フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-08
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akaboshiコラム031●関係の作り方/アライ・アイデンティティの複雑な受容と反発

 17日に続き、18日(日)も昼からクィア学会に出かけました。昼休み的な時間を活用して開催された『クィア学会 研究倫理ガイドライン検討ワークショップ』では、研究の取材者と、取材を受ける側との「関係の作り方」が議題になっていました。

 セクマイ当事者を取材する際には、自らの「心の傷」に触れるデリケートな問題を語る場合が多いため、様々なトラブルが発生しやすいということ。

 このワークショップを主催した学会の有志の方々としては、対策として「ガイドライン」のようなものがあると、トラブルを未然に防ぐ可能性が増えるのではないかと問題提起したかったようですが、今回はパネリストが多く、それぞれが自らの経験談と問題意識をそれぞれに提出する段階にとどまっていたような気がします。この議論は今後も場を設けて継続的に行われるとのことなので、まだ「提起」が行われたという段階なのだと感じました。

 ただ、その後の質疑応答では真っ先に伏見憲明さんが発言。学会の資料として配られたプログラムにおける記載について、問題提起(というか抗議)をしていました。

 この日の13:20から開催される分科会で、ひびのまことさんが行うことになっている発表『「マジョリティ-としての責任をとる」とはどういうことか』の説明文において、伏見さんの個人名が挙げられており、(たぶん)伏見さんとしてはそこに書かれている内容が「個人攻撃」だと受け取ったのだと思います。

 「これは学会が正式に出している資料であって、それにこのような記述が行われ、権威が与えられているということ」への抗議と、「名指しされている本人であるにも関わらず、今日の今日までその事実を知らなかったということ」について、学会の見解を質していました。

 当該個所の記述は確かに、クィア学会が事前にWeb上に公開したPDFファイルには含まれておらず、唯一、ひびのまことさんのブログに、ひびのさんの独断で公開されていたPDFファイルでは、見ることが出来るようになっていました。つまり、公式的にはクィア学会会員以外には、事前に知り得ることが出来なかったのです。

 学会が事前にこの情報を出さなかった理由としては、「学会の会員と、そうでない人の間に、この程度の情報開示の差を設けることは、必要なのではないか」という判断がなされていたようです。(学会の会員には、会費を払わなければなれませんから、ある程度の特権を設けようという意図なのでしょう。)

 そのことについての是非などは、僕は学会の会員ではないので組織のあり方などには通じていないために何の意見もありませんが、ひびのさんがブログに独断で開示していた情報を見たことによって今回の学会への強い関心が喚起され、「観に行ってみよう」と思ったことは確か。

 それは、ひびのさんの発表の説明文だけではなく、他の発表についても、詳細な情報を得た方が、より強く興味を持ち、遠方だけれども足を運んでみようという動機につながったという意味で、広報の効果は「情報を詳細に出す」方が、高まったのではないかと感じました。

 また、ひびのさんがこの説明文を提出したことによって、学会の内部でも議論が起こったことがあったらしいのですが、最終的には「掲載」という結論がでたとのことです。先行言説に対して批判的な立場をとる発表というのは、当然あって然るべきという判断がなされたらしいです。

 今回の伏見さんの抗議は、今後伏見さんがクィア学会の会員になることで「内部での議論」が喚起されるようです。この日は、次の発表の時間が迫ったために中途半端なところで議論が打ち切られたことが残念でした。質疑応答の最後に、当のひびのまことさんが挙手をしていたのですが時間切れで「直接的な議論」が起こらなかったのです。それが残念でした。

 その後の分科会で、僕はひびのさんの発表もある部屋を選択したわけですが、北里大の若き研究者・宮崎理さんや、かながわレインボーセンターSHIPのボランティア厚美哲也さんの発表。そして、今年の「アイダホ名古屋」の様子を映像で取材した張小青さんの「映像による発表」それぞれ、自分の問題意識と重なる部分が見つかり、有意義でした。

 特に「アイダホ名古屋」の映像は、今回の名古屋で積極的に呼びかけられて集結したという「アライさん」の様子を映し込むことが企図された映像であり、昨年の秋からテキトーな感じで使われるようになった「アライさん」という言葉が、名古屋の活動の現場ではこんな風に「アツい感じで」受容されており、「アライ・アイデンティティ」という新カテゴリーがもたらしている影響が、撮影者の意図を超えて深く記録されている映像にもなっていて、とても面白かったです。

 「異性愛者です」と名乗る立場でセクマイの活動の現場に関わってくる人って、昔から当たり前のように少なからず居たわけですが。「アライ」という新たな言葉が生まれることによって、「それに自分がハマるのか?ハマらないのか?」という新たな命題が生まれているみたいなんですよね。躊躇してる感じの人も居れば、すんなりハマってる人も居る。葛藤が起きている人も居れば、起きていない人も居るんです。

 それはインタビューに応じる人々の「言葉」にではなく、むしろ「表情」だとか「映り方」に如実に表れていた。そういう意味で、これは映像でないと拾うことの出来ない「微妙で繊細な部分」なんですよね。そこの部分を多様に読み取ることが出来たので、成功しているドキュメンタリー映像ではないかと思いました。

 編集の全体的な構造としては「真っ正直」な感じのゲイリブ・プロパガンダ路線ではあるのですが、一つ一つの場面が、その「真っ直ぐさ」を裏切って微妙な感情を映し出している。そんな風に僕には「読み取れた」わけですね。おそらく、制作者の当初の撮影目的からは逸脱しているのではないかと思いますが、そういうところにこそ真の「映像の魅力」ってあるんじゃないかと思うんです。

 それにしても、「アイデンティティ用語」って、生まれるとこんな風に、新たな葛藤だとか思考回路を生み出して、受容されたり反発されたりして行くものなんですねぇ・・・。その過程がピュアに瑞々しく記録されている、稀有な映像だったような気がします。あ~面白かった。FC2 同性愛 Blog Ranking
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