FC2ブログ

フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2019-10
« 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 »

アインシュタイン:手紙6通寄贈へ 原爆の苦悩にじませ

本音をぶつけ合って見えてくるもの。
開けてくる地平。
かの有名なアインシュタインがアメリカの原爆開発に加わっていたことはこれまた有名なこと。そんな彼と日本の哲学者・篠原正瑛(せいえい)さん(故人)が書簡のやりとりをしていたという。遺族がその書簡の寄贈先を探しているらしい。
毎日新聞ニュース2005年6月7日
(この記事下に全文引用あり。)


かつて二人の間ではかなり突っ込んだやりとりがなされたようだ。ルーズベルト大統領に対して原爆開発を進言したとされるアインシュタインに対して篠原さんは、「原爆を投下された国」日本に生きる者としての率直な思いをぶつけた。それに対してアインシュタインは怒りを隠さず、「他人の行為については、十分な情報を手に入れてから意見を述べるよう努力すべきだ」と反論。当時ナチス・ドイツで原爆製造の情報が流れ、その勢いを封じるためにはやむを得なかったことを説明した。それからも両者の間で時には感情的なやりとりが交わされたのち、最終的には気持ちが通じ合い、木彫りの人形とサイン入りの写真を交換しあったという。

僕がこのニュースを知ってすごく「いいなぁ」と思ったのは、篠原さんが無鉄砲にもこうした書簡をアインシュタインに送ったからこそ、お互いの対話が生まれたという事実。その結果アインシュタインからこういう言葉を引き出し、当時のその複雑な胸中がこうして歴史として記録されることになったわけだ。

篠原さんにとってもこの冒険は良かったのだ。自分の怒りを紳士的にぶつけてみた結果、アインシュタインの当時の立場をある程度は理解することになり、複眼的なものの見方を得ることにつながったわけだから。

なにより好感が持てるのは、お互いに真摯にやりとりをした様子が伺えるということ。
反発から転じて人間的交流に至ったという、その過程を想像すると嬉しくなる。
自分の信念に真剣に生きている者同士だからこそ、成り立った対話なのだろう。

原爆投下の是非については、国や社会が違えば意見も当然違う。ちなみに僕は「反対」という意見を待っている。しかし自分の意見を持つことは大事だけれども、だからと言って違う意見を持つ他者に対して「悪」のレッテルを貼ってしまうことは、結果的に自分の首を絞めることになる。自分こそは「善」だという思い上がりから来る思考停止だ。

人は、自分がよく知らない他者に対しては、簡単に単純化したイメージを作り出して、自分勝手に「レッテル」を貼ってしまいがち。特に言語や所属社会が違ったり、戦争における敵に対する憎悪の感情は、大体がその「レッテル」の産物と言える。そして困ったことに、他者を「悪」と単純化してしまえばその瞬間から人間とは見なさなくなり、徒党を組んで燃え上がって魔女狩りをはじめてしまう愚かな生き物。

・・・そうした場合冷静に考えて、どっちが「悪」なんだろう。

・・・そもそも他者を「悪」と決め付ける資格のある善人なんて、いるのだろうか。

篠原正瑛さんの、おそらく「怒り」から発せられた投げかけと、それに答えたアインシュタイン。
二人は期せずしてとても大切な「記録」を残してくれた。
立場や文化の違う人と人とが、どうやってお互いを尊重し合えるのか。
わかり合わなくてもいい。
存在を認め合えるのか。
そのことについて、いろいろ考えさせてくれる記録だと思う。

▼リンク切れに備え、毎日新聞ニュースを全文、引用させていただきます。

アインシュタイン:手紙6通寄贈へ 原爆の苦悩にじませ 

アインシュタイン(1879~1955)博士が平和観や戦争責任についてつづった6通の手紙の寄贈先を、東京都中野区在住、哲学者の故・篠原正瑛(せいえい)さんの家族が探している。博士は第二次大戦中、ルーズベルト米大統領(当時)に原爆開発を促す連名の書簡を送った。「あなたは平和主義者と言うが、なぜ開発を促したのか」と批判する篠原さんの指摘をきっかけに始まった文通の手紙で、家族は「今年は戦後60年の節目。平和を考える材料にしてほしい」と話している。
篠原さんは戦前、ドイツに留学して哲学を学んだ。現地で終戦を迎え、連合国軍に2年間抑留された後に帰国、著述活動を始めた。ドイツ語で書かれた博士への最初の手紙は53年1月。6通は53年2月から54年7月にかけ博士が送った。53年2月22日付の手紙で博士は「私は絶対的な平和主義者ではない」と書き、ナチス・ドイツに対して暴力を用いることは正当で、必要なことだったと主張した。
「日本は原爆投下のモルモットにされたのではないか」。篠原さんが同6月18日付の手紙でただすと、非礼と知りながら、あえてその裏に返事を書いた同23日付の手紙が博士から届いた。
「日本への原爆使用は常に有罪と考えているが、日本人が朝鮮や中国で行った行為に対して(篠原さんに)責任があると言われるのと同様、(私は)何もできなかった」とし、「他人の行為については、十分な情報を手に入れてから意見を述べるよう努力すべきだ」と怒りをあらわにした。

時に感情をぶつけ合うこうしたやり取りから、2人に友情が生まれた。篠原さんは人形や絵画を米国へ届け、博士はサイン入りの写真を贈った。篠原さんと結婚したばかりの妻信子さん(80)は、写真の博士が古びたカーディガン姿なのを見て、手編みのセーターを贈ると申し出た。博士は「あなたの国にも必要とする人は大勢いらっしゃる」と丁重に辞退した。博士は戦後、平和運動に取り組み、核兵器廃絶を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出た55年に死去した。
篠原さんは90年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、01年に89歳で亡くなった。信子さんは蔵書などを売って療養費に充てたが、手紙は手放さなかった。遺産は、預金約30万円と書籍約3000冊だった。信子さんは「お金や名誉に執着しなかった夫は、博士の生き方に共感していた。多くの人の目に触れる博物館などに引き取ってほしい」と語る。
アインシュタイン研究家の金子務・大阪府立大名誉教授は「アインシュタインの手紙の現物は、日本にはほとんど残っていない。当時の日本人の多くが聞きたかった問いでもあり、貴重な資料だ」と話している。【元村有希子、藤生竹志】

 ◇アインシュタイン博士からの手紙(抜粋)

1953年2月22日
……私は絶対的な平和主義者だとは言っていません。私は常に、確信的な平和主義者です。つまり、確信的な平和主義者としてでも、私の考えでは暴力が必要になる条件があるのです。
その条件というのは、私に敵がいて、その敵の目的が私や私の家族を無条件に抹殺しようとしている場合です。……したがって、私の考えではナチス・ドイツに対して暴力を用いることは正当なことであり、そうする必要がありました。

1953年6月23日
……私は日本に対する原爆使用は常に有罪だと考えていますが、この致命的な決定を阻止するためには何もできなかった。日本人が朝鮮や中国で行ったすべての行為に対して「あなた(篠原さん)に責任がある」と言われるのと同様、(私は)ほとんど何もできなかったのです。
……他人やその人の行為についてはまず、十分な情報を手に入れてから、自分の意見を述べるように努力すべきでしょう。あなたは、日本で私を批判的に説明しようとしている。……

1953年7月18日
あなたが前回のお手紙で予告されていた、素晴らしい日本の木彫りの人形が届きました。素晴らしい贈り物に心から感謝します。

1954年5月25日
……奥様からの感動的なお申し出をありがとうございます。しかし、私はどのみち要求の多い人間でありますし、あなたの国にも必要とされるふさわしい人たちは大勢いらっしゃるでしょうから、その友情をお受けすることはできません。

1954年7月7日
……原爆開発で唯一の私の慰めとなることは、今回のおぞましい効果が継続して認識され、国家を超えた安全保障の構築が早まっていることです。ただ、国粋主義的なばかげた動きは相変わらずあるようです。
(手紙はすべてドイツ語。藤生竹志訳す)
毎日新聞 2005年6月7日 3時00分


本文中の写真は、下記のWebより引用させていただきました。
科学技術解説遮蔽装置のページ
名言名句のウラ側はアルベルト・アインシュタインのページ
Get the POSTER.COM
FC2 同性愛Blog Ranking
スポンサーサイト



コメント

この記事へのコメント

コメントどうも♪
アインシュタインと文通・・・なんだか俄かに信じられない話だけど、
どこの誰かも分からない人からいきなり「おまえ、ふざけんな」的な手紙が来て、
それでも、それをしっかり返すあたりがアインシュタインの人の良さなのかもしれませんね。
小泉くんに手紙でも書いてみるか(笑

いや~、小泉は絶対に返事書かないでしょ~(笑)。
来たとしても・・・中味に期待できないし・・・(悲)。

うちのブログにコメントありがとうございます。
今回の手紙発見は、いろいろ考えさせられることが多いと思います。
何が、正しいのか。
いつの時代もこの問いかけに人々は苦悶しています。
結局、これだっていうのは見つかっていないんですけどね。

この記事、ニュースで見てすぐコピーして保存したんですよ。そういう意味ではネットの記事は保存して見やすいし見てすぐ消えるニュース/新聞よりも便利なツールですよね。でもネットは新聞を殺す、っていう話も自分は良く考えます。現在新聞を取ってないのは良くない、と思っていますし。図書館でまとめ読みとかするのも日課に入れるべきかもしれません。実際いくつかの新聞は消えてますし。まあやっぱりこの記事で感じるのは強く思ったことは行動にだすべき!ってことだと思います。文化を超えてもやるべきですね。

このニュースは興味を持たれた方いっぱいいたようです。
僕は単純に「篠原さんって大胆っ!」という驚きから入ったのですが、
同じニュースでも受けとった人がどう、その人の中で解釈するのか・・・
ブログはわりとダイレクトに覗くことが出来るのでスリリングですよね(笑)。
新聞等のマスメディアには選ばれた識者による選ばれたコメントが載りますけど、
フツーの人たちがフツーに感じることのほうが時には鋭かったりする。
メディアは大きくなればなるほど制約も大きくなるし色んな政治が働く。
基本的に斜に構えて見といたほうがいいのかも。

篠原正瑛さんの家に行きましたよ。

僕は昭和23年生まれです。昭和41年頃に拓殖大学一年の時、杉並区富士見台にある篠原さんの集合式の公団住宅に行きました。彼の著作『敗戦の彼岸にあるもの』を読んで感想を葉書で書いて投函したら『家に遊びに来なさい!』と18歳の僕に返事が来ました。電話をしてから喜んで行きました。先生の住宅の一番大きな部屋にはメルクリンの鉄道模型の一周15mはある鉄道博物館並みの線路が走っていました。メルクリンの鉄道模型の数も相当な数でした。先生は喜んで動かしていました。・・・先生との話題は戦時下・・・ソ連軍が迫るドイツの小学校でドイツの子供達に小学校で篠原さんは授業を教えていたのです。教え子が自動小銃を持ってこれから東の前線に行くと・・・それがその教え子との別れだったっと・・・ですから・・・今知ったのですが・・べ平連の支持者であるなんて想像外です。だってボルマン著作のヒトラーに関する本まで翻訳している訳だし・・・
篠原先生は優しい人だったし・・・僕達若者を差別無く大事にしてくれました。一方僕はべ平連の小田実のview (見解)って嫌いですけどね。
そんな僕の過去の篠原先生との出会いを誇りに思っています。
もっと何度も訪ねれれば良かったです。
篠原先生って人生を楽しく生きた方ですね。同じ世代は太平洋戦争(大東亜戦争)で亡くなっている時にドイツ
に居たんですからね。ドイツの人達に優しくされたみたいですよ。同盟国だったんですからね。ドイツの光学レンズや写真機で有名な会社の在るエレナとか云う東ドイツの町に居ました。
コメントを投稿する
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL

⇒ http://akaboshi07.blog44.fc2.com/tb.php/21-71381940

この記事へのトラックバック

漢字テスト-全部解けたらあなたは天才!

from:mag2vow物理学者のアインシュタイン博士がつづった6通の手紙の寄贈先を、東京都在住、哲学者の故・篠原正瑛(せいえい)さんの家族が探しているそうです。【関連記事】アインシュタイン手紙6通寄贈へ 原爆の苦悩にじませアインシュタインといえば,音楽好きで有名で

アインシュタインからの手紙

アインシュタイン。 物理や科学に特に詳しくない人でも、その名前は一度は聞いたことがあるでしょう。僕もかなり思い入れのあった人物で、彼についていろんな本を読んだり、自分の漫画(「CLOCK CLOCK」)に重要な役柄で出しちゃったりしました...

アインシュタインの手紙。

ニュースを見ていると、非常に興味深いものを見つけた。かの相対性理論を打ち出した20世紀の天才と言われるアンシュタインの手紙が、日本で見つかった。ただ手紙が見つかっただけでなく、日本人の友人に彼自身の原爆に対しての考え方、彼の信条を伺える面を記載して...

HOME |