「クイア」を学び切り拓く001●セクシュアルマイノリティー「1期生」“ミドル世代”のいま
僕らは、僕らの歴史とか「僕らなりの生き方」を学校で教わりません。つまり自らが「学ばなければ」ならない。そして当事者同士で知恵を出し合い「切り拓いて行く」こととか、「社会に対して働きかけて行く」ことが、まだまだ必要な段階にあるということは最近の都城市での動向を見ても明らかです。
先日スタートした「マスメディアのゲイ描写」が「外部からの視点」をメディア批評的に分析する場だとすると、こちらは「ゲイ・コミュニティー内部から発信される情報」を積極的に学ぶ場にしようと思います。

SEXUAL MINORITY特集掲載
現在発売中の雑誌「論座」10月号では、なんと14ページに渡って、ゲイのジャーナリスト2名が執筆した記事を掲載しています。どちらもLGBT以外の人たちにもわかるような形でわかりやすく書かれているのですが、当事者たちこそ読んでおくべき有益な情報が満載です。
まず今回はゲイのフリーライターである永易至文さんの書かれた記事を紹介します。
→同記事は新装開店☆玉野シンジケート!「『論座』に掲載の記事」でも紹介されています。
→ 『論座』2006年10月号(9月5日発売)
発行部数:約19万部
■永易至文(フリーランスライター・編集者)
セクシュアルマイノリティー「1期生」“ミドル世代”のいま を読んで

日本のゲイが「ゲイとして」の生き方を模索し始めたのは90年代から
90年代以前の日本では、ゲイは「隠花植物」と揶揄されるほどアンダークラウンドで隠れた存在として生きざるを得ない風潮だったそうです。映画『ブロークバック・マウンテン』で描かれたように、たとえ自分のことを「同性愛者」なのだと気付いたとしても、生きる上では「異性愛者」としての暮らし方を選ぶ人たちが多数派だったようです。

『きらきらひかる』(松岡錠司監督)
『二十才の微熱』(橋口亮輔 監督)
そしてついにはテレビで、新宿二丁目に出入りするゲイを描いた連続ドラマ『同窓会』が放送されたりもしました。これは水曜22:00から放送された斉藤由貴主演のドラマで、高島政宏、西村和彦、山口達也がゲイ役を演じました。主題歌はなんとMr.Childrenがブレイクするきっかけとなったヒット曲「CROSS ROAD」。いわゆるゲイ版「トレンディ・ドラマ」と言ってしまっていいような番組だったのです!

『同窓会(どうそうかい)は、1993年10月20日~12月22日に日本テレビ系列で放送されたテレビドラマで、恩師の上京をきっかけに行われた、同窓会のメンバーの人間模様を描いたドラマ。同性愛を真っ向から捕らえ、なおかつ描写が過激ではあったが、その描写の真の目的は「人間愛」であった。タブーに真っ向から挑戦して、放送当時、多方面に大きな波紋を呼んだ。それまでは陰の存在であった同性愛者の共感を呼び、連続ドラマという時代性のあるものにも係わらず現在でも語り継がれる稀有な存在である。全10回の平均視聴率は17.0%。』
→『同窓会』 DVD-BOX


「薔薇族」以外にもゲイ向けの新たな雑誌が続々と創刊されたり、東京でパレードが開催されたり、レズビアン&ゲイ映画祭が開かれるようになったりしたのも、この頃のムーブメントの産物なのでしょう。つまり今、僕らが「ゲイを自認」した後に様々な情報を得たり、孤独ではないことを実感できる様々な環境は、ほぼ90年代のこの時期に形作られたものなのですね。アメリカや欧州などと比べるとかなり遅いスタートだったみたいですが、それでも非常に感謝です。もし90年代にこのムーブメントが無かったとしたら、今の僕らは路頭に迷い続けていたかもしれませんから。
ちなみに僕は当時大学生でしたがまだ自分のことを「ゲイ」だと認めもせずに、ふわふわ&ボケボケした学生生活を謳歌していたのでこうした動きを知りませんでした。ドラマ「同窓会」は気にはなっていましたが、家族と同居していたので見るわけにはいきません(笑)。それでもチラッと一瞬チャンネルを合わせた時に目に飛び込んできた「西村和彦が全裸でシャワーを浴びる姿」は、二十歳の僕にとってはものすっごく鮮烈でショッキングな映像記憶として残っています(笑)。
・・・こんな風に、「1期生」の起こした90年代ムーブメントを自分の体験として共有していなくて「後から知った」僕のような者はつまり「2期生」と呼べばいいのでしょうかね。

制度の不備と日本の現状
そんな90年代のムーブメントから既に10年以上の歳月が流れ、当時20~30代で「新たなライフスタイルを模索」しはじめ、同性同士で同居を始めたりした先駆者たちが年を重ねました。そのことによって日本のセクシュアル・マイノリティは今まであまり意識されなかった現実的な問題に直面しはじめ、結果的に日本社会の様々な問題点が浮き彫りにされるようになったのです。永易さんの記述を紹介します。
記事ではその例として、9年連れ添ったパートナーが突然死したときに「家族」として扱われず、救急病院に駆けつけることも出来ずに葬式で喪主を務めることも出来なかった「まことさん」の例などが紹介されていて、ハッとさせられます。そうか・・・普段は何気なく過ごしていて気が付かないけれど、「なにかが起こったとき」に僕らは初めて、制度面での不備を実感させられるのだと。上の世代の同性愛者たちは一定の年齢になるとゲイを「卒業」し、結婚して異性愛者のライフスタイルで後半生を送った。それに対して90年代の若者たちは、日本で初めて、同性愛者としての一生を考えはじめた世代であり、自らを「ゲイ1期生」と呼ぶ。
40代、ミドル世代にさしかかると、生活上のさまざまなトラブルが生じ、それが社会の法制度とも深く結びついていることに気付く。長いカップル生活を営んでいても、二人の関係は公的にはなんら保護されていない。一方が事故にあったとき、そのパートナーは安否の情報さえ受け取れない。一方が死去したときに、残されたものは・・・。

こうした問題をオープンな場で語り合うことを目的に、尾辻かな子さんが呼びかけて今年行われた「レインボー・トーク」の様子も紹介されています。全国4都市・5会場で行われたこのリレー・シンポジウムの席で、尾辻さんが訴えたという言葉が印象的です。
そして、エイズケア団体「ぷれいす東京」職員の生島嗣さんの発言が胸に迫りました。エイズで死別したゲイカップルの事例として、「レインボー・トーク」で語られたそうです。「90年代に同性愛者として、同性のパートナーと暮らしはじめる人が増えました。その人たちがいま40代、50代になって、なにかあったときが、現実感をもって眼中に入るようになってきました。万一のとき、二人は友達としてしか扱われません。事故、病気、入院、痴呆や判断停止の場合、そして葬儀、相続・・・。国籍の違う者どうしのカップルもあるでしょう。そのとき性的マイノリティーが生活上強いられている困難が、社会には見えていません。まず私たち自身が、いま直面している問題はなにか、リアルの話を始めましょう。事例を出しあいましょう。」→レインボー・トーク2006公式サイト
そして、記事の結びに永易さんが記した言葉は、僕ら自身のこれからのためにも「切実な問題」として社会に訴えかけていかなければならないし、それを実践するのは他ならぬ「僕ら当事者たち以外にはない」ことを、肝に銘じなければならないと思いました。「斎場にかけつけた相手の両親には、自分のことはあくまでも友人としてしか話すことができない。両親が、彼の遺品や遺骨をすべて持ち去ったあと、それまで耐えに耐えていたものが切れ、最後の彼の遺品をなにひとつ得ることもできず、無一物になったパートナーが号泣している姿を見るのは、本当につらかった。こうした別れ方をしなくてもすむ時代が来ることを願う」→ 「ぷれいす東京」公式サイト
マジョリティーがマイノリティーを排斥するのは、マイノリティーの実情を知らず、自らの恐怖感を投影して過剰な攻撃性を示しているからだ、とはよく言われる。
おなじまちに、おなじオフィスに、おなじ学校に、近隣に、そして家族のなかに、ゲイやレズビアンや性的マイノリティーがあなたとおなじように暮らしている姿を想像し、そしてその喜びと悩みとを知れば、次に進むべき道もおのずと見えてくるのではないだろうか。

→ 『論座』2006年10月号(9月5日発売)
次回は同じ号に掲載されている及川健二さんの「“夫々”と“婦々”に寛容な国、フランス 」を紹介させていただきます。
こんなことを言う人が今だにいる日本のお寒い現状と比べると、カルチャーショックに陥ってしまいそうな内容です。
→FC2 同性愛Blog Ranking
コメント
90年代
何となく、「同性愛」って言葉は耳に残ってたような気がします。
思春期になっていく頃になると、書店でもテレビでも、わりとLGBTに関する
情報が見られるようになってきて、そうした中で育った僕などは「第二世代」かもしれませんね。
個人的には「ここが変だよ日本人」のゲイ特集なんかが、10代の僕には心に残ってる内容です。
これ、よいですね
こういうオピニオンが表に出ていく傾向になるとかなりウェルカムですね。そして毎回、新しいことを教えてくださるakaboshiさんに感謝です。
そうだったのか、と思いました
そんな私が大好きな映画は「マイ・プライベート・アイダホ」。悲しいけど、だいっすきな作品です。レビューまだでしたらぜひお願いします★
未来ってほんとはみんな不安なはずです。特に「少子化」論議がここまで蔓延すると私のように子供の無い夫婦やLGBTにとって、社会的にさらに厳しい立場になるのかもしれません。世界的には人口爆発寸前なのにねぇ・・・。葬式の記事みて悲しかった。美輪さんの唄うように「人間が人間を愛してどこが悪い。殺したわけでも盗んだわけでもないのだから!」(by「愛する権利」)と、切に思いました。
●Kazuccineさん。
完全にLGBT系の情報を「シャットアウト」してました。
それでも、たまに映画や舞台でそうした表現を見て、
ものすごくドキドキしてしまう自分に気が付いて、そんな自分を嫌ったり。
かなり歪んでましたね~。
家族と住んでいたからなかなか自分を「開放」させられなかった。
「繕うこと」が日常だった。
●Anoukさん。
なぜなんでしょうね。
「90年代リブ」の頃には、わりと活発だったようですが。
どうして「現在」につながらなかったのか。熱気が持続しなかったのか。
個人的には、そこらへんが「問題意識」として気になっています。
●ゆさん。
レンタルビデオ屋で見つけて、見た事があります。
いきなり初回の冒頭から斉藤由貴が毛じらみで股間をボリボリ掻いているのが
衝撃的でした(笑)。
同性愛描写だけではなく、内容全体が本当に、テレビにしては過激で赤裸々で、
なおかつ「トレンディドラマ風味」も残っているという・・・
あの時代ならではの産物ですね。けっこう面白かったです。
もうレンタルビデオには置いてなくなってしまったので、見るにはDVDを買うしかないかも。
「マイ・プライベート・アイダホ」は未見です。
必ず見るべき映画の一つとして記憶しておきます(笑)。
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