フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2018-06
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「にじ」を知る001●伝説の「生活者ゲイ・メディア」

 最近の僕からすると想像出来ないことなのですが実は・・・半年位前までの僕は、「運動体への嫌悪と向き合う」と題したこんな記事を恥ずかし気もなく書いてしまえるほど、いわゆる「活動」を行っている人に対して嫌悪感を持っていました。

 理由は特にありません。単なる無知と臆病がもたらしていた感覚なんだと思います。我ながら恥ずかしいです。それって自分がされたらいちばん嫌なことですよね・・・ゲイのくせに情けない。
 でも「嫌悪」するということは裏を返せば「気になって仕方がない」ということでもあるわけで。その後、まるで堰を切ったかのように自分が変容して行った経過を思い返すと、本当は最近のような活動がしたくてしたくてたまらなかったんだろうなぁと思うわけです。

 そんな僕なので、まだまだ日本のゲイで出版活動を行ってきた人のことや、その業績などについての知識は「穴だらけ」です。知らないことがたくさんあります。その一つに、永易至文さんが行ってきた「生活するゲイとしての」出版活動があります。最近、そのスタンスにすごく興味を持っています。

 きっかけは、「論座」10月号に掲載された『セクシュアルマイノリティー「1期生」“ミドル世代”のいま』という記事。この時にはじめてお名前を知りました。すごく冷静に的確に物事を現実的に見つめる方だなぁと思いました。

 次に知ったのが10月の関西レインボーパレードの時。大阪で伝説の季刊誌『にじ』の現物を見せてもらう機会があり、驚きました。だって一人で編集して発行してたんですよ。すごい情熱じゃないですかっ!。

 そしてパレードの前日。PLus+の会場で行われたボランティア・オリエンテーションに永易さんがボランティアとして参加している姿を見かけました。僕は「あっ!あの永易さんだっ!写真と同じ顔っ!」と気付いてはいたものの、挨拶をしそびれてしまいました・・・。(僕のことは知らないでしょうから。笑)。

 そして、10月20日に発売された『レインボーフォーラム』に辿り付く訳です。

「レインボーフォーラム―ゲイ編集者からの論士歴問」

 これは季刊誌『にじ』に連載されていた対談コーナーを一冊に収録しなおしたものだそうです。「レズビアン・ゲイ当事者以外の立場から、同性愛者の問題に役立つ問題提起をしてもらう」という企画が面白いではありませんか。現在の永易さんが加筆した文章も添えられていて、鋭い問題提起の連発が面白くて一気に読みました。

 カミングアウトをする前の尾辻かな子さんの貴重なインタビューや、YOUTH TALKでも素敵な個性を見せてくださった福島みずほさんのインタビューもあります。 他にも関曠野さん、辛淑玉さん、山田昌弘さん、上野千鶴子さん、海老坂武さん、石川由紀さん、森元美代治さん、市川誠一さん、宮崎哲弥さん、小熊英二さん等、幅広い分野から錚々たる顔ぶれが揃い、「悩める生活者ゲイ」という立場を意識的にとっている永易さんとの対話が、ものすごく人間っぽくて面白いです。

 僕はまだ永易さんと喋ったことがありません。まずは、この連載を設けて「にじ」という雑誌が切り拓いたことについて、どんどん知って行こうと思います。気になることがあるなら素直にぶつかってみるっ!。最近の僕のモットー通りに、とりあえず始めてみます。FC2 同性愛Blog Ranking
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コメント

この記事へのコメント

>最近の僕からすると想像出来ないことなのですが実は・・・半年位前までの僕は、「運動体への嫌悪と向き合う」と題したこんな記事を恥ずかし気もなく書いてしまえるほど、いわゆる「活動」を行っている人に対して嫌悪感を持っていました。

これ読んだときに書こうか迷ったのですが・・・やっぱり書いておきます。
その嫌悪感を持っていた自分のことを、忘れないでいてほしいのです。

>理由は特にありません。単なる無知と臆病がもたらしていた感覚なんだと思います。

そうですね。 けれど その感覚を忘れないでいること。 それこそ 今後運動を広げるにあたって必要なことではないか、と思えるのです。
わたしも 市民運動や啓蒙活動に参加(というか手伝い)をしたことがあります。
そこで気づいたこと、どうしても自分がやっている運動だけに熱心になってしまい、ほかが見えなくなってしまう人が多いように思えるのです。
マイノリティーの問題として捉えたら、ほかにもさまざまな問題がたくさんあるのですが 他に目が向かなくなる・・・だからもっと広く繋がっていくことで解決できる可能性をみずから閉ざしているようにさえ思えました。
LGBTには関心があるけれど、障害者のことは知らないよ(興味はないよ)、ではわたしたちが望む社会は手にできない気がするのです。 もちろんなんでもかんでも運動に参加するという意味ではありません。

わたしが思っていることを書きます。
akaboshiさんは 自分と言うものをよくわかっているかただと思います。そして、「愛」が何であるか知っている。ご自分の愛に素直なかただな、と思い、そこにとても共感しているんです。
わたしが思うに、自分というものがよくわかっていない人が多く(それは外からの価値観に影響され自分と言うものがわからなくなってしまうから)、なので、「愛」ということが何なのかもわからない人が少なくない。
そんな中にあって、マイノリティーに属する人たちは(LGBT問題に限らず)それゆえに自分自身と対峙せざるをえない、自分を深いところまで見つめ、自身の心のありかや、社会の中でどう位置するかをよく知っている人が多いように思えます。

人は本来 誰でも 心の中に「愛」を持っている、とわたしは思います。
が、自分自身をよく知っていないとその愛には気づくことができない。
この「愛」に気づき、それに素直になること。 そうすれば人は幸せになれる。
が、それが実は難しいのです。
なにを言いたいかといえば、その「愛」を阻むもの、それこそが敵ではないか。
それは それぞれの人の心の中、ものの見方の問題であり、そして社会の仕組みや制度でもあります。
市民運動は難しい、とわたしは思っています。なぜなら今のさまざまな枠組みそのものがおかしい、と感じるから。政治の舞台では 多数決なので、マイノリティーへの理解を多数にもっていくのはかなり困難と感じます。(その多数派による決定というものに問題があると思う) 選挙制度そのものがおかしいと思うし。 政党政治は曲がり角にきていると思います。

わたしはカテゴリーに分けられた市民運動ではなく、そういう見方から解決していけないかと思います。そういう呼びかけ。

あなたは 本来のあなた自身を知っていますか? 「愛」はありますか?
あなたの中にある「愛」を阻むものはなんですか?
それを 取り除きませんか? って。

長く書いてしまってごめんなさい。

●k猫さん。

おっしゃりたいこと、わかります。
目的意識のみに縛られてしまうと視野狭窄に陥りやすいですからね。
でも、ある程度の勢いとか「力」を持つことも、変化をもたらすためには
必要な場合もありますし、そのさじ加減は本当に難しい微妙な問題です。

嫌悪の強かった頃に思っていたことは、忘れたわけではなく
僕が僕である限り必ず感覚的に残っているものだと思うので意識しながら
「じゃあ、自分なりのやり方はなんなのか」を模索して行こうと思っています。
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