フランソワ・オゾン「ぼくを葬る」●MOVIEレビュー2

どんどん息が楽になる。
死が迫るほどに日常が軽くなり、明るく軽くなって行く。
その代わり
若い頃からずっとがむしゃらに、
ひたすら仕事に追われることで費やされてきた時間に
真の達成感がなかったことに気付く。
「生きる」ということは、なんと残酷で滑稽で、限りあるものなのだろう。
ロマンは幸せだ。生きているうちにそのことに気が付いた。
他人に自分を受け入れてもらうことの
真の喜びを味わえた。
自分の本性への「罪悪感」と戦う齢は過ぎていたけど
邂逅できない両親との関係を、割り切ることで受け入れた。
同性と同棲していることを両親は知っている。
しかし「知っている」だけ。彼の精神の安息は家庭の中では見出せなかった。
「父性」の横暴さに嫌気がさしていた過去もある。
そんな父とも今では対等に言葉を交わせるのだが
だた、乾いた眼差しで突き放すことで受け入れた。
そしてロマンは、自分を受け入れてくれる人を自分で選んだ。
それは祖母だった。
一人で迫り来る死と向きあっている祖母こそが、
彼を受け入れる「器」のある人だった。
ロマンにとって祖母との邂逅はどんなに嬉しかっただろう。
二人きりで過ごした一夜は
年齢や性別などを超越した人間同士としての交感。
人目を気にする必要がないから、
ありのままの自分を曝け出せる喜びに浸った。
誰にも打ち明けられなかった秘密を共有することで
ロマンの「核」は、祖母と共鳴し合った。
それはロマンがずっと、追い求めていた瞬間だったのかもしれない。
彼の生きてきた生涯には「魂」がなかった。
「既成」の様々な道徳や戒律による「規制」は緩やかで
ホモフォビアをあまり感じなくて済む環境だったけれど
せっかくの自由を謳歌し、自己を真の意味で羽ばたかせることはなかった。
ロマンは死の直前に悟った。
「自分の全てが求めること」を、虚心に受け入れる喜びを。
ロマンは死の直前に悟った。
「自分の存在」を、ただ純粋に受けとめてくれる人と分かち合える喜びを。
それは奇跡的な悟りだった。
悟った途端、ロマンは素直になった。
「喜び」の追求に、彼は残りの時間を費やすことにした。
新しい生命の誕生を手助けし、仲たがいしていた姉とも邂逅した。
そして自分にとっての「真」を見つけた。
死が迫るにつれ
どんどん解放されてゆくような
ロマンの爽やかな風を感じながら僕は
まだまだ自分には時間がたっぷり残されているだろうことの
幸運に思いを馳せた。
そして思った。
僕も悟った後のロマンのように、凛として死と向き合う人生を送りたいと。

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コメント
いま
大切な人が笑ってくれればいい。
大切な人が元気でいてくれればいい。
大切な人が私のそばから消えないでいてくれればいい。
私はただ祈ることしかできない。
私はただ嘘をつき続けるしかない。
前回のプレビューでは ぜひ見たい!と思った映画だったのですが 今 このような状況下では少し手が出ません。でもいつか、またいつかakaboshiさんの素敵なプレビューを思い出して この映画を見れる日がくればいいと思っています。
ロマンの3ヶ月間が教えてくれた物
魂をつぎ込んだ写真を残せば、それも良いと思いましたが・・・・
ありがとう。
ちょっと失敗したかもしれない。順番において。
「ぼくを葬る」が、あんまりにも淡すぎたから。
淡々と、淡々とした描写。控えめな音楽。人物の行動が、説明も無くぽんと提示されるだけ。美しい情景が、私の傍でじっとたたずんでいるだけ。
どうして、そんなにひとりなんだろう。
「ぼくとあなたは似ている。死に掛かっているから」
「あなたと一緒に今夜死にたい」
祖母との濃密な交流。
けれども、あるいはだからこそ、主人公は多くのものを捨てて、家族や、恋人や、仕事や、髪や、服すらも捨てて、
「あなたはエゴイストね」
カメラ(小さい!なんだかちっぽけな人間の魂の象徴のような気がします)だけをもって砂浜に横たわる。
うらやましい。
「寄る辺」がなくても、「生」の世界の岸辺に、誰もがたどり着く。そこはうつくしい。
●安奈さん。
僕、自分の「大切な人」に置き換えて安奈さんの気持ちを想像してみたんですけど
それだけでも、ものすごくやるせない思いが湧いてきました。
そして今の僕には、まるで想像を絶する状況だとも思いました。
大切な人との日々に起こる一つ一つを、
焦らずにしっかりと味わいながら
相手をいたわるのと同時に御自身をいたわりながら、
ゆっくり受け止めて行ってください。
・・・なんだか陳腐なことしか書けなくてごめんなさい。
ここに思いを書いてくださってありがとうございます。
●seaさん。
時が経ち、死が迫るにつれて身体は不健康になって行くのに
逆にロマンの表情は、どんどん明るくなって行くような気がして
僕も不思議と、あたたかい気持ちを味わうことができました。
同時上映された「ブロークバックマウンテン」が、どんどん重たくなって行くのとは正反対。
だから、この2本を並べて観るのって、すごくいい体験でした。
ロマンがどんどん、「なんでもないもの」に対してカメラを向け始めた様子が
すごく印象的でした。それに、お姉さんとの邂逅場面の輝きも。
●k猫さん。
●かがみさん。
平日の昼でもけっこう客が入ってるんですよ、あの映画館。
固定ファンがしっかり付いているし、作品選びがうまいですからね。
僕は「ブロークバックマウンテン」を先に見たので、
どんよりしてしまった気持ちを「ぼくを葬る」が救ってくれたという感じです。
不思議ですね、「死に行く人」を描いているのに救われた気持ちを喚起されるとは。
僕は、砂浜で最後、死に場所を選んでいるときに
ゴミ箱に携帯電話を捨てる時のロマンの爽快感に満ち満ちた顔が印象的でした。
死に方を選択するっていうのは、人間にとって一つの「ロマン」のようなものなのかも
しれない、なんて思いました。
ちょっと追記です。
私の数すくない(がマニアック;;)な映画体験の中で(オゾン監督は初)、この映画に似てるな~と思ったのは、「永遠と一日」(テオ・アンゲロプロス監督)です。LGBTらしき人は一人も出てきませんが、「死の受け入れ方」がにているような気がします。
長回しのワンシーンワンカットで眠くなること必至(笑)の監督さんですが、映像が恐ろしく美しく、言葉も美しい映画です。
オゾン監督の小気味良さ
私も携帯電話を捨てた時に、<どんどん開放されていくんだな~>と思いました。
自由になるって、物からの開放でもあるし、そういう物質文明に振り回されて、身動き出来なくしてしまうのも、自分だと思います。
前作『まぼろし』も、死についての名作だと聞いているので、見てみます。
そういえば、『8人の女たち』も、小気味良い展開だったし、この作品もそうでした。ワンカット毎に考えてしまうようなシーンがあって、それが集積しながらも別の変化を生んでいるような、一つの進化を見るような作品だと思いました。心の動きには、かなり敏感なのでしょう。
akaboshi さんの映画レビューがギンレイホールから発信している事は、知っていましたよ!
●かがみさん。
「もう当分男のケツは見たくない」・・・なるほどね~。
僕もよく、女性の裸が満載の、いわゆる「男性が」喜ぶタイプの映画を観た後は
「もう当分女性の胸は見たくない」と、心の中でつぶやきます(笑)。
「永遠と一日」
・・・僕、たしか以前見たとき、おもいっきり寝ました(笑)
それ以来見返してはいませんが、名作だと言われているので
いつかちゃんと体力のある時に見なければと思ってます。
●seaさん。
女性の嫉妬深さとか、若さへの羨望とか、
ぐるぐると渦巻く内面の醜い部分や「見たくはない部分」までもが
抉り出されるかのようなスリリングな映画でした。
僕はこの映画を見て、フランソワ・オゾン監督のファンになりました。
アメリカ映画では表現出来ない所を、フランス映画では上手く出来ていると思います。人間が違うと言うのか、中間色のグラデーションを大切にするような感じがします。
今後に期待出来る監督だと思います。
●seaさん。
中間色のグラデーションの部分にこそ深みがあるし多様性があるし
面白みがあるんですよね。
フランソワ・オゾンさんは、そういった部分への視点を大事に出来る感性を持った
素敵な監督だと思います。
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