akaboshiコラム046●シュールな透明人間になりながら感じた映画の持つ力~『パトリックは1.5歳』フィルムセンター鑑賞記

東京国立近代美術館フィルムセンターで現在開催中の『EUフィルムデーズ2010』。6月17日(木)にはスウェーデンのゲイ映画『パトリックは1.5歳』の上映があったのですが、いつもフィルムセンターに出入りしている中心層であるシニア層に加えて、ゲイ映画だからか若い女性の観客の姿がちらほらと見かけられて大入り満員でした。(上映は6月19日16時にもあります。)
フィルムセンターってのは普段は古い日本映画を上映することが多く、入場料も一般500円(学生・シニア300円)と格安ながら、しっかりとした上映設備と迫力の大スクリーンで名作を観ることが出来ることから、特にシニア層の固定客が数百人は付いていて、どんな内容の映画であろうとも「とにかく観まくる」といった感じの映画マニアが客席の半分以上を占めているような空間です。
僕はかねてから50年代~70年代の日本映画が大好きで、学生時代からここには通いつめており、すっかり感性がシニア層に溶け込んでいるわけですが(笑)、いつも慣れ親しんでいるあの人たちと一緒に、まさか「ゲイが養子縁組をする映画」を観る日が来ようとは…と、感慨深いものがありました。
今回の『パトリックは1.5歳』はすでに2009年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で観ていたので物語は知っており、今回は「フィルムセンターでの上映ではいったい、客席がどんな雰囲気になるのか」を体験しに、期待半分&不安半分を抱えながら席に着きました。

映画の冒頭で主人公が「これが僕の夫です」と同性パートナーを紹介する場面があるのですが、「相方」である彼が出てきた途端に会場のあちこちから「うわっ!」とか「うへぇっ!」と言った嘲笑が起きたのです。
僕の右隣の初老の女性は「ヒッ!」と言いましたし左側の白髪の男性は「チッ!」と舌打ちをしました。さらにキスシーンやベッドシーンなども出てくるわけですが、拒絶反応と嘲笑はエスカレートして行きます。
映画の中のゲイカップルは一戸建ての住居を構えて近所の人々と仲良くなろうと努力するのですが、近所の悪ガキどもがしょっちゅう「や~いホモ!」と言ってからかいに来ます。また、手違いでゲイ・カップルの養子になることになったパトリック少年は「ホモ」が大嫌い。荒んだ生活をしてきており様々な前科を持ち、いわゆる「ホモ狩り」めいたことも行ってきているわけです。あらゆる罵詈雑言を浴びせてゲイ・カップルを困らせます。
こうした場面に僕の両隣の人たちはどう反応するのかをうかがっていると、明らかに近所の悪ガキどもやパトリック少年の方に共感しているようでした。なんと、罵詈雑言に対して肯定的に頷いていたり、「うひっ!」と胸がすく思いがしているかのような声を上げたりするのです。これらの場面ってば僕にとっては「自分に突き刺さってくるかのような言葉」のオンパレードなわけですが、両隣の方々にとっては、それを「言う側の心理」に共感しているんですよ。つまり僕とは感性がまったく真逆なわけですね。ものすご~く「いたたまれない」気持ちになりました。
これってレズビアン&ゲイ映画祭では絶対に感じることのない気持ちであり、決して突き刺さっては来ないだろう嘲笑なのですよ。いつも、なんて恵まれた上映環境でクィア映画を観ることが出来ていたのだろうと、改めて「あの場」の大切さを実感するとともに、これがまだまだ世の現実なのかもしれないなぁと、こうした気持ちを体験できることはある意味ではとても貴重なことなのかもしれないとも思いました。ただ…。

僕はここにいるのに、まるでいないがごとく、すぐ両隣の人たちが僕のような存在を否定するかのような本心を剥き出しにしている。その刃を、僕はただ無防備に受けているしかないという状況。まるで透明人間になったかのような気持ちになるのです。有無を言わさずに存在を抹消されているかのような、すごくシュールな心情。
そして同時に、僕は自分が笑いたい箇所では笑いを押し殺し、両隣の方々のように不満を表明したい気持ちを、グッと押し殺しているという事実にも気が付きます。この場でそれをやったら、一斉に周囲の耳目が僕に集中し、さらなる刃が刺さってくることになるでしょうから。
なんて自分は弱いんだ…。幽体離脱したかのように自分を醒めた目で見つめるもう一人の自分の視線が突き刺さり、罪悪感に似た気持ちまでもが湧いてきてしまいます。次第に胃が痛くなってくるのを感じ、「やめときゃよかったかな…」と思っていたら、神経が疲れたのでしょうか、僕はいつの間にかウトウトと寝てしまっていました。
うたた寝から醒めて物語が後半に差しかかっているのに気付いた頃。ふと、周囲の反応の変化に気が付きました。嘲笑がピタッと止んでいたのです。
映画の中では、少年と相性が合う/合わないの違いでゲイ・カップルが別居を始め、関係が崩壊しそうになっています。しかし、日常を共に過ごすことで少年の心が次第に柔らかく優しくなり、事態は好転の兆しを見せ始めます。やらわかくなった少年の存在が、今度は2人の関係を引き戻し始めるのです。
そして終盤にもう一度、よりを戻したゲイ・カップルが喜びの中でベッドで縺れ合う場面が出てくるわけですが…。映画の冒頭で客席のあちこちから起きたような嘲笑は、一つも聴こえて来ませんでした。僕の右隣の女性は、鼻をすすっていました。
ただ、やはりベッドシーンには抵抗を感じる人も居るようでして、2人ほどの白髪の男性が、この場面で席を立って退場していく姿がありましたが、それ以外の人はものすごい強度でスクリーンに引き込まれているようでした。

この映画を観終わった人たちは、もう一度この映画を冒頭から観たとき、もう嘲笑はしないことでしょう。そして、さっきまで自分が嘲笑していたことに「ハッと」気付くのかもしれません。
名画というものは人の心の中の何かを破壊し、新たな地平に導くもののことを言います。そういう意味で、これはまさしく名画。映画の「力」というものをまざまざと見せ付けられ、身震いするかのような興奮した気持ちでフィルムセンターを後にしました。
会場にはレズビアンの友人も来ていたので帰りながら聞いたところによると、彼女もやはり周囲の反応の変化を面白く感じていたようです。一人でも僕と同じ感性であの空間に対峙していた人がいたのかと思っただけでも、孤独から開放されて晴れ晴れとした気持ちを、さらに深く味わいました。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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