いまさら東京にオリンピックなんていらない
「メンタル面では、日ごろの情操を培う基本的なものを精錬するとかね。新宿の二丁目と歌舞伎町は美観とはいえないよね。銀座でもごてごてと色があるし。景観法ができたし、規制力のある条例を今年中に作ります。」

かつて、1965年に「東京オリンピック」という映画を監督した市川崑は、映画の冒頭に「破壊」のイメージを置くことで時代の空気を表現した。
クレーンから吊り下げられた鋼鉄の大きな塊が、容赦なく古い建物を打ち砕いて行く映像は、日本の近代化を世界にアピールするための祭りの裏で、なにが犠牲になったのかを如実に浮かび上がらせている。
戦後20年の蓄積。様々に花開き息づきはじめていたはずの東京独自の庶民の文化。多様な人々が多様な有り様で生活していた豊かな街。猥雑だけれど活気に溢れていた生活の場。それらが皆「近代化」の名の下に画一化され、無個性化されて行った。
今、また「東京でオリンピックを」と石原慎太郎都知事が燃えている。東京オリンピック当時は作家として、三島由紀夫氏らと共に若者文化の旗手だったはずの人。そんな彼が今、東京の文化を再び破壊し、画一化する政策を推し進めようとしている。
時代はもう「高度経済成長」を欲してはいない。日本は充分豊かになった。
今更がむしゃらになって背伸びをし、世界に存在をアピールする必要などない。
「多様な生」は、個性的な街の中で息づき花開く。
無個性な街では「無個性な生」が培養されるのみ。
色はたくさんある方がいい。
個性的に咲き乱れるたくさんの色のある街こそ、
東京が世界に誇る文化であり、世界が東京に期待する姿である。

●市川崑「東京オリンピック」
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コメント
転職してから、ブログ手抜きっぱなしでした。
で、私も今さら東京でオリンピックかいな?
と思っている人間ですので、ちょいとコメント残しときます。
発展のかげに
これはこれで多少仕方ない面もあるかもしれない。
何か新しいものを生み出すのは犠牲も必要だろうから。
問題は壊されたものが、壊してもよかったものか。
生み出したものがどれだけ価値のあるものだったのか。
そこらへん、気付いたっていいと思うんだよね。
多くの犠牲をはらって、失敗も繰り返してきたはずなのに。
日本橋哀歌
どうして、あの人は、ああなのでしょう。俺は都民の一人として、石原不信任宣言します(しています)。大嫌い。
TBを、また失礼いたします。
あの、可哀想なお江戸日本橋の姿を、オリンピックによって破壊された東京の風情や景観、そのシンボルとしてむしろ保存して教訓にするべきとさえ思ってしまいます。そんなことを綴りました。
東京に2016・オリンピックが決まる可能性は極めて低いと想いますが、逆に、もし東京に決まるようだと、いったい、裏でどれほどの酷い不正が行われたものかと、疑心沸騰するだろうな、なんて、いまから考えています。
市川崑の「東京オリンピック」については、公開当時、オリンピック開催に纏わる悪い面を強調し過ぎたなどと大批判があったらしいですが、俺はとても良くできていると思って観ました。単なる記録映画に終わらなかったのが、さすが、市川崑だなと。
●cafenoirさん。
実際には東京オリンピックの実現は難しそうではありますが、
誘致活動の名目で東京が、その時の為政者の独断で「浄化」されてしまうのだとしたら
ひどい話です。
●Kazuccineさん。
個人の「主観」でしかないことを理由に
「規制力のある条例を今年中に作ります」と、断言調で言ってしまえる神経。
●円山てのる さん。
日本橋は、今頃日本橋だけを復旧しても、その周囲の景観は変わりようがないですから
「愚かな政策の証拠」として、現状を保存しておくべきかもしれません(笑)。
「こんなことやっちゃったんだね~」って、「悪いお手本」として後世に語り継ぐ記念碑として。
都知事
※http://www.jca.apc.org/~yukihiro/korea/misc/ishihara2000/24.txt
●妖怪大学不潔学部教授さん。
他者がどう受け取るのかに全く配慮が無く、指摘されても開き直る態度。
反面教師として勉強させてもらってます(笑)。
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