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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2024-04
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セックスとジェンダー ~韓国インディペンデント映画2006開催中

 ゲイのサド・マゾヒズムを描いた作品等、
「性のタブー」を打破した作品群上映


 韓国の若手映画作家たちの作る映像に最近、セックスとジェンダーについて描きこんでいるものが多いそうです。そうした作品を集めた映画祭が現在、渋谷のシアター・イメージフォーラムで開催されています。
公式サイト (25日まで)

 「ジェンダー」とくれば、LGBTにとっては興味深いテーマ。我々は日々、「性の社会的枠組み(=ジェンダー)」との関係において軋轢を感じているわけで、どうしても考えざるを得ないですからね。上映ラインナップを見ると、やはりゲイに関する作品を見つけました。キム・キョンムク監督の『顔のないものたち(FACELESS THINGS)』は、ジャン・ジュネ的な内容だそうで、かなり直裁的にゲイ男性のサドマゾヒズムを描いているそうです。監督は20代前半だそうで、なかなか刺激的で実験的な内容みたいです。

 他に、『短編集:ストーリーズ』で上映されるぺ・ジヨン監督『ダンシング・ボーイ』とキム・キヒョン監督『難しいお願い』は、自らの不安定な性と対峙できない若い男性を描いた作品。さらにイ・ジョンユン監督『外泊許可』は、兵役が韓国の男性に与える影響を描いているそうで、こちらもとても興味深い内容です。

 商業ベースに乗りにくいこうした作品こそ、社会を鋭く描き出している場合があるものです。その他の作品も「性」の問題をタブー視せずに描き出しているものばかりのようで、短編、長編、フィクション、ドキュメンタリー、アニメなど表現方法はさまざま。尖った表現に触れてみたい方はぜひ。
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コメント

この記事へのコメント

ジャン・ジュネ

日本だとこのごろの若い子は、ジャン・ジュネもジャン・コクトーもしらないよねー。
そういうゲイが作ってきた文化はどこかに忘れ去られている。
なんだかちょっと悲しいね。

残念

『顔のないものたち(FACELESS THINGS)』観に行きたいんですけど、akaboshiさんが紹介してくださったページによると、プログラムAはちょうど私が行けない時間帯にばかり上演されるので残念です。もしご覧になったら、感想お聞かせくださいね。
ちなみに私は、かつて『バディ』誌にジュネ論を書いたことがあるんですよ♪

20代前半というと

僕と同世代ですね・・・。
実は玉野真路さんのおっしゃるところの「ジャン・ジュネ知らない若者」なんです・・・。
やばいくらい教養がないって思います。
サディズムとマゾヒズム・・・。興味深いけど、正直ちょっとポルノ的な興味もあります。
性がからむ作品って、どうしてもそういう興味や話題を集めてしまいます。
それでも、観てから何か残るか残らないかは大きな違いですよね。

ジュネのこと

kazuccineさん、こんにちは。
上にも書いたように、『顔のないものたち(FACELESS THINGS)』は、時間が合わなくて観れそうにないんですけど、ジュネそのものはけしてサド・マゾ的じゃないと思いますよ(まあ、そうであってもかまわないんですけど)。
ジュネに言わせれば、小さいときに「お前はゲイだ」「お前は泥棒だ」と言われたことがずっと尾をひいて、ならばいっそのことゲイになってやろう、泥棒になってやろうと思ったことが、彼の人生を決定するわけですね。ジュネの代表作(小説・エッセー)というのは、そんな彼が刑務所のなかで書き始めた手記です。言ってみれば、ゲイとして泥棒として作品を書くわけ。ジュネに言わせれば、人から「お前は○○だ(最低のヤツだ)」と言われたことが、彼の人生をある意味で規定しているわけですけど、自分が最低な人生を生きているのは自然とそうなったんじゃなくて、(みんなが決めつけるから)自分で選んだんだというわけ(だからジュネは誇り高い)。
そんなジュネが、現代どのように読まれているか、映像化されているかにはとても興味があります。

ジュネの補足です。

(上のコメントの補足です。)
(私が思うに、)まあ、ゲイというものは選べるものじゃなくて、ジュネは天然ゲイだったんじゃないかと思いますけど、泥棒というのは天然じゃないわけです。でも世の中の人にとっては、ゲイも泥棒もアウトローで同じようなものだったから、どっちでもいいんですね。で、人がジュネを「ゲイで泥棒」と言ったから、ジュネは世の中から軽蔑されるために泥棒になるわけ。そして泥棒の中でも最低のゲイの泥棒であることをジュネは告白し、そんな自分を軽蔑するんなら軽蔑してみろと作品の中で開き直るわけ。
そうした作品をとおし、ジュネは、人が人を規定することを告発しているわけですね。
(私のこんな読みは、ジュネの読みとして古すぎるかなあ…。もしそうだったら、その批判は甘んじます。)

ありがとうございます

lunatiqueさんありがとうございます。
自分でも調べてみました。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0346.html
かなりアウトローな作家だったんですね。興味あります。

●玉野真路さん。

まずは「知らない」ということを知ったところから、はじまるのかもしれませんね。
現代のゲイの作家や表現者たちが文化の蓄積を吸収して
さらに新たなものを創造するムーブメントを起こし、継続するべきなんだと思います。

●lunatiqueさん。

そうなんですか、lunatiqueさんっていったい何者・・・?(笑)。
今度、その『バディ』読ませてください~。

『顔のないものたち』は、3つのパートに分かれていて、最初がノンフィクション、次がドキュメンタリー、ラストがどちらとも付かない物でした。ショッキングな内容ですが、何故かどんどん惹かれるのは何故なのでしょう?怖い物見たさの様な知らない世界への興味なのだと思います。ドキュメンタリーでは、2人の男が登場して、マゾの男は頭に袋をかぶっているので、どちらかが監督自身なのですが、最後まで解りません。
1と2をきゅっと結んでいるのが、1分にも満たない3で、謎解きのように見えるのです。
結局、この映画の見方を、観客に委ねているとしか思えません。
キム監督は、1985年生まれですから、その若さで、すごいセンスを持っていると思いました。(気の弱い女性には、絶対にお奨め出来ません)



●seaさん。

こちらもseaさん、ご覧になったんですね。もしかして同じ回だったかも(笑)。
この映画のレビュー、いま書いているところなんですが苦闘中・・・
「うっわ~やられたっ!」という感じです。
脳みそがグルグルとかき回されるかのような、観客としてのマゾ的快楽を堪能できる(笑)
正真正銘の衝撃を受ける作品でした。

seaさんと同じように、僕も思います。
気の弱い方だとか、衝撃映像に免疫の無い方にはお薦めできません。
(上映前にも映画館の人が、わざわざ肉声で予告してましたね。
それだけのことをしておかないとならないわけが、わかりました・・・)。

もし、それでもいい、という覚悟を決められた方は「とにかく見て」。
(金曜の19:00に上映あり。)
・・・まず間違いなく、フラフラになりますので覚悟の上で。


顔のないものたち 3 (行動)

どこかで読んだ事があるような・・・・?と思ったら、映画『赤い航路』の原作で原題は『赤い月』にも、男女のSEXの倒錯が次第にエスカレートして行く姿が、描かれていました。
これは、夫婦の話でしたが、パート3の様に、糞まみれ、(尿まみれ)の話で、『顔のないものたち』パート3どころの話ではありません。最も、本と映像の違いがあるので、どちらがショックが大きいのかは、一口では言えませんが・・・・
サドマゾと言うよりも、いじめの極限ごっこのような姿は、何処まで、お互いがお互いに耐えられるか?と試みる事がお互いへの愛の確認になっているのですが、私は、一つの執着だと思いました。愛と執着の境目も、はっきりとは解らない時もありますが。
『顔のないものたち』パート3も、そんな所なのではないでしょうか?
人から見ると、完全にキレテいる姿でも、当人達にとっては、真剣なのですね~
それを、他人がどうのこうのと言える筋合いでは無いし、色々な性癖、表現があって面白いと思います。最も、犬なんか、糞を食べる事は、ごく当たり前の事で、獣医師は、「最も自然な事だ」といいますから、人間のこういった姿は、哺乳類の生き物としては極自然な行動かもしれませんね。
(sea1900は、一般的な食べ物しか食しませんが)









●seaさん。

そうですね。
映されている人たちの「執着」が描かれているわけですが、
それを「映画」として映しとっている監督自身の「執着」も、ものすごく強く感じました。

そして、「これを映画と見做すことが出来るのか?」という、観客に対しての挑戦状でもある。
創りながら監督自身も、「僕はどうしてこういうことを撮りたいんだろう」と
自分に対して問いかけていただろうし、創った後も、問い続けているんだと思います。

僕はこの映画を見て、「糞は、ごく自然なものとしてこの世の中にあるものなのに
直視する際にはどうして抵抗を感じてしまうんだろう。嫌悪してしまうんだろう」と
自分の既成の価値基準について、思いを巡らせていました。

私の場合は・・・

同じく本日(23日)、『顔のないものたち』と『僕と人形遊び』を観て参りました。

>脳みそがグルグルとかき回されるかのような

まさしく!まだ、回っております(笑)。おかげで、抽象的な感想しか出てきません(いつものことなんですが・・・)。

私の場合、両作品に共通した衝撃として、『仮面の告白』を初めて読んだときと似たようなもの(これも読み手によっては、かなり感じ方に違いはあろうかと思いますが・・・)を感じました。自ら腹を引き裂き、自らの手でドス黒い腸を掴み出したら、目の前に突きつけられる。そして、「これも人間なんだ!」、いや、「これが人間なんだ!」と凄まれる。漠然としたことしか書けなくて申し訳ないんですが、かなり朦朧とさせられているものでして・・・。

それはともかく、このプログラムをご紹介頂いたakaboshiさんにお礼を伝えたく書き込み致しました。普段ゲイを隠している私が、このように積極的に外界(?)に出ようなんざ、夢にも思っていませんでしたから。これを機会に、自身について(もちろん、ゲイである性的アイデンティティーを含めて!)考え直そうかと思っております。ありがとうございました。

●HumansBeingさん。

「自らの腹を引き裂き、自らの手でドス黒い腸を掴み出したら、目の前に突きつけられる。」

うまい表現ですね。
キム・キョンムク監督の映画は、それくらいの「痛み」を伴った感覚を
僕にももたらしてくれました・・・。
でも、なんだかこの痛み、知らないよりは経験しておいた方がいいような気がするし、
不思議と「愛情のある痛み」でもあったような気がします。

それにしても、ものすごい作品を観に行ってしまいましたね。
これである意味、貴重な「同志」になりました(笑)。
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