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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2024-04
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あなたは、いったい、だれですか。

santanicoさんの記事で、性同一性障害の人のことが書かれていた。santanicoさんはその人と一緒にいると、わけもなくこう問いかけたくなるという。

「あなたは、いったい、だれですか。」

・・・僕は、性的多数派の人が意識せずに使うこうした言説について、つい過剰に反応してしまう。
それはきっと、自分が性的マイノリティーであるというひがみ根性とコンプレックスから来るものなのだろう。どうかお許し願いたい。
(★もし文章の読解に誤解があったら・・・santanicoさんごめんなさい。あなたが編集者だということもあり、こうした議論(?)に慣れているであろうことを前提に、あえて書かせていただきます。批判しているわけではまったくありません。僕のBlogの開設主旨に関係のある大切なことだと思い、もっとお話をしたくてTBさせていただきました。)

一つ思ったのが、僕だったらこういう質問は、しないだろうということ。それは性同一性障害の人、性的マイノリティー、性的多数派の誰に対してもしない。
(もちろんsantanicoさんも、彼女に対して質問はしていない。)

「あなたは、いったい、だれですか。」

santanicoさんの書き方だと、この答えとして期待しているのは「男です。」あるいは「女です。」ということなのだろうか。(僕にはそう感じられた。)
・・・そのどちらにも違和感をおぼえる人間は、どう答えればいいのだろう。
もし僕がそのように答える必要のある質問をされたら、心に嘘をつきながら、わだかまったままで作り笑いをしながら「男です。」と答えるだろうけど。
僕は、精神的な性別は、たった2つの区分けでカテゴリー分けできるほど単純ではないことを、日常で実感しながら生きている。しかしこのことは、なにも性的マイノリティーに限って言える事ではない。普段接している周りの多くの人たち・・・性的多数派の人たちを見ていても、当てはめて言えることだと思う。

一人の人が男性的な瞬間もあれば女性的な瞬間もある。
それでいいじゃないか。
単純な区分けに区切ろうとしなくても、いいじゃないか。

このことは性別に限った話ではない。人格(キャラクター)だって人はコロコロと器用に使い分けて生きている。接する相手によって、まったく違うキャラクターになることを、人は意識せずに自然と行っているものだ。
母であり、妻であり、女であり、娘であり・・・。上司であり、部下であり、同僚であり、父であり、男であり、息子であり・・・。一人の人間の中にはたくさんのキャラクターが共存している。そこにはっきりとした区分けはない。なぜなら人間は、相手との関係性の中で生きているものだから。接する相手によってキャラクターは変わるのだ。だから「自分」という確固たるものなど、本当はないはずなのだ。

よく「自分さがし」という言葉を使う人がいるが、そんなもの一人でモンモンと探したっていつまでも見つからない。自分を探すくらいだったら他者とどんどん接すればいい。他者と接しているその時の自分が、「その時にしかいない自分」なのだから。そしてそれは移ろい行くものであり、つかみ所のないものだ。

「あなたは、いったい、だれですか。」の質問に対して、とりあえず名づけられた個人名では答えることが出来るだろう。しかし、それ以外の属性で「○○です。」と、なんのためらいもなく答える人のことを、僕は信用しない。
それは、答えられなくてもいいこと。答えられないのが当然の質問なのだ。

人間は単純なカテゴリーに区分けできるほど単純ではない。
なのに無理にそこに当てはまろうとするから、苦しいんだ。
そして・・・当てはめようとさせるから、苦しめるんだ。

(santanicoさんは・・・質問しなくて良かったんだと思います。あなたが書いた文章は、性的マイノリティーと性的多数派の「わかりたいけどわかりあえない」微妙な心情を上手く衝いていると思いましたよ。・・・僕には、まじめには答えられずにおちゃらけてしまう彼女の心が、痛いほどよくわかります。そして、そんな彼女との距離感にとまどった、あなたの気持ちもわかります。)

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コメント

この記事へのコメント

なるほど。”あなたは誰。。。?”話、自分も全く同意見です。ほんと、時によって女っぽかったり、男っぽかったり、アメリカ人だったり、日本人だったり、宇宙人だったり。。。人によってはキリないっす。そういった質問がまた刺激を与える、という攻撃?も仕事上ある方はいますし、それが作戦かもしれませんがそういった経験になれていない(特に少数はの方達など)一般人の方がもし言われたら二度とそこと関わるもんか、となるかも。。。 こういった状況を理解している人だったり、背景が似てる、と感じられる人とだったら”何が自分の中でどんな時強いと感じる?”とか話せるんだけど。どうかな。まあ、誰?と聞かれても誰でも、自由でいいよね、という感じかな。
あ、ほんとだ、スペインだ(笑)つっこみさんきゅっ!三上寛や灰野敬二は70年代からやってる人でしょう?その先輩って凄い~

こんにちは。TBありがとうございます。ご意見とても興味深く拝見しました。
私が書いたのは「ただひたすら漠然とした感情」についてで、あまり論理的に整理されたものではないです。「だれ?」という問いについてですが、彼女から「自分はこういう人間で~」といった答えを特に期待していたわけでもないと感じます。
彼女はとても魅力的な部分を持つ人だったのですが、他者に対する防御が異様に堅いようでした。それが極端に不安定な距離感につながっていたのでしょうか。私はその距離感に少し混乱させられたのだと思います。まとめれば、ご指摘の「性的マイノリティーと性的多数派の『わかりたいけどわかりあえない』微妙な心情」といったところなのでしょう。
たぶん私は、彼女のことが好き(恋愛感情ではないです)だったのだと思いますよ。当時の私がもう少し大人だったら、ちょっとは良い関係を築けたかと思い悔やまれます(笑)

今書いたコメントと記事が矛盾しているように思えたので追記します
「彼女から答えを期待していなかった」というのは、「本気で問い詰めて、説明させたかったわけではない」とうことです。下品な興味じゃなくて、真面目に知りたいとは思いましたけど。
いつも、言葉足らずで、上手に説明できなくて困ります。すみません

santanicoさん、どうもすいません突然長文のTBで。
僕だったら開いた途端「なんじゃこりゃ」と卒倒してしまうでしょう(笑)。
僕も、santanicoさんの文章を読んだことで「漠然とした感情」を持ち、
どうしても整理したかったので強引に整理したという感じです。
でも結果的に、自分の中のモヤモヤが前よりも整理されてきたように思います。
このBlogを始めて本当によかったと思いました。
僕も、たまに人に取材をしたりインタビューをしたりしてるので
santanicoさんの気持ちがわかります。
取材相手に対して愛情がわくと、すごく忘れられないし、
あとから思い返して悔やまれることってかなりありますよね。
でも、若い時には若い時なりの「無知だからできてしまう」勢いもあって、
人生経験を積めばいいっていうものでもなかったりして(笑)。
その時々にしか出来ないことの積み重ねなんでしょうね、人生って。
(↑悟ったようなこと言うなっつーの・・・笑)。

<続き>
マイノリティーと多数派の「わかりたいけどわかりあえない」関係は、
ある意味当たり前だとも思っています。
両者ともに、「わかる」と言い切ってしまうのは、どこか嘘だと思うのです。
究極的には自己と他者って、「わかりあえない」からこそわかろうとするものですよね
・・・って、また長くなってしまいました(笑)。
お互いになにか引っかかりを感じたら、ぜひ言い合って行きましょう。

flowfreeさん。最初のコメントどうもです。
仕事上の作戦で、ちょっと際どい質問をすることって確かにあるでしょうね。
それは当人同士の人間関係がどれだけ出来ているのかによって
許される・許されないは判断されるものだと思います。
「取材者」と「取材対象者」と言えども当たり前の人間同士で、
まずは人間関係が築けていれば・・・深いところまでの対話は出来るのでしょうね。
テレビの即席ドキュメンタリーやワイドショーでは、
そうした配慮もなく「ズケズケと」人の内面に土足で入り込んでいるものが
多く見受けられますが、
そうしたものは薄っぺらい表層しか表現できないのではないかと思います。

あなたは誰と聞かれたときに、さまざまな切り口があると同様に、一人の人間でもある部分ではマイノリティーで、ある部分ではマジョリティーに属しているっていうのがあると思います。アイデンティティーとしての濃淡はあるのでしょうが。普段生活をしていて、セクシャリティーを常に意識しているかというと、特に仕事の場面などは僕はそうではないです。仕事が終わり家に帰って、このブログを開くときは意識しますけど、笑。
海外に住んだときに、ナショナリティーや言語が、マイノリティーになることを生活実感できたというのは、非常に良かったと思っています。
セクシャリティーにおけるマイノリティー経験は僕の人生のすべてではありませんが、プラスに生かしていきたいと、前向きにまとめます。
最初のテーマから外れちゃいましたが、僕は誰?僕は今こうして生きている僕、過去を背負って生きている僕。

レス、ありがとう。ここの方達は思慮深い方が多い感じで色々と書かせてもらいやすいです。santanicoさんのもryuさんのもなるほど、という話で聞けて良かったです。まあ、表情がわからない言葉をシェアする場だしその限界もあるけど、なかなか色々な視点をみられるし。
土足でズケズケは困るし、そうやって表現する以外のやり方を知らないのかな、と思う時もありますねえ。これは教育制度の問題か、とかまた大きく考えたりして。
そうそう、ある部分はマイノリティーでまたある部分はマジョリティーでそれをなかなか説明したいけどできない距離感を歩み寄るのが大事なのかな。これは簡単じゃあないですけどね。

コメントどうも。
●RYUさん。
そうですね、僕も会社で働いている時はすっかり忘れていることが多いですが・・・
「おっこの表情いいな」とか男性に対してドキッとしてしまう時に、ふと思いだしてしまいます(笑)。
もちろん女性に対して感じることもありますが(笑)。
なるほどね~。
海外で、一度そういうマイノリティー体験をしてみるというのも、
また違った視点を獲得できそうでいいですね。
・・・というより、もっと大きな視点で、物事が見られるようになるのかもしれない・・・。
いいなぁ。行ってみたくなって来たぞ(笑)。
●flowfreeさん。
「わかりたいけどわかりあえない」ことを発見するのって、
一見マイナスであるように思うけどそうじゃないですよね。
それがすなわち、「他者を発見する」ということなのだと思う。
歩み寄れないなら、無理に歩み寄らなくてもいいんだと思う。
「そういうものなのだ」と、そのまま受け入れればいいんだと思う。

一般的に言うと、日本人ってひとをカテゴリーに分類したがる傾向ってありますよね。ヨコレスですみません、ぼくもRYUさんと同様、海外に出て、ほんとうに多種多様な人のありかたに接して初めて、そういう分類の無意味さを悟ったと思います。ただ、同時に分類してカテゴリーを見つけることに対する安心感も、日本人として持っている自分に気がつきました。
ひとを分類することだけじゃなく、自分もどこかのカテゴリーにあてはまると、安心しちゃうんですよね。まだまだ修行が足りない。RYUさんのように、ぼくは「ぼく」というカテゴリーにしかあてはまらないと、自信を持って言えるように、なりたいですね。

海外に出るとそういう発見があるんですね。
海外に行くと「日本人であることを発見する」という風に誰かから聞いたことがあるけど、
その発見の一つがそれなんですね。
カテゴリーわけって・・・安心するんですよね。
「自分は○○です」って言い切っちゃえば、それ以上考えなくても良くなるし。
特に日本人は同質性を好むから「あなたも○○なんだ」と同調できれば
安心できてしまうのでしょう。
それで、なんとなく他者をわかった気になれるし。
そもそも「他者」と「自己」の区別の付け方をわからないままで
大人になっている人が多いんじゃないかと思います。
それは「文化」としてそういう傾向にある。
「わからない」ということを恐れがちなのかも。
それは不安定で怖いことだと感じるみたいだから。

誰ですかという質問って、厳しいですねー。私はまだ答えられません。自分を探索中なもので。自分に無理に言い聞かせて生活していたら、何時の間にか、自分の本質が見えなくなっていました。この年齢にして、迷子です。恥ずかしい・・・
他人を誰かと思った事はないです。自己中ですが、内面が好きか嫌いかでしか、判断した事がないのです。好きなのは、上っ面でなく、表情が素敵な人。自分を持っている人。
だから、性別・在日・心身障害・中国引き上げ・混血・国籍は、その人のパーソナリティーを形作る素敵なスパイス!自分と違う経験と考えが、他人の内面を豊かにしているのは、魅力的です。
カテゴリーをつけては、その人の一面しか見えなくなっちゃう。そんなもったいない事、できません。一人の内面には、いい事、悪い事、多様な性格や要素がつまっているのですから。同じ人はいません。そこが面白いのです。
まあ、気の合う友人の思いがけないマイナス面を見てしまい、愕然とすることもありますが。長い人生、それもご愛嬌ですめば、万々歳!そうありたいと願っています。

ちょっと質問させて下さい

直接このタイトルには関係ないかも知れないのですが、どこに書いたらよいか思いつかないので、こちらに書かせて頂きたいと思います。

「性的多数派」に対して何故「性的マイノリティー」なのでしょうか?、「性的少数派」でなく。
英語のマイノリティーが、アメリカ人なりイギリス人にとってどういう意味合いかは知りませんが、日本人が外来語としてのマイノリティーという言葉を使うとき、その意味は少数者という意味にとどまらないと私は感じているのですが。
マイノリティーにはマイナスの意味がくっついていると感じているのは私だけでしょうか?
たとえば、天才と呼ばれる人はたった一人の人で、究極の少数者ですけれど、マイノリティーとは言わないでしょう。

akaboshiさんご自身がゲイ男性であることから、きっとこちらにおいでになる方には「性的少数者」の方が多いと思います。
そして、差別とか偏見を受けたと感ずる体験があって、いわれのない偏見・差別の無い社会であって欲しい、そう言う社会を目指したい、と思っていると思うのですが。
だとしたら、自分自身を表現するときに、マイノリティーの言葉はふさわしいでしょうか?
セクシャリティーにおいて少数派であることは、単に少数なだけ。
我々は少数者であるにすぎないのに、マイノリティーにされている、と打って出たって良い筈のものだと思うのです。
少数者というニュートラルな言い方でなく、何故マイノリティーなのかな?と思います。

実は、私には何人かのゲイ男性の友人が居ます。
で、彼らとそう言う話をしたこともありますが、あまり気にとめて貰えませんでした。
もう、セクシャルマイノリティーという言葉はすっかり浸透しちゃっているのでしょうかね、みんな、マイノリティーと言う言葉を使っています。
自分自身を表現するのに、はたがどうこう言う筋合いではありませんけれど、こんな事思うのは私だけなのかな?と時々思うものですから。

●いちさん。

言葉から感じる印象というのは個人差があると思うし、
その人がどういう意味合いでその言葉を発しているのかも人それぞれ。

僕は「マイノリティー」には、マイナスのニュアンスを感じませんし
「少数派」とほぼ同じような感覚で使っています。

「セクシュアリティーにおいて少数派であるのは、ただ少数なだけ。」
このことを理解してくださっている、いちさんのような方が増えてくださると
僕らも本当に心強く思います。ありがとうございます。
そして、そのことを自分たちからももっと、発信していかなければと思います。
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