akaboshiコラム033●揺さぶられ、掻き回されること、楽しむこと。

トークのゲストとして来場してくださった綾さんとは、10日(日)の午前中に東京駅で待ち合わせたのですが、白のロングコートに黄色のストッキングという、一段と明るく爽やかな格好で現れ、髪型もオシャレでメイクも決まっていて、ホントに輝いて見えましたよ。パフナイトの開始までは少し時間があったので早稲田大学の大隈講堂前などを散歩したりして、これまで関西でしか会ったことのなかった綾さんと「こうして東京の街を一緒に歩いている」という事実に、実感が湧くような湧かないような、ふわふわした感じでした。
12時~パフナイトスタッフでサイゼリアに集まり事前の顔合わせを行ったのですが、まめたに対して綾さんが開口一番「綺麗・・・」と言ったのが面白かったので、思わず爆笑してしまいました。(まめたゴメン!)。YouTubeでの、ちょっと「活動家付いてるイメージ」と実物とのギャップがあったようですよ(笑)。
14時~始まったトークでは、MtFレズビアンの綾さんと、FtMバイセクシャルのSIGERU君、FtMヘテロセクシャルのまめた、ゲイの自分という風に、いろ~んなバリエーションが入り組んで繰り広げられ、前半は混乱しないように丁寧にわかりやすく語れているかどうかに集中して進行しました。
しかし!。やはりトランスジェンダーとしての経験や記憶を共有している3人と、シスジェンダーである僕との間には明確な「線」があることが後半になって浮き彫りになりました。途中から、3人が「そうそう、そうだよね~」「わかる~」と言っていることに、付いていけなくなってしまったのです。
これは僕だけでは無かったようで、客席を見渡してみたらトランスと見受けられる人たちは「うん、うん」と頷いているのですが、そうではないと見受けられる人は口を半開きにして「ポカーン」としていたのです。「あ、これに付いていけないのは自分だけではないんだな」という安心感を得るとともに、自分がこれまでいかに、トランスの人たちが「自らの本音や身体感覚を語っている現場」に居合わせたことがなかったのかに気が付きました。
いやぁ~。自分の脳みその処理能力を超え、フリーズ寸前だったという感じです。10代や20代の頃って、こういうカルチャーショックのような感覚ってしょっちゅう味わっていたように思うのですが、最近はめっきり減っていました。だから嬉しかったです。
トーク終了後、パフ★シネマの上映時間が迫っているのにも関わらずお客さんと綾さんらとの会話が熱く続いているのが素敵な光景でした。そして映画を観たあと綾さんは、パフナイトに来たお客さんやSIGERU君らと新宿二丁目に繰り出して楽しく語らったとのことです。(そしてそのお客さんらは翌日のRonとakaboshiの直撃トークにも来て下さったのです。それが本当に嬉しかったです。)

翌日の朝もモスバーガーで朝食を食べながらモニカさんと3人で更に1時間半語り続け、お世話になったモニカさんとお別れした後は高円寺までの道を散策。しかしここで残念なことが。駅前で通りすがりの男性が、後ろから「おいっ!おまえは男か!?」と恫喝してきたのです。離れたところから言われたので身体的な危害を加えられたわけではありませんが、あの言葉の暴力は、はっきり言ってすごく理不尽です。綾さんは「気にしてないよ」と言ってましたが、もし一人で歩いている時だったら恐怖を感じたのではないかと思い、僕はすごく腹立たしかったです。ああいう目に会うから、街を歩けないわけじゃないですか。本当に悔しい。

Ronさんと綾さんはちゃんと喋るのが初めてということもあり、その新鮮な感じをトークでも出して欲しかったので打ち合わせは全くせず、事前の接触時間もなるべく少なくして迎えた本番だったのですが、綾さんがこの数年で輝くに至るまでの人生が、どんなシビアなものだったのかが如実に浮かび上がりました。そして、「世の中の何が、綾さんを苦しめた最も大きな元凶なのか」が明確に見えてくる内容になりました。
案の定、ここでも僕は、かなり混乱を来たしたりしたわけですが・・・。綾さんが「ふと」語った言葉の中に、印象的なフレーズがたくさん出てきました。そして、その言葉の背景には・・・僕の貧困な想像力では到底図り知れない孤独な時間の堆積があったのだろうと、底知れぬ深さを感じました。脳の処理能力を越えて混乱気味な僕に対し、前日に引き続いて客席にいらしてくださっていたMtF当事者の方がフォロー的に説明してくださったりして、助けていただいたりもしました。
トーク終了後、パフ★シネマの上映があるのですぐに綾さんとはお別れになったわけですが、まだまだまだまだ。面と向き合っていろいろ喋ってみたいと思い続けています。この2日でこんなに喋り続けていたにも関わらず。それだけ、綾さんというのは「深み」を身に帯びている人なんです。

「当事者監督」と「非当事者的視座から制作した監督」の作品との間にある明確な違いが浮かび上がり、すごく大事な「批判的な視野」を一つ、身につけることが出来たのです。
自分は今後、「当事者」である視点を活用したり突き放したりしながら作品を作り続けようと思っています。その際に最も大切なのは、その時々の「自らの立脚点」がどこにあり、映し出している人や対象との「距離」がどれくらいなのかを常に意識し、更にその「距離」が変化して行く様子を明確に作品に刻み込むことなのだと気付きました。それが実現できている作品の面白さが、圧倒的に傑出していたからです。
お客さんの反応や感想を間近で感じたり、上映後にそのまま語り合いが始まり、かなり辛辣な批判も含めた感想が、同席していた監督に投げかけられたりと、すごく有意義な場に立ち会うことも出来ました。
いかに「批判者」を得ることが出来るか。そして、そこから自ら学びとって行ける自分で居られるのかどうかが、人が成長して行く上で最も大切なことだと思います。表現者に限らず、活動家に関しても政治家に関しても、ありとあらゆる分野で「成長」して行こうと思う人全てに、普遍的に、言えることだと思います。
パフスペースを3日間借りて、初めてやってみたこの試み。自分の内面が様々に揺さぶられ、掻き回され、そのことを楽しめたことが最高に幸せでした。そして、ブログやネット上だけの繋がりだったところから、リアルな場での対面に繋がった人や、パフスペースを初めて訪れたという方もたくさん居て、アンケートや話しかけてくださったことでそのことを知り、きっかけづくりになったのだとわかった時にも喜びを感じました。
最後のプログラムに来ていただいた皆さんが自主的に片づけを手伝ってくださり助けられたことも、本当に嬉しかったです。掃除機をかけながらふと、3年前の自分はここに「お客さん」として来る立場だったのに、今は何をやってるんだろう、これは自分なのだろうかという不思議な思いが湧きあがったりもしたのですが。「自分って何?」という解釈はきっと、後から付いてくるものなんだろうと思います。
「今」を、その時々の自分に忠実に生き、瞬間を積み上げること。人生ってそうやって作られていくものなんだろうと思います。最近の綾さんの輝きや、語りながら自らを再解釈し直している姿から学んだことはそれでした。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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