フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2018-06
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たかがテレビ032●検証「真夜中の新宿2丁目~自由奔放な魅惑の街」③カメラの暴力、ボカシの功罪

 放送からだいぶ経ちましたが、僕はかなりしつこい性格です(笑)。このブログではじっくりと、5/15(月)22:00から放送された日本テレビ「アンテナ22」を検証しようと思います。

 この「ドキュメンタリーを装っている番組」は、どうやら異性愛者であるらしい40代位の男性ディレクターが新宿2丁目に撮影クルーを伴ってはじめて訪れ、様々な風俗に驚き、自分とは異質な同性愛者の若者たちに出会って戸惑って行くという構成になっています。
 ↓
 「出会って行く」のじゃなくて、「戸惑って行く」所に結局は留まってしまっているのがポイント(笑)。

 僕からすると、いわゆる「多数派」から見た「同性愛者像」の典型を、わかりやすく表面化しているかのように感じられました。そういう意味では、とても興味深いケースです。

 視聴者として想定されているのは
 あくまでも「異性愛者のみ」


 まずは、番組の作り方そのものの中に、「多数派」が「少数派」をどのように扱いがちであるのかを読み取ることが出来ます。

 人が20人いたら、1人~2人は必ず存在していると言われる同性愛者。しかし現在の日本では、多くの同性愛者が依然として、社会生活では「隠れて生きている」つまり我々から異性愛者は見えていても、多くの異性愛者からは我々が「見えていない」。こうした現実があります。

 この番組の構成やナレーションの語り方は、そうした日本の現状に沿って作られています。あくまでも「同性愛者を見たことのない異性愛者に向けて」語られているわけですから。すなわち同性愛者は、この番組の視聴者として想定すらされていないのです。・・・同性愛者だって、テレビ位は見ますから~(笑)。

「アンテナ22」

(1) 2丁目路上
▼夜、新宿2丁目に連なるゲイ・バーの看板を車で移動撮影したショット
(店名・通行人が判別できないように画面の大部分にボカシ入り)
テロップ(大きく):「新宿2丁目」
BGM:ブラス演奏の激し目な曲(「仁義なき戦い」のテーマみたいなインパクト。笑)
ナレーション「都会には、いろんな街があるものです。ここは、新宿2丁目。ご存知の方もいるかもしれません。この街にはゲイ、つまり、同性愛の方たちが集まって来るんです。」

▼肩を抱き合ったり、腕を組んで歩いたり、路上で激しく抱き合いキスをする男性同士を撮影した映像。(顔はボカシ入り)
テロップ(大きく):「日本最大のゲイタウン」
ナレーション「ほらっ。こちらも、男同士。」

(2) ゲイバー
▼ゲイバーに入るノンケ女性二人連れ。カメラは背後から。
BGM:マリンバによる幻想的な曲
テロップ(大きく):「ゲイバー」
店員「いらっしゃ~い。」
ナレーション「新宿2丁目の名物はゲイバー。一昔前は、ちょっと暗い雰囲気があったそうですが、最近は、なぜか若い女性のお客さんも増えていると聞きました。」
▼店内では、なぜか見事にバリエーション豊かに、様々な組み合わせの同性カップルが揃っている。カメラはそのカップルを、次々に映し出す。
▼女性同士のカップルの姿(ボカシなし)
テロップ:女&女
▼男性同士のカップルの姿(ボカシなし)
テロップ:男&男
▼女性的な格好の二人連れ(ボカシなし)
テロップ:ニューハーフ
店員「いるのよ~。(ノンケ女性に)アンタのお父さんもホモかもよ。」(←テロップ付き)
ゲイ客「(手を叩きながら)あ~ははは。」
ノンケ女性客「え~ぇぇ~どうしよ~ぉ。」
ゲイバー店員「ねぇ~。(ゲイに同意を求める)」

(3) 2丁目路上
▼取材ディレクターが店を探索する姿を背後から追うカメラ。
ナレーション「しかし、もっとスゴイ店も多いんです。恐る恐る覗き込むと・・・」
▼店の入り口の赤いビニール暖簾を、文字通り恐る恐るめくるディレクター。
▼店内からは競パン(競泳用水着)姿の日焼けした店員が出てくる。首にはゴーグル。
競パン店員「いらっしゃいませ~」(顔ボカシ入り)
ディレクター「ええと、今、なにを。こちらではなにをやってるんですか」
競パン店員「今日はキョウパンデーなんで、もし良かったらどうぞ」(←テロップ付き)
▼促されるまま、トランス系音楽が鳴り響く店内に入るディレクター。
競パン店員「どうぞ~。いらっしゃいませ~」
▼お立ち台の上で鉄棒に身体を絡ませながら踊る、競パン姿の男性8人ほど。(顔ボカシ)
ナレーション「競パンとは、競泳パンツのことでした。」
テロップ:「(バキューンという音と共に文字浮かぶ)競パンナイト」
▼カラフルな競パンのアップ。
盛り上がる客の声「フ~!」(多数)
ナレーション「その競パンに、手を伸ばしたり、顔を埋めたりしているのはやっぱり、男性のお客さん」
▼お立ち台の上の競パン男性にうながされ、股間に顔を埋めている客の姿(顔ボカシ)。店内で踊る客10人ほど(顔ボカシ)。
客「イヤッホ~!」

(4)「デブ専」バー
▼「Guardian angel」の看板と扉。中から太った半裸の男性が「リンダリンダ~」と歌いながら扉を開け、カメラマン達を店内に導く。(顔ボカシ入り)
ナレーション「酔うと、つい裸になってしまうお客さんたち。とりわけ、太目の男性を好むお客さんたちもいるそうです。」
▼カラオケで盛り上がる「太め」な男性たち。
テロップ:「映像・音声を一部変えてあります。」

(5) レディースバー
▼夜の路上を歩くディレクター。立ち止まり、店の看板を指差す。
▼「TAMAGO」の看板
ナレーション「この街には、女性好きな女性ばかりが集まる店もありました。」
ディレクター「(ドアを細く開けながら)すいまっせ~ん。こんばんは。」
店員「いらっしゃいませ~」
ディレクター「(ドアの隙間から)1人なんですけど。」
店員「ごめんなさい。男性の方はお断りしてるんですよ。」
ディレクター「あ、男性は入れない・・・」
店員「はい。あの~、レディースバーなんで、入れないですね。」
テロップ:「男性入店お断りの店」
ディレクター「(カメラに向かって困った顔をしたがら)ダメでした。」
▼路上で機材を装着する、女性スタッフたちを映し出す。
ナレーター「ならば、スタッフを全員女性で揃えて、もう一度。」
▼店内に入る女性スタッフたち。
テロップ(大きく):「レディースバー」
店員「いらっしゃいませ~」
ナレーション「一見すると普通のバーですが・・・」
▼身を寄せ合ったり、肩を抱き合っている女性客を背後から撮影(ボカシ入り)
ナレーション「たしかに、恋人同士のような雰囲気。」
帽子を被った客「(カメラに向かって顔を映して)レズで~っす。」
▼抱き合ったり、胸を触りあったりしている女性客たちのアップを撮影(ボカシ入り)
ナレーション「レズビアンを省略して『ビアン』・・・なんて言うのが、今はオシャレだと、教えられました。」

(6) 2丁目路上インタビュー
(背後にゲイグッズ・ショップが映り込む場所で)
テロップ;「Q あなたにとって新宿2丁目とは?」
女性(ボカシ入り)「2丁目・・・癒しの場所?。あははは。」
女性(ボカシ入り。音声変換あり)「すごい純粋に生きられる街・・・うん。ウソつきがいない街かなっていう・・・。」

(7) ニューハーフクラブ
▼激しい曲に合わせ、ピンク色の派手なドレスで、激しく踊るニューハーフたち。
テロップ:「ニューハーフクラブ/男→女」
ナレーション「こちらは、ニューハーフ。男と女の境界線を踏み越えて、新宿2丁目は人間が、どこまでも自由になれる場所・・・なのかも知れません。」
▼ショーを見守る女性客たち(ボカシ入り)

(8) おなべバー
▼扉付近から、バー店内を移動撮影するカメラ。カウンターには店員二人。客二人。
ナレーション「身体は女なのに、心は男。おなべと呼ばれる人たちが経営する、おなべバーです。」
テロップ:「おなべバー/女→男」
▼店長のアップ
ナレーション「店長さんも昔は、女の子でした。」

(9) 夜の2丁目・街頭
▼ゲイ・ショップの2階の窓から、トランペットで独奏する男性
▼海賊っぽい黒のハードなドレスを着たドラァグクイーン
ドラァグクイーン「(カメラに手を振りながら)ようこそ新宿2丁目へ~」

(10) 番組タイトル
激しい音楽とともに
▼大勢の通行人で賑わう仲通りを、車で移動撮影(通行人すべてにボカシ入り)
番組タイトル:「真夜中の新宿2丁目、自由奔放な魅惑の街」
ナレーション「いやぁ・・・。ここまでお見せしていいものか、いささか悩んだのですが、これも現実。では、禁断の園に、ご案内しましょう。」

(11) スポンサー紹介
BGM「ハ~レル~ヤ~♪」
▼ピンクと赤のドレスで街頭を歩くドラァグ・クイーン(顔ボカシ)。上半身裸で、白いTOOT下着で街頭を歩くゲイ(顔ボカシ。お尻にズームアップするカメラ)。街頭に立つ、女装した背の高い人々(顔ボカシ)。
テロップ(縦書きで):「ゲイタウン新宿2丁目、禁断の園へ潜入取材!」
テロップ:「提供・ポケットバンク/全薬工業/ほのぼのレイク/Aflac/キャドバリー・ジャパン/アコム/PEUGEOT/プロミス」

 番組の冒頭22:00から、提供スポンサーが紹介される22:03:45までの文字起こしでした。いわゆる番組の「つかみ」に当たる部分です。

 裏番組との激烈な視聴率競争の中で視聴者を「つかむ」ためには、新宿2丁目のありとあらゆるアンダーグラウンドな部分(←と、ディレクターが認識した部分)を抽出し、息つく暇もない速さとテンションで映し出す作戦に出たようです。こうした作戦はいわばテレビ・ドキュメンタリー(情報番組)のつかみの王道であり、よく行われていることです。

 「ボカシ」の功罪

 お気付きだとは思いますが、この番組はほとんど「ボカシだらけ」でした。街頭ではもちろんのこと、ゲイバー等の店内を映す時にも、許可を得た「ごくわずかな人たち」以外は全て、顔に「ボカシ」という映像処理を施しています。

 テレビで多用される「ボカシ」には功と罪、両方の側面があるのではないかと思います。「ボカシ」で顔を隠すことによって確かにプライバシーは保護されます。しかし同時に、「ボカシの向こう側にいる人物」に対して「心理的な距離」を感じさせてしまうような気もします。

 テレビというのは基本的に、映されている人物に視聴者が「親近感を持つことの出来る」メディアなのですが、顔にボカシを入れると、映されている人たちが「一人一人の個人」だという印象を持つことが出来にくくなってしまうのではないでしょうか。そして「ゲイ」「同性愛者」というカテゴリーの中だけで生きている「自分とは関係ない、あちら側の人」と言うイメージが増幅されてしまう・・・そんな懸念があったのではないかと思いました。

 「顔を映すための」仕込み場面

 さすがにオープニングから「ボカシ映像」の乱発ではマズイ。撮影途中でそのことに気付いたのでしょう。このままでは視聴者が番組に親近感を抱けない。親近感はテレビ番組の命!このままでは数字が獲れない!・・・そこで彼らは計画的に人を集め、ある場面を「創作」したようです。文字起こしの「(2)ゲイバー」のシークエンスは、おそらく事前に綿密な計画を立てて撮影された「仕込み撮影」だと推測されます。

 その場面を振り返ってみます。

 まずは2丁目で最近増えていると言う「ノンケ女性」二人連れの背後から一緒に「ゲイバーに潜入」するカメラ。店内には、番組にとって非常に都合よく揃っている「ゲイのカップル」「レズビアンのカップル」そして「ニューハーフの二人連れ」がいて、カメラをごく自然なものとして受け入れ、会話に花を咲かせています。しかも彼らは皆、取材陣に動じることなく堂々と顔をカメラに晒しているのです。「突撃・潜入取材」にしては出来すぎたシチュエーションです。

 このような形で創作された映像内の仮想現実は、ゲイが置かれている「現実のありよう」や「どうして顔にボカシを入れることを多くの者が希望したのか」さらには「新宿2丁目にどうしてゲイバーが密集しているのか」等の社会的な背景から、視聴者の目を反らしまうのではないでしょうか。この番組の制作者は、肝心な所から逃げています。あり得ない現実を「あることのように」都合よく創作することで・・・。

 人はカメラの前では「はしゃぐ」生き物。普段の何倍もハイテンションになって。

 その他にも「突撃・潜入取材」を装う場面はいくつも出てきました。ディレクターがおそるおそる訪ねた店の店員はきまって、カメラや取材クルーに対しては驚かずにディレクターと会話をします。

 普通だったらまずは、大勢の取材クルーに対して驚くべきでしょう。あのディレクターの背後にはカメラマン、照明スタッフ、音声スタッフ、ADなど、最低でも4人は同行しているのですから。すなわち「店を訪ねる」場面のすべては店員との事前の綿密な打ち合わせで台詞が決められた「演技の場面」なのです。

 そうした数々の「演技の場面」が「実写」の中に挿入されているにも関わらず、そのことがわからないように編集され、撮影スタッフたちの存在は都合よく消されてしまっています。スタイルとしては「実録ドキュメンタリー」であるかのように装いながら。

 そうした「作為」は、視聴者にある重大なことを見落とさせてしまいます。彼らが潜入したゲイバーやレディース・バーの店内では、異常なテンションで騒ぎ、踊り、大声を張り上げる同性愛者が映し出されるのですが、彼らはおそらく「日本テレビが取材に来た」という非日常的な体験に舞い上がって興奮し、普段の何倍もエキサイトしているのではないかと思われます。しかし、そのことに視聴者が思いを巡らすことは、あの編集方法では無理でしょう。

 「日本テレビのカメラ」という権力的な存在が、映されている彼らにどのような心理的興奮を与えているのかを示すこともなく、あたかも彼らが「いつもハイテンション」であるかのように描き出す。これはこの番組に限らず、日々テレビに映し出されている映像のほぼ全てに共通する問題ではあります。テレビというのは大嘘つきメディアであるとも言えるでしょう。

 テレビ屋の常識=映像作家の非常識

 有能なドキュメンタリストや映像作家は、そうした「カメラの暴力性」に意識的であり、そのことを浮かび上がらせる作品を作ったりします。

 例えば「(2)ゲイバー」の仕込み撮影に関しても、「これはスタッフが仕込んだものだ」と視聴者に明らかにすることで、「仕込まなければこういう場面は撮影できなかったこと」について、視聴者に考えさせる作品を作ることでしょう。

 また、鋭敏なドキュメンタリストならば「取材対象者の興奮している姿しか撮れていない」ことに気付いて真剣に悩み、カメラに慣れてもらうまで時間を掛けて彼らと付き合うことでしょう。

 さらに意識的で「美学を持った」映像作家ならば、自分の作品にボカシを入れるなんて考えられません。そうした可能性のある場面を、撮影することすらしないでしょうし、どうしても撮りたい場合は映される人々と親密な人間関係を築き、「ボカさなくても済むように」懸命に努力することでしょう。

 「テレビが撮影に来て興奮している同性愛者たち」

 要するにこの番組、結局は最初から最後まで「テレビが撮影に来て興奮している同性愛者たち」しか、映し得ていないのです。興奮していない姿も映されてはいますが、それらは総じて街頭にいる彼らを「隠し撮り」したもの。女装をしたり、街頭でキスしたりしている彼ら/彼女らの多くは、放送当日まで撮影されたことすら知らなかったことでしょう。撮影者達はその罪悪感から逃れるため、「ボカシ」を入れたのだとも言えます。タテマエとしては「プライバシーの保護」。本音としては「隠し撮っちゃってゴメンね。」

 テレビは日々、こうした無神経な映像を垂れ流しています。FC2 同性愛Blog Ranking
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コメント

この記事へのコメント

なんというか

どんだけの危険地帯なんだ…。
そんなことを視聴者に感じるようなつくりですよね。
顔のボカシ、そういえば何故私は顔をボカさずに
自分のブログで出してるんだろう…。
単純に自分のことを知って欲しかったんでしょうけどね。
しかし、競パンに顔を埋めるとこまでうつすのってどうなんだろ?
もう少しうつすべきものがありそうですけどね。

初めまして!

初めて立ち寄りました!!宜しくです☆他の記事も拝見させてもらいました!!
この番組ですけど、なんか、そんなに凄まじい街なのか・・・。って思いました。自分も行くのに、いったことないところみたいだったです。ノンケの友達は、「行ってみたい」って言い出しました。

他者表象の功罪?

 akaboshi様

 ひさびさに連続コメントっす(^^) 
 週末は自分の時間があるもので・・・。

 さて、テレビ番組における他者表象の問題。
 akaboshi様、けっこう
  しつこい
っすね~(^^) っちゅうか、スッポン型? 徹底的に攻撃しはりますネ。 ←ええ意味
 あの番組を観ていて感じたことは、
  他者に一方的に表象される人々の悲哀
です・・・。
 もちろんゲイやレズビアンの方々もあの番組の制作に間接的に参加されているわけなのですが、場面場面で発言するにしても、行動するにしても、それらはあくまでも他者が設定した演技ではないかしら?「このセリフを言ってね」「その動きは不自然」ってな具合で、他者が自分の言動に逐一指示を出すような権力の行使。当事者が主導権を掌握できない自己表現・・・。舞台上の操り人形?
 (もちろん、マイノリティー自身が自己表象すること自体にも同様の問題は発生しうるわけですが・・・。)

 あの番組、マイノリティーの他者表象を理解する好例なのでしょうね?
 個人的には、
  『大阪ストーリー』
の方がリアリティーを伝える力があるなあと思っております。

 以上、愛情
 ド美女好きでスケベの感想でした(^^)

最近、傍観していただけだったので乗れる話題で乗っておきます。(藁)

この番組のCMは本当に最低な作品ですね。
夕飯中に「競パン姿の男性たちが踊る」っていうCMが流れたんですけどね・・・。いくらなんでも夕飯中に人の体見て喜んで食べる人っていうのは少数でしょうし、なにより「夕飯時」にそのような内容のCMを放送するのはいかがな物かと思いますね。第一に異性愛者にとってはかなり高い確率でよい印象を与えないのでは・・・。

結局は、本当に「怖いもの見たさ」だったんですよね。
まぁまだ異性愛者にとっては未知のものですのでゆっくりでいいから、さっさと理解していってほしいです(藁)

●Kazuccineさん。

なにも知らない人は、「歩いているだけで男に襲われる」と思ってたりするからね、
2丁目に対して。
僕も、かつてはそうだったから新宿に行ってもあの辺だけは避けてたし(爆)。

競パンに顔を埋めるところは、実際に行われていることだから映してもいいけど
ゲイの顔にボカシを入れて犯罪者のように映すぐらいだったら
せっかく「潜入」してるんだからディレクターが「体験」してみるくらいのこと
してほしかったなぁ~。そしたら、ものすごく支持されただろうと思う。
この人は映像作家として「本気だ!」って。

●agiさん。

はじめまして!これからもお気軽にお立ち寄りください~。
おっ、ノンケの友人が興味を持ちましたか。
ぜひぜひ連れて行って、実際のところを見せてあげちゃってください。

僕も、なんだか「別の街」を見てるような感覚だった。
テレビの中にしかないような、
テレビ用に都合よく娯楽として創作されているかのような妙な感じ。

●大統領どの。

ええ、僕はスッポンで~す(笑)。
「ゲイが世の中をどう感じているのか」については、
まだまだマスメディアにはなかなか表面化されていないのが実情だと思うので
このブログでは意識的に活字化し、ネット上に残しておこうと思ってます~。

大統領が言うとおり、「テレビ番組における他者表象の問題」は
神経質な位に意識しておかなくちゃいけないことだと思ってます。
作る側も、見る側も。
特に「ドキュメンタリー」を装っている番組の場合は
描かれたものが「事実である」という印象を視聴者が抱きがちですから
テレビカメラというものがどれだけ、映される人物にプレッシャーを与え
演技をさせるものなのかということを制作者が自覚していない作品は
人々に「大いなる誤解」を撒き散らし、
イメージのステレオタイプ化を増長させるだけだと思います。
ドキュメンタリーって本当はそんな乱暴なことのためにあるのではなく
作る人にとっても見る人にとっても新しいことを発見させ、
ステレオタイプ化したイメージを「壊す」べきものではないかと思うんです。
特にマイノリティーとされている立場の者たち(今のところLGBTもそこに含む)は
今の日本では自分たちのマスメディアを持っていないのが現状ですから
こういう機会には、やられたい放題になってしまう。
そういう状況をなんとか変えられないものかなぁと、この番組を冷静に見返してみると
考えてしまいます。
映されている人たちみんな、
ディレクターや、カメラの向こう側にいる視聴者の「期待に応えようと」
必死になっているのが画面から滲み出ているから。

今回の「アンテナ22」に限らずテレビのドキュメンタリーとかニュース取材の大半は
「カメラの期待に応えようと過剰な演技をしている人たち」しか
映し得ていない。だけどそれを見て我々は「真実を見た気になってしまう。」
・・・困ったもんだ(笑えない。)

『大阪ストーリー』
おっ。鋭いところを挙げてきましたね~さすが!。

●鳩くん。

おっ鳩くん久しぶり~。見てくれてたんだ。
夕飯時にあのCM流れたんだ、すげ~(笑)。
その光景、ちょっと笑えるかも。
周りの人たちがどんなリアクションしていたのかが気になる~。
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