と思ったものです。

韓国の事情は韓国の人たちが考えればよい。もちろん、それは私たちも知る必要があるだろう。しかし、そのうえで私たちが言わなければならないのは、韓国で、そういうことに臍を噛んでいる人たちに、だいじょうぶだ、おれらも応援するぞと言い添えてやることであって、まあ、しょうがないんだ、わかってるさ、だからみんな斟酌してやれよ、ということではないんだとわたしは思います。経験上ね。

王の男という映画に付随するいろいろな事情はあるでしょう。しかし、私たちが言わねばならないのは、韓国にも必ずいるであろうそんな事情をクソッと思っているひとたちを支えることであって、現状を擁護するようなディスコースではないはずなんだよ。それはな~~~んにも意味がない。むしろ、邪魔。

おそらく韓国のひとの中にakaboshiさんのこのような怒りの文章を見て、よく言ってくれた、と思う人が必ずいる。わたしはそういう人たちに向けて言葉を発していきたいと思います。逆にakaboshiさんの日本からの怒りを、「な~んもわかってない。自分の立ち位置をわかってないんだ」というように批判する韓国のひともいるでしょうが、そういうひとは、立場を日本に置き換えると、十年前の日本でも無効な人たちでした。

わたしがいま韓国に生きていたら、akaboshiさんのこのテキストはうれしいと思うなあ。

でもまあ、BBMも「普遍的な愛」ってキャンペーン張ってたし(笑)、映画自体は製作者の思惑を離れてひとりで何かを語ることもある(BBMはむしろそれに自信があったからこその確信犯的な一般迎合キャンペーンだった嫌いもなきにしもあらず)。「王の男」、制作陣がどうであれ、見てまた報告してほしいところですけれど。

やっぱり見なくちゃ解らない!

>たま~に細かいことにムカつく神経質ぶりを披瀝しながらも、暖冬のおかげでなんとか元気を保っているakaboshiさん、私だって、この映画のサブタイトルもどきには飽き飽きしたもんです。実際に映画を見てみたら、コンギルとチャンセン、王とコンギルという同性愛は存在するけれども、単純な肉体関係は皆無で(王がコンギルに迫るとかの)あえて言うならば、想いの深さが3人を際立たせていたと思いました。

サブタイトルのくだらなさは、この映画に限った事ではないので、現状では無視する方が良いと思いますね。
やはりご自分の目で確かめる位の心の余裕はほしいな~

最近この映画について話した韓国人の友人も、3人の演技力については絶賛していました。
『王の男』と言うタイトルはコンギルを示すのでストレートに『コンギル』と言うタイトルが良かったと思うのです。

●玉野真路さん。

韓国の同性愛者たちも、頑張っている動きがどんどん表面化してきています。
映像作家のキム・キョンムクさんは、おそろしいほど先鋭的な活動をしていますし
ちゃんと一定の評価を韓国アートシーンの中で受けています。
こういう若者たちの動きというのはいずれ確実に、
メインストリームに影響を与えるでしょうから要注目です。

●キム・キョンムク「顔のないものたち」●MOVIEレビュー①
http://akaboshi07.blog44.fc2.com/blog-entry-413.html
●キム・キョンムク「顔のないものたち」●MOVIEレビュー②
http://akaboshi07.blog44.fc2.com/blog-entry-415.html

●涼さん。

日本側の配給会社の広報スタッフが、宣伝戦略を間違ってますよね。
本当は意識するべき「LGBT当事者達のマーケット」に
反感を呼び覚ますようなPRを繰り返してマイナス・キャンペーンを行っている。
そのことに気付くべきだと僕は思います。
もう「同性愛色を消す」なんていう、小賢しいことをする必要のある時代は
とっくに終わっている!この日本でも。

●みどりさん。

「日本が植民地統治下に置くまで貴族文化だった韓国で、王朝文化への誇りと一緒に同性愛が取り上げられているという点で、意義深い映画だと思いますよ~」

むむっ。
・・・すっごく見たくなるコメントでございます(笑)。
配給会社も、こんな風にストレートに宣伝すればいいのにね、隠さずに。

●きたまるさん。

きたまるさんにも観ることを薦められた・・・うわっ、どうしようかな(笑)。
映画自体は見たいんですけど、「出資する」のが嫌なんですよね、今のところ。

●seaさん。

おまけにseaさんにまで・・・(笑)。
「ご自分の目で確かめる位の心の余裕」・・・あぁ~、なんかグラッと来ます、この言葉。

キム君

キム君は、トニー・レインズが絶賛してましたから、国際舞台にでていくことでしょう。
韓国は、先日のストックホルムの宣言にも署名したし、これからどうなっていくか興味ありますね。
ただ、そういう先鋭なアンダーグラウンドな動向と、一般大衆の意識は乖離しがちなので、そこも注意が必要です。

●玉野真路さん。

真に先鋭な人は「一般大衆」という風に「大衆」を自己と乖離したものとしては見做さず
自分はその一員なんだと言う意識を常に持ち続けている人だと思います。
乖離するような「先鋭」とか「アート」をやっている人は、本物ではないと僕は考えています。

難しいところで・・・

本人がどう自己規定をしているかということと、大衆の意識が実際にどうあるかというのは、必ずしも一致しないのですよ。たとえば、大木裕之は「大衆」のなかにはいって、映画を撮っていきますし、彼もその一人だという意識はだれよりももっているはずです。しかし、残念ながら、彼の作品が大衆に受容されているとは言いがたい。そもそも映画館でロードショーにもかからないw

ぼくは、先鋭なものが、ある種の「浮世離れ」をしてしまうのはある意味仕方ないと思います。その人が、本気で問題を摘出したり、創造的な精神を発揮した結果、なかなか理解されない作品が出来てしまうことも多い。

「アート」なるものを、だれが評価しているのか、という問題でもありますが、そこに「大衆」はほとんど関与していないんです。視聴率のような大衆の一般意思が介在せず、一種の「賢人」が評価にあたる(まあ、その結果、愚人が評価に当たっている場合もあります)。

日本に一時期多くできた、地方の現代美術館は地元の人びとにはほとんどわけのわからない税金の無駄遣いといわれたわけです。それが「アートではない」とか「本物ではない」ということも可能ですが、そうなるとアートが持っている批判精神が損なわれます。テレビ番組の頽落をみればいいことです。

評価のありかたは良し悪しですが、大衆が評価にあたらないがゆえの強みもあるんですよ。

キム君の作品が、韓国でどれくらい売れているのかはしりませんが、韓国国民の一般意思を背景に表舞台に出てきたわけではなく、トニー・レインズなどの数人の力のある評論家に評価されたことは間違いないでしょう。

逆に、大衆の関心を引き付けながら、じつは深い真理に達している映画もあります。

●玉野さん。

あくまでも僕の意見ですが。
芸術家が「作品作りのためだけに生きている状態」というのは、
やはり特権階級としての生き方なんですよ。
どうやって生計を立て、どうやって日々、暮らしているのか。
その人の生き方(ライフスタイル)って作品に如実に表れてくると思うんですよね。

そもそも「自分は社会に生きる無辜の民の一員だ」という意識が本当にある人は
「大衆の中に入っていこう」なんていう発想自体、わざわざ持たないはず。
そういうことを言い出した時点で既に、自分は相当「乖離してしまっている」という自覚を
表現者としての危機意識として持たなければいけない。

生活感情の中から「やむにやまれず生み出されるもの」こそが「芸術」。
だから「芸術」は、「いわゆる芸術家」には生み出せないものだと僕は思います。
・・・って、いつの間にかここで芸術論を語って、一体どうしようというのでしょう(爆)
言葉だけで語っていると、空しくなってきますね~。
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