LGBT可視化に向けて042●「就職活動フェア2007 for ゲイ・バイ男性」参加記02~当事者社会人が語るライフヒストリー

まずは、現在社会人として働いている当事者たちが、自身のライフヒストリーや、現在の職場での過ごし方を語ってくれました。カミングアウトの度合いも考え方も各人それぞれであり、職種によって随分と「ゲイとしての過ごしやすさ」に違いがあることがわかります。皆さん緊張気味に話していましたが、とても生々しく自身の「日常感覚」について語ってくれたので、その語り口からパーソナリティーがよく伝わってきて、親しみが湧く好企画でしたよ。個人が特定される恐れのある固有名詞については省きながら、どんなことが語られたのかを紹介します。

「ゲイ」ということを出して人前で話すことははじめて。社会人4年目。高校2年の時にゲイを自覚した。高校時代には彼女がいたのだが、好きだったけど、手を繋ぎたいとか性的欲求はわかなかった。同時に気になる男の子がいるということで、周りと自分が違うと気付いた。そして次第に自然と彼に惹かれて行った。
好きなものを否定する気はないし、かといって自分からあえて周囲に言うつもりもない。つまり、グレーな状態に昔も今もいる。しかし母を病気で亡くし、母の死後、後悔の念にさいなまれた。姉にはゲイであることを話した。その後、10歳年上の男性と付き合った。
大学3年の終わり頃から自分が今後どうやって生きようかと考え始めたが、ゲイであることについては深くは考えなかった。もしも、きっかけがあったら話すという感じ。嘘はつきたくないから。飲み会の席などでは周囲に話を合わせている。

「一ゲイである以前に、一社会人である」。だから、社会人として他人と接する際にスムーズにコミュニケートできるために「男」として捉えてもらえるように振る舞うようにしている。父親にはまだカミングアウトしていない。同僚のゲイたちにも、あまり公にはしていない。
ノンケの人たちが女性とSEXする感覚が、自分にはわからない。だから自分のことも、ノンケの人たちにはわかってもらえないだろうと思う。自分に嘘はつかないでいた方がいいとは思うが、社会で生きて行く以上は、大多数の方々に歩調を合わせて行くことが必要であるという面がある。社会的な団体行動には従う。
もしも風俗に誘われたりしたら自分は断る。でも、求められれば飲み会で「男」として裸踊りもやったりする。社会的な顔だけではなく、本当の自分を出せる場所(ゲイの友人たちとの時間)があれば、なんとかやって行けると思う。

(研修医の格好=白衣を着ているので)自分だけコスプレみたいですが(爆)。趣味は水泳でヒゲ・短髪がタイプ。高校時代から人間と脳に興味を持った。いわゆる「ガリ勉」で、その頃はゲイであるという認識は薄く、女の子と付き合いながらも男性に目が行くことには気が付いていた。
大学3年の時に、たまたまサイトで同性愛者の団体を見つけ、ゲイ男性が自分のことを語る会合に参加した。10人程度が輪になって座り体験を語る。言いっぱなしであることが原則であり、その場で結論は出さないという方針の会合だった。そこに参加したことでゲイである自分を受け入れることが出来たし、グループカウンセリングという方法に興味を持った。ゲイであることで生まれる人との繋がりを大切にして行きたいと思うようになった。

今は、プライベートで二丁目に遊びに行ったりする生活。周囲の女性にはカミングアウトしているが、男性にはまだしていない。過去、それをして嫌なことがあったから。
職場では「ノンケ」ということで通っている。精神科医には変わった人が多いし、個人プレーで動いている人が多いので、ゲイやバイには働きやすい環境だと思う。以前、職場で「週末は誰と何処で遊んでるの?」と質問されたときには、思わず止まってしまった。そのときに思った。社会人というのは職場以外の場で人と出会うことが少ないので、そういうのが気になるんだろうなぁと。
患者にかわいい子が来ると、正直嬉しい。そういうときに自分は同性愛者なんだと意識したりもするが、「人の印象は話が2割、仕草が8割」とも言うので個人的な感覚が出ないようにと気をつけている。
今は、週末に発散していて平日は働く、という感じ。将来的には「セックス・アンド・ザ・シティー」の主人公たちをゲイに置き換えたような生活に憧れる(笑)。

2丁目デビューは高校2年の時。当時はネット普及以前であり、雑誌の文通欄などが出会いの場だった。今は事件や芸能記事の担当。海外の取材先に行ったとき、プライベートで現地のゲイバーに行ったりもするが、日本人はあまりモテないということを知る(笑)。就職活動の時には「人のためになる仕事がしたい」と思っていたので、消防庁を受けたりもした。
カミングアウトは、している。嘘をつきながら人との関係を築くのが嫌だから。家族以外の人たちには、ほぼ知られている。オープンにすることで人脈は広がった。ゲイバーで、隣にタイプ以外の人がいても愛想よく振舞うようにしたら人脈が広がるようになった(笑)。
スポーツ系のゲイサークルにも所属しているのだが、自分が知らない業界の人とかと知り合えるし、興味のない話題も耳に入ってくるので有意義だ。ゲイの幅広い人脈・ネットワークってすごいと思う。

今はシングル。浮気されて別れた。今後、自分はゲイとして、どう自立して生きて行けるのかをよく考える。
マスメディアの世界でもゲイはまだまだ「キワモノ」扱いなのが不満。編集局長は明らかにゲイ嫌いで、ちょっとヤな感じ。
ゲイだからってことは、就職活動では特に意識しないでいいと思う。(東京でずっとゲイライフを楽しみたいとかいうのなら別だけど、笑)。最近は元気な若者が少ないので、カラ元気でもいいから元気を出して臨んできてほしい。また、印象深い言葉に出会ったりしたらメモをとったりして学んで欲しい。

IT企業の会社説明会でプレゼンテーションを行ったり、採用を担当したりしている。ゲイ・デビュー11年目。平日と休日の顔を使い分けている。つまり土・日は酒に溺れている(笑)。
最初は、当時の出会い系とも言うべき「MEN TALK」(テレフォンクラブ)で、年上の人と出会った。別れた後で、二丁目に出入りするようになった。ゲイ雑誌の企画で、当時付き合っていた人とのイベントを行ったとき、妹にはカミングアウトしたが両親にはまだ。
今でも基本的にはクローゼットであり、会社では言っていない。ちょっと面倒くさいが、非常に仲良くなった人には言ったりもしている。今のところ、仕事で困ったことは全くなし。
この年(28歳)になると周りが結婚し始めるし、親からも言われ始める。風俗とか合コンは「強制」されるが、とりあえず周囲に合わせて行っている。上司から「この娘かわいいだろ」と言われても、とりあえず「かわいい」と答えることにしている。
20代は修行の時。30代になったらヘッドハンティングされるのが目標。仕事は仕事。プライベートはプライベート。社会とは自分の人間性のみでやって行くところだ。
平日はノンケのつもりで暮らしている。その代わり、土日に暴れている。

適材適所。そこに「ハマれるか」どうか、「見つけられるかどうか」で日常の過ごしやすさは全然違いますからね。なるほど。世の学生たちはそのために、とりあえずマニュアルどおりの方法でもいいから「自己PR」という物語を創作し、自己演出を施しながら就職活動という戦場へ漕ぎ出して行くんだねっ!(←今さら学ぶなっつーの。笑)。
新聞記者の方以外は、職場では基本的にクローゼット。週末は新宿2丁目でゲイとしての自己を発散!というパターンでした。そういう「2丁目ネットワーク」に属している人だからこそ、こういう場に出てきて語ることが出来るのでしょう。実際には2丁目に出入りしないゲイもたくさんいますし、大都市以外に住んでいるゲイにとっては彼らのような「週末に発散」する場がなかなか無いという現実もあります。今でもそのような人たちの方が多数派なのではないでしょうか。(クローゼット度が高い分、声が小さいしゲイ・メディアにも登場しにくいので、なかなか見えにくい存在なんですけど。)
次回は就活を終えた方からの話、大学就職課への取材報告、リーマン・ブラザーズ・ゲイ・アンド・レズビアンネットワークの担当者のお話などをご紹介。→FC2 同性愛Blog Ranking
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コメント
この記事へのコメント
みんな人それぞれだなあ
まあ、当たり前なんですけどね。
教育関係者の話があったら是非聞きたいですね。
おもしろいのは研修医さんの話でした。
患者さんにかわいい子がいたらうれしくなるんだな。
教育関係者の話があったら是非聞きたいですね。
おもしろいのは研修医さんの話でした。
患者さんにかわいい子がいたらうれしくなるんだな。
●Kazuccineさん。
患者さんに可愛い子がいたら嬉しくなるのは、なにもゲイだけではなく
よくある話ですよね(笑)。
教育関係のゲイの方々による組織には、
こういうものもありますよ↓
http://www.geocities.jp/kaito213/
よくある話ですよね(笑)。
教育関係のゲイの方々による組織には、
こういうものもありますよ↓
http://www.geocities.jp/kaito213/
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