フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-06
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三島由紀夫とつきあってみる019●60年代から男性同性愛者は「イカニモ」が多かった(!?)~『肉体の学校』再見

 池袋のゲイバー「ヒヤシンス」の謎

 銀座シネパトスで開催中の『没後四十年 映画で辿る三島由紀夫』にて、木下亮監督『肉体の学校』を4年ぶりに観ました。

 1965年に制作された東宝映画で主演は岸田今日子。ゲイバーのバーテンとして働くバイセクシャル大学生・山崎努に惚れたことから起こる様々な心理的葛藤が三島らしく毒々しく描かれており、映像的な趣向の凝らし方もポップで実験精神にあふれており、カラっとした恋愛哲学映画として、すごく面白くて大好きな作品なのですが。

 今回、特に注意して観たのが劇中に3回出てくるゲイバー描写。僕の知る限りでは、日本映画の劇映画の中でゲイバーがはっきりと描写されているのって、これが最古のものなんじゃないかと思うんですよね。

 ロケなのかセット撮影なのかは定かではありませんが、池袋にあるという「ヒヤシンス」というゲイバーが、内部の客の姿も含めてかなり克明に描写されており、当時の男性同性/両性愛者たちの風俗を映像として知る上で、かなり貴重な歴史的資料なのではないかと思うのです。

 店内はちょっと薄暗く外光があまり入って来ない空間で、カウンターの他にボックス席が10個以上はあるでしょうか。吹き抜けがあり、階段を上がって2階席のようになっている場所もあり、かなり大きなスペースとして描かれています。店内には男性以外の姿も。この映画の主人公の岸田今日子ら有閑マダムが入れるくらいですから女性客を締めだしていたわけではなさそうです。

 見たところ女装者の姿は無く、店員も特に変わった扮装をしているわけではなく蝶ネクタイをつけて品がいい感じ。富田栄三さんの著書などの写真に「ゲイ・ボーイ」として紹介されている少年を髣髴とさせます。客の中には白人や黒人・アジア系が入り乱れてインターナショナルな雰囲気。年齢層も幅広く、背広姿や学生風な客も混ざりあい、さまざまな男たちが「ごった煮」のようにひしめき合って活気があり、ギターを持ちだして演奏する者がおり、次第に合唱が始まるなどの光景も描かれています。

 髪型は短髪が多く、今でいう「イカニモ」な感じのゲイたち(当時はホモと呼んでいたのかも)の姿もたくさん映っています。「あ。ゲイのクローン化は60年代から始まっていた現象だったのか」と確認できてしまったりもします(笑)。

 ただ、映画の中でのゲイバーや同性愛者たちの位置付けは、いわゆる「隠花植物」的な扱われ方であり、そのように言及している台詞やナレーションがあったりするのですが。映しだされている(あるいは再現されている)彼らの姿は決して陰気なものではなく、むしろ陽気。しかも、映画の後半になって3度目に登場した時には、岸田今日子の背中越しに彼らが陽気に打ち騒いでいる様子が、かなり長い時間そのまま映し出されるのです。

 彼らのどこが隠花植物なのだろう?「映像」によって、そのような思考が観客に喚起させられるように意図的に演出された場面なのではないかと感じてしまうほどの、とても長いゲイバーでのお祭り騒ぎの描写でした。カットも割らず、ただその光景を映しているだけ。そんな場面がしばらく続くんです。だから観客にさまざまな多義的な解釈を許してくれるんです。僕がこの映画の中で最も好きな場面です。

 また、バイセクシャル学生との関係に悩む岸田今日子が、このゲイバーの店員に悩みを打ち明ける場面が出てくるのですが、それを演じている役者が、見た目はユニセックスな「優男」風であり、語り口調が「女言葉」であるキャラクターを、とてもリアルな感じで演じているんですね。あれはいったい誰なんでしょう?クレジットがそれほど詳しく出てこない映画なので探れなかったのですが、いずれこの映画に関する文献資料を探して、ゲイバーや店員描写のモデルはあったのか、あるいは、どのような人たちをキャスティングしたのかなどを調べてみようと思いました。あそこまで克明に描写するためには当事者の協力が不可欠だったのではないかと思うんですよね、あるいは三島由紀夫はどの程度まで参画したのか、しなかったのかまで含めて知りたいです。

 60年代のゲイバーや同性愛者風俗を描いた日本映画としては、ピーターの主演作として1969年に制作された『薔薇の葬列』が有名なのですが、それよりも4年も前に、しかも東宝の制作によってこのように、かなり本格的にゲイバーが映像化されていたという歴史的事実は、とても興味深いです。そして、さらにその6年前に『惜春鳥』を作っていた木下恵介はやはり、タダモノではありません。

 『肉体の学校』にしても『惜春鳥』にしても、制作者が時代の制約の中で「物語」や「言葉」としては組み込めなくても、それを超えた表現を繰り広げることのできる「映像」の中に込めた隠れたメッセージの存在を確かに感じます。まだまだ探してみれば日本映画の中に、これから見直され発見されるべきものがたくさんあるのではないだろうか?と改めて感じました。

 なおこの『肉体の学校』。4年前にキネカ大森で開催されていた「三島由紀夫映画祭2006」で観た時には、かなりボロボロのフィルムであり、劣悪な上映状態でした。ビデオ化・DVD化が一度もされていない作品なので、「これが見納めになってしまうのかもしれない。目に焼き付けておかなければ」と覚悟して観たのですが、今回の上映ではかなり綺麗な状態での上映だったので、まだ他にもプリントされていたのかと、ホッとしました。

 ただ、こうした知名度の低い映画やB級映画は、なかなかフィルムセンターなどの良好な保存状態に置かれることは無く、酷い時にはネガが保存されていなかったりもしますから、ぜひ『肉体の学校』はフィルムがこれ以上劣化しないうちに、早急にデジタル化しておいて欲しいものです。日本のセクシュアル・マイノリティの映像史における、かなり貴重な記録でもあるわけですから。FC2 同性愛 Blog Ranking



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