フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-09
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akaboshiコラム040●言い出しにくい子どもたちのために



 大人ってのは自分にとって居心地のいい環境を選べるけれども、子どもってのは選べないんですよね。大人の庇護の下にあるうちは。

 そんな当たり前のことを改めて認識したのは、先日まで出かけていた旅行で姉の家族が「子育て」をしている様子を見たからです。

 ごく当たり前のように、男の子は「男の子」として、女の子は「女の子」として扱われている光景がありました。そして、自分がまさか、あそこまでそのことを「気持ち悪く感じる」とは思わなかったです・・・。子育ての場って、本当にものすごく強固に「男」か「女」に区分けされる世界なんですね。

 こんなに敏感に感じてしまったのはたぶん、僕がこの数年、「そういう場」を避けて近寄らないように生活してきたからなのだと思います。家や仕事場、友人たちと過ごす場では、自分が「男なんだ」と強烈に意識することは、ほとんど無いに等しいからです。

 同性のパートナーと過ごす時間というのは、対「女性」と過ごす場ではないために、自分が「男性」だという意識を、ほとんど持たなくて済みます。たぶんこれが異性同士で付き合っているヘテロカップルだとしたら、互いに自分のことを「男性」「女性」と意識しながら過ごすことになるのでしょう。つまり同性同士というのは、そういうものから解放される組み合わせであるということを発見しました。

 また、仕事場でも自分が「男性」であることを、ほとんど意識しないで済む役割の場で働いています。そしてセクマイの友人たちと過ごす場では、僕は「男だけで集まる空間」がどうも好きではないので、トランスやレズビアンなどが多く集う「男の少ない場」を選んでいます。では、その場では「男性」であることを意識するのかというと、あまり意識していません。なぜなら恋愛対象として見られることが、ほぼ無い場だからです。

 そういう意味で、今の自分の選んでいる生活圏がいかに「男性性という鎧」を着なくて済む環境なのかを再発見する旅でもありました。そしてその選択ができているのは、僕が「大人」だからなのだと思います。経済的に親の庇護から解放されて自由になっているからなのです。しかし子どもにはその自由はありません。

 「男」だの「女」だのを意識せざるを得ない環境を、素直に受け入れられる子どもにとっては、大人たちが性によって極端に接し方を変えている環境でも、特に問題なく過ごせることでしょう。でも・・・どうしても僕は、その環境を受け入れられない子どもや、適応できない子どもが少なからず確実に一定数いるということに、意識が向かってしまうのです。

 そして、その子どもたちは往々にして、そのことを大人や周囲の友人、先生に言い出しにくくて独りで抱え込んでしまいがちなのを知っています。だから息苦しくなってしまったのです。姉の子育て現場を見ているだけなのに。

 この種類の想像力や感性を持ってしまった自分はもう、持たなかった自分には戻れません。だったら・・・自分には何が出来るのだろう。「言い出しにくい子どもたち」のために。FC2 同性愛 Blog Ranking



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