フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-09
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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇012●犬童一心監督・田中泯さんのトークショー

トークではいくつか、面白いやりとりがあった。
犬童監督によれば、キャスティングは卑弥呼役が最後まで決まらず難航したという。スタッフ達といろんな候補者を挙げてはみるものの、どうしても「違う」ということで延び延びになっていたらしい。

そんな時、犬堂監督は「黄泉がえり」という映画のシナリオを書いた縁で日本アカデミー賞の授賞式に出席し、田中泯さんを見かけることになる。華やかな授賞式の会場の片隅に、ポツンと一人で所在無げに座っている泯さんを見かけて監督は「格好いい~」と一目惚れしたそうだ。しかも、当初はそれが泯さんだとは知らず、舞台上にプレゼンターとして現れた彼を見てはじめて、それが誰だったのかがわかったらしい。

その後、キャスティングのスタッフに交渉を頼み、泯さんに台本が送られた。
台本を受け取った泯さんは、「これを俺にやらせようだなんて・・・タダ者ではないな」と、突飛なオファーをする犬童監督に興味を持ったという。
実は「たそがれ清兵衛」に出演して以降いくつも出演依頼はあったけれども、踊りのスケジュール等もあって断っていたという。しかし、この不思議な役へのオファーは、彼の心に強烈な引っかかりを作ったらしい。

かくして、山梨にある泯さんのスタジオに犬童監督が直接訪問し、出演交渉が行なわれた。
泯さんとしては実は乗り気だったようだが、そういう態度を見せなかったため犬童監督に不安を与えていたらしい。トークの時に、はじめてその事実を知った犬童監督は、「あの時、やる気でいたんですかぁ?」と驚いていたのがおかしかった。泯さんは映画の中だけでなく、普段から感情を「表」に表さないタイプのようである。

犬童監督の泯さんへの思い込みは強烈なものだったらしく、アカデミー賞の会場で一目惚れをした瞬間から、「この人は絶対に受けてくれるだろう」「断るはずがない」と確信を抱いていたという。
その熱意は撮影が始まった現場でも持続し続け、泯さんに演技指導をすることはほとんど無かったそうだ。

犬童監督はどんな現場においても必ず「この人は勝手に泳がせよう」と、軸になる人を決めることにしているらしい。そう決めた人に対しては一切口出しせず尊重する。すると、監督個人の発想からは決して出てこないような「意外なもの」が発揮され、作品が予想もしなかった方向に飛躍することを経験で学んだという。(このやり方自体、すごく犬堂監督らしいと思った。)

この映画の場合は、衣裳の北村道子さんと泯さんの二人が「勝手に泳ぐ」特権を与えられた。衣裳プランに関しては、多少奇抜だったり派手だと思っても、あえて口出しせずに全て尊重したという。結果として、全体の雰囲気作りに、衣裳の果した役割はとても大きなものになった。

泯さんの演技についても、そうした態度が徹底された。
田中泯さんは舞踊家である。表現活動において台詞を使う経験は、ほとんどない。すなわち役者としての技術の蓄積がないのだ。
だから声も小さくマイクで拾うのが大変。顔の表情も乏しい。
しかし監督はそれを否定するのではなく逆に面白がり、そのまま生かそうと企んだ。

周囲の技術スタッフからは、泯さんの演技について何度も「あれでいいのか」と意見があったという。

映画界の常識の中で仕事をしているベテラン・スタッフ達にとっては、泯さんの演技はさぞや素人臭く思えたことだろう。しかし監督は泯さんを擁護し続けたのだ。
「この映画で、泯さんについての私の役割は、なにもしないことでした。そして周囲からも、泯さんについては何もさせないことでした。」
監督はトークショーではサラッと口にしてはいたが、それを徹底するのは、実は「戦い」だったのではないかと思う。

映画を思い返してみると、監督のこの企みは見事に成功だったことがわかる。
泯さんの、決してリキまずに無理をしない穏やかな存在の仕方が、繊細に丁寧にフィルムに定着されていたからだ。泯さんの醸し出す雰囲気自体が、映画全体の雰囲気を象徴するものになっていることがわかる。
撮影現場でも、泯さんの存在が、監督には常に面白くあり続けたという。・・・演技というものの不思議について考えさせてくれるエピソードだと思う。

しかし、いつも思うが映画監督というものはしたたかだ。そうでなければ務まらない。
一見すると「人あたりが良さそう」に振るまっているが、その裏では、もの凄くしたたかに周囲の環境を鋭く観察し、周到にコントロールするべく計算している。そういう生き物である。

トークショーの進行も途中からほぼ監督が進めていたのだが、その言葉選び、相手への気遣いといった優しさの中で時折見せる鋭い眼差しは、監督の内面に潜んでいる底知れぬ冷酷さを感じさせた。そして、とても強い人なのだとも感じた。一度話し始めたら、たとえ周囲がその話に飽きて来ていても構わず最後まで話し続ける。自分の欲求に忠実であり、マイペースなのだ。

その横で語る田中泯さんは、とても謙虚で男っぽい感じの人だった。卑弥呼を演じた時は自分の母親になったつもりだったという。しかも自然に、気がついたらそうなっていたらしい。
静かな口調で語りつつも、やっぱり彼も監督と同じように鋭い眼差しを持っていた。この映画では一介の役者としての参加に過ぎないが、普段は自らが信ずる舞踊の道を切り拓くパイオニアでもある。

二人とも、自分のフィールドを持って表現を追及している第一線の者同士。
独自の体臭を感じさせる強烈な個性のぶつかり合いは、それだけでも充分、見応えがあった。

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コメント

この記事へのコメント

私は、この日にakaboshiさんの席の前の方で観ていたわけですが、田中泯さんの演技については、細かい指導がなかったはずと映画を見た時に思っていました。
何故ならば、泯さんのような一流の表現者に、ありきたりの指導は不要と考えたからです。世の中の第一線で活躍する人達は、活躍の場こそ違っても、自分の仕事という物に対する認識、そしてそこでの自分の使命をわきまえているからです。だから、泯さんがこの役を引き受けた時から、御自分の中に息づいて来ている演技という芽に対して、監督は気が付いていたはずなのです。世の中の第一線で活躍する人は、皆、話す事の中にも、共通する物があり、そこが面白いと思います。
それは、一つの事に向かって生きているという事でもあり、考えて生きているからだと思います。
もしも、泯さんにアホな演技指導なんかしたら、今のヒミコはなかったし、
何もしないでその姿から、発散する力を眼の前にする事は出来なかったでしょう。監督にはそこまで見えていたわけでしょう。

例えば、細かい指導というのは、あれば楽、けれど後の可能性は無しになるし、逆に指導がないと、その時は大変、けれど後の可能性は無限になります。これは、その場限りの発想だけで考えるなと言う事なのだ!と思いました。
自由な発想を与えられると、人は逆に慎重にもなります。でも、伸び伸びとします。ここをよく解っている監督なのではないでしょうか?
衣装のセンスは、女性ならではのお仕着せのない物で、まとまっていました。もしも、監督が細かく口を挟んでいたら、この自然な感じ、そして自由な服のセンスが奪われていたでしょう。
そういう意味においては、実に賢い選択をされた監督で、全体的に流れの良い秀作の出来上がりになったのだと思いました。

何がうらやましいって、舞台挨拶やトークショーが見られるって
いうことがうらやましい。。。。ここ和歌山じゃまず考えられへんから(;;)
田中泯さん、恥ずかしながらこの映画を観るまで知りませんでした。
でも、最初登場したときの あの存在感はすごかった。
「タダモノじゃないな」と思いました。
台詞回しが「あれっ?」とは思ったんですよ。
妙に素人っぽいというか。。。舞踏家だったんですねぇ。
立ち姿がとても綺麗だし、台詞が少なくても体で語ってましたね。
ホレましたわ~。 これから注目したいと思います。

トークショーの記事、akaboshiさんの三列前に坐っていた変なおじさんが好き勝手なこと書いてますし、sea1900さんも詳しい紹介書いておられますから、とても書きにくかったのではないかと勝手に想像してますが、それとは視点も違い、おもしろく読ませていただきました。
ところで、山崎役の青山吉良さんからきいたのですが、この映画では、主要人物がすべて登場するメゾン・ド・ヒミコのシーンだけロケで先に撮影し、室内シーン(卑弥呼の部屋&山崎の部屋)は、東京に戻ってきてからスタジオで撮影したのだそうです。
その時間的なズレが、結果的に、田中泯や柴田コウが自分の役を熟成させるのに、とてもいい役割を果たしたのではないでしょうか。
撮影の順番が逆(室内シーン→全体シーン)だったら、この映画の印象は、まったく違ったものになっていたのではないかという気がします。

●seaさん。
僕は、このエピソードを聞いて、この監督は映画を作りながら、
どこかで「意外性」を強烈に求めている人なんだなぁと思いました。
映像演技に慣れている俳優達には突破できない可能性を、
映像にはほぼ素人の田中泯さんが、どう切り拓いてくれるのか・・・。
その道の「プロ」になってしまうと、いろんなものが身についてしまうので
なかなかキャリアを捨て去れないし、飛躍して飛べません。
でも田中泯さんは映像のプロではないので、しがらみから自由なのです。
そこが、監督にとっては面白かったのではないかと思います。
だから、既成のいろんな「しがらみから自由な生き方」をしてきた
不可思議な存在としての卑弥呼像を
作り出すことに成功したのではないかと思います。

●kajukajuさん。
地方には、大都市にしかキャンペーンで廻らないでしょうから
トークショーを見られるチャンスは少ないかもしれないですね。
そっか、恵まれてるのか(笑)。
僕、たまに思うんですけど「台詞回し」って、素人っぽい方が逆に
「なにを言ってるのか」がストレートに聴こえてくるのではないかと・・・。
テレビの2時間サスペンスドラマで、ベテラン俳優がべらべらとたくさん喋っても
なにを言ってるのかよくわからないことが多い(笑)。
その俳優の「演技技術がうまい」ということは伝わってくるけど、
それと「演技における真実味」とは別物であるような気がします。

● lunatiqueさん。
その節は挨拶もしませんで・・・失礼しました(笑)。
撮影の順番も、きっと監督が配慮して考えたんでしょうね。
役者同士の関係性って、映像にしっかり映りますからね。

私も「素の田中泯とはどんな人なのか?」に興味津々で見に行ったので、なかなかあのトークショーは楽しかったです。本当はもっとゆっくり色々聞きたかったですけど。おかしかったのは、舞台に上がった泯さんが最初全然顔を客席に向けず、上を見たり、自分の手を見たり、ズボンのすそを見つめてみたり、となんとなく居心地が悪そうだったのに、踊りの話になったとたんものすごく生き生きとした顔をしたことですね。
去年バリに行ったときのエピソードを「人のうちに入っていって踊っちゃったり、道端で踊っちゃったり、バカなことばっかりやってます。踊りが好きなもんですから」なんて話しているときが一番楽しそうだった(笑)

↑そうでしたね!踊りが好きなのだから、言葉ではなくて、体で表現する事が最優先なのでしたね。むしろ、座らないで、立ったままのお話しの方が向いていたのでしょう。時間が取れたら、踊りを観に行く予定です。

●mizuさん。
そういえば、最初のうちは監督が一人で喋っていて、なかなか泯さんが
喋らなかったですね。
監督が気を利かせて泯さんの踊りの宣伝をしたら、
急にテンションが上がったのを憶えています。

「ぶらあぼ」 に掲載されていました。
NHK衛星第2
クラシックロイヤルシート
11月26日(土)前0:30~4:00
①兵士の物語~田中泯 砂に踊る
②エクサン・ブロバンス音楽祭2004
歌劇「3つのオレンジへの恋」
お知らせ致します。

こういう文章を書ける貴方がステキです。
作品の送り手、受け手の目線、且つブログの送り手としても
受け手のことを考えて書いてらっしゃる繊細なお心遣い。
やっぱり「品」ですね~
ちなみに、以前よりakaboshiさんのレビューの文章力が
パワーアップしてる気がします(エラそーでスミマセン・・)
長文でもまったく長いと感じないんですよね。

●mitiruさん。
テレビ放映されるのですね。
舞踏は映像を通すと全く別物になってしまうのでしょうが
「映像作品」として楽しむといいのかもしれませんね。
僕はNHKの衛星契約はしていないので、残念ながら見ることができません。

●じゃみ(ぃ)さん。
「品」だなんて、僕からは最も遠い言葉かと思ってたので
びっくりです~(笑)。

TBありがとう。なるほど、そんな、トークショーがあったんですか。行きたかったな。70年代に、田中泯の舞踏をずいぶん、見に行ったんですよ。
とても、肉体と精神が鍛えられていますね。すごいと思う。

●kimionさん。
TBしてくださったそちらの記事で、久しぶりにこの映画を思い出しました。
近々、近所の二番館での上映が始まるのでまた見に行こうかと思ってます。
田中泯さんの舞踏を「ずいぶん」見に行ったというのがスゴイですね。
ファンだったのでしょうか。
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