メディアと性的マイノリティ14●「ホモ」「レズ」などの言葉について

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
会場にお越しいただいた方との質疑応答です。以前言及された『「オカマ」は差別か論争』にも関係しますが、「ホモ」「レズ」などの言葉について、他者への説明の方法や、使い方、使われ方について話が膨らみました。
14●「ホモ」「レズ」などの言葉について
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
★こちらの記事からの続きになります。

「ホモ」とか「レズ」とか、そういう言葉について、なにかお考えになることがあればお伺いしたいなと思いました。
伊藤悟
言葉遣いについては私は慎重に発言せざるを得ない立場に居るのですけれども、たとえば「その言葉を使わないでください」みたいなことを言うと、直ちに「言葉狩りだ」というようなことを・・・ネットなんかでもそうですけども、「言葉狩り」という言葉で、言い難くなってしまうところがあるんですけれども。自分は最近「使わないでください」「使ってほしくない」という言い方をしないで、どう伝えるのかな?と悩むわけですけれども。具体例主義ですね、自分は。たとえば授業とか他で話しに行くときには「こういう人が居ます」と。「こういう言葉を言われて、こういう傷ついた人が居ます」と。
たとえばさっきの「オカマ」で言えば最近の例で言うと。小学校4年生か5年生どっちだったかな?「オカマ」とからかわれている男の子が居たわけです、クラスに。担任の先生がたまたま急病で休んで代わりに教頭がその日の授業をやることになったと。そしたら教頭が来て朝一番に、「このクラスにはオカマがいるらしいな」と言って笑いをガーントと取って「掴みはOK」と言ったらしいんですね。・・・というようなことが学校現場で起こっているわけです。

つい最近も朝日新聞の投書欄で、教師が「絵が下手だ」と。下手の見本として自分の絵を黒板に貼り出されたという意見に、かなり投書の連鎖があって。同じように鉄棒の逆上がりの悪い例にされて傷ついたとか。
自分は教職をやっているので、子どもたちが、わからないところで傷ついた時に、「言ってしまわない」とか自己規制することを先に言わずに、そういう傷つけることがたくさんあり、そうして傷つけた時には自分がその子に謝るしかないっていう。教員だって傷つけたら謝らなければいけないと。そういう形で授業を展開するわけですけれども。
その意味で言えば、からかわれ方としては今ほとんど「ホモ」とか「レズ」とかっていう省略形自体が今、使われなくなってきて、もう「ゲイ・レズビアン」とか「ゲイとビアン」とかいうふうになってきているわけですけれども。これも難しくって。かなり、私自身も含めて「ホモ」という言葉しか言葉が無かった時代には「ホモ」と言っていたし。

だから、そういう意味では少なくとも、「この言葉では傷つきます」ということは言えます。という意味では「ホモ」も「レズ」も「オカマ」も、傷つく人がたくさんいる確率は高い。だったらマナーとして、傷つく人がいるかもしれない言葉は使わないで済むならいいんじゃないですかねえと。
その位のことは、やっぱり教員だったら考えてほしい。教員じゃなくてもメディアの人も考えてほしいというような、なんかとっても回りくどい言い方ですみません。「絶対」というような言葉は使いたくないので。少なくともそういう、傷つく人がいたら、そういう言葉っていうのは避けるのが一つのマナーとして確立できないかなぁということは思ってますけど。この辺は、言葉専門家として補足を。
三橋順子
いえ。補足をすることもない、おっしゃる通りだと思うんですけれども。たしかに、私もものを語り、ものを書く表現者ですので、言葉が狩られる、言葉が減って行くっていうのはマズイと思うんですね。だけどもやっぱり、言葉をどう使うかっていうことに関してはセンシティブに、より神経質に。今、伊藤さんがおっしゃったように「傷つく人がいるんだ」ということを常に念頭に置いて使わないといけない。

だけど、そうじゃない人が、ある特定の人を指さして「オカマ」だとか「ホモ」だとか「レズ」だとかという言い方をするのは、やはりそれは避けるのが、まあ、普通の感覚。だから「マナー」とおっしゃったのは、普通の礼儀だろうと思うんですよね。そこらへんをどうしても客観化したいならば、「男性が好きな男性」とか。そういう形に戻すしかない。説明的な言い方に戻すしかないってことです。
今の、伊藤さんが言った教頭さんっていうのは、酷いけど有るんですよね。私らの世代なんかは、体育の教師が、なぜか体育の教師が保健の先生を兼ねてたりして保健の授業で「いいか、お前たち。世の中にはなぁ、ホモっていうなぁ、男が好きな男がいるんだぞ」って、まさに笑いを取ろうとする。
akaboshi
その「世の中には」の世の中に、その当事者が「含まれていない」から言えることですよね。
三橋順子
そんな授業を、200人も男の子がいる学年でやれば、さっき言ったように100人に何人なんだから、当然いるわけですよ。その当時から中学校だから。その子たちの思いっていうのは何だったんだろうと思いますよね。
akaboshi
「世の中じゃないの?自分は」みたいな。

すごいスポイルだと思う。教育の現場ってのは、さっきakaboshiさんも言ったように、「いる」ってことを想定して、喋らないといけない。似たようなことは大学教育にもあって。私が「トランスジェンダーっていうのは1万人に1人、2人いるんですよ」と、大学の学生課の学生相談室の先生たちにレクチャーした時に、早稲田大学の先生が「いや、ウチにはいないと思います」と。
会場
(失笑)
三橋順子
私が「すみません。早稲田は在学生何人ですか?」と。「全部集めると6万人位。」「いなかったら、どういう選別をされてるんですか」と。もっとはっきり言いますと、早稲田出身の有名ニューハーフ挙げましょうか?と。・・・法政も「いない」って言ってましたね。法政は名門校ですよ。青江のママは法政学徒出陣。矢木沢まりに・・・そういう人は名前挙げてもいいですけどね。個人的に知ってる方はプライバシーであれかもしれないけれども。
そういう感覚っていうのは実はすごい怖いんです。「ウチにはいない」「ウチの学校にはいない」「ウチの町にはいない」。いないって、調べてないんだからわからないんですよ。「ウチの町にはいないと思いますけどお呼びしました」っていう講演ほど嫌な講演は無いですよね。まず最初に「いない」っていうことから壊さなきゃいけない。

私もありましたよ。高校の先生が集まっているところで一通り話をした後に質問が出て、定年近い先生だった。「私はもう何十年教師をやってまいりましたっ!」っていう感じなんですよ。で、「一度も、ゲイやレズビアンを見たことがありません。だから本当にいるんですかっ!?」って。あなたが見たことがないことがどうして証拠になるんだろうっていう。
三橋順子
あなたが見たことがあったら気付いてないだけ。
伊藤悟
そうそうそう。あるいは、その先生が信頼できないから、その子もカミングアウトしないだけじゃないかって、そこは穏やかに話すのが大変で、最後まで伝わらなかった感じがしましたけど。そういうのが一番怖いですね、たしかに。
三橋順子
教育はやっぱりすごく大事で、いちばんいいことは、こういう人を教室に呼ぶことです。
伊藤悟
そうですね。

なにも伊藤さんや私でなくてもいいけれども。目の前にそういう人たちがいて、その人が普通に喋って、普通に会話が成り立つ人たちだってことを知らせるのが、なにより効果的です。中学生だろうが、高校生だろうが大学生だろうが。ところが、「そういう人を呼んで伝染ったらどうするんですか」っていう父兄が必ず出てくるんです。・・・伝染病なんですよ。
伊藤悟
必ずありますね。「ウチの子がゲイになったらどうするんですか」みたいなね。
三橋順子
伝染るんですっていう・・・。<つづく>→FC2 同性愛 Blog Ranking

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コメント
この記事へのコメント
このシリーズ面白かったです。特に、具体的な話をされていて、印象論で何となく語るような内輪話にならなかったのが良かったと思います。載せてくれてありがとう。
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