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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2023-05
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三島由紀夫とつきあってみる。010●霊に導かれた死・・・!?<前>

12/4に放送されたTBSドキュメンタリー『報道の魂』
「英霊漂ふ・・・~三島由紀夫自決・35年目の夢枕~」を見ました。
三島由紀夫の死について、かなり踏み込んだ内容で面白かったですよ。
一挙に掲載するととんでもなく長くなるので(笑)2回に分けて紹介します。

「なぜなのかと悔しく思った。」

この番組の主人公は、本多清さん(58歳)。
彼は1970年当時、倉持清という名前で楯の会に所属し、三島由紀夫の片腕として重宝される存在だったらしいです。

本田さんは三島氏を「先生」と慕い尊敬していたのに、なぜか自決のメンバーから外されました。同志の森田必勝は三島氏と最後まで行動を共にし、三島氏の首を撥ねて一緒に自決したというのに・・・。


どうして俺が選ばれなかった・・・?

三島氏の自決後、奥さんから三島氏の遺書を渡されたけれど彼としては納得できません。きっと、嫉妬も入り混じった複雑な気持ちを抱いたことでしょう。
今の本多さんは、もういい年なので落ち着いて語っていますが、若き日に心酔していた人に選ばれなかった悔しさはいかばかりだったかと思います。58歳の今でもその情熱は燃え続けていることを証明すべく、半裸のまま野外で真剣を振ったり、楯の会の制服でカメラに敬礼して見せたりと、健気なまでに撮影に協力しています。(かなり「やらされてる」感じでもありましたが・・・笑。)

そんな期待通りの場面の後、番組ではまず、誰もが気になる三島氏の自決の謎について推理して行くのですが・・・これがなかなか怖いんですっ!。

ニ・ニ六事件の将校の幽霊にとりつかれていた!?

自決の年の正月、三島邸で新年会があったそうです。そこには楯の会のメンバーや、友人の美輪明宏氏が出席していました。美輪さんはそこで、三島氏の背後に「青い影」を見たというのです。

そのことを告げると三島氏は「お~、こわい~」とふざけていたものの、いったい誰の霊なのかが気になって、色々と名前を出しはじめました。そして「磯部か? 」と口にしたところで、サッとその「青い影」は消えたというのです。


磯部浅一とは、ニ・ニ六事件を指導した青年将校であり、三島氏が少年時代から最も強く関心を持っていた人。天を恨み国を恨み親を恨み・・・呪いを書きまくった遺書を残した将校なのです。
美輪さんは三島氏に警告します。
美輪明宏
「三島さんあなたね、これにとりつかれてたらエライことになるから、これはお祓いした方がいいわよ。これだけ霊が強いんだから・・・。ねえ、自分であって自分でない行動をとってるなぁって不思議に思ったことは、おありにならない?」
三島由紀夫
「あるよ。『英霊の聲』を書いているときに。その時だけは朦朧として、半分居眠りしてるのに筆だけが闊達に動いてた。おかしいなぁと思って・・・それで、出来上がったのを見て不満足な部分があるから書き直そうとしてもどうしても何か、書き直せない力が働いてた。」

こ・・・こわ~っ!!

ちなみに『英霊の聲』とは・・・

1966年に書かれた作品で、ニ・ニ六事件の青年将校が霊媒を通して、国や親や世の中への恨みつらみの言葉を吐く内容だそうです。
三島氏は自決の年(1970年)の5月になって『英霊の聲』を自ら朗読してレコードに録音しました。番組では本人の朗読の声が紹介されましたが、無機質な読み方が本当に何かにとりつかれている人のようで・・・なんとも不気味な印象です。


本多さんは当時を振り返ります。
「若かったので『ニ・ニ六事件のような決起では無駄死にになる』と先生に申し上げたことがありました。今思えばそれが、私が外された理由の一つだったのでしょう。」

「三島先生は、国を憂い、大義を問う死に方を求めていました。子ども心に焼きついた青年将校たちの生き方、死に様は、最終的に先生のお手本となってしまいました。」

やはり計算されていた!? あの死に方。

三島氏のあの死に方・・・。
決起して失敗してみんなから裏切られて死んで行くという展開は、磯部浅一の最後とそっくりだそうです。しかも11月25日という日は、三島氏の誕生日の49日前。つまり三島氏は自決から49日経った後、自分の誕生日に生まれ変わろうとしたのではないかという説が紹介されます。
↓つまり・・・
11月25日(自決)+49日=1月14日(誕生日=再生)

こんなことまで計算していただなんて・・・(でも、彼ならやりそう・・・。)
番組後半は、こんな三島氏と付き合った本多さんの現在の姿が紹介されます。
(つづく)
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コメント

この記事へのコメント

この番組見ました。不謹慎かもしれませんが面白かったですね~
「ニ・ニ六事件の将校の幽霊に取りつかれている」話はとても興味深かった
私の父は今も健在ですが、今年80歳で三島さんと同じ年になります
海軍の特攻隊員だったので、こうゆう話はとても身近な気がして興味があります

私も観ました。本多氏が語った言葉に、「昔は、敵は外にいたのに、今
は中にいる」と言っていて、現在は環境問題に関するお仕事をされている所が良かったです。
 時間と共に、人は変わるのだし、それでいいのだと思います。
死にたい人は、死なせてやるしかないのでしょう。急いで生きて、急いで死んだ三島由紀夫の残した物は、大きいと思う。
そして、挫折を知らずに生きた三島は、早く死ぬ事で、更に挫折を知らなかったのだと思いたい。

● kubrickさん。新ブログ移行おめでとうございます。
そういえば三島氏は昭和の年号と同じ年のとり方だから、
生きていれば80歳なんですね~。
もしあの時に自決しなかったら、80歳になった今でも
文壇の「スター」として君臨し続けているのでしょうか・・・。
(年老いた三島氏なんて、想像できない・・・←これも彼の思惑通り!?)
kubrickさんのお父さんは特攻隊員だったのですか。
一度は「死」を本気で間近に感じたのでしょうね。

● seaさん。
楯の会以降の本多さんは、
やはり(自分の心に)真面目に向き合い、まっすぐに生きているんだなぁと感じました。
本多さんのそういう面は若い頃と変わっていないんだと思います。
楯の会は、本質的に真面目な若者達の集団だったのではないでしょうか。
三島氏は挫折を知らないようなポーズをとることに長けていたようですが、、
実はとてつもなく挫折だらけの人だったのではないでしょうか。
挫折感や孤独感のない人は「作家」なんていう苦しい立場を
あえて職業として選びません。
彼は、あれほどの言葉を書き連ねなければ
自分の存在を肯定させることが出来なかった人なのではないかと思います。

2・26と三島

こんにちは!

この記事を読ませていただいて
「ぞぉ~~っ!」としました。
私もこのところ2・26事件関連の映画・本などに
触れまくっていました。

三島さんが磯部さんの霊にとりつかれていたとは・・・

ちなみに映画、
「叛乱」の中の磯部浅一(山形勲が演じていました)は、
火のような磯辺の
イメージにぴったりと合っていました。
機会があったらぜひごらんください。

ぞぞぞ・・・・
また三島さんの連載楽しみにしています!

●邦画ブラボー さん。

なんか、三島由紀夫って人を撹乱させることに喜びを見出していた節があるから、
自決の日も絶対に、周到な計算の下、決められてますよね。
しかし、あんまり深くその理由を突き詰めようとしても、実体はないのかも。
「撹乱」そのものが目的かもしれないから(笑)。

こんにちは。akaboshiさん。初めから読んできて、カキコミしたくなりました。
私は当時10歳でしたが、学校から帰ると、お茶の間でTVを食い入るように見ました。既に新聞を読む習慣がついていたので、難しい漢字を辞書を引きながら端から端まで、三島関連の記事を探しては読みました。母を質問攻めにして困らせていましたね。金閣寺は読んでいたので、文章の上手い偉い小説家だと尊敬していたのがいきなりの自決。酷くショックで・・。武士ならあんな死に方はしないのに。そう思った事を覚えています。
中学に入ってソルジェニーツィンやヘッセやシェイクスピアを読みながらも、何時も三島由紀夫の作品に戻っていました。4・5冊も読むと嫌にjなって本棚に返すのですが、一年たつとまた手にしています。私にとっては、魔のような文学です。ただ、残念ながら絶筆となった作品は文章に喚起力が感じられず空虚で、春の雪ばかりを繰り返し読みました。彼は、書けなくなっていたのでしょうか?それとも、それさえも死の演出だったのか。
彼は、ニュースが多かった私の小学生時代の中でも、最も輝く闇の星です。けして太陽ではない。ゲイでありながらそれを隠し通して、表街道を突っ走って生き急いでいたのでしょうか。今、友人葬で送られた中井英夫をふと、思い出しています。
当時の興奮が甦って、脈絡のない文章になってしまいました。ごめんなさいね。

●秋さん

うわ~。
10歳であの事件に出会ってしまうとは衝撃的ですね。
・・・というか、1970年の時点で日本で生きていた人に、
まんべんなく強烈な衝撃を与えてしまったわけですよね、彼の死に様は。
それも恐らく、彼の狙い通りだったのでしょうが・・・。

「武士ならあんな死に方はしないのに」
↑そうですよね。
三島由紀夫が頭の中で誇大妄想的に築き上げて行った「武士像」についても
非常に興味があります。
アメリカで「カウボーイ」が男らしさの象徴とされているように
日本の男らしさの象徴といえば「武士」ですからね。
三島由紀夫を考えることは、ジェンダー論にもなるようです。

「最も輝く闇の星」
↑なるほど。
僕は、彼の「闇」についても複雑な感情を持ってます。
本当に正真正銘の「闇」だったのか。
なんだか彼の書いている闇は時として、人工的に「作られた闇」のような気がすることもあるんです。

古今東西の芸術作品は、人間の「闇」を表現したものだとも言えるわけですが
三島由紀夫はそれらを吸い取って
「闇に憧れて闇を作り出した」面もあるような気がするんです。
「闇によって作られた闇」「芸術によって作られた芸術」という感じが、どうしてもしてしまう。
彼自身は、実は空洞だったのかもしれない。
でもそれって、最も素直な人間らしいあり方なのかもしれない。

清の子供です

314という本を父は
出版してます…

●本多史歩さん。

本多清著「314」たしかに出版されていますね。
情報提供ありがとうございます。
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