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フツーに生きてるGAYの日常

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2023-10
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メディアと性的マイノリティ05●性転換に伴う戸籍変更の前例を掘り起こし、法務省の見解を変えたメディアの調査力



 2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」

 伊藤悟さんのお話に続いては、トランスジェンダー当事者として90年代からマスメディアと様々な形で関わってこられた三橋順子さんが、トランスジェンダーの扱いの変遷について語ってくださいました。また、マスメディアの「上手な利用法」の事例も出てきますよ。

05●性転換に伴う戸籍変更の前例掘り起こし
 
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST

★以下、こちらの記事からの続きになります。

三橋順子

 96年の1月に出た『imago(イマーゴ)』という雑誌で、伏見憲明さんと対談したのが私の「まともなマスコミ」への最初(の関わり)だったように思うんですけども。今、akaboshiさんがおっしゃったようにトランスジェンダーのムーブメントというのは、90年代前半のゲイ・レズビアンムーブメントの一つの波及として、拡大として、特に伏見憲明さんがクィア・ムーブメントという形で拡大して行った中で出て来た部分というのはあるんです。

 ですが、一方でちょうど同じ頃。93年~95年あたり。今はもうほとんど引退されてますけども、上岡龍太郎さんっていう関西系の司会者の方がしきりに、特に番組改変期の特集枠として「ニューハーフ・・・」最初は50人だったんですけど、そのうち「ニューハーフ100人」とか。ともかくニューハーフをたくさん集めて、ひな壇にバーっと50人なり100人なり並べて。最初はスタジオ内でいろいろやらしてたんですけど、そのうちヤレ運動会ですとかやらせて、今のお笑い芸人さんとかのポジションを、そのままニューハーフにやらせてたような時期があるんです。それがやっぱり今から思うと、それまではかなり個人的に限定されてた・・・たとえばカルーセル麻紀さんとかに限定されてた、そういう「性を越えて生きている人たち」が、テレビメディアにドッと出てくる一つのきっかけだったと思います。

●YouTubeより~ミスターレディー50人決定版 1/9
 

 私、その末期のビデオで、若き日のはるな愛ちゃんが・・・はるな愛ちゃんをはじめとするニューハーフたちが、手料理を作って、それをなぜかよくわからないんですが幼稚園児に食べさせて、幼稚園児に「どのお姉さんのがおいしかった?」と批評をさせるというビデオを持ってまして。それをよく学生に見せるんですね。いろんな面白いビデオなんですけど、田代まさしが司会してて、それで非常にいいコメントしてくださったのが今は亡き飯島愛さんなんですね。96年のビデオですからたった14年前なのに、隔世の感があるもので学生はびっくりするんですけども。そんな流れも一方であるんです。

 ちょうど同じくらいに、これは私もちょっと関わったわけですけれども、新宿2丁目のゲイコミュニティとは別に存在する、いわゆる女装者のコミュ二ティの存在にテレビや雑誌が気づく。それまでは気づいてなかったんですね。そういうコミュ二ティっていうのは、1960年代の後半ぐらいから形成されてましたから、その時点で既に30年くらいの伝統があったわけです。場所的には、むしろ二丁目ではなく歌舞伎町、あるいはゴールデン街。あるいは三丁目の末広亭があるあたりとかですね、あのブロックなんですよ。要するに二丁目のお隣ですね。ちょっと新宿駅寄り。

 今からすると、どうしてそういうことになったんだろうと、思い出すと感慨深いんですけど、『サンデー毎日』が巻頭のカラーグラビアで、新宿の女装者の、まじめに撮ったカラーグラビアを載せました。今から思うと不思議なくらいです。

 それからその後に『AERA』が、題はね、たぶんデスクが変な題名を付けてたんじゃないかと・・・さっきの伊藤さんのお話じゃないですけど。「エリートがスカートを履く時」かな?とにかく新宿の女装者の現状、現実っていうものを『AERA』がわりと真面目な記事にしたんですね。

 テレビのそういうニューハーフの・・・上岡さんの番組だったということもあって大阪のニューハーフがかなり注目されて、いわゆる「浪速のニューハーフブーム」という。「ベティのマヨネーズ」のママとかが中心ですが、あるいは、若き日のはるな愛ちゃんがスターだった、アイドルだった時代。

 と、新宿の女装コミュニティの取材。1998年だったと思いますが、今でも枠としてはあるフジテレビの日曜日の2時ぐらいから『ザ・ノンフィクション』っていう番組があるんですけども。それが1時間まるまる、やっぱり新宿の女装者に焦点を当てて番組を作ってくれたんです。それも私が・・・さっきの話じゃないですが痛い目にあってるので何度もビデオチェックまでしたんですけども、問題が無きにしもあらずですけども少なくともさっきの『怖いところ探検二丁目』みたいな。そういう番組、2000年代になってもありませんでした?私ビデオ持ってるんですけども。隠しカメラみたいなもので二丁目を撮ってるような・・

akaboshi

 2006年ですね。

三橋順子

 2006年ですか、わたしDVDもらったんですけども。

akaboshi

 日本テレビでしたね、やっぱり。

 ↓
【当ブログ内関連記事】
たかがテレビ024●日本テレビ『アンテナ22』にて「真夜中の新宿2丁目禁断の同性愛の楽園 」今夜放送(2006-05-15)
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たかがテレビ028●検証「真夜中の新宿2丁目~自由奔放な魅惑の街」①PRの品性(2006-05-21)
たかがテレビ029●検証「真夜中の新宿2丁目~自由奔放な魅惑の街」②2丁目の記憶(2006-05-23)
たかがテレビ032●検証「真夜中の新宿2丁目~自由奔放な魅惑の街」③カメラの暴力、ボカシの功罪(2006-05-26)

三橋順子

 日テレでしたね。そういうのに比べるとかなりマトモな作りの番組が98年ぐらいにはもう出来てたんです。ところが、ほぼそれと並行する形で、性同一性障害の問題が・・・。最初の手術が98年の10月なんです、FtMに対する手術が。それからMtFに対する手術が99年の6月なんです。ちょうどメディアが、雑誌メディアもテレビメディアも、ニューハーフとか女装者とかってものを含めた「トランスジェンダー」に対して、ある程度の認知を与えて、こういう人たちが居るんだよということを・・・ちょっとはそりゃテレビですから視聴率の問題から興味本位な部分はありますが、ともかくあんまり酷い形じゃなく、差別的な形ではなく取り上げはじめたちょうどその頃に、ドーンと特にニュース番組を中心に、性同一性障害の番組が作られるようになったんです。

 私は初期の頃、レクチャーやコーディネートでずいぶん、お付き合いしました。98年~99年位に作っていた方っていうのは、今思うと非常に、現場の記者さんとかディレクターさんは、意識が高かったです。これは時々私、思うことなんですけど、在日の方が多かったんです。TBSの女性ディレクターが在日朝鮮系、それから、最初にすごいいい形で作ってくださった方で、大阪の関西テレビの女性ディレクターは、いわゆる神戸の華僑ですね、台湾系の。さっきの『ザ・ノンフィクション』を作ってくれた方は男性なんですけど、やっぱり李さんっていう在日の方。

 私、必ず逆取材するんです。「なんでこのテーマに御興味持たれたんですか」って。そうすると、ナショナル・アイデンティティ、自分が日本人なのか朝鮮系、台湾人なのか。それが常に子どもの時から揺れ動いてきて、大人になっても、自分が社会の中でどちらの名前を名乗るかということに、すごく悩まれて来て。性の選択、性を変えて生きるということ=ジェンダー・アイデンティティの問題とナショナル・アイデンティティの問題を重ね合わせてらっしゃったんですよ。「国籍」か「性」かは違うけれども、なんとなく私は通じるものがあるような気がしたので、私はそれをやったんです。結局その番組はテレビのドキュメンタリーの賞を取られました。・・・そういう風に、動機があったんです。

 次に関わった『サンデープロジェクト』というテレビ朝日系の番組の制作子会社の一つだったところの方は、私が最初記事に気付いたんですけれども。手術の次の段階として、2000年代に戸籍の性別変更をどうするかという議論になった時に、実は「これコミュニティの伝説」で、昔、手術をして戸籍まで変えた人がいたという伝説があったんです。その伝説を私は知っていて、1999年に古い雑誌を網羅的に大宅壮一文庫で調べていた時に、当たったんですよ。出てきたんです。

 青江のママさんの一番弟子と言われた方なんですけれども。アメリカのスタンフォード大学で手術を受けて、日本に帰って来て名前を「女名前」にしようと思って、港区役所に届けをしに行ったら区役所の相談係みたいな人が「あなた、名前だけじゃなくて性別も変えなきゃダメだよ」と、区役所の人がサジェスチョンしてくれた。「で、どうしたらいいんですか?」って言ったら「こうこうこういう向こうの診断書を取り寄せて出せば戸籍法113条で変えられますよ」と教えてくれたんです。

 ・・・っていう話を見つけて。とにかくその方を捜したい。私も一生懸命捜したんですけども私の力ではどうしようもなくて、結局『サンデープロジェクト』の子会社の方に情報提供して探していただいたんです。子会社ですから一社だけの予算じゃ無理で、講談社の『FLASH』さんと提携して、どっちかが捜し出したらソースを交換するという形で、なんとハワイで御健在で、ハワイでレストランクラブのオーナーになっていたという。その時は本当にメディアの調査力というのは凄いなと。「捜そうと思ってお金さえかければ捜せないことはありません」と言ってましたけども、捜し出してくださって。

 その方がちゃんとインタビューに経緯を応えてくださって、それが『サンデープロジェクト』と『FLASH』に出て、それで今まで法務省が「日本では性転換に伴って性別を変えた事例はない」という公式見解を、はじめて変えてくれたんです。法務省は法務省なりに東京家裁の古い資料を漁って、出てきたんですよね。そういう風にメディアをうまく使えば、非常に役に立つものが掘り起こせるというのはわかったんですが、ちょうどその頃からメディアの性同一性障害に対する扱いが非常にワンパターン化してくる。

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三橋順子さん関連書籍

『女装と日本人 (講談社現代新書)』
『性の用語集 (講談社現代新書)』
『性的なことば (講談社現代新書 2034)』
『性欲の文化史 1 (講談社選書メチエ)』
美輪明宏という生き方 (寺子屋ブックス)
『トランスジェンダリズム宣言―性別の自己決定権と多様な性の肯定』
『戦後日本女装・同性愛研究 (中央大学社会科学研究所研究叢書)』


ゲイ・カップルをゲストに迎えて
『しみじみと歩いてる』第2回東京上映会


11月23日(祝)14:00上映(トーク付き1300円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分
制作:akaboshi企画

 『関西レインボーパレード』で出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤や喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。今回は映画に出演している九州のゲイ・カップルをゲストに向かえて「地方に暮らすセクシュアルマイノリティとして思うこと」を上映後にトーク。ぜひお越しください!上映会の詳細はこちら。
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