フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-09
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ブロークバック・マウンテンで見る世界015●マシュー・シェパード事件について

 「ブロークバック・マウンテン」が舞台としているアメリカのワイオミング州。
 そこの土地柄を知る上で重要な事件が8年前に起きていたことを、映画に関する言説の中で知りましたので紹介します。

  大学生リンチ殺人事件

 1998年の10月、ワイオミング州のララミーで、大学生のマシュー・シェパードが拳銃で頭を殴られ、リンチされて殺されました。状況から見ていわゆる「ゲイ・バッシング」だったことが判明し、アメリカでかなりショッキングなニュースとして報じられたそうです。
  「アメリカTV/映画ノーツ」 によると2002年にはHBOが「The Laramie Project(ザ・ララミー・プロジェクト~語られた真実~ 」として、NBCが「The Matthew Shepard Story~ザ・マシュー・シェパード・ストーリー~」として競ってドラマを放送したりしているようですから、この事件がその後「物語」として人々の間に語り継がれていることがわかります。このサイトから、事件についての表現部分を引用させていただきます。

 マシュー・シェパードという名のその青年は、既に雪のちらつくほど気温が落ちている中を、頭を殴られて全身が血まみれになるほど怪我をしているのに、牧場の丸木の柵に縛りつけられたまま放置された。18時間後、自転車に乗ってそばを通りかかった若い男がシェパードを発見した。最初は案山子かと思ったが、よく見ると生きている人間ということに気づき、大慌てで助けを呼んだ。しかし手当ての甲斐もむなしく、5日後にシェパードは死んだ。その後二人の男が逮捕された。彼らはバーでゲイを装ってシェパードに近づき、連れ出したことが明らかにされた。物とりが犯行の実質的動機だが、シェパードがゲイだという事実が、必要以上に彼らを凶暴化させたと言われている。

 「ブロークバック・マウンテン」の原作がニューヨーカー誌に掲載されたのは、この事件の一年前の1997年10月。マシュー・シェパードも当時この短編小説を読んで感動したらしく、「母親にも渡して読んでと勧めた」そうです。 「yes vol.2」 の「ブロークバック山の案内図Part2」(P.88)には、当時21歳だったという彼の写真が掲載されているのですが、細身で繊細そうな、ごく普通の若者です。

  映画は動き始めていた

 マシュー・シェパード事件が起こった時すでに映画「ブロークバック・マウンテン」のプロジェクトは動き始めており、脚本家のラリー・マクマートリー氏は脚本を書き終えていました。しかし事件を受け、今後の脚本の行方と、ララミーにいる自分の娘のことを思ってかなり心配したそうです。完成した映画の中には、先日も触れたとおり強烈なイメージでゲイ・バッシングが描写されているのですが、この事件の影響も少なからずあるのではないかと思われます。

 この事件、日本ではどの程度報道されたのでしょう。少なくとも僕は今まで知りませんでした。事件の起こった1998年といえば、僕がまだ自分のことを「ゲイ」だと認知していなかった時。興味を持ってゲイの情報に接していなかったし、あえて避けていた時期なのかもしれません。リアルタイムでは全く知り得ませんでした。

 日本では2000年3月に新木場「夢の島緑道公園」内でゲイ・バッシングによる殺人事件が起きています。この時も、僕はまだ「ゲイ」にはなっていませんでしたが、さすがにかなり大々的に報道されたのでリアルタイムで「うっすらと」知っていたように思います。まだその頃の僕にとっては「ゲイ」とは「汚らわしいもの」だったので、あえて避けて知ろうともしていませんでしたし。自分にその兆候があるのかもしれないと感じていたからこそ、かえって避けてしまう時期というのがあるのです。しかしその後「ゲイ」を自認した当初、むさぼるように知識を吸収した時期もありました(笑)。その時に詳しく知り、「バッシングには気をつけなくちゃ」と思ったものです。

 ゲイとは「なる」ものである

 「ゲイ」とは概念であり、本人が「ゲイである自分」に向き合ってそのことを自覚して行動し始めた時に、はじめて「なる」ものです。本人が自分の本性から逃げて目を背けているうちは「ゲイ」ではないのです。おそらくずっと気付かぬままで生涯を終える人もいることでしょう。僕が映画「ブロークバック・マウンテン」を評価するのは、そのことについてきちんとリアルに描かれていたからです。このことは、僕らにとっては当たり前のことでも、僕らのことを知らない人には、なかなか理解されていないことでもあるようですから。しかもそのことを「特別視」せず、物語として丁寧に描き出しているから非常に画期的だと思ったし、嬉しかったのです。

 マシュー・シェパードが感激したという原作小説。保守的な土地柄で、危険をうっすらと感じながら生きていただろう彼は、きっとこの小説の中に「理解されている」という温かさを感じたのかもしれません。しかし、そんな彼の弱味に付け込んで「ゲイ」を装って近づき、「ゲイだから」という理由で殺すなんて・・・。バーで仲間に会えた喜びが絶望に変わり、生きたまま案山子のように寒空に放置された彼の死に際を思い浮かべると、なんだかやりきれません。

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コメント

この記事へのコメント

知ってました

このニュースは私が丁度アメリカの大学にいた頃で、たまたまスピーチのクラスで最後の一番大きいプレゼンテーションをしなければいけないときでした。今、考えてみると私はそのスピーチ、アメリカでの同性愛者の扱われ方についてやったんだよ。スピーチの先生に「難しい題材だから気をつけて」といわれ、リサーチするうちに同性愛者差別とキリスト教を切り離すことができないことに気が付き、先生も「これは削れない。やるしかないよ。」と話が大きくなってしまってプレゼンの日に異常に緊張したことを思い出しました。どうして私はそんなに同性愛者の問題に興味があるのか、自分でも不思議です。

●チュチュ姫さん。

そういう経験があるから、チュチュ姫さんはLGBT問題に関心が高いんですね。
全然、不思議ではないですよ(笑)。
それにしても、やはり差別問題とキリスト教との関係は切り離せないようで。
(キリスト教にもいろんな宗派、価値観があると思うので一概には言えませんが。)

「愛」の大切さを説きながら、
自らの信念を証明し自己を正当化するためには
「他者」を平気で攻撃できてしまう精神構造の危険さ。
どうして彼らはそこに気付かないのか不思議です。人間の最も愚かしい部分だと思います。
そして、自分も油断すると、いつそういう精神構造に陥らないとも限らないので、
人として生きる上で、それだけは気をつけようと思っています。

このプレゼンをやるのに、私が尊敬している宗教の先生に「キリスト教ははっきり同性愛を否定しているのか」ときいたら、聖書にはっきりそれはいかんと言っている項目があると言われ、そこを読んだけど、私にはそう聞こえないんだけど、それがそうなんだって。うちに帰ればあのプレゼン取ってあるから、調べられるけど・・・・

●チュチュ姫さん。

僕としてもそこらへんのところ、「ちゃんと学ばないと」と思っています。
西洋における同性愛者の「扱われ方」の歴史。
神父さんたちの間では同性愛は黙認されてたりするんじゃないかと思うんですがね。
彼らは女性と「交わってはいけない」わけですから。
ペドロ・アルモドバルの映画「バッド・エデュケーション」は、そういった問題を扱っていました。

「なる」ものという考え

最初、あたしは「ゲイになる」って言葉がひっかかり、
ちょっと疑問を感じてしまいましたが、
内容を読ませていただいて、色々考えるところがありました。
というのが、これは同和教育の研修で知ったことなんですが、
「自分は小さい頃から被差別部落に生まれてきたということは
知っていたけど、それがどういう意味を持つのか、理解したのは
24歳の時だった。それ以降とそれ以前では自分はまったく違う
人間だと思う。」
と語っていた他校の先生の話を聞いたからです。
性的指向は、生まれつきのものだというふうに考えていますが、
なるほど、それだけで「ゲイ」ではないんでしょうね。
特に、基本的にいないものとされている現代の世の中にあっては。

●kazuccineさん。

人それぞれ、感覚や自認経験に違いはあるだろうけど
「男」と「女」のどちらかに属することが「当たり前」である世の中で
あえて「自分はゲイである」と認識するのは、
やっぱり自分の意志で「なる」ことなんだと思う。

akaboshiさんの『ブロークバック・マウンテン』についての多くの記事をとてもおもしろく読ませて頂いていたのですが、この記事の「バーで仲間に会えた喜びが絶望に変わり」の箇所で、急に目頭が熱くなるのを感じました。思いがけずゲイに出会い、しかも彼らは自分に対して恐らく好意を持っており、誘い出される。「保守的な土地柄」等々の背景により、相当嬉しかったに違いありません。
話が逸れてしまいますが、自分が高校生の頃、そこまで深刻には考えずに数人にカミングアウトしたことが少し怖くなりました。

●らっきょさん。

ゲイに「なりすまして」犯行に及ぶなんて、本当にひどい話ですよね。
この物語が、ホモフォビアを語るときの「伝説」として扱われるようになっているということが
ある意味、救いではあります。
それだけ人々が「これは放ってはおけない」と思い、行動したという証ですからね。
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