フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-09
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西河克己「不道徳教育講座」●MOVIEレビュー

 「道徳とは、檻である」
 ・・・堂々と言えた時代も今は昔


 やっぱり三島由紀夫は「悪党」である。
 「悪こそが人間の本性」であることから逃げずに掘り下げ、そこから見えてくる「自分なりの善」を希求しつづけた人。そういう意味では作家として誠実であり、信頼できるし尊敬できる。

 しかし彼の不幸は、その感覚が人並み外れて鋭敏すぎたために、戦後の高度経済成長がもたらした無菌国家化の消毒スプレーを誰よりも強烈に浴びてしまったことだろう。鋭敏過ぎる人間というのは、鈍感すぎる人間よりもずっと、「幸せ」からは遠ざかるのが宿命だ。

 この映画はまず「道徳教育講座」という文字がスクリーンに大写しになる場面からはじまる。「なんだなんだ、文部省特選映画か?」と思わせた所で、画面の右下から「不」の文字がトコトコと歩いて来て文字列の先頭に加わる。完成したタイトルは「不道徳教育講座」。一文字加わるだけでここまで印象が変わってしまうことの目眩に襲われながら、映画の世界に引き込まれる。

 三島由紀夫ひょっこりと登場

 その後、突然画面に三島由紀夫本人が登場するので仰天させられる。薄暗いバーのカウンターに腰掛けて、映画の観客に向けて語りかけてくる。「道徳とは、檻である。」実に痛快かつ三島由紀夫的世界観を象徴する言葉である。いつものように目をカッと見開いた自意識過剰気味の三島由紀夫は、観客に「檻から出るための」鍵を渡し、「不道徳教育講座」の世界へと誘うのだ。

 道徳の檻が張り巡らされる
 以前の物語


 時は戦後の混乱期から抜け出し、やっと庶民の生活が落ち着き始めた昭和30年代。
 生活が安定すると人というのは暇になるから、あれこれと「おせっかい」になり始めるらしく、「道徳という檻」を自ら作り出して自らを縛り上げる勘違いを始めてしまう。
 そんな勘違い人間の溜まり場である教育界や政界の権力者達によるヒエラルキーや、産業界の利権構造が複雑に絡まり合って「お前らのどこが善なんだ」と突っ込みたくなるような魑魅魍魎がうようよ沸いている様子を、コミカルに風刺する。「人に善を強いる者たちの欺まん性」を、三島由紀夫は容赦なく描き出し、観客に「笑いという批評精神」にまぶしながら提出するのだ。こんな映画が堂々と作られていた事実は、1959年の日本はまだ死んでいなかったというなによりの証拠である。

 近年の日本で強まりつつある「愛国心」だの「自己責任」だのと言った「権力者が押し付けようとする、おせっかいな言説」は、すでにこの頃から言われ始めていたようだ。しかし、この映画が作られた昭和30年代の庶民や映画人たちは死んではいない。そうした言説を権力者が言い出すとむしろ「な~に言ってやがんだぃ」と馬鹿にし、かえって嘲りの対象としていた様子がこの映画にはリアルに描かれている。

 当時は戦争の記憶がまだ生々しく、愛国心を持ち過ぎて盲目になったから国家的な破綻に陥ったのだという事実を人々がまだ忘れてはいない。そして「自己責任」なんていう言葉で他者の行動を「他人事」として切り捨て、ヒステリーを起こして断罪するなんてことも、人間関係が濃厚に結びついている当時の世の中ではあり得ないことだろう。画面からほとばしり出る市井の人々の人間としてのエネルギーの濃厚さは、現代の世の中の無味乾燥ぶりと記憶喪失ぶりを、かえって強く意識させてくれる。

 最も「不道徳な男」が最も「道徳的な男」に
 成り代わる


 人殺し以外のあらゆる犯罪を犯したことがあるという「最も不道徳な男」が、刑務所から出所するところからドラマは始まる。
 刑事の監視から逃れるために彼は、自分とそっくりな男を見つけてこっそり衣服を取り替え、変装して逃亡する。しかし変装した相手はなんと、「最も道徳的であるべき」道徳教育の権威者だった。こうした「最もドラマティックに物事が進行する」設定を思いつくのが、いかにも三島由紀夫的。

 しかし「悪党」というのは頭がいい。次第に環境に順応し、乱暴な言葉遣いではあるが「道徳教育の権威者」そのものであるかのように振るまえるようになる。
 彼の「権威」の傘の下にいようと周囲にはたくさんの人間がまとわりついているのだが、講演会などで彼がどんなに「毒舌」を吐いてしまったとしても「おっしゃる通り!」と、巧妙に道徳的言説に「解釈し直してしまう」ところが面白い。権力者になれば、なにを言っても「大層なもの」に聞こえてしまうという現実風刺。

 「善人」を気取ると欲望は鬱積して屈折する

 女優の三崎千恵子(「男はつらいよ」のオバちゃん役で有名)が、教育大臣の妻の役で出てくるのだが、最高に面白い演技を見せている。彼女は普段は「妻でございます。」と貞淑でつつましやかに振る舞っているのだが、実は屋敷に出入りする車の運転手に恋焦がれている。しかも彼はボディービルダーのような筋骨隆々とした男らしい男。夫人は彼の裸体を思い浮かべ、「よからぬ想像」をしては「いけないわッ!」と掻き消す日々。

 しかしある日、ついに我慢がならず告白してしまうのだが、あまりにも舞い上がりすぎて勘違いし、「不道徳な男」に対して邪な告白を言ってしまい、弱みを握られてしまうのだ(笑)。「善人」を気取っている人ほど色んな意味で欲望は鬱積し、始末に負えない人間になってしまう。そんな欲求不満のマダムをコミカルに表現した名演技である。

 「道徳的な男」を演じる道を選択する主人公

 やはり悪党は悪党。どう振る舞えば賢く生きて行けるのかは本能的に察知する。権力者の娘を妻に迎え、自らを「道徳的な男」そのものに同化させる道を選択する。いわゆる「檻の中」に完全に入り込み、演じながら生きて行く道を彼は選択するのである。

 主人公と女が「檻の中」に入り込み、地平線に向かって歩いて行く映像を提示した後、再び三島由紀夫本人が登場し観客に語りかける。
「どうして彼らが檻の中にいることを選択したかって?そりゃ、檻の中で安全に生きるほうが、人間長生き出来るってものさ。」
・・・観客を煙に巻いたまま、この映画も終わって行く。


「不道徳教育講座」
 1959年/日活/モノクロ/89分

監督:西河克己
制作:芦田正蔵
原作・出演:三島由紀夫
出演: 大坂志郎 信欣三 三崎千恵子
 長門裕之 清水まゆみ 浅沼創一
 柳沢真一 高島稔 月丘夢路
 岡田眞澄 植村謙二郎 佐野浅夫
 松下達夫 天草四郎 高品格 
 初井言栄 葵真木子 浜村純 藤村有弘

三島由紀夫「不道徳教育講座」(角川文庫)
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