フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-10
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akaboshiコラム037●未来に蓄積されるかもしれない「毒」を生み出す無邪気な「刃」

 福島県に来ています。というのは姉の嫁ぎ先がここだからなのですが。

 今年の1月に姉が子どもを産みまして、生後50日を祝うために親戚らが集められるというので、親から誘われて出てみることにしました。

 姉が福島に嫁いでからは、なかなか会う機会がなかったということもあり、「久しぶりに会う機会になるからいいか」と軽い気持ちで出席を決めたのですが…。行く前日になって親から「出産祝を包んでね」と電話で言われ、正直、かなり驚きました。東京から福島に行くだけでもかなりの出費なのに、それに加えて「出産祝」を包め?しかも数万円も?

 ものすごく「納得できない」思いが湧きました。つまり僕は自分がゲイだと気づいて以降は、こういった昔ながらの親戚同士の互助会システムのようなものに自分が組み込まれることなんて、まったく想像したことがなかったからです。こういうのって要は「持ちつ持たれつ」で成り立っているわけでしょ?しかし、自分がこのシステムに組み込まれた場合には、払う一方になる可能性が非常に高いわけです。これって、すごく不公平だなぁと。

 家族のうち母親だけには自分がゲイであることを伝えているので、この気持ちを正直に伝えてみました。そしたら「あなたは家族を捨ててるからよ」と嫌味も言われたのですが、「こっちにしてみたら、こういうことがある度に疎外感を味合わされるんだから、自分を我慢してまでそんなところに居たくはないでしょう。だから僕のような人たちの中には、家族と疎遠になって都会に住んでる人が多いんだよね。わかる?」と言い返してしまいました。

 そのまま言葉を交わし合ううちに母親が「そっか。そういえばそうだよね。わかった。じゃあ、お祝い金は家族からの一括という形で包むことにするね」と、折衷案を編み出してくれたので、多額の出費は免れることになりました。

 そして今日。

 両親とともに姉が住む雪深い福島県に来ています。子どもの「生誕50日を祝う会」とは、この会津の土地では常識的に行われているものらしく、タクシーの運転手の話によると、特に「男子の初孫」が誕生した場合には必ず行うものなのだそうです。

 姉は再婚であり、前の旦那との娘が居るのですが嫁ぎ先にしてみたら、今回生まれた子どもは「めでたい(正式な)男子の初孫」となるわけで、先方の「家」としては行うのが当たり前の行事ではあるわけですね。

 そう考えるとちょっと複雑な気持ちもあるわけですが、そういった「ほろ苦い気持ち」を両親と分かち合いながら、この会に出てみるというのも微力ながら親孝行になるのかなぁと思いながら会場である温泉宿に着き、親戚たちと挨拶をし、15人程度で食事をし、生後50日目の「男児」の成長ぶりを囃し立てながら、午後のひとときを過ごしました。そして、幼い子どもたちに対して大人たちが無意識のうちに投げかけている言葉が、いちいち気になって仕方がありませんでした。

 この数年。

 自分が「ゲイ」なのだと気づいてそれを受け入れ、現在は男性のパートナーと同居したり、レズビアンやトランスの友達がたくさん居る中で都会暮らしをしている僕からしてみると…。たとえ「男の身体」で生まれたからといって、その子がこのまま(いわゆる)「ストレートな男」として育つという保証はないことを、数多くの実例を見て知っているわけです。今は「男の子」として振舞っているとしても、自意識が生まれ、第二次性徴を経るころに性別違和を感じるかもしれないし、同性を好きになるかもしれない。それは現時点では、誰にもわからないわけです。

 しかし、大人たちはそのことに全く無頓着で、やれ「眼光が鋭くて男らしくて凛々しい」だの、「足をよく動かして活発で、やっぱり男の子は元気なのがいい」だのと、なんの疑いもなく子どもを「男」として扱っています。

 また、姉がこの家に「連れてきた子」である娘は小学1年生になっており、常に走り回っているなど元気な盛り。お爺ちゃんやお婆ちゃん、親戚たちに囲まれて有頂天になり、宴会場のステージを一人占めにして歌を歌ったり、友達のモノマネを披露するなどの「オン・ステージ」を開催しています。

 この日はスカートを履いてきていたということもあり、たとえば「でんぐり返し」をしてスカートがまくれた場合などには「こらっ!女の子なんだからそんな格好しちゃだめっ!」とか「女の子なのに活発ねぇ」という言葉が投げかけられているのです。更に、うちの父親などは「そのうち好きな男の子が出来ればおとなしくなりますよ。」と、わかったようなことを言っていたりするのです。

 …そんなことは誰にも保障できないはず。

 この子も将来、性別違和を感じるかもしれない。あるいは女性を好きになるかもしれない。誰にもわからないのです。

 そんな思いが常に胸に去来してしまい、僕は自分の中に芽吹く「もやもやした思い」を罪悪感と共に押し隠し、表向きは「和やかにその場を過ごしている自分」を演じていることに、ものすごく疲れてしまいました。

 あまり関係が深くもない人たちに対して、いちいち場を白けさせながら口に出して一人で説明するなんてのは大変なこと。だからと言って、言わなきゃ言わないでこうした思いは、ただただ自分の中に鬱積していくばかりなのです。

 セクマイ当事者の多くが家族と疎遠になり、都会に出て暮らしている確率が非常に高い原因の一端を、こうしてまざまざと体験したのでした。

 そしてなによりも恐ろしいと思うのは、大人たちの誰ひとりとして、この子たちの未来にとって自分の行為や言葉が「刃」になり、子どもたちの内面に「毒」となって蓄積されるのかもしれないことを、考えてもいないだろうということ。

 今回、もっとも強く感じたのはそのことでした。FC2 同性愛 Blog Ranking



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