慰安婦論議を「ゲイとしての個人」の視点で見ていて思ったこと。~「男らしさ」を「男」に強制する社会や組織の闇
★この記事はTwitterから作成しました。橋下氏がTwitterで「人間、特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは厳然たる事実」とつぶやいたらしいけど、「男」を主観で一括りにしないで欲しいし、非性愛(恒常的に他人への性的欲求を持たない)者の存在が消されてるのにも違和感。
橋下・石原両者による一連の「慰安婦」関連発言による議論が、これだけ「男・女はヘテロセクシュアルであるという前提」で情報空間に溢れかえることで息苦しさを感じたり、所在が定まりにくいことへの不安感のような気持ちを抱くのは僕だけではないと思う。「男」「女」の使用に違和感の波が襲い来る。
「男って○○だ」「女って○○だ」と、議論が激しく交わされる際に前提とされている「男」「女」に常に留保の気持ちが湧くので、慰安婦容認発言に関するどんな意見に接しても違和感だらけ。ゲイなので「男」の自覚があれども、そこで言われる「男」との距離が複雑に揺れ動きパンクしそう。
「特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは厳然たる事実」であるというなら、同性愛者が公言して軍務に就くのを公認した米軍に対しての働きかけにおいては、ゲイやバイセクシュアル男性のための「性的な欲求を解消する策」も必要だと言ってることになりますが、お気付きでしょうか橋下さん?
軍隊など上下関係が厳しい組織の「男」達に「性的な欲求を解消する策」を公的に設ける必要があるとの発想は、性的少数者に限らずそういう行為に違和感がある人にも「そうすることこそ『男の中の男だ』」という圧力をかけ、嫌がればパワハラやいじめの要因になるのだろう。被害者は「女性」だけではない
そして、違和感がある人たちが無理やり「こうすることこそ『男の中の男だ』」と、やけっぱちになって過剰な男らしさを身につけ周囲の監視の下で演じる。そして女性に対し加虐的になり行為がエスカレートすることも起こり得るだろう。慰安婦容認論の被害者は、「男性」だけでも「女性」だけでもない。
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