フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-07
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LGBT可視化に向けて001●「運動体」への嫌悪と向き合う


 正直なことを書きます。

 僕は政治的主張を行う運動体の活動にはアレルギーがあり、これまで参加したことはありません。政治的主張をするために人が集まると、どうしても「戦闘的」にならざるを得ないことに抵抗感があるためです。もちろんある程度「戦う」ことは必要なことだし、集団で「ある主張」をするためには、ある程度の「意見の単純化」は必要でしょう。しかし、その集団内部で「主義」が生まれ、外部から孤立して閉鎖的になってしまう恐れも、常に抱えていると思います。

 本来、人間は一人一人が多様な存在であり、ある出来事に出会ったり、人との出会いによって柔軟に、意見や見解は「更新」されて行くべきものだと思います。そうした人々が「ある一つの主張」の下で集団を組むことは、一人一人にとっては、ある程度「集団の持つ暴力性」を受け入れなければなりません。僕はたぶん、そのことに敏感なんだと思います。

 今日、5月17日を「反ホモフォビアの日」に制定しようという運動体「Act Against Homophobia」の活動について。いくつかのブログで紹介されていたために知っていました。しかし僕は今日まで「静観」という態度を取って来ました。運動の主旨である「国際反ホモフォビアの日の制定」には賛同できるのですが、その実際の活動や主張の仕方、集団のあり方について見えにくい部分があり、イマイチ「賛同」に踏み切れなかったからです。
「Act Against Homophobia」ブログ

 購入を呼びかけている「レインボーバンド」を付けることなど僕の現在の生活環境では不可能なことだし、それが暗に示している「カミングアウト至上主義」には抵抗を感じます。この集団に「賛同」を表明すると、そうしたことにも「賛同」することになってしまうのかと思うと踏み切れないのです。

 そして、今日は新宿の街頭キャンペーンで「反ホモフォビアの日」のアピールをするようですが、そのビジュアルイメージにも賛同しかねます。
「Act Against Homophobia」内「5月17日の行動(予定)」

 僕もこのブログで失敗したことがあるのですが、「戦闘的なイメージの露出」は、せっかくLGBT問題に興味を持ちつつある人たちを逆に、感覚的に「引かせる」ことに繋がってしまうと思うからです。

 僕らがテレビ番組の宣伝で「ゲイ」「レズ」「おかま」という言葉がセンセーショナルに取り上げられた時に感じる抵抗感。あれと同じような感覚を、「戦闘」というセンセーショナルなイメージは、非当事者たちにもたらしてしまう危険があります。もし「やられたら、同じようにやりかえせ」という方針があるのだとしたら、それは違うと思います。そこはもっと大人になって「他者」というものを想像し、上手に計算高くイメージ戦略を行う必要があるのではないでしょうか。

 今日、僕は新宿に「Act Against Homophobia」の活動を「見に」行こうと思います。ただここで批判しているだけでは、なにもはじまらないと思うからです。そして、実際に活動している人たちが、どんな人たちなのか。街頭デモンストレーションが、現場でどのようなリアクションをもたらすことになるのかを、自分の目で見てみようと思います。「外の目」と「当事者の目」を往還させながら。

 僕が「運動体」に感じる抵抗感は、ひょっとしたら彼らとまだ「出会っていない」からなのかもしれません。「嫌悪」という感情の原因の一つは、「無知と臆病がもたらす思い込み」だと思うからです。僕は今日、「運動体」という戦い方に感じている自分の「嫌悪」に向き合ってみたいと思います。FC2 同性愛Blog Ranking



●こちらに続きます。
LGBT可視化に向けて002●おさえてしまった気持ち
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コメント

この記事へのコメント

「運動体」「運動家」。どちらの言葉にも少しの嫌悪感があります。
たぶん、昔の彼が「運動家」の記者で、熱烈に沖縄問題とか在日米軍問題を語ったせいかもしれません。よく、駅前でちらしを配ったり、署名を集めていました。
恋愛をしているというよりも、私を運動の同士にしたくて、一生懸命に口説かれました。いい人でした。(過去形がつらい)でも、あまりにも先走っていて、今の日本の政治では駄目だ。こんな国では結婚なんていう既成の形は無意味だから、入籍はしたくないと、言ってました。私は彼と結婚したかったわけではなかったのですが、なにか女として、人間として弾かれてしまったような気持ちになりました。その後、まあ、色々と意見(女性の教育問題とか)の相違もあって、私からきっぱりと別れました。
ちなみに彼からはまだ、年賀状とか、デモのお誘いの手紙がきます。全部、捨ててますけど。(よくないことですね)
そんな私的な理由で恥ずかしいのですが、「運動体」「運動家」は、私には苦手です。
でもakaboshiさんが「見に」行かれる反ホモファビアの集会は、興味があります。ご報告、お待ちしてます。

”ここで批判しているだけでは何も始まらない”、ということと、”「嫌悪」という感情の原因の一つは、「無知と臆病がもたらす思い込み」だと思うからです。”ということは最近痛切に感じています。

私は、ジョージマイケルのブログをしていましたので、ジョージマイケルファンの方々と交流があったのですが、そのファンがみなGAYについて偏見がないわけではないのです。「オールダー」というアルバム(ジョージマイケルの前の彼がエイズで亡くなった後に作った追悼アルバム)が一番気に入ってるとおっしゃる方でさえ、「GAYは全く知らない別世界で怖い」というコメントを書きました。私はその時、「GAYの方の大半はフツーの方ですし、やさしくていい方が多いですよ。」とコメントを書きましたが、その方はそれ以来書き込みをやめてしまわれました。その「怖い」という感情はどこから生まれているのか、全く知らないのになぜ「怖い」のだろうか、と思いました。でも、私は、それ以来その方にその話をするのをやめました。耳のシャッターが閉じていることをブログコメント上感じたからです。むしろ、逆効果だと思いました。


ジョージマイケルは各種エイズ団体、レインボートラストなどにCDの全売り上げを寄付しています。彼は精神的に弱いと言われるけれども、ある意味すごく強い人なのかもしれませんね。私は、先の件でショックを受けてマイブログを削除しました。(すごく悲しかったからです。)akaboshiさんにせっかくリンクしてもらったのですがすみません。

”集団で「ある主張」をするためには、ある程度の「意見の単純化」は必要でしょう。しかし、その集団内部で「主義」が生まれ、外部から孤立して閉鎖的になってしまう恐れも、常に抱えていると思います。”というところは鋭い指摘だと思います。

私自身、ある運動体に属していますが、やはり自由に意見が言える団体なのかどうかは重要だと思います。戦闘的なイメージは現代は受け入れられにくいことですが、だからといって周囲に迎合したり遠慮する必要もないと思います。ジョージが「シュート・ザ・ドッグ」を発表した時のようにね。集会の報告を楽しみにしています。

akaboshiさんのおっしゃることはもっともだと思います。
でも、私は、「国際反ホモフォビアの日」の国内的・国際的承認を求める署名を行い、mixiで呼びかけられていたTop画像をレインボーに変えました。今のままの社会では、そしてそれに対して何もしない自分では嫌だったから。集団の最大公約数的な理念でも、それに賛同できるなら賛同すればいい、そして分裂できるくらい大きな集団になったら、分裂してもっと大きな公約数(もっと自分が賛同できる部分が多い主旨)のために行動すればいいんだと、考えています。


LGBT世界の複雑なところは私にはわかりません。
「外の目」のリアクションに対する「当事者」目線のレポって興味深いです。
団体レベルでも個人レベルでも実体が見えない対象を理解するのはとても難しいです。
偏見は持っていないつもりですが、当事者じゃないと感じきれないことはやはりありますよね。でも当然、同じように感じて理解できるところもきっとあるとも思います。コレは本当に・・・。前半のお話ってそういうことと読ませていただきました。(笑)
なので・・この運動を見て、のエントリを楽しみにしてます。

●秋さん。

秋さんの昔の彼のように「自分が信じるべきもの」を強烈に持っている人は僕も苦手です。
たしかにその人はそう思うんだろうし人に勧めたくなる気持ちもわかるけれども、
そういう人は、えてして「自分が言いたいことの主張」は得意だけれども
他者の声を聞くことを「おざなり」にしがちだし
他者との「微妙な差異」について鈍感にもなりがちですよね。
話していても、勢いに押されて黙らされてしまう。そういう空気を生み出す人は苦手です。
聞いている側の人間に「言えなかった思い」が蓄積されるばかりでストレスになるから。

僕はこの記事で「運動体」への思いを吐き出してみて、
かつての「イデオロギー闘争」の名残を引き摺ったままの「運動体」に感じる「イメージ」を
僕自身が捨てきれずに抱えているだけなのかな、とも思いました。
時代は変わった。
もう、そんな「イデオロギー闘争」なんてとっくの昔に終焉した。
なにせ民団と朝鮮総連が和解する時代なんですから。

気付きました。これは僕の問題なんだろうな、と。
あいかわらず煮え切らない態度のままではありましたが、感じたことはいっぱいあったので
徐々に報告記を書いて行こうと思います。

●shukouさん。

shukouさんのブログ、閉じてしまったんですか?
うわ~。もったいない・・・ジョージの情報がいっぱいあって、
まるで「母親のような目線から」ジョージに語りかけていて、見に行くとホッと出来たのに。

閉鎖した理由は、ゲイに関するコメント欄のやりとりだったのですか?
shukouさんが、そこまでゲイのことに関して「熱く」なってくれたことが、
僕にはすごく嬉しいです。本当に、本当にありがとうございます。
ブログを閉じてしまったことは残念だけど、ぜひまた気持ちが落ち着いたら
shukouさんなりの自己表現の場として、何かしらの形で復活してくださいね。

僕もたまに、コメント欄のやりとりで感情的になってしまって失敗することがありますが
そういう時は何日間か放置して見ることもしないで(笑)、
また書きたくなったら復活するようにしてます。
このブログ、実はけっこうトラブルもありまして記事を消したこともありますし(笑)。

ジョージはCDの売り上げを寄付しているのですか、スゴイですね。
そういえば彼は「シュート・ザ・ドッグ」のような歌で「戦闘的」になってみたり
かなり明確に戦った時期もあったわけですよね。

ただし、映画「ジョージ・マイケル~素顔の告白」の中では、当時の政治活動を振り返って
苦笑交じりに「あの時はどうかしてた」とも語っていましたが(笑)。
僕はそこに注目しています。
「戦闘としての表現」ではなく、「芸術的な表現」を世の中に発信することも
ジョージならば出来たはずなんです。アーティストなんだから。

マイケル・ムーアの「華氏911」のような戦闘プロパガンダ映画よりも
「ブロークバックマウンテン」のような芸術表現としての映画のほうが、
人々の心に本当の意味で深く刻まれる「真に戦闘的な」ものなのでがないかと
僕は思います。

●ヨウコさん。

ヨウコさんのおっしゃることと僕がここで書いたことはどちらも、
運動体が活動するときに忘れてはならない側面だと思います。その通りですね。

mixiに僕は加入していないのでわからないのですが、
レインボー・マークが広まったと聞きました。
不特定多数の人の目に触れるブログでこそ、もっと頑張ってもいいのかなと思います。
と、言いつつ躊躇して「静観」していた僕ですが、
運動をしている当事者たちをこの目で見たら、やはり考えが変わりました。
今後はもっと意識的に、僕なりのやり方を模索しながら
この場を「アピールの場」にも活用して行こうと思います。

●koさん。

LGBT問題の場合、「見えない」ことの原因は隠れている当事者たちと言うよりも
異常視する社会の側にあるわけで。

にもかかわらず「虐げられている側」が相当なリスクを覚悟して声を上げ
「見える」ようにするには、本当に大変なエネルギーが必要なんだと感じました。
遅ればせながら、「Act Against Homophobia」の活動当日に彼らを目の当たりにして
本当の意味で、僕には理解出来たように思います。

マイブログは全部削除したのでこの世にはもうありません。私の頭の中にもどりました。

あのコメントの件についてですが、その方は男性でジョージマイケルの歌が好きで、「ジョージマイケル素顔の告白」も東京と地元で2回見ている方でした。ブログの雰囲気も良くて優しそうな方だったので、いつもコメントをお互い書いていたのです。でも、先日、ゲイに対しての見方についてショックなことを書かれていました。私は、「ゲイに対する考えは正直に述べたほうがいいと思います。でも、私はブログを通してゲイの方とも交流があるので、もしこれを読まれたら傷つく方もいらっしゃるかもしれませんね。」と書きました。その方がどんなことを書いたかはここには書きません。(あとで、申し訳なく思っています。とおっしゃっていたので…。)私は、以前akaboshiさんが「ブロークバックマウンテン」についての他のブログの記事やそれに対するコメントについて怒っていたことを思い出したのです。(ゲイの人が読むことが十分考えられるのに、と)
「素顔の告白」を2回観て、オールダーの曲が好きだったら、ネエ・・・。私の頭は???でした。「映画で何見てたの?「」『オールダー』の何がいいの?」って思いませんか?でも、けんかはしていませんよ。逆効果ですからね。

ブログ、実は、もう再開しました。別の名前で・・・。今度はもっとエキセントリックに作っていきます。”GAYを恐れて、ジョージファンというなかれ!”という記事ももう書きましたよ!(これも逆効果かなあ?)

「真に戦闘的なもの」っていうことについては、同感同感。そうだね。『ブロークバックマウンテン』観て、今でも何か心の中でモヤモヤしてますからね。(おすぎさんが書かれたような事が原因なんだと思います。)

話は変わりますが、レインボーリングってちょっと着けるの勇気いるっていうかファッション的に難しいです。レッドリボンみたいにバッジだったら着けられるかもね。(フラッグの形のネ)

●shukouさん。

僕はshukouさんが、その方のブログにそういう書き込みをしたということだけで
すごく嬉しいです。少なくとも、その方の心に「引っかかり」が出来たわけですから。
たいていの人は、ゲイのことについて「考えてもいない」のが現状だと思うので
「考えるきっかけが作れた」というだけでも、大きなことだと思います。

僕としては今後は、なるべく戦闘的にならずに、
じっくりと浸透していければと思っています。
「同性愛者」と「異性愛者」に限らず他人同士って、まずは
多かれ少なかれ「誤解」と「偏見」を持ち合って出会うものだと思うから。

そうですね!

よく冷静に考えてみると、彼はいい人でしたから、また彼のブログに伺うことにします。彼も私がブログを閉じたのを心配してくれて、自分のブログにまた来て欲しいと言ってくれているので仲良くします。けんかはしていないので大丈夫です。
もう、ゲイやジョージの話題では話はできないと思いますが、彼はジョージの歌が大好きなので、ジョージの歌を聴いている時に、私の言ったことを少しでも思い出してくれたらなあ、と願っています。
みんな違っていいんだという大事なことを、私は忘れていましたね。

●shukouさん改めlastchristmasさん。

ええ。その方との良好な関係が続かれることをお祈りします。
ホモフォビアは、その人の「一部分」であって人格全体を表すものではないし。
現在の日本では「ホモフォビア」という概念があることすらも知らない人が
ほとんどだと思うので
今回のことをきっかけに、少しでも意識されたのならば
大きな一歩なのではないでしょうか。

ジョージ・マイケルの歌も、そうしたことを知った上で聴き直してみると
さらに深く、味わえるかもしれませんしね。
「みんな違っていいんだ」ということは大事です。
ただ、僕は「ホモフォビアに傷つく当事者」なので、
時には喧嘩することも必要だと思ってたりなんかして(笑)。
関係を終わらせない程度に、柔らかさを心掛けながら。
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