リチャード・ラクストン「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」●MOVIEレビュー

予備知識を全く持たずに観たので、この映画のタイトルがスティングの大ヒット曲『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』と同名なのだということに、エンドロールで主題歌として使用されている時点で気付いてしまった(←無知なままで見過ぎだろうが。笑)。
この大ヒット曲は、この映画の主人公である実在の人物、イギリスの作家であるクェンティン・クリスプのことを歌ったものなのだそうだ。
●第18回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて上映。
→作品紹介ページ・・・7月17日(金)にも上映あり。
●Quentin Crispアーカイブページ
1908年生まれで、今でいうところの「おネェ系」の走りとして1930年代のイギリスでブイブイ言わせていたクリスプは戦後、テレビ出演してその半生を語り「同性愛カミングアウト」を行ったことから有名人になる。しかし当時のイギリス社会の風当たりは強く、強烈なバッシングに遭う。

イギリスを追われるようにして飛び出したクリスプは、ニューヨークでメディアやゲイコミュニティの人気者になる。70年代のニューヨークはストーンウォール以後ということもあって、ゲイ・コミュニティの活動も盛ん。なにより、クリスプの歯に衣着せぬユニークな「直言」が、カリスマ的な人気を博するようになる。
ちょっと「時代遅れ」と思われがちな道徳観念や教訓を、若者に教え諭すように語りかけて人気を博すという点も、現在の美輪明宏さんと似通っているように思う。

当時、大きな社会問題となっていたエイズは社会の中で「ホモの病気」という烙印が付与され、ホモフォビア(同性愛嫌悪)と結びついて多くの同性愛者を苦しめていた。周囲で仲間が次々と死に行くゲイたちにとって、クリスプの言葉は乱暴すぎた。結果として、クリスプ本人の意思の及びつかぬ速度で言葉の暴力性が独り歩きをしてしまい、総スカンになる。周囲から仲間が次々と去って行き、社会的な地位も失う。
90年代。再びクリスプは再評価される。クリスプに対して「トラウマ」を抱いていた世代がLGBTコミュニティの一線から退いたことで、若者たちが純粋に、「パイオニア」として再評価するようになったのだ。
こうして晩年に再評価されたところは、日本で置き換えるのならば東郷健さんの最近のサブカルチャー・シーンでの再評価と共通しているのかもしれない。
先行きの見えない現実の中で、時代の荒波を潜り抜け、時には隠遁しながらも91歳まで生き抜いた。この映画では、そんなクリスプの生涯を年代を追って描き出しながら、「アメリカのLGBTコミュニティ」の光と影をも描き出した。一つ一つのエピソードが淡々と飄々と描かれているように感じたのは、クリスプのキャラクターとも共通しているのだろう。
「えっ!もう終わったの?」と感じるくらい、怒涛のような人生絵巻と歴史のうねりが、サーッと目の前を通り過ぎて行った75分間だった。→FC2 同性愛 Blog Ranking
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
⇒ http://akaboshi07.blog44.fc2.com/tb.php/1761-df8c0816
この記事へのトラックバック