フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-08
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akaboshiコラム013●南定四郎さんの「生きざま」

 南定四郎さんがかつて、1993年11月に「来年、私は日本初のゲイパレードをやります!」と宣言したとき。

 こちらの記事の映像内での水月モニカさんの記憶では、それが宣言された「hands on hands」の室内では「えぇ~っ!」と思う人が多かったとのことでしたが、きっとそれはモニカさんとその周辺の人々の側からの歴史の証言。当の南さんの記憶では、「まぁ、10人位は『一緒にやりたい』という手が上がってたかな?」とのこと。

 この食い違いは非常に面白いと思いました。つまり、南さんがいかに「ポジティブ思考の持ち主」であるかがわかります。すなわち、少なからず飛び交っていたであろう周囲の「戸惑いの反応や視線」が、彼の目や耳には入っていなかった(あるいは記憶に残っていなかった)ということですから(笑)。

 しかも、続けてこんなことも言ってました。「まぁ、10人も居ればパレードなんて出来るだろうと思ったよ。ところが当日行ったら何百人かは集まっててねぇ。」・・・そんな風にあっけらかんと語る南さんの「超越ぶり」がおかしくて、隣に座っていた大塚隆史さんと一緒に「クックック・・・」と、笑いが爆笑になりそうなのを抑えるのが大変でした。いや~、おそるべし南定四郎。

 5月6日の16時から開催された「エフメゾ」での南定四郎さんのトークでは、伏見憲明さん長谷川博史さんが進行役となり、南さんの生い立ちからゲイとしての目覚め、戦後の同性愛コミュニティとの出会い、そして雑誌の創刊、さまざまな「コミュニティ活動」を自らが牽引するようになるきっかけ、HIV啓発活動への関わりなどが年代順に丁寧に語られ、30人ほど集まった人々が熱心に聞き入りました。

 南さんは戦前生まれですが、ちょうどギリギリで出征しなくて済んだ世代。しかしお兄さんが沖縄で特攻隊として命を落としてしまったらしいです。また、樺太の方からの引き揚げを経験したりして、そうした戦争体験がその後の人格形成に色濃く影響を及ぼしているようです。

 また、今の南さんはわりと背筋を伸ばしてカチッとしていて、どちらかというと「男ジェンダー」を身にまとった紳士という感じなのですが。このスタイルは意図的に自らが「身につけたもの」なのだとか。子どものころはナヨナヨしていたところがあり、ある時キャッチボールをした時に、投げ方がおかしいことを指摘されたときに「これはマズイ」と思い、必死で「矯正」したらしいです。それだけ、「男らしくあらねばならない」という強制力が働いていた時代だったということでしょう。

 戦後になって、昭和20~30年代には新宿3丁目のゲイバーなどに行きはじめ、自らが同性愛者であることを解放できる場があることを知ってからは、同性愛者であることではあまり悩まなくなったとのこと。そして、当時の男性同性愛者たちの「普通の生き方」だった女性との結婚もし、一男一女をもうけるも、子どもが大きくなるころには別れます。

 NHKのラジオ劇団での演劇活動をやったり、実業の世界に入ったり。さまざまな社会経験を重ねながら同性愛者のネットワークにも出入りする中、1971年に『薔薇族』の創刊第2号に出会います。その中に載っていた同性愛小説を読んで「つまらない」と感じ、「自分はもっと面白いものを書けるはずだ」と一念発起し、書いて応募したらすぐに採用され、一時期は『薔薇族』に関わります。

 やがてゲイバーでのネットワークで資金を募り、株主になってくれるバーも現れたりして、「アドニスボーイ」という月刊新聞的なものを制作。その経験が、当事者たちからの広告を掲載するという形で発行される『アドン』創刊へと繋がります。つまり、当事者が主体となって資金を集めながら制作された、日本初の同性愛者向け商業誌は『アドン』だったのです。『薔薇族』は、編集長の伊藤文学さんは異性愛者という性的アイデンティティでありますし、発行元は父親から譲り受けた出版社。初期は広告を掲載していませんでしたから。

 『アドン』創刊にあたり、文学さんから南さんに、「この問題で広告を取るなんてとんでもない!」という怒鳴り声の電話があったそうです。おそらく、当時の文学さんとしての『薔薇族』の「表向きの発行理由」は、「福祉的な視点から同性愛者を救済する」という立場を取っていたからなのではないかと感じました。それは言いかえれば、誰も公には手を出さずに放置されていた「ニッチ市場」=「金脈」を嗅ぎあてたという風にも言うことができます。

 南さんらの『アドン』側としては、そういう「救済対象」から脱却し、当事者主体で発信できるメディアを確立したいという思いが強くあったのでしょう。その後の『バディ』VS『薔薇族』戦争の前哨戦のようなものが、すでに70年代から勃発していたというわけですね。いやぁ~『薔薇族』の存在ってのは当時、当事者の表現者にとっては「乗り越えるべきもの」として、それだけ君臨していたということなんですねぇ。

 僕はこれまで、どちらかといえば「薔薇族=文学さん側からの懐古談」を中心にゲイ雑誌の歴史を把握していたところがあるので、なるほど歴史というのは語る人によって、こんなにも違って見えてくるのかと新鮮だったし、すごく面白く感じました。なんでもそうですが、「乗り越えたい」と思う存在があってこそ、原動力というのは湧いてきます。

 『薔薇族』というのは当事者の主体性を確立したいコミュニティにとって「目の上のたんこぶ」のようなものであったかもしれないけれど、もし存在しなかったら当時のゲイ出版業界は、あのように活性化しなかったのかもしれないです。競り合ったり張り合ったりすることで結果的に質は向上したのでしょうし。このへんのエピソードは、もっと詳細に掘り起こしてみると、すごくスリリングで面白いところなのかもしれません。

 やがて南さんは、扇情的な男の裸の掲載を抑え、一般社会に出しても眉をひそめられないような「ちゃんとした」雑誌も出したくなったということで『MLMW(ムルム)』を創刊。大塚隆史さんらが深く関わったそうで、「オシャレ系」なゲイ雑誌の先駆的な存在にあたるそうです。ほんと、こういうところがクリエイティブですね~。どんどん新しいことに挑戦し、実際に生み出していたわけですから当時のエネルギーは凄かったんだろうし、関わった人たちは楽しかったんだろうなぁと思います。

 そんな中、海外メディアから「日本のゲイ事情」の取材を受け、なぜか大相撲の取材記事と一緒に「ゲイ・アクティビスト」という肩書で南さんが紹介されたことから、本物の海外ゲイ・アクティビストが来日して知り合うようになり、IGAの存在を知ります。IGAとは今でいうILGA(International Lesbian and Gay Association)なのですが、当時は「L(レズビアン)」が入っていなかったことに象徴されるように、ゲイとレズビアンは「敵対関係」に近いほど、お互いに近寄らない関係だったのだとか。今の僕の感覚からすると信じられない話(笑)。

 この頃、IGA関係で南さんが作るようになった勉強会や組織は、伏見さんに渡された資料によると出席者が非常に少人数のものが多く、2人とか3人なんてものもザラにあるのだとか。「どうしてそれなのに続けられたんですか?」との伏見さんの突っ込みに、南さんは「いやぁ。組織は2人だと上手くいかないけれども、3人いればなんとかなるんだよね。2人だとなぁなぁになってしまうけど、3人目が居ると客観的に見てくれるから。」と応えていました。

 僕なんかは、2人や3人しか来ないような勉強会を続けるなんて徒労なのではないかと思ってしまいがちですが。そうは思わずに地道に続けるところが、南さんならではのポジティブ思考。

 伏見さんがさらに突っ込みました。「南さんからは愚痴を聞いたことがないんですよね。私なんかしょっちゅう『あのオカマが』とか言ってしまうのに。どうしてそういう風に居られるんですか?」

 すると南さんは言いました。「引き揚げ体験があるからね。」・・・なるほど。生存権に関わるような壮絶な体験をくぐりぬけることができた人ならではの、「達観」のようなものを感じました。この日、僕にとって最も印象的なエピソードでした。

 長谷川博史さんの言によると、南さんの功績は「海外の情報を、雑誌メディアを通してたくさん日本に繋げてくれたこと。そして、やり方が実利的なこと。ビジネススキルのようなものを積んできて身に付けていたからこそ、達成できているものがたくさんある。」

 ビジネススキルと言えば。南さんがこうした「ゲイ・コミュニティ」の活動を始めたのは40歳になってから。つまりハーヴィー・ミルクと一緒なんですね。そこに至るまでの40年間は、さまざまな社会経験を実際にたくさん積んでいたわけで。だからこそ、同時に関わり続けていた「同性愛者のネットワーク」を活かして、やりたいことをやろうとした時に、そのノウハウを思う存分、活かすことができた。そして、実際にたくさんのことを達成したのです。

 この日のトークで語られたのは「光の部分」が中心だったわけですが。そうでない部分は先週、アンオフィシャルな場で聞くことができました。総合的に浮かび上がる南定四郎という人物像は、ただただ「ものっすごいタフで元気で、物怖じせずに現実にぶつかり、かつ冷静に着実に切り拓いて行く人だなぁ」ということでした。今でもそのパワーは衰えず、「ポルノではないゲイ小説が書きたい」と思って、執筆を進めているそうです。30年来、同居しているパートナーさんも居るそうです。

 その人となりに触れられただけで。僕も命ある限り、あんなふうに生き生きとしていたいなぁと思いましたし、あの「生きざま」こそまさしく、「ロールモデル」というものではなかろうかと感じました。FC2 同性愛 Blog Ranking
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