パフナイト120★パフでアライさんが洗いざらい~レインボーはセクマイだけのもの?03●私、居るんですけど

一緒に司会をやっていた遠藤まめた君が、いきなり質問をしてきたのでシドロモドロになりながら答えている場面からスタートです。
04●私、居るんですけど
なんか最近あちこちで、「アライさん」という言葉に対する反発のようなものを耳にします。僕としては、アイデンティティっていうのは洋服のようなものだと捉えればいいのではないかと思うので、人がどんな服を着ていようが、特に気にならなくなりました。
つまりアイデンティティって基本的には、時と場合によって着脱可能なものだと思うんですよ。誰もが自分に似合った、その場に応じた好きなものを着ればいい。接する人によって着替えたかったら着替えればいい。似合ってないと思ったら、似合うように改造したっていい。時には・・・裸になってみるのもいい。
どんな格好をしていようが、本人の内的必然が選びとったものならば尊重すべき。そこに貴賎を設けて比べるのは、おかしいのではないかと思います。
たとえば「アライ」という服を着てみることで感じることのできる新しい感覚や、発見があるのかもしれない。ずっと着ていたくなるのかもしれないし、別の服に着替えたくなる時が来るのかもしれない。でも当人が今、真剣な思いでその服を「着てみている」のだったら、僕は応援したい。そして、しばらくしてから着替えたってそれを責めようとも思わない。むしろどんなふうに変化するのか/しないのかを、ずっと見ていたい。
僕がこんな風に感じるようになったきっかけは、1月に京都精華大学で行われたダムタイプのシンポジウムです。かつて上演された「S/N」という作品の中で、アイデンティティを次々と脱いだり着たりすることを象徴するパフォーマンスがあったという話を聴いてから。
なんか、気持ちがすごく楽になったんですよね。そうか。役者が衣裳を着替えるのと同じように捉えればいいのかと。その時、「アートの力」の大きさを感じました。
しかし中には、もしかしたら「着たくもない服」を押し付けられて「脱ぎたいのに脱げない」状態で苦しんでいる人も、たくさん居るのかもしれないとも思いました。「S/N」のパフォーマンスはきっと、そんな両義性をも観客に感じさせてくれるものだったに違いありません。
着脱不可能な服を、ずっと着ていなければならないということ。他者からの視線の暴力で、着たくもない服を着続けなければならない苦しみ。そう捉えると、これまではなかなか想像できないと思っていた人たちの気持ちも、より深く想像しやすくなるような気がします。→FC2 同性愛 Blog Ranking
パフでアライさんが洗いざらい~レインボーはセクマイだけのもの?INDEX
01●やや、イタいかな?
02●源氏と平家に挟まれて
03●私、居るんですけど
04●「反差別原理主義」への危惧~ポット出版・沢辺均氏
05●わかるってどういうこと?
01●やや、イタいかな?
02●源氏と平家に挟まれて
03●私、居るんですけど
04●「反差別原理主義」への危惧~ポット出版・沢辺均氏
05●わかるってどういうこと?
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