『東電テレビ会議49時間の記録』(福島映像祭にて/ポレポレ東中野)

会話の端々で「ピー音」が入ったり、不自然に画面が時々暗転したりと、そもそも公開された映像が断片的だったということが再確認できたとともに、それでも伝わってくるのは、状況が悪化するにつれて指令者たちの疲労が募り、ろくに寝ることも出来ない極度に緊迫した状況に置かれた悲惨さだった。
その後の成り行きを全て知ってる現在の視点からすると、不謹慎ながらもユーモラスに感じられる場面もあり、場内では何度も笑い声が起きた。下手な創作喜劇よりも喜劇的。でも、喜劇というのは登場人物が悲劇的状況にあるからこそ喜劇になる。昔演劇をやってた時に演出家が言ってた言葉を思い出した。
福島第一原発の吉田所長が緊迫場面が続く中で「それでは落ち着くために、みなさん深呼吸をしましょう。ハイ、吸って~ぇ、吐いて~ぇ」と号令をかける音声とか、「ジジイで決死隊を作るか」と言った直後に東電本部が「ん?なにで決死隊を作るって?」と聞き返したり。喜劇に思えるくらいにシュール。
また、3月12日の1号機水素爆発の日の夜、福島第一原発の職員たちの被曝線量が限度を超えないように「帰宅させた方がいいのでは」と他から問いかけられたとき、第一原発側は「いや、既に20㎞に避難指示が出てるから帰れる場所が無い」と即答。そうしたふとした会話で場内では笑いが起きた。
映像は前半と後半1時間40分ずつにまとめられており、福島第一、第二、東電本部、柏崎刈羽、オフサイトセンターの5つの指令室の映像をずっと見続けることになるが、誰がしゃべっているか色で明示したり、専門用語の説明が入ったり、時間経過を示す画面で緩急が付けられ、飽きずに見ていられた。
各司令部が疲労で冷静な思考能力も奪われてるのではないかと思う映像の密度が増したところで、開示された映像の上映は終了する。そして気づく。実は、本当の深刻な放射能汚染は、開示された映像の「後」の時間に2号機から放出されたものであるらしいことに。本当に知りたい部分は観れてないことに。
つまり観終わった後からが本番なのだ。開示され、観ることが出来た場面だけでも絶望的な「破局の予感」が漂う場面が続いていたのである。その後は違ったレベルの混乱が生じたのだろう。だから開示されてないのだろう。そういった意味で、観終わった「後の場面」への想像力を強く喚起させられた。
まだ開示されてない場面にこそ、多くの人に避難を強い続け、食品や海洋汚染、地球環境の破壊をもたらした高濃度の放射能汚染をもたらすことになる「瞬間」が記録されている。恐らく正視に耐えないことになってるに違いない。でも、開示されるべきだ。二度と同じ轍を踏まぬよう目撃し、記憶すべきだ。
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