フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-11
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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇007●沙織の人生

いよいよ卑弥呼の登場まであと少しとなりましたが、再びちょっと脱線して・・・(笑)
この映画の主人公・沙織(柴咲コウ)の内面について、もう少し掘り下げてみたくなりました。
「メゾン・ド・ヒミコ」を訪ねるまでに彼女がどういう人生を過ごしてきたのか。それがこの映画の大切な背景になっているからです。

そのことに関連して、003●柴咲コウの目②にいただいたRINさん のコメントを紹介させていただきます。

●柴咲コウの視線は「ツッコミ」だという意見ですが、なるほど、と思うと同時にちょっと違うなとも思いました。彼女は、子供時代の「父」の姿しか知らないわけですから、単に「ゲイ」の世界を観に行くだけではなく、自分の知らない「未知の父」の姿を見に行くわけでもありますよね。ガンで余命幾ばくもない、それにプラスして、父親がゲイである姿を見ることは、彼女の父親に対する既成概念を壊すことであり、「ツッコミ、関心、興味」よりも「恐怖」に近いと思います。なので同じ視線で「ゲイの老人ホーム訪問」という気分には私はなれなかったです。あの「ツッコミにまつわる攻撃性」は、恐怖に裏打ちされた攻撃性であると思うし、「ゲイに対する攻撃性」というより、「自己崩壊、自己変革」への恐怖の方が強いように感じました。父親への怒りが彼女の半生を支えてきたわけですし。
するどいっ!
「父親への怒りが彼女の半生を支えてきた」
とありますが、その通りだと思います。
彼女の眼光の鋭さは、その支えが崩壊するかもしれないことへの恐怖だったのかもしれません。

そしてさらに言うとすれば、彼女を支えてきた父親への怒りは、「憎悪」に近いものだったのかもしれないとも思いました。


卑弥呼が銀座のゲイバー「卑弥呼」の2代目ママになったのは1985年。
沙織は24歳という設定だから1981年生まれ。
つまり4歳の時に父親に捨てられたわけです。

彼女が幼い頃、父親に可愛がられたのかどうかは描かれていません。おそらく関係は希薄だったのではないかと思われます。

彼女にしてみれば、あたりまえにいるべき父親が突然、自らの意志で出て行ってしまったわけです。しかも「男が好きだから」という理由で。
・・・ということは当然、、自分はなんなの?ということになります。
自分は、両親が愛し合った上で生まれたわけではないのか・・・?
望まれて生まれたわけではないのか・・・?
彼女は物心ついた時から、そういう疑問に悩まされ、苦しめられて生きて来たに違いありません。

しかも父親は生きているのに、連絡一つ寄越さない。自分に会おうともしない。
3年前に母親が癌で亡くなった時の葬式にすら顔を出さない。
彼女はその時に親戚から借りた入院費と手術代を返済するため、会社の他に深夜はコンビニでバイトしなければならない生活を送っています。これでは憎悪が募らないわけがありません。

春彦(オダギリジョー)が、卑弥呼の末期癌を理由に誘いに来た時も、彼女は車の中でこんな言葉を吐いています。
「あんな男、癌だろうが末期だろうが関係ない。死ぬならとっとと死ねって感じ。」

親というものは、子どもを愛するもの。
一般的には、そういうふうに考えられていると言っていいでしょう。
しかし、自分を愛してくれるべき人が愛してくれないとき・・・愛は憎しみに変わるのではないでしょうか。
「自分が悪いわけではない。母親が悪いわけでもない。父親が勝手に母との関係を裏切って、自己実現だかなんだか知らないけど出て行った。」
卑弥呼の振舞いは、彼女からはそう見えて当然です。

これは彼女にとってはアイデンティティーに関わる問題です。いつまで経っても自分を縛り、抜け出したくても抜け出すことはできない深刻な問題です。

そして彼女は「メゾン・ド・ヒミコ」に行きました。

春彦が提示した「日給3万円」という額に魅力があったことも確かでしょう。しかし、やはり父親と会ってみたい。ひょっとして謝ってもらえるのかも・・・という期待が無かったとも言い切れないでしょう。
もしかしたら、「日給3万円」という破格の給料は、春彦の優しさかもしれません。(あるいは、狡さかもしれません。)
それを表向きの理由として、本音を隠した形で彼女は父親を訪ねることができたわけですから。

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コメント

この記事へのコメント

連載、ざっと読ませていただきました。(寄せられたコメントは未読です。)
沙織が抱いている父への憎悪。確かに「憎悪」だと思います。でも、その根底にあるのは、父を求める気持ち、極論すれば愛なのではないかとわたしは思います。
相手に対して失望したり、怒りを覚えたりするのは、期待があるからだと思うのです。沙織の父への攻撃的姿勢、病気で弱っている人に対してそれでもとってしまうあの姿勢には、父の愛を求める気持ちがあるのかもしれないなぁ、と思えました。(いたわる様子もちらほらしていましたし。)
あと、ゲイの描き方について(005)、ずいぶん身構えて見てらっしゃるんですね。キクエさんの登場、確かに衝撃的でしたし、くすくす笑い、しました。でも、「ゲイ」云々以前にあそこは老人ホームですよね。「ゲイの老人ホーム」。なのでその笑いは、「そうそう、やっぱりそんな感じよね。」という笑いでした。もう、格好とかどーでもいい感じ。好き勝手に余生を楽しんで。めったにお客もないだろうし。あのシーンは瞬時にそんなことを表現していると思われました。
また来ます。リンクさせていただいてもいいですか?

7回目になりましたか・・・楽しみに読んでます。
沙織ちゃん、とっても強い子だなぁ・・て思いました。
きっと幼いうちから母を支えてきたのでしょうね。
確かに彼女の中では父は憎悪の対象だったのでしょう。
父がゲイだと言って家庭を捨てた事で、
自分の存在価値はなんなんだろう?と普通考えますよ。
彼女はきっとお母さんも父を憎んで死んだと思ってたと
思うのですが、後半その思い込みが崩れていきますよね?
お母さんは卑弥呼さんと会ってたし、ルビーさん達は
彼女の母を知ってた・・。
なぜ母はこの男を許したんだろう?
そんな気持ちが春彦君との距離を縮めたのかもしれないなぁ?
とか、ふっと思いました。
卑弥呼さんの『あなたが好きよ』あの一言で、少しでも
彼女が縛られてた気持ちから解放されてたらいいな。
いまココを読んでてそう感じましたよ。

Akaboshiさん、リンクありがとうございました。こちらからもリンクさせていただきました。
え~それと、いよいよ沙織の内面の問題が出てきましたので、この記事に私の記事をTBさせていただきました(これは私のTB初体験です。TBというのは、自分からするものだったんですね)。
『メゾン・ド・ヒミコ』は、近日中にもう一度みてみたいです。

『メゾン・ド・ヒミコ』 色についての考察 
白  春彦のシンボルカラー、中学生のシャツ、ヘルメット、ヒミコの部屋,山崎のドレス、ヒミコ登場に持っている白い花。純粋さ、清らかさ、透明感のイメージ。
赤  トマト、サクランボ、ヒミコのマニュキア。吐血と言う言葉から連想させる血の色。
青  春彦と沙織のべッドの色。聖なるマリアの象徴の色。 
 
 マリアとヨゼフは婚約者だが、行為はない。二人の関係が進展しないの当然。そう思うと、ヒミコの部屋の壁はキリスト教の祭壇のようだし、ベッドはすでに棺のようでもある。春彦と沙織に生まれるキリストとは何か?
極端に下品な女装の色は猥雑さをあらわす為にも必要であろう。
『祈り』と『赦し』これがテーマだと思った。
何度か映し出されるドローイングの裸婦。友人はヒミコの読み止しの本が気にかかると言っていた。着眼点の違いを感じさせる作品である。

毎日、楽しみに読ませて頂いていますが、真剣なakaboshiさんに、真剣に答える読者の姿勢が何よりも良いです。
 akaboshi さんの言葉が響き渡るようで、変に理屈っぽくなくて、自然なんですね。フツーに読めるフツーのブログなんだけれど、素晴らしい日々を与えてくれるブログです。
共に歩いて行きましょう!!!

mitiruさん、こんにちは。
白が春彦のシンボル・カラーというのはすんなりなっとくです。
ところで、卑弥呼の読み指しの本(エド・マクベイン)については、次のブログでも気になると書いてますね。
http://doi.fixa.jp/blog/archives/2005/09/post_119.html
エド・マクベインって私は読んだことないんですが、ゲイがらみの探偵小説だったような気がかすかにします。

●chiemhanaさん。
「相手に対して失望したり、怒りを覚えたりするのは、期待があるからだ」
その通りですね。
僕も恋愛経験は浅いのですが、似たようなことを考えたことがあります。
それは愛情の裏返しなのですが、相手に自分の期待を押し付けることは
本当の相手の姿を見ていないことになるので、そこが難しいところです。
沙織の父の前での突っ張った態度は、
あれこそ「父と娘」だからこそ出来ることなのかもしれないですね。
親子って、けっこうそういう不器用なコミュニケーションを通して
思いを伝えあうという部分もありますからね。
ただこの映画の冒頭のあたりでは、それだけではなく
互いに歪んだ形で積み重ねて来た日々の「怨念」のようなものもぶつかり合って
面白いんですけどね(笑)。
ゲイの描写って、受け取る人の「度量」によって印象が全然ちがうんですよね。
そんな感じで「そうよね~っ」というノリで見てしまえるように僕もなろうと思っています。
まだまだ度量が小さく神経質な僕としては必要以上に敏感な自分を
捨て切れていません(笑)。
リンクどうぞ。こちらからも貰いました。

● monomakingさん。
沙織とお母さんとの関係も、気になる要素ですね。
娘に卑弥呼との関係を語ることなく亡くなってしまったわけですから。
おかげで沙織の内面には、どうしようもないわだかまりが出来てしまった。
なぜ「秘密」にしたままで亡くなってしまったのだろう。
たった一人の愛娘に対して。
沙織の母も、考えてみたら「罪な人」ですね・・・。
・・・この二人の関係についても、なにか思いついたら記事にしようと思いました。

● lunatique さん。
初TBありがとうございます。
そちらの記事にコメントを書かせていただきました(長文でスミマセン)。

●mitiruさん。
衣裳や小道具などの色づかいは、
登場人物のキャラクターを表現する上で大切な要素だから
「衣裳」「美術」の一流スタッフが念入りに監督と相談しながら
一つ一つこだわって準備されているはずです。
そういう面での分析をするのもまた、面白いですね。
本物の美術さんや衣裳さんは、その仕事の中にきちんと
「自分なりの哲学や感性」をこだわって用意します。
そういった意味では、彼らはアーティストであり、監督はそういった
アーティストの集まりであるスタッフたちに「場を提供する」存在でもあります。

●seaさん。
いつもありがとうございます。
ブログって本当に、相互に影響を与え合うことが出来るから面白いですよね。
会話とは違って熟慮した上で言葉を交わし合うことが出来るし。
このコミュニケーションのあり方、独特だと思います。

● lunatique さん。
美術スタッフのこだわりか、誰か俳優のアイデアか・・・。
細かいこだわりをみつけると面白いですね。
だんだん視点がマニアックになって来ました・・・(笑)。

10日、一ヶ月ちょっとぶりに『ヒミコ』を再見しました。この映画のこと、こうしてAkaboshiさんをはじめとするみなさんとお話ししながら毎日いろいろ考えていたのに、三度目の『ヒミコ』は、やはり新鮮で、感動的でした。
この映画をまた観た今、なんか「きれいな映画だなあ」としかいいたくない気持ちです。でも、『ヒミコ』をとおして伝わる「美しさ」というのは、とても力強いんですね。
さて、今回も画面からいろいろなこと確認できましたが、沙織のことでいえば、彼女はメゾン・ド・ヒミコを訪れたとき、ほんとはすでにもう卑弥呼を受け入れてたんじゃないかと思いました。そうでなければ、いくらお金のためといえ、あのバイトはしなかったと思います。「これはお金のためなんだ」というのは、いわば、そういう自分に対する口実ですね。
これとの関連でいうと、卑弥呼に母の死のことを語るシーンがありますが、そこで、ぼけた母親は沙織を卑弥呼と勘違いしてうれしそうにしてたというエピソードが語られるんですね(このシーンの重要性、今まで気が付きませんでした)。だから、メゾン・ド・ヒミコを訪れる前の沙織の心の中にあったのは、単純な憎悪ではないんだと思います。

それと、この映画における色彩のシンボリックな使い方のことなんですけど、春彦=白というのは、それでいいと思うんですが、そうすると、スポンサーの半田との外出から戻ってきた春彦(物乾し場のシーン)が、そのときだけ薄いブルーのシャツを着ていたのは、なにか春彦の心の中を象徴しているのではないかと思いました。

●lunatiqueさん。
3度目でも新鮮だとは。なかなか無いですよ。
僕も気に入った映画は何度か見ることがあるのですが、
大体2回目で飽きます。逆に言うと、3回目も見たくなるかどうかで
自分にとってのその映画の必然性の強さがわかります。
2回目に見るときって、話しの筋をすで知っているから
演出や物語構成を分析的に見る事になる。
3回目でようやく、自由な視点で解き放たれて見ることが出来る。
そんな感じです。
春彦が作ってくれた「金のため」という理由に乗ったのは彼女ですよね。
たしかに、あそこへ行くということ自体、卑弥呼への強烈な興味の表れでしょうね。
年月の積み重ねによるいろんな思いと、切っても切れない「血」のつながり。
こうやって細かく言葉を重ねてみると彼女の心理って複雑で面白いですね。

●lunatiqueさん。
あ~、そういう風に「衣裳スタッフ」の気持ちになって
分析的に見返してみるのも、きっと面白いでしょうね。
「色使い」って、その時の人物の心理を表現してしまう大切なものだし、
他の人物との関係性まで表現しますから、
かなり練った上で決定されているはずです。
スポンサーと寝た後の春彦の洋服で現しているものは、
lunatiqueさんの推理で当たっているのだと思います。
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