キャスリン・ビグロー『ハート・ロッカー』●MOVIEレビュー

すでにアカデミー賞の最有力候補と騒がれている時期に載った日本のマスメディアのPR記事では盛んに「ドキュメンタリータッチの撮影手法」だの「起承転結のない物語展開」だの「主人公がヒーローではない」だの「戦争映画に新たな道を切り拓いた」だのと持ち上げていたのだが、ちょっと待て。
その程度の特色を兼ね備えた映画など、過去から現在に至るまで世界の映画を見渡せばいくらでも散見されるだろう。したがって、そんなことを「目新しい」と騒ぐほどにハリウッド製映画というのは後進的だったのかと驚いてしまった。
また、イラクで爆弾処理にあたる米軍兵士の感じる不条理にばかり視点が寄り添いすぎており、現地のイラク市民がまるで「虫」のような描写に留まってしまっている。「それこそが兵士が感じる主観なのだ」と言いたいのかもしれないが、本来は「その視点を持ってしまう構造」をこそ、最も鋭く批判すべきではないのか?
この物語に「ヒーローがいない」だの「起承転結がない」だのというのは大ウソだ。不死身のヒーローが出て来ているではないか。爆弾処理にあたる彼の活躍を、ハリウッド映画に定番のいつも通りの仰々しいBGMとドキュメンタリー風味を装った卓越したカメラワークで、観客の共感を彼の内面に収れんさせるべく映し出しているではないか。
映画を観ている間、観客の感情は「彼が死にませんように」と願う方向に誘導させられる。その構造を映画が持ってしまうと、彼が生き残ることを妨害する他の全てのものは単なる「障害物」あるいは「敵」としてしか感じ取れなくなってしまう。つまり、ハリウッド映画が繰り返し繰り返し行ってきたこれまでの手法どおり。そして「アメリカ」が世界中で繰り返し繰り返し行ってきた振る舞いどおりなのだ。

イラクの人たちがこの映画を観て「自分たちが人間として描かれている」と感じるだろうか?。そもそもこの映画、イラクで公開することを少しでも想定した上で制作されているのだろうか?・・・なにがグローバリズムだ、笑わせるな。なぜにいつも「アメリカ映画」の制作者たちは、他の文化や宗教を基盤に暮らす地域に対して、自らの視点を絶対視して描き出せてしまうのだろう。頼むからもっと物事を相対化する視点を獲得し、違う価値観や文化で生きている者の声を聴こうとし、人間として描こうとして欲しい。
米軍兵士が不条理を感じているのなら、そんな米軍兵士が駐留している地で市民生活を送っている人々も、別の種類の不条理を感じているはずなのだ。そのことを描かずに逃げてしまった単純な映画が、こうして(アメリカ的価値観の中での)最上級の「下駄」を履かされ、もてはやされている状況には怒りすら憶える。他者を発見することを放棄したこの映画は決して、戦争を止めはしない。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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コメント
この記事へのコメント
お久しぶりです
ねえ~、この映画それほどすごくないですよね。
うお~~~~~っ!
よく言ったっ!
てか、私はまだ観てないのですが、なんとなく解せん・・・と思っていたことを、
ハッキリ言ってもらって良かったー♪
また観てからコメント入れます。
よく言ったっ!
てか、私はまだ観てないのですが、なんとなく解せん・・・と思っていたことを、
ハッキリ言ってもらって良かったー♪
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