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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2023-09
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パフナイト128★パフでアライさんが洗いざらい~レインボーはセクマイだけのもの?11●「反差別運動」がもたらした問題



 クワ犬さんの男として「男」は笑え、「女」は笑えずからの続き。

 トークはここから一気にエキサイト。地雷論から発展してセクハラ論から反差別運動批判、その他さまざまなトピックが出て、時には喧嘩のようなことにもなって行きますが・・・実は僕、こういうパフナイトが以前からやってみたかったんですよ。

 予定調和ではなく、間違いを怖れずに忌憚なく意見を言い合って、ぐちゃぐちゃになりながらも、答えではなく「次へのヒント」が見えてくるような討論が。だから実は嬉しかったです。途中で切ると冷めてしまいますので、一気に3連続で御覧ください。

14●セクハラ禁止の行きすぎで
  

15●「男」の恐れるリスク
  

16●ヒントは「関係性」
  
パフナイト「レインボーはセクマイだけのもの?」PLAYLIST

 ここで浜田さんに「地雷論」がバトンタッチされ、いったんは小康状態になるかと思われたトークですが。この後さらに、観客席をも巻き込んでの激しい「山場」を迎えることになります。沢辺さんが繰り返し述べている「関係性」という言葉が鍵になるわけですが、その伝わり方が一筋縄では行かなかったようなのです。

 若いパフナイトスタッフは終了後、ぐったり疲れたようですが。このトークの場で話された内容や、「どのような態度でそれが話されたのか」を検証すると、いろんなものが見えてきます。その辺も分析しながら、丁寧に見て行こうと思います。FC2 同性愛 Blog Ranking
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コメント

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感想

 沢辺さんの主張の内容は、アナキスト系左翼活動家であり反差別運動の推進者であり、フェミニストでセクハラと性暴力に反対する立場の私からしても、適切で重要なものが含まれていると思います。しかし残念がら、この3本の映像だけを見る限りでは、やっぱりこれだから「年長者の男性」のことは好きになれない、という印象の方を私は強く持ちます。あえていうなら、沢辺さんの(発言の内容ではなく)映像の中での振る舞いの仕方こそ、ダメダメなオヤジ左翼とうりふたつに感じました。
 以下、理由です。

1:現在の反性暴力運動やセクハラ対策にはたくさんの問題があると私は思います。サバイバーやフェミニストで同じように思っている人とも何人も話したことがあります。しかし、沢辺さんが見ようとしていないのは、実際に性暴力やセクハラが身の周りに多数存在しそれが不可視化され続けているという事実です。今に至っても、性暴力やセクハラに反対することが自身の義務であるということを認識して自分の時間と資源を使ってそのために行動しようとする人(特に特権を持った存在である男性)が少ないという事実こそが、現存の「問題のあるセクハラ対策」が延命している最大の理由だと思います。もし沢辺さんが本当に現存のセクハラ対策などの問題点を何とかしたいと思うのであれば、まず沢辺さん自身が、自分自身の義務として、性暴力やセクハラを無くすことのために自分の時間と資源を使うべきです。それが伴っているように映像からは感じられないことが、とても残念です。

2:「関係性」のことを言うなら、まさに映像の中での沢辺さんとまめたさんとのやりとりのあり方こそ、沢辺さんが「強者としての特権」に無自覚であることをあまりに露骨に反映していると思います。印象としては、尾辻選挙の反省会の時にまめたさんが1人でトランスの話をさせられている(トランスの課題を担うことがその場の他の人が自分ですべき仕事だという自覚がない)状況と、重なります。せっかくまめたさんがコミュニケーションしようとしているのに、それを発言を途中で遮ったり、一方的に演説したりする。しかも周りも、まめたさんが話そうとしていることをちゃんと聞こうとするのではなく、沢辺さんが演説することを容認している。一体沢辺さんは、まめたさんから何を学ぼうとしているのか、さっぱり分からない。

3:私自身は、一方を絶対的な強者にし、一方が絶対的な弱者であるかのように振る舞うあり方には強く反対です。しかしその一方で、「関係性の中でものごとを解決しよう」という言い方が、強者としての特権を手放す態度を伴わずに出されている場合には、その関係性の中での強者の側に都合のいい言説として、結果的に機能します。関係性の中に実際にある力関係の不均衡や、社会的な差別の存在を、不可視化する効果を持っています。
 必要なことは、実際の人間関係の中にも力関係や差別があるという事実を認め、その不均衡や不適切な関係のあり方を変えるように、特権を持った側の得をしている側の人がコストを支払うことです。そういう運動文化を創り出せていないからこそ、一部の反性暴力運動や反セクハラ運動が社会的権力を手に入れて自分に都合のいい状況を創ろうとする運動になってしまっているのを、有効に批判できないのです。
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