2006年3月に書いた記事、中国語のブログに掲載。

→[译]同志与父亲的关系 ~由乔治•迈克尔被逮捕想到的~
3年半も前の記事であり、僕としては正直、書いたことも忘れていたので驚いたわけですが、これをきっかけに今回、こわごわと読み返してみました。当時はブログを書き始めた初期の頃であり、今、出会っているたくさんの人たちとも、まだ知り合ってもいない頃。いろいろと溜まっていた思いを吐き出したかった時期なんだなぁと思いました。
まぎれもなく「あの時の自分」にしか書けない尖った内容の文章であり、書いておいてよかったなぁと、他人事のように感じました。今の僕は、良い意味でも悪い意味でも当時よりは「自分がゲイである」ということを、やわらかくテキトーに捉えるようになってきていますから。ただ、当時の僕が書いた下記の内容は、今でも思っていることです。
当時何気なく書いたこの文章には、今でも自分を突き動かしている「核」が含まれているような気がします。そのことが確認できるきっかけを与えてくださった王さん、どうもありがとうございました。→FC2 同性愛 Blog Rankingゲイは「生まれつき」なるものか、「後天的に」なるものかという議論がありますが、人それぞれ、様々な要因が絡まり合ってゲイになるわけで、答えの出る議論ではないように思います。(中略)
よく考えてみると、子どもと上手くコミュニケーションの取れない「不器用な父親」って、たくさんいますよね。愛情表現の不器用さを「男らしさ」として許し、「美徳」だと考える風潮もこの国には根強くあります。僕はそういうのが大嫌いです。
不器用な男が称賛される社会というのは、僕のように「父性」を求めて男性を好きになる男をたくさん生み出すのではないかと思います。社会のシステムの落とし子として。
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