撮影日記 003●跳んでみる決断の尊さと、跳ばざるを得なくさせている社会の残酷

トランスしてからまだ2~3年である綾さんは、「それがどういうことなのか」をまだまだ自分で咀嚼し切っていないのではないかと感じることが多かったです。「私ってこういうことなのよね」とか「こんな風に感じるようになったわけよね」とか、自らの内面を掘り下げて言語化することが非常に多く、そうやって発見することによって更に新たな疑問が生じているようなのです。
僕も、もともとそういうことを考えたり喋ったりすることが好きな性質ですから、一緒に居ると綾さんのそうした自己分析作業の聴き役となり促し役になるわけです。カメラ同伴でそういうことをやっていると、「あ。今の言葉すごく良かったなぁ~撮っておけば良かった・・・」と思ったりもするわけですが、一緒に過ごす時間が長くなればなるほど「要は細かい言葉上の問題なのではなく、そうやって常に自己分析を繰り返し続けているということそのものが、しっかりと描き出せればいいのではないか」と思うに至りました。これから編集する際のポイントは、そこになるのではないかという予感がしています。

セクシュアルマイノリティに限らず大抵の人はきっと、人生の中で何度か、まるでバンジージャンプを跳ぶか跳ばないかの選択を迫られるかのような重大事にぶつかることがあるでしょう。その際には、自分の意志が促す自発的なジャンプではなく、周囲から強いられて跳ばざるを得ない場合も多々あることでしょう。

しかし角度を変えてみれば、そんな風に「決死の覚悟で臨まざるを得ない世の中」が、これまでの綾さんを振り回してきたという事実もあるわけです。
そういう観点からしてみると、今回の決断は「強いられたこと」であるとも言えるわけですから、短絡的で一面的な解釈を許さない複雑さを感じます。そこをどこまで描き出せるか、あるいは最終的には描きようのない境地の発見に至れるのかどうかが、今後の僕にとっての勝負どころとなる気がしています。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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