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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2020-04
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ねえ

64年前の今夜
あなたたちは
どんな気持ちで過ごしていたの?

ラジオからの臨時ニュースで
強大なものを敵にしたことを知り
浮き足立ちながら

未知なる未来を
どう想像していたの?

その後迎えた破局
たくさんの別れ
生活の変化
価値観の変化

さまざまな悔恨を
本当に乗り越えられたの?

乗り越えられないままで
どんどんいなくなっちゃうの?


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コメント

この記事へのコメント

 当時の米国との国際関係を見てみますと、大正末期に米国においては絶対的排日移民法が制定され、日本人の移民が禁止されていた時代です。人間扱いされていなかった黒人よりましだったのかも知れませんが、そういう時代背景から日本は満州に移民の活路を見いだしました。満州は清王朝がロシアに割譲する密約をしていた地域です。清王朝にとって万里の長城の外は自国とは見なしていなかったのです。しかし、日本がロシアに 勝ってこの場所を手にしたことが気にくわない米国は、日本に対して嫌がらせを始めました。国民党政府に軍事援助をし紛争を起こすことをけしかけたのです。そうして、最後はハルノートを突きつけ事実上宣戦布告を表明したのです。はっきり言って、米国は今のイラクのように日本を叩きつぶしたかったのです。そういう状況の下で、八方ふさがりにさせられた我が国が活路を見いだすべく、こちらから堂々と宣戦布告をし敵の軍事施設を攻撃したのです。多くの日本人が溜飲を下げたことでしょう。

 戦うべき相手ではなかったことを知っていたのはほんの一部の日本人でしか有りませんでした。いや、戦う相手ではないことを知っていた山本五十六でさえ、戦う覚悟をしなければならない状況だったのです。
 今日のアジアを見てみますと、日本は米国に負けて世界平和を勝ち取ったのです。日本が戦わなかったらアジアの開放はなかったでしょう。人種差別は今なお続いていたことでしょう。日本は人種差別の悪の国と戦ったのです。そういう我々の祖先を誇りに思います。

終戦の日にいろいろ戦争のことを考えるのはよくあることですが、
会戦の日(この場合は、太平洋戦争ね!)に戦争のことを考えないのは気になりますね。
もしかして、会戦したヒトにすべての責任を押し付けているのではないのでしょうか?
今もそうですが、「熱しやすく冷めやすい」日本人は大変政治家からすると扱いやすい国民性です。
「会戦」も他人事にせず、
今に置き換えてみましょう。
「世間の流れに」考えなく流されている自分・・・。
無作為の自分・・・。

12月9日 くもりて午後より雨。開戦の号外出でゝより、近隣物静になり来訪者もなければ半日心やすく午睡することを得たり。夜小説執筆。雨声瀟々たり。(永井荷風「断腸亭日乗」=岩波書店版、一部文字遣い変更あり)

●antsuanさん。
この詩は、歴史の解釈や政治的見解を述べたわけでもなければ
そういう論議をしようと思って書いたわけでもありません。
そうした論議は、始めてしまうと決着はいつまでたってもつかないでしょう。
歴史解釈に正解はありません。
そもそも歴史とは、所詮は人間が書き記した「フィクション」だからです。
(書くこと=書き手の主観が必ず入る→フィクションである、という意味において。)
そもそも我々は人間であり、「神」の目を持って世界の出来事を客観的に眺められる者など
一人もいやしません。
立場や所属する社会が違えば、同じ事実から違う歴史が書かれるし
解釈も様々に生まれてきます。
大事なのは、安易に自己の見解を固定化せず、
それはあくまでも自分の置かれた環境から生じているものなのだという意識を忘れず、
常に自分の見解を疑い続ける姿勢を皆が持つことなのではないかと思いますよ。

●(↓続き)
当時のアメリカを「人種差別の悪の国」だとする記述がありますが
では、当時の日本は「人種を差別しない善の国」だったのでしょうか。
日本政府も同じように「鬼畜米英」という差別用語で国民の闘争心を煽ったし
朝鮮半島に住んでいる人々を強制的に連れて来て日本国内のあちこちで
危険な労働をさせていたことが判明しています。
アメリカが日本人に対してやったことと同じレベルの事を当時の我が国もやっていたし、
当時の「帝国主義」の国々は多かれ少なかれ世界中でやっていたのです。
相手がやっていたからといって自国の罪について目をつむり、
一方的に「悪」だというレッテルを貼るのは、僕には不思議な態度に思えますよ。

●(↓続き)
国家同士のいざこざについての解釈は、僕にとってはあまり重要ではありません。
いちばん問題だと思うのは、国家権力と民衆との関係。
国家権力というものは、民衆に対してプロパガンダを巧妙に仕組み、
一人一人の国民の命を、まるで虫けらのように扱って戦争に駆りたてます。
日本だけでなく世界中の国家権力が国民を駆り立てたのがあの時代の悲劇だし、
そうした体制は今でも多くの国で続いているし、
油断をすると我が国でもすぐに繰り返されやすいものだと思います。
一人一人の人間は虫けらではないし、国家の政争の道具ではありません。
愛する者がいて、悲しみという感情も持つ、あたりまえの人間です。
どこの国に生きていようが、どの時代に生まれようが
一人一人の人間はそういう存在です。
この記事に「関連記事」として挙げた映画の数々は、
そのことについて考えさせてくれるものなので再び紹介しました。

●LARKさん。
そうですね。
まるで年中行事のように毎年8月15日の頃になると
「戦争を考えよう」というブームが巻き起こりますが、
だいたいあの2~3週間だけで、あとは冷めてしまうんですよね。
とても日本的な現象です。

●MASANORIさん。
永井荷風「断腸亭日乗」の紹介ありがとうございます。
当時の普通に生活していた人たちの日記を読むと
あたりまえに暮らしていた人々の息遣いが伝わってきますね。
大文字の歴史書や、国家に強制させられて書かされた決起文ばかりではなく
そうした普通の言葉に触れることの大切さを感じます。

●wikaさん。
そうですね。
ネット上では「中国人」だの「韓国人」だのといった言葉を安易に使用して
暴力的に誹謗中傷する言葉が飛び交っていますが、
すごく幼稚で馬鹿らしいことだと感じます。
あんなものが、世界中から見られてしまうメディアに載せられていること自体
とても恥ずかしいことだと思っています。
所属している国で人を判断するのではなく、
一人一人なんだというあたりまえの視点から交流しましょうね。
僕だって「日本人」という一言でくくられて十把一絡げに語られたら
とても嫌だし、人間扱いされているようには思えませんから。
自分も他国の人に対して同じように安易にイメージで語ってしまわないように
気をつけなくてはと思っています。
(ついつい、やってしまうんですけどね・・・。無知だからやってしまうんですけど。)

まだムリだと思います。人には、心がある。人には、目がある。人には、魂がある。人には、気持ちがある。人には、命がある。戦争だけでなく、世の中でも気持ちや、心、魂、命となる物をたくさん殺して成り立っている。半々が一番良いけど、でも半分は、死んでいるんだ。戦争も命じゃなく何人、人を殺したんでしょう。そして誰が癒すの?桃も、名誉、金、地位にしか目がいかず、何人も人の心や、気持ち殺したかな。だからもう止めようと思った。これからは、人を救って生きていく事にしようと思います。どの分野でも応対出来るように勉強をしようと思います。

大変失礼致しました。お言葉に甘え過ぎてしまったようです。この詩を詠んで時代考証って大切なんですよと言っているような気がして、ついつい私情を述べてしまいました。若いときは誰しもプロパガンダを鵜呑みにしてしまっているわけで、あの時代を必死に生きた人のことを思うと、もう一度しっかり歴史を見つめ直さなければいけないと思うのです。

●桃さん。
他人の心って、究極的にはわかりきる事は不可能だと思います。
だからこそ、自分の思い入れや思い込みを他者に押し付けて
美化したり否定したりしないように気をつけたいですね。

● wika さん。
優しい人だとは・・・とても言えません(笑)。
優しい人になりたいとは思ってるけど・・・。

●antsuanさん。
antsuanさんと僕とは、「時代考証」という面では若干違いがあるようですが
「あの時代のことにこだわりを持ち、忘れてはいけないと思っている」という意味では
同志だと思います。今後も忌憚のない意見をよろしくお願いしますね。
僕は意見を言ってくださる方が、基本的には好きです。
リスクを負わなければ他人に意見をすることなどできないし、
それだけ真剣なんだと思いますから。
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