フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-09
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LGBT可視化に向けて002●おさえてしまった気持ち


 5/17(水)、僕は「反ホモフォビアの日制定」をアピールするための「Act Against Homophobia」の街頭キャンペーンを見に新宿へ行ってきました。

「Act Against Homophobia」ブログ
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 アピール行動自体は17:30から始まっていたようですが、仕事帰りだったために18:00過ぎに新宿に到着。電車を降り、帰宅ラッシュで大混雑のホームを抜けて東南口へと向かいました。

 前回書いた通り「運動体」への嫌悪感をバリバリに抱えてしまっている僕なのですが、「気になる」気持ちは抑えることが出来ません。そこで昨日は、なるべく観察者に徹しようと決めていました。そのために自分を「ノンケ・モード」に設定し、「仕事帰りのサラリーマンがフラッと通りかかったとして、彼らを見たら何を感じるだろう」という視点で見てみることにしました。(←ややこしい奴ですね~ホントに。笑)。

 東南口の改札を出ると、広場までは長い階段を通って下へ降りるわけですが、空はあいにくの小雨模様。通行人の多くは雨を避けるために別の出口へ向かってしまったようです。いつも、夕方は大変な人通りであるはずの東南口の階段は、残念ながらものすごく閑散としていました。新宿は地下道や屋内の通路が複雑に発達しているため、雨が降ると人通りが大きく変わってしまうのです。

 人気がまばらな寂しい階段を、僕は傘を差して下りました。遠く下の方に見えてきた広場では、白い横断幕を持った30人ほどの男女が「なにかやってる」姿が目に入ります。しかし、ぬかるんだ階段を滑らずに下りることに注意が向かうため、視線は自然と足元を見てしまいます。横断幕の文字を読むことが出来ません。アピールのためにメガホンで2人ほど、何かを言っている姿が見えますが、周囲の雑踏のうるささと、自分が差している傘に当たる雨の音が重なり、なかなか聴こえては来ません。

 と、その時。
 僕の後ろを歩いていた一見ノンケ風の20歳前後の男子二人連れが、その集団を見て「アイダホ!」と言いました。あの集団を「IDAHO JAPAN」だと認識できる「ノンケ」がいるとは思えないので、彼らもきっとゲイなのでしょう。僕と同じように遠巻きに観察しに来たのかもしれません。その後、彼らがどういう会話をするのか注意深く聴いていたのですが、特にそれ以上は話をせず、無言のまま通り過ぎて行きました。

 階段を下まで降りました。やっと横断幕の字が目に入ってきます。まずは、白地の幕に黒く書かれた「同性愛=禁断の愛」という文字が、最もインパクトを持って目に飛び込んできました。「ノンケ・モード」に設定してありつつも、紛れもなくゲイである僕の心には「うわ~、すご~い。本当にやってる・・・」という感動のようなものが「ジワ~ッ」と湧いて来るのを抑えることが出来ませんでした。

 今、目の前に、新宿二丁目ではなく一般社会の公道で「同性愛者である」ことを堂々とアピールしている人たちが、確かに存在している。その現実を目の当たりにすることが「はじめて」である僕にとっては、その時に沸いてきた感情をどう処理していいものだかわからなくなるほど、動揺してしまいました。

 しかしそんな僕は、ただ通りすぎようとしています。一方で彼らはリスクを承知で素顔を晒し、雨の中を堂々と「同性愛」「ホモフォビア」と書かれた横断幕を持っているのです。ビジュアル的にも「社会に敢然と立ち向かっている」という印象がもたらされます。理屈じゃなく、感覚で伝わるのです。もし僕がゲイでなかったとしても、単純に「すごいなぁ」とは思ったことでしょう。同性愛者が街頭に立っているというだけで、こういう気持ちを喚起させられるのならば、なるほど今の日本社会では結構、効果的なアピール方法なのかもしれないです。(哀しいけれど)

 横を歩いていた女子高生の二人連れが、歩みを止めて彼らのことを見つめました。
「同性愛・・・って、ゲイ?」
「そーかも~。」
「風邪ひいちゃうよぉ~。」
「ね~。」
 塗れたまま横断幕を持っている男性を見て、彼女らはそんな会話をしながら通り過ぎて行きました。

 新宿の東口界隈は、街を歩いていればゲイらしき二人連れを「必ずと言っていいほど」見かけることの出来る場所です。彼女らはそんな姿を日常的に見慣れているためか、「ゲイ」ということよりも、彼が「濡れている」ことに関心が向いたのです。本末転倒のようではありますが、なんだか僕には嬉しく感じられました。

              ◇◇◇

 通行人に対してチラシを配っている人数が少なく、渡し方も強引ではないため、僕は誰からも渡されることなく広場を通り抜けてしまいました。拡声器を使って発せられている言葉も、至近距離でやっと「同性愛者の権利は・・・」という部分が聴こえてきただけでした。なにしろ「雨」が一番の障害です。歩いていて、注意が「街頭」に向かい辛いのです

 そのまま高島屋の方に向かって右折したのですが、ガード下では、チラシを配るゲイ青年二人組に、ラフな格好のおじさんが話しかけ、熱心に話し込んでいる姿がありました。

 通り過ぎて高島屋の方に行くと、東南口とは打って変わって大混雑。やはり雨のせいで、多くの人は「屋根のある場所を求めて」こちらの方に流れてしまったみたいです。そんな中、頑張っている彼らのことを思うと「自分はなにをやっているんだろう」という気持ちがムクムクと湧いて来ました。

 やっはり、実際に目の前で仲間たちが「存在をアピール」している姿を見てしまうと感動するし、それと同時にそこに「加わっていない」自分に対する「後ろめたさ」も感じてしまうものなんですね。「な~に観察者だとか言って気取っちゃってんの。本当は加わって一緒にアピールしたいくせに。」そうつぶやく自分がいました。

 それと同時にやはり「怖れ」も頭に浮かんで来ます。
「仕事帰りの会社の人に目撃されるかもしれない。」
「知人に見られるかもしれない。」
「そうなった時の覚悟は出来ているのか。」
 本心をおさえ込む様々な思考が交錯します。僕は踏ん切りが付かず、その場でしばらく考え込みました。

 10分ほど考えていたでしょうか。いつの間にか足が勝手に動き出しました。躊躇した思考を抱えたままでもいい。その場に行ってみて「加われそうな気持ちになったら思い切って飛び込んでみよう。」そんな風に気持ちも動きはじめたのです。

 覚悟を決めて恐る恐る向かった広場。しかし、アピールはすでに終わっていました(笑)。雨模様のためか10分ほど早めに切り上げてしまったようで、彼らは広場の一角に集まっていました。その側へ何気ない様子を装いながら近寄ってみると、尾辻かな子さん(大阪府議会議員でレズビアンを公表した人。今回のアピールの呼びかけ人)が「みなさん、お疲れさまでした~」と笑顔で語りかけています。

 加わることが出来なかった罪悪感を抑えながら、僕は階段を上がりました。なんだか妙に悔しかった。そして、もう一つ心に決めていたことを実行してみようと決心しました。19:00からaktaで行われるという交流会への出席。二丁目に「akta」というコミュニティ・スペースがあることは知っていましたが敷居の高さを感じて入ったことがありませんでした。しかし、今のこの気持ちならば、今日こそは入れるかもしれない。そのまま新宿二丁目へ向かいました。

■学んだこと■
「ノンケ・モード」だなんて今更ムリ!FC2 同性愛Blog Ranking

    <つづく>

●こちらに続きます。
LGBT可視化に向けて003●尾辻かな子さんの肩に、のしかかるもの
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コメント

この記事へのコメント

最近、中山可穂の本をよく読むせいか、新宿2丁目とか日本の様子にとても興味を持っています。アメリカに住んでいたこともあるせいか、ゲイに対しての偏見はないと思っています。本人が隠しているケースもありますが、わかりますが、あえて問うこともありません。
人権確保とかの政治的運動となれば、徒党を組む必要が当然あると思います。今回のような運動は大切だと思います。しかし、実生活での本当の偏見をなくすには、正しい知識を持った理解と人間同士ののつきあいからです。初めてS.Fのカストロ地区に行った時は私も驚いたし、身近な友人がゲイだと知ったときは衝撃を受けました。でも、それは大した問題ではないことを、知識とその人に接することで理解できました。
個々に無理に自己主張する必要もないけれど、人としての権利主張は勇気を持って行なってほしいと思います。応援する人も多くいるはずです。

●alpineさん。

中山可穂さんって、レズビアン小説を書かれているんですね。

政治的な運動へのアレルギーは、
今まで大学時代とかに出会った「そういう活動の人たち」に独特な視野の狭さとか
頭の固さに触れて腹立たしい思いをしてきたという、
個人的な経験がかなり影響していると思います。

しかしこの問題はまさに、自分に直接的に大きく関わる問題なわけで。

僕はゲイを自認したのが、かなり遅かったためにまだまだ知識も足りないし
いわば、このブログを書き始めたことで「考えはじめた」ようなものですから
今後はもっと積極的に行動して、いろんな人と出会って行こうと思いました。
昨日は新宿に行ってよかったです。

なにか、akaboshiさんの心の動きが、手にとるようです。
アピールしてた人たちは確かに勇気があります。
でも、akaboshiさんも、勇気がありますよ?
だって、近づいて、参加しようかと迷われたのでしょう?それって、凄い事です。誰が見てるかもわからないのに!
私にもそういう気持ちってわかるなあー。
報告、楽しみにしていますね。でも、お仕事もあるのですから、無理なさらないように。

すばらしい!!

高みの見物を決め込む評論家が、ドロドロの現実世界に下りていく。
その様子がよくわかりますよ。

みんな、そうやって徐々に腹を決めたオカマになっていったんです。
自分を変えるのは大変です。
ゆっくりと、自分の目と感受性と皮膚感覚を大切にしたいですよね。
肥大した自我や、頭でっかちの理念ではなく・・・。

無言でいられない

読んで、短い言葉しか出ないけれど、書き込みをしようと喚起されました。現実の世界は厳しい。高邁な理想で自分を武装するよりも、もっと素直に生きようかと思います。そうやって徐々に腹が決まっていきそうな気がしているんです。東京から離れた場所にいながらも、まるで自分がその現場を見たようで、心の動きは誰にも止められないんだと、心から思っています。田舎に住んでいるとそういう喚起されるものに出会いにくいというのもあり、今日はいい気持ちです。

早いか遅いか

いつか、この文章を読み返して、こんなときもあったんだなあと思うようになりますよ。
ぼくもそうだった。

そうしていつかあなたも、だれか若い子の文章に、いまのぼくと同じようなことを、励ましを込めて書くはずです。

やっぱり”なにもの”であれ行動して感じてみるのがいい気がします。理屈をなんだかんだつけて何もしなかったり批判するよりも”仮の姿”だろうがなんだろうが手間暇かけて感じてみるのに意味あると思います。参加できたりできなかったりとあると思うけど観察したり密かに応援するのも大事な一つのプロセスだと思います。

何か越えなければいけないもの

越えなければいけない何か、ってあるのかな。
この文章を読んで感じたことです。
いえ、越えなければいけないものがあるのは、
akaboshiさんじゃなくて私のことなんですよ。
私もそういう活動とかには嫌悪感のようなものがあるので、
加わりがたいものがあるんです。
一方で、差別や偏見のない、LGBTにとって暮らしやすい世の中を
造る努力もしたいし、だからこそ今の仕事も選んだ。
色んなジレンマのようなものがあるんです。
なんで穏やかになれないのだろう?なんで攻撃的になるんだろう。
自分達の差別・人権問題にばかり焦点を当てすぎていないか?
他の人権問題を通して自分達の問題を捉えなおしたり、その逆だってあるだろうに。
これはゲイ団体が、というよりは人権関連の団体全てに対して思うことですが。
でも嫌悪感をもって避けてばかりいても、私は何も出来ない、いや何もしていない。
自分の心にくすぶる何かを乗り越える努力をしなきゃいけないんだろうな。

そうはいっても

ゲイであることを公にせずとも、できることはいくらでもあります。少なくとも一般社会で生きている僕にとって、このような活動は、趣旨は理解できないわけではないけれども、参加は出来ません。

ゲイたることをオープンにせずとも、やるべきことはほかにもあります。すくなくとも政権政党に投票しないとか(現首相支持のゲイはバカだと私は思う)、普通にボランティアをやるとか。

社会において普通に存在し、役割を果たしている隠れゲイにとって、こういった活動は、かえって迷惑、という気持ちがないではない。心の奥底では賛同しつつも。そんな矛盾は結構あるはずでは。





模索だ!

遠巻きに見つめるドキドキ、伝わって来ます。生で見るといいようのない感動があった、俺もそうでした。
俺も何かしなくては、何か関って行かねばって思ってきたんだ。
誰かがハッキリ発言、行動して行かねばならないとこがあるよね。

ただ、その表現の仕方もまだまだ模索しながらのこと、akabosiさんも書いているようにもっと多くの人が関っていって良い行動になるように揉んで行かねばならないよね。akabosiさんの感覚が入っていけばとても素晴しいことになるだろうと常々思ってるよ。

各団体の力が弱くなって無党派層が多くなった最近でも、社会は団体、数をもっての発言に説得力があることになっているんだよね。選挙とかがその例。

クローゼットなゲイ、隠れて生きていかなければ!というほどに社会の抑圧があるわけだけど。気が付けば隠れた自分が本来の自分になってしまう。それで築きあげてきた人間関係もある。

俺なんかは早いうちに方向転換したからいいのだろうけど、クローゼットな人には自分に光があたることに恐怖があるだろうし、認められて行きたいと言う思いもありながら自己矛盾してしまいます。これはとても辛いことだと思う。

これからどんどんゲイの状況も変っていくだろうし、自己矛盾しないように若いうちからオープンに生きていくひとも多くなってくるでしょうね。

●秋さん。

もう少し人通りが多かったら、躊躇する気持ちがさらに強かったのかもしれません。
それほど、当日は人通りが少なかったし、だからこそ余計に
頑張っている人たちに対して「申し訳ない」気持ちが働きました。

●アリーチェさん。

僕はかなりの臆病者なのかもしれません。
無理しない程度に、少しずつ現実のドロドロに入って行こうと思います。
今、確実に自分自身がそちらの方向に興味を持っていることは確かなのですから。

●立さん。

地方におられる方々は、望んでもなかなか行動出来ないんですよね。
仲間や同士に出会える機会も、少ないのかもしれないし。
心に素直になることって勇気がいるけれど、躊躇して後悔はしたくない。
今回、すごく思いました。

●きたまるさん。

北丸さんの「僕がそうだった」という一言って
ものすごく、勇気を与えてくれます。
本当に、ありがとうございます。

●flowfreeさん。

行動して感じてみて、はじめて批判できるんでしょうね、きっと。
その資格を得るためにも、この夏は動いてみようと思います。
このブログを始めたことで、自分がこんな風に変化してくるとは思いませんでした。

●Kazuccineさん。

同性愛者の運動体が、日本でどの程度発達しているのか
今まで大して関心を持たないでいたので、今の僕にはよくわかりません。
ゲイのコミュニティーについても「閉鎖的なものだ」と勝手に決め付けて
あまり知ろうともしなかったし、
二丁目で売ってるようなゲイ雑誌も、エロに興味があった時期にはおもいっきり見たけど、
それ以降はご無沙汰だし(笑)

でも考えてみると、それってよく知りもしないで「決め付けている」だけなのかな、と思う。
その辺の意識改革をしようと、最近の僕は思い始めました。

●QUINQUINさん。

そうですね。公に出来ない状況で生きている者は、
することによって壊れてしまう人間関係というものもあるから、
カミングアウトが最終目的だとする言説がもしあるとしたら、そのことには賛成できません。

しかし、「同性愛者の人権を、異性愛者と同じようにしよう」という運動体を
影ながらサポートしたり、支持を表明することについては億劫がらずに
むしろ積極的に行うべきではないかと思うようになりました。

カミングアウトしていようが、隠れゲイとして生きる道を選ぼうが
一般社会からのいわれのない「ホモフォビア」に傷つけられ続けることは同じであって
その部分では、分かり合えると思うんです。

●ゲイリーマンさん。

「気が付けば隠れた自分が本来の自分になってしまう。」
・・・本当にその通りだと思う。
悪いことしているわけではないのに、どうして隠れなければならないんだろう、という
本心を抱えながらも、
現在の日常生活を維持するために隠れ続けなければならない。
それで築きあげた人間関係があるから。
そのこと自体は責められることではない。責めてはいけない。

しかし、カミングアウトをして生き生きと運動体で活動している人を見ると
そこまでは出来ない自分が「責められている」かのような気持ちに苛まれる。
だから、距離を感じて関心すら抱かなくなる。
運動体に対して「嫌悪感」を持つようになる。
自分には出来ないことをやっているという嫉妬心も含んだ「嫌悪感」。

今までの自分の感覚は、こんな感じでした。
でも、このブログを書きはじめて、少しずついろんなことを知れば知るほど
そんな歪んだ感情を抱いている自分が嫌になりはじめてる。
少しずつ、そういう自分の気持ちを整理するべく、
今まで避けていたところに踏み込んでみようかな、と思ってます。



食いつき!失礼

失礼かとも思ったのですが・・・、LGBTの方々はやはり壁つくってますよね。多分、それは
他のマイノリティーの人がつくる壁とさしてかわらない。それまで抑え付けられていた歴史もあるわけで仕方ないと思います。ただ壁としては割と低い。だからこちらのブログも存在してこうやって閲覧、コメントできる。
でもね、低いけど絶対的にその壁を取り払いたいようには見えないんですよ。異性愛者との壁を。だから失礼なんですが、私はこちらの管理人さんは↑の記事読んでも、凄いとは思いませんでした。全然。(失礼)
一方で本当の意味で社会に対してカミングアウトしているLGBTの方っていますよね。そういう人は凄い先駆者なんだと思いますやはり。その人たちの凄いのはゲイであることを社会に告白しただけじゃなくて、そのこと、その(今は)特殊な立場で社会に貢献しようとしてるところだと思います。そういう人ならゲイだろうと他のマイノリティーだろうと、すんなりその一点で認められます私は。だから、ようは個人レベルで優れた意思のあるゲイの方が外に外に向かえば、きっとLGBTの方々が理想とする社会に近づくってことなのかなと、こちらのブログを見て思いました。
駄文失礼。


●koさん。

僕も、「ゲイ・コミュニティー」だとか「運動体」だとか
勝手にイメージを作り上げて壁を作っていたので、その気持ちわかりますよ。

壁ってきっと、「ある」と感じる本人が
心の中で作ってしまっているものだと思うんです。
でも、それは「関心がある」から作ってしまうのであって、
無関心な人はそもそも壁すら意識にのぼりません(笑)。
だからもしかして、ある時期においては必要なことなのかも。

壁があるからこそ、乗り越えたいと思うんだし
乗り越えたいと思うからこそ、壁の存在を感じる。

5/17に「IDAHOナイト」に行ってみて、まだ誰とも会話できなかったけれども
壁を作っていたのは自分だったんだな、と僕は気付きました。
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