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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2018-09
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ゲイ映画「ぼくを葬る」公開中

 監督本人がゲイであることから、これまでに何本も作品の中にゲイを登場させてきたフランソワ・オゾン監督。いよいよ今作「ぼくを葬る(おくる)」では、自身をモデルにした人物を主人公にし、余命3ヶ月を宣告されたゲイが、自らの死をどう受け入れて行くのかを描いているそうです。(日比谷シャンテ・シネ他で公開中)

 前作「ふたりの5つの分かれ道」では、物語の重要な要素としてゲイ・カップルが登場し、そのライフスタイルがヘテロ・カップルとは対照的なものとして提示されていました。初期の作品「ホームドラマ」「クリミナル・ラヴァーズ」「サマードレス」などでも、ゲイやバイ・セクシャルを登場させて、その心理を鋭く描写しています。

 卓越した映像テクニックや、俳優の演技への細かい演出力、鋭いブラックユーモアで観客を惹きつけて止まないオゾン監督。監督自身がかなりイケメンであることも影響してか(笑)日本では圧倒的に女性ファンが多いようです。その独特の鋭い毒や棘を含んだ表現は、彼の映画でしか味わえない感覚です。

 ペドロ・アルモドバルにしてもフランソワ・オゾンにしても、ゲイ監督やゲイ作家のファンは女性が多いようですね。三島由紀夫も生前は、女性から圧倒的に支持を集めていたそうです。やはりセンスや視点が似ているのでしょうね。

 シリアスドラマでは隠蔽され、コメディでは利用される「ゲイ」という言葉

 「ブロークバックマウンテン」の時と同じように、この映画においても日本公開時の宣伝戦略として「ゲイ」「同性愛」の言葉は、配給会社が管理しているチラシやホームページ等の公式メディアでは外されました。「ゲイ」絡みの言葉をチラシに入れることは、ある一定の観客を減らすリスクに繋がるものだと相変わらず判断されているようですね。その一方で、公開中の映画『プロデューサーズ』では、コメディーだからなのでしょうが、ゲイが登場することがチラシにデカデカと告知されています。

 シリアスドラマでは細心の注意を払って隠蔽され、コメディーの場合は「客寄せ」に使われるのが、今日の日本における「ゲイ」という言葉の使用法の実情。そんなに「ゲイ」という言葉はイメージが汚れているのでしょうか。ただし、いくつかの映画マニア向け雑誌では、この映画の主人公がゲイであることに言及していました。このような事態も「ブロークバックマウンテン」の時と非常によく似ています。

 言葉ではなくビジュアルで暗示される「ゲイ」

 言葉では示さない代わりに「僕を葬る」の宣伝では、ビジュアル・イメージとして、ゲイ的要素を感じさせる「半裸の男性」を使用しています。この対処法も、「ブロークバック・マウンテン」が、男性が親密に寄り添っているビジュアル・イメージを使うことでゲイ映画だということを暗示した宣伝戦略と非常によく似ていますね。

 「僕を葬る」の場合、死を宣告されたことで恋人の青年と別れたり、父親との葛藤を抱えていたり、監督自身がモデルになっていたりと、主人公がゲイであることは作品の重要テーマです。しかしチラシでは、主人公を説明する部分は「31歳、気鋭の美しきフォトグラファー」と書いてあるだけ。監督がゲイであることにも触れていないので、気付かない人は全く気付かないかもしれません。隠すことによって、この作品がゲイ映画であることにゲイ当事者たちが気付く機会を減らしているのだとしたら、もったいないですね・・・って、このチラシで気付かないゲイはいないか(笑)。FC2 同性愛Blog Ranking



「僕を葬る」公式ホームページ

フランソワ・オゾン監督「ふたりの5つの分かれ路」DVD

フランソワ・オゾン監督「ホームドラマ」DVD

フランソワ・オゾン監督「クリミナル・ラヴァーズ」DVD

フランソワ・オゾンDVD-BOX「海を見る」「サマードレス」「ベッドタイム・ストーリーズ」「クリミナル・ラヴァーズ」他9作品収録

フランソワ・オゾン監督フィルモグラフィー

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フランソワ・オゾン「ぼくを葬る」●MOVIEレビュー
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コメント

この記事へのコメント

おひさしぶりです!
フランソワ・オゾンの新作は見てみたいですね。オゾン監督の作品は、拝見するまでの期待値がどれも高いという最近の自分では珍しい存在の監督です。
イケメンだから?そういう意味ではないですけどね、ははは。

●cafenoirさん。

さっそくこの映画見てきましたが・・・もう、コテコテのゲイ映画でした。

「ゲイ描写のディープ度」から言ったら相当なもの。
「ブロークバックマウンテン」が可愛く思えます。
当事者が作ると、いい意味でも悪い意味でも開き直ってしまうみたいですから、
ゲイではない人たちが心の準備もなく見てしまうと・・・引くかも(笑)

後日レビューを書きます。
この映画のことは、ちゃんと記しておきたい。

私は絶対にみちまいますから!

なぜって、コレ二ヶ月も前から楽しみにしてたから(笑)
三部作とあらば、全部当然制覇しますから!
でも、そんなに内容ディープなんですか?知らなかった・・・
「オゾンの魂が乗り移ったっかのようなメルヴィル・プポーの繊細な演技」ってセンテンスを目にしてまして、すんごい楽しみなんです!!ビバGW~!
観たら、また赤面しちゃうのでしょうかね私・・・。

●Renさん。

この映画は「まごろし」に次いでの「死についての3部作」だそうで、
次は「子どもの死」を扱うと監督が明言してますね。

コメディのゲイは必ず女装系オカマキャラですよね・・

こんばんは。
なるほど。そういわれてみれば広告では主人公がゲイであるとは明らかにされていませんでしたね。やはり、そういうものなんですね。
ゲイの描写がリアルかそうでないかって、真実が私にはわかるはずはないのですが、BBMはちょっときれいに描きすぎてる印象でした。それに比べると、オゾンの描いた現代の物語の方にはリアルさが感じられて胸に迫るものがありました。オゾン作品で涙したのはひょとしたら初めてかもしれません。

●かえるさん。

チラシに一言も「ゲイ」がないことに関しては、
今年は「ブロークバックマウンテン」の公開もあったことだし、この作品の場合には
かえって「入れた」方が宣伝効果が上がったのではないかという気がしています。

「ゲイ描写のリアル」については、
真実はゲイにとっても人それぞれなので僕にとっても何とも言えませんが
「自分が死ぬ」ことを独りで対処しようとする主人公の「孤独癖」には
僕は親しみを感じました(笑)。

かえるさんは、ジャンヌ・モローとの場面で泣かれたのですね。
僕もあそこで、かなりグッと来ました。
唯一、主人公が打ち解けられた人ですから、すごく美しく思えました。

見てきました。
いくつか。なぜ主人公は死期が迫った時にサシャと決別する道を選んだのか。確かに身の回りの整理、ということもあるだろう。だけど、本当にパードンなら、最期の最期まで見せるのが務めではないのか。
なぜ、代理父をしたあと、遺言でまだ見ぬ我が子に託したのか。主人公と別れたあとのあの2人の表情。早晩、堕胎でもしてしまいそうに見えた。
ゲイだから。ゲイならではの寄る辺のない感覚だから。もっと見せ方はあった気がしてならない。
ただ、祖母役のジャンヌ・モロー。お見事としかいいようのない、存在感でありました。
もう一度見る? 見られたら、ね。

●無名子さん。

ご覧になりましたか。
そうですよね、いろいろと「なぜ」と思うことの多い映画で、考えさせられます。

●「なぜ主人公は死期が迫った時にサシャと決別する道を選んだのか。」
・・・その道を選ぶには、きっとものすごい葛藤があったのではないかと思います。
僕はあの場面を見て
「今は、あまり彼のことを愛していない」ことに気付いたから、
主人公としては冷徹に現実的な対処をしたんだな、と思いました。
要するに、サシャとの関係が「惰性のもの」になっていることに対して
それなりの対応をした、ということ。
もし主人公が「秘密を共有し、一緒に悩み苦しむ」べき相手=「精神的なパートナー」として
サシャのことを捉えていたのだとしたら、きっと打ち明けたでしょう。
しかしそうしなかったということは、サシャは「性的なパートナー」だったということ。
性的には惹かれるし、興奮できるし、一緒にいて身体は安らぐだろうけれども
それ以上の「精神的なつながり」を持てる相手ではなかったということを
意味しているのではないかと思いました。

代理父をしたことについても、もしも僕だったらあのようなことを出来るかどうか疑問ですし
フランソワ・オゾン独特の「屈折ぶり」「ゲイ的自己主張」を込めたかった場面なのかなぁと
受け取りました。
ただ、僕は主人公と別れたあとの、あの二人の表情は
「堕胎でもしてしまいそう」というよりは
「これから死を迎える主人公」の内面に対して想像力を働かせている
とても美しい表情だと捉えました。
「人の死」って、そう簡単には他者が想像できるものではありませんし
出来ると思ってしまったらいけないものだと思うのですが、
あの夫婦にとっては、主人公と3人での「子作りセックス」をすることによって
主人公の気持ちに、他の人たちよりもより深く触れることが出来たんだと思います。
だから、頑なにバリアーを張っている主人公の「内面」に、もっとも踏み込んだ人たちだとも
言えるのではないかと感じました。
だからこそ、死を目前にした主人公の内面にドロドロと渦巻く様々な思いを
彼らは「想像」することが出来る。それ故に出来る、美しい表情だと思いました。

ジャンヌ・モローの役は、いちばん「死」と親しみながら孤独に生きている人ということで
映画の中では位置づけられているわけで、
その複雑かつ大事な役どころを、あれだけサラッと自然に演じ切れてしまうなんて
本当に、只者じゃない女優さんだと思います。
彼女がああいう演技をしてくれたからこそ、この観念的な映画が「現実味を帯びて」
観客に感じられるようになる。本当にすごいと思います。
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