燐光群「アイ・アム・マイ・オウン・ワイフ」●PLAYレビュー

セクマイたちへの鎮魂歌
MtFトランスジェンダーとして20世紀初頭の東ドイツに生まれ、波乱の生涯を過ごしたシャーロッテ・マールスドルフが主人公。
もともとは一人芝居として、ニューヨークのアングラ派劇団シティカンパニーが初演し、トニー賞やピュリッツァー賞を受賞した世界的に有名な戯曲を、燐光群が16名の出演者で翻訳上演。吉祥寺シアターの剥き出しの裸舞台を生かし、退廃的な場末のキャバレー風の客席を創り上げ、あとは生身の俳優の肉体で勝負。さまざまに自らの想像力を喚起させられ、演劇ならではの魅力を存分に味わうことが出来た。
■2月16日まで上演中。
この戯曲を書いたのは、ゲイ当事者であるアメリカの脚本家ダグ・ライト。彼がシャーロッテと実際に面会し、インタビュー取材を重ねる光景を劇中に頻繁に登場させながら、「シャーロッテが語る自身の生涯を、若き作家のダグ・ライトがどのように受け止めたのか」が観客に提示される構成。
役者全員の衣装は同じ。黒を基調とし、上半身はスーツのようなワンピースのような不思議なデザインで、下半身はスカートで靴はスニーカー。男性性と女性性が入り混じった印象を換気させる。そして俳優達はそれぞれに、シャーロッテを演じたり、別の役を演じたり、次から次へと役目を変えて行く。つまり一人の俳優に、シャーロッテのイメージを集約させないのだ。一人の俳優が男になったり女になったり、子どもになったり老人になったり。こうした変化を自在に瞬時に出来るのは、演劇ならではの特性だろう。
この演出によって結果として浮かび上がるのは、人間存在というものの流動性。そして儚さ。性的にも人格的にもアイデンティティを固定させずに越境しながら時代の変化の荒波を生き抜いた、シャーロッテのしたたかさ。劇のテーマを理屈ではなく、まさに「肌感覚」として感じることができた。
それにしてもシャーロッテの生涯というものは凄まじい。
「男性」としての身体で生まれたものの、幼い頃に性別違和を憶え、女性の服を身につけることで「しっくりくる自分」を発見する。20世紀のベルリンにおいて、セクシュアル・マイノリティが「ありのままで生きる」ことは、すなわち「異端」のレッテルを容赦なく貼られることに繋がる。しかし、彼女は可能な限り「ありのまま」の自分を通そうとする。その後押しをしたのは、レズビアンである、彼女のおばさんだった。なんと心強かったことだろう。
劇中では20世紀初頭のベルリンにおける、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーたちがどのような生き方を強いられていたのか、どのように出会いの場を求めていたのかについても丹念に描かれていて興味深かった。この辺りの細部にこだわったのは、やはり作家がゲイ当事者だからだろう。東独でのその時代ごとのLGBTたちの「生活」や「思い」が丁寧に描写されていて、やはり当事者として観ていると胸に迫るものがあった。
伯母がレズビアンであったものの、シャーロッテの父親はなんとナチス党員。「男性性」を振りかざし、理不尽なくらいまでの凶暴さで家族を圧迫する。しかも息子がいわゆる「異性装者」であるわけだから、家族の関係は一筋縄ではいかなくなる。こうしたドラマチックな展開が、シャーロッテの人生には頻発する。
戦後を生き延びたものの、東西冷戦の時代における東ベルリンの共産主義体制下では、秘密主義がまたしても、セクシュアル・マイノリティたちの生き方を圧迫した。そんな中、シャーロッテはゲイのレコード収集家と恋をするが、やはり国家体制の犠牲となり悲劇的に引き裂かれたりする。それでもシャーロッテは、秘密警察(シュタージ)を何度も出し抜きながら、持ち前の「したたかさ」でベルリンの壁崩壊・冷戦時代の終焉まで生き延びる。そして、こうしてかつて「西側」だったアメリカの若きゲイ作家の訪問によって生涯を脚本化され、上演されるに至るのだ。

まさに、「生きた歴史」が心に刻み込まれた。しかもそれが、よくあるハリウッド映画のように暴力的に一方的に押し付けられるわけではなく、あくまでも、観ている自分自身の「想像力」によって、自らが心の中に刻み込む。そんな体験が出来る豊かな舞台だった。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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