フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-09
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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇006●伝説の「卑弥呼」について

前回の記事005●やっぱ女装かぁ・・・のコメントでephaさん が「卑弥呼」ついて書いたのに刺激され、ちょっと調べてみましたが・・・なかなかミステリアスな存在なんですよね、歴史上の卑弥呼って。
そして、その謎めいた存在の仕方と伝説の中に、この映画での「卑弥呼」のあり方と共通しているような部分が多々あり、ネーミングの妙が窺えます。

フリー百科事典『Wikipedia』での卑弥呼の説明によると・・・
「卑弥呼」という記述は、現在の日本国土からその痕跡が発見されたことはなく、中国・朝鮮半島の歴史書にしか記述されていないようです。(三国志時代の魏志倭人伝など)。

だから「卑弥呼」が日本史上の誰を指すのかは不明であり、そういう人が本当にいたのかも謎。いまだに決定的な「正論」に達することなく諸説が共存したままだそうです。

「邪馬台国」と「メゾン・ド・ヒミコ」を、強引に結びつけてみる(笑)

歴史上の卑弥呼は年老いてから王になったそうです。
王になってからの姿を見た者はなく、1000人の女を召使としていました。
ただ一人の男子のみが彼女と会うことができ、飲食の世話をして彼女の呪術の結果を人々に伝える役割を果たしたと言われています。
・・・「メゾン・ド・ヒミコ」の卑弥呼はここまで閉鎖的ではありませんが「一人の男子」を従えていたというのが、なんとなくオダギリジョーの演じた春彦の存在とかぶります。
邪馬台国の卑弥呼が死んだ後は若い女性が後を継ぐことになるのですが・・・これまた春彦的です。(自分と同類の者を後継者にしたという意味において。)

他者の目がなければ伝わらなかった「卑弥呼」伝説

僕が卑弥呼の伝説のあり方として最も面白いと思ったのは、「卑弥呼」と「邪馬台国」の存在は、中国・朝鮮半島の歴史書に記述されなければ伝わることがなかったという事実。
つまり「外の世界の者の目」によってはじめて、その存在が証明されているということです。
卑弥呼は積極的に、中国や朝鮮半島に使者を送り、鏡などの物資の交易を行なったと言われています。
この狭い島国の小国に生きる者として、自閉することへの危機意識を持ち、海の向こうに広がる世界に自国の存在をアピールする必要性を感じていたことが窺えます。それは邪馬台国という閉鎖社会を停滞させないために必要なことだったのでしょう。そして、小国として(マイナーなものとして)、大国と友好関係を結ぶことの重要性を認識していたのかもしれません。

自閉しないために「他者」を求める

この映画における「外の世界の者」とはもちろん沙織(柴咲コウ)。
「メゾン・ド・ヒミコ」というゲイの閉鎖社会に沙織を呼び寄せたのは春彦(オダギリジョー)の卑弥呼への愛情。卑弥呼は末期がんに侵され死期が迫っています。死ぬ前にこじれた父娘関係をなんとかさせたいと思ったのでしょう。
しかし理由はそれだけではなかったのではないでしょうか。春彦自身も、刺激を求めていたのではないでしょうか。
停滞した老人ホームでの日常。みんな年老いて行く中で若者は彼一人だけ。しかも恋人は日に日に衰え、やつれて行く。先行きの見えない中で孤独感が募り、強烈に他者との出会いを求めていたのかもしれません。

沙織が訪ねて来たことにより、「メゾン・ド・ヒミコ」という閉鎖社会には刺激が生まれます。
かなり掻き回されもしますが、沙織の若さと率直さによって確実に活性化されたのです。
他者としての彼女の目。
それがもたらした非日常。さまざまな事件と出会い、別れ。

人は、自分が生きていることを実感するためには「他者」という鏡を必要とします。
他者と生き生きとした関わりを持ち、ぶつかり合う中ではじめて、自分の存在を感じるのだと思います。そうした意味でも、自閉して滅びかけていた「メゾン・ド・ヒミコ国」は、沙織という他者によって活力を取り戻したのです。

この映画のこうした構造は、「ゲイ」として生きている者にとって、とても示唆的だと感じます。
この映画は、「ゲイ」という枠組みに自分を当てはめ、他者を怖れて自閉しがちな人たちに対する、異性愛者の作家と監督からの問題提起だと言えるのかもしれません。
もちろん自分もそんな「ゲイ」の一人です。
けっこう臆病です。その反面、他者と出会う契機を強く求めていることも確かです。
そんな自分の姿を見つめなおすことのできる映画でもありました。

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コメント

この記事へのコメント

>他者と生き生きとした関わりを持ち、ぶつかり合う中ではじめて、自分の存在を感じる・・・
これはまさしくその通りですね。私にとって、そのぶつかりあいが「離婚」だったんです。
カウンセリングに通ったり、精神科受診したり、もう自分自身ぶっ壊れる寸前まで行きましたけどね、そこで得たものは大きかったです。
「再生」するには、「破壊」が通過儀礼ですね。
春彦とサオリは性的に結ばれなかったけど、また違った形での「愛」の形を模索していくと思います。
ヒミコ関連以外の記事も、あちこち読ませていただきますねっ!

こんばんは。TBありがとうございます。
記事、とても楽しく読ませていただきました。
ゲイの立場から感じた鋭い観察内容、なるほど~と思うことが
たくさんありました。私の場合、かなり感覚的に見てしまうので
言葉にするのが難しくて・・・とても単純な感想になってしまいます。笑。
他の記事も楽しませていただきました。また遊びに来ますね。
もしよろしかったらリンクさせてください~。では☆

TBありがとうございました。
読解能力がないので、ちと難しい文章ですが、わかるまでずっと読みますね。
「他者という鏡」とか、「自閉への危機意識」とか、本当にこの映画をよく笑わしている言葉だと思います。
見る人によって、いろんな感じ方があって、それがこの映画のすごくいいところだと思います。
ぜひぜひまたブログに訪れてください。待ってます。

先日はTBありがとうございました!
ひと通り連載読ませていただきました。
やはり、一本の映画でも、いろんな感じ方があるんですね~。
なんだか、もう一度映画が観たくなってきました。
まだ混んでいるのかなぁ・・・

私のブログに来ていただき、ありがとうございました^^
『メゾン・ド・ヒミコ』を観に行ったのは、オダギリジョーと柴咲コウが好きなのと、
ストーリーに興味があったからなんです。
決しておもしろ半分っていうのではなく。。。。ん~~~。。なんやろ。
私は同性愛の世界はわからないというのが本音ですが、
いろんな形があっていいと思っているので
「どういう世界なんかな~」と純粋に興味を持ったんだと思います。
映画は、さら~っと観れましたよ。
うん。 おもしろかった。
同性愛とか異性愛とか関係なく、人間愛の話だなと思いました。
また観たいと思わせてくれる映画だった。
いろんな人の考え方や感じ方を見たり聞いたりするのが
すごく好きなので、このブログもとても興味深く読ませていただきました。
またおじゃましますね^^

TBありがとうございます!
ぼくは、前作の「ジョゼと~」が好きだったんで、見てみたんですが、
やっぱり雰囲気とか音楽とかよかったです。
見終わったあとに思った感情が言葉になっていて、
まさにってすごく関心してしまいました。
いろんな世界観があることに考えさせられ、
自分の存在を感じるってことにまた考えさせられ・・。
いろんな人の考え方を知るのはとても刺激があってよいですね。

●RINさん。
結婚というものを、僕は実感を持って考えたことがないのですが
親しい人で何人も、離婚経験者がいます。
再生のための破壊を求めて離婚し、自由の身になってまた再生する。
「離婚」という言葉の響きはちょっと後ろめたいものを含んでいますが
次につなげるために多くのことを学ぶわけだし、
自分のことも、より深くわかってくる。
傷つくこともあるだろうけど、我慢して悶々と日常を過ごしてしまうよりも
自分が選び取ったことならば恥じることはないと思います。

● parisaosisさん。
感覚的な見方も、時には必要だと思います。
女性は特に、そういう面で率直に、飾らずに物事を捉える能力に長けた方が多いと
僕は思います。
男性として生きていると、ついつい格好つけて背伸びをして
物事を語りがちですからね。(←僕も含めて。)
リンクどうぞ。こちらからもさせていただきます。

●usedpeopleさん。
「他者という鏡」とか、「自閉への危機意識」
・・・これって、僕が常日頃大切にしようと思っていることみたいです。
この記事を書きながら、そのことがはっきりしました。
そういう面で共感できたからこそ、この映画について
こだわってみようと思ったみたいです。
・・・自分のことを、書きながら発見をしています(笑)。

●ぷちもんち さん。
一本の映画でも、あまり多くを感じられないものもたまに、ありますね(笑)。
そういうものを、僕の中では「駄作」と呼ぶようにしています。
見たとしても、このブログに書こうという気力すら起こらないものも・・・
たまにあります。

● kajukaju12さん。
仙台の小さな劇場で見られたんですね。
この映画、なにげに全国で上映されるようですが、果たして地方での動員は
どうなんでしょうねぇ。
「どういう世界なんかな~」って、素直な言葉ですね(笑)。
世界は・・・表層的には違うように見えるけど
実は別れてなんかいないのかもしれない、と思ったりします。

●ryoishi80さん。
前作の「ジョゼと~」は良かった、という風に書いている人、たくさんいますね。
僕は未見なので、ぜひ見てみようと思います。
自分の存在を自分では実感できない。
人間って根本的に、社会性を求める動物なんでしょうね。

●at 2005-10-06 02:39の鍵コメさん。
その観点から見たとしたら、この映画は全然違って感じられたでしょうね。
もし意見をしたくなった時には、また書いてくださいね。

●at 2005-10-06 03:52の鍵コメさん。
僕も時々、美術や演技に気をとられて物語を把握していなかったりすることがあります(笑)。また遊びに来てください。

仙台ではレイトショーで観たんですが、
60人ぐらいの席に6~7割入っていたように思います。
男女のカップルが多かったかなぁ。
あと、男性1人で来られてる方も多いように思いました。
akaboshiさんの言われるように、あっちの世界、こっちの世界なんて
分かれてはいないんですよね。
この映画を観て、特別なことなんてないんだなぁと。
今までもずっと、いろんな形があっていいとは思ってたけど、
やっぱり心のほんのすみっこでは 偏見めいたものを持ってたのかもしれない。
まったく、日々勉強です。

●kajukaju12さん。
でも偏見って、結局のところ多かれ少なかれ誰もが持っているものだし
本質的に消しようのないものだから、否定しなくてもいいのかもと思う。
要は、自分で「偏見」なんだと意識さえ出来ていればいいのではないかと。
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