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2023-10
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レスター・ハムレット監督『カサ・ビエハ』(セルバンテス文化センター「キューバ映画上映会」にて)●MOVIEレビュー

 東京・市ヶ谷にあるセルバンテス文化センター東京で3日間にわたる『キューバ映画上映会』が5月10日から始まり、オープニング上映となる『カサ・ビエハ』を観てきました。ゲイをカミングアウトしている監督の作品とトークがあるということで、キューバのセクシュアル・マイノリティ事情が伺えるかもしれないという期待もあったわけですが、期待以上に深い味わいのある映画で、久々に「ゲイのリアル」がしっかり描かれていると感じられる映画に出会った興奮を味わいました。

■タイトル: Casa Vieja
■監督: Lester Hamlet
■制作年: 2012
■上映時間: largometraje - 95 min
■制作国 Cuba

 主人公は30代中盤と思しきゲイ男性。都会であるバルセロナでゲイとして生きている日常から、「父が危篤」の知らせを受け、キューバの田舎にある実家に14年ぶりに帰郷します。家族や近所の人は皆が、「主人公がゲイであること」を知っているのに、まったくもって口にしません。だからといって居心地がいいわけではなく、「何かを言いたいのに言わずにいる雰囲気」が満ちていて、どことなく関係がギクシャクした感じの日々が続き、やがて父親が亡くなります。

 主人公の母親は、夫のもとに嫁いでからずっと、母親であり妻であることによってアイデンティティを保ってきたわけですが、それによって心が満たされはしなかったようです。どこか不全感を抱えた佇まい。そう、この映画の登場人物たちは、主人公以外にもほぼ全ての人たちが、「どことなく不全感」を抱えている人物として造形されているのです。

 言いたいことがあるのに言い合わない家族。いわゆる「家父長制に則った家族」を、それぞれが割り当てられた役を演じ合うことで維持しているかのような時空間。主人公はやがて息が詰まるようになり、「やはりここは自分の居場所ではない」ことを悟り、去ることを決意します。

 主人公がそろそろ去ろうかという時、些細なことで兄と口論になります。その際、兄から「お前は、ホモだ」と言われる場面があります。その際の兄の人物描写が見事です。全身がプルプル震えつつ、振り絞るようにして口にするのです。その表現からは、「タブーを破る者の苦渋」が痛いほど深く滲み出ており、この田舎共同体で「家父長制」を維持することで生きている人たちにとって「ホモ」「同性愛者」というものが、いかに禁忌(タブー)として扱われてきたのかが、如実に現れている場面でした。

 ついに家族の中で一番最初に「タブーを口にしてしまった」兄と弟は、ともに一線を越えあった者同士の「戦友のような感覚」が芽生えたのでしょうか。肩を抱き顔を寄せ合ってしばらく寄り添います。「家父長制を維持する異性愛者」と「家父長制から逸脱したものとして扱われる同性愛者」。その間には深い川が流れているのですが、それ以前に「兄弟」という絆が結ばれていることもたしか。しかし、もう既に両者は別々の生活環境で、別々の人生を歩んでいるもの同士。

 しばしの邂逅の後、兄弟は別れていきます。

 上映後の監督トークによると、主人公は既に都会で開放的な日常生活を知ってるので、兄の旧態依然とした「同性愛者をタブー視する態度」から、ますます「自分の居場所はここではない」と感じ、故郷を去ることになるとのこと。家族が、それぞれに「家族の構成員」であることを演じ合うような空間において、主人公のような同性愛者がいかに「居づらい」のか。そのことを受け入れたくとも受け入れられない周囲の家族の人物描写も含めて、コミュニケーション不全の苦さに満ちた映画ではありましたが、なぜか最後には、「人生には、分かり合えないこともある。」ということを、逆に肯定的に捉え返すことができるような、不思議なポジティブメッセージも発せられているように感じました。

 深い味わいのある、忘れられなくなりそうな名画だと思いました。ぜひ、機会がありましたら観てみてください。

 上映後のトークでは、質疑応答があったので最初に手を挙げ、映画で描かれた「ゲイの息子と父のディスコミュニケーション」は監督の自伝的要素が強いのか?、キューバのセクシュアル・マイノリティも日本と同じように、都会と地域コミュニティでは生き易さが違う傾向にあるのか、その2点を質問しました。

 監督の応答によると、この物語の原作の主人公はゲイではなく、「身体に問題がある設定」だったのを、わざわざゲイの設定に変え、タブー視している家族の元に居づらくて14年も実家に帰らず、父が危篤の知らせを受けて帰郷する設定にしたのだとか。つまり監督の自伝的要素が色濃いようです。また、キューバでは家父長制が色濃い傾向が強く、監督の友人たちでも家族との関係に悩んでいるセクシュアル・マイノリティは多いとのこと。ただ、都会ではわりと伸び伸びと暮らしている人たちが増えてきているようです。

 また、次のような印象的なことを言っていました。

「芸術家というのは自分の中の悪魔を解放しなければなりません。私にとって、主人公をゲイにしてこの映画を撮ることが、悪魔を解放することでした。」

 この映画は、監督の予想をはるかに超え、キューバでヒットを記録したそうです。既にキューバ映画界には『苺とチョコレート』のヒットが開拓した「同性愛映画の場所」が確保されているとのことで、実はこの映画、主人公がゲイであることが後半にならないと明かされない描き方のため、いくつか出てくる「主人公のゲイ性をほのめかす表現」を感知できない人にとっては集中力を持続させるのが大変なのではないかと思われるのですが、説明を過剰に織り込まずとも、ちゃんと「ゲイの内面」を想像して観てくれる観客が、キューバでは育っているということなのかもしれないと感じました。

 そういった意味でも、とてもうらやましい「キューバの映画・セクシュアルマイノリティ事情」がうかがえた上映会でした。

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